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さらし文学賞
田中さん、宙に行くの巻

「田中さんはどうして田中さんなの?」
 妙齢の美しい女性は、突然隣にいた老齢の男性に問いかけた。その女性は、黒ダイヤのように輝く髪を腰までたらし、これまたカラスの濡れ羽色の戦闘衣装を身にまとっていた。全身黒ずくめで、周りの暗がりと一体になり、ただ一点翡翠色の目が光っている。一方話しかけられた老齢の男性、田中と呼ばれた者は、真っ白いスーツに夜光シールをベタベタ貼り付けた一風変な格好をしている。田中さんは、ずり落ちそうになるメガネを直しながら、宙に浮かぶ翡翠に話しかけた。
「なんだい? 藪から棒に。私は田中なのは当たり前じゃないか」
女性は暗闇のせいで全く感情が判別できないが、その間から若干言いよどんでいるのがわかった。
「……確かにそれはそうだけど。田中さんは昔からこんな感じじゃないでしょ? たとえばこのファッションとか。もういい加減どうにかしてくださらない? これじゃあ、逃避行の意味がないじゃない」
田中さんはこの質問を気に入ったらしく、フォっフォっと派手に笑い声を立てた。女性は顔をしかめた。全く見えなかったが。
「すまん、すまん……だが、こうした性分でな。見つかったら見つかったで、そのときはそのときじゃしな。おお、そこまで怒らんでも……そうじゃな、いやさっきの質問のことじゃよ。わしも昔は人間の時があったのじゃよ」
女性はいぶかしんだ。昔は人間ということは、今は人間じゃないのかしら。小さな呟き声が暗闇の中から聞こえた。田中さんはそれを聞き漏らさず、飛び上がると大声で叫んだ。
「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああたり」
 周りの藪で静かに寝息を立てていた鳥たちが驚いて目を覚まし、ばたばたと飛び立った。森のあらゆる部分がこの瞬間に覚醒し、何か妖しいものが一瞬で二人の間を駆け抜けていく。女性は思わず田中さんの白い腕にすがりつく。田中さんの体は驚くほど冷たかった。
「人間じゃないのだよ。私はね」
急に田中さんは若返った声に変わり、朗々たる口調で女性に話しかける。その身体は光り輝き、太陽のように周りを照らし始める。
「そうさ。私は人間ではない、異形の存在なのさ! さあ、どうして私が今の私になったかを考えてごらーん」
田中さんと女性は今やおどろくほど多くの魍魎どもに囲まれていた。魍魎どもは、二人に触れようとするが、田中さんの発する光の圏内には入って来れない。勇敢にも入ろうとした者たちがも中にはいたが、アークに焼かれ、次々と一塊の塵と化していく。知恵が少しでもある者たちは、光から一定の距離をとって中の田中たちを威嚇するだけで入ってこない。それだけでも、心を折らせるには十分な絶叫が耳を襲う。
「わからないわー死んだから?」
女性は耳に手を当てながら、絶叫に負けないほどに叫んだ。一方、田中はむしろこの状況を楽しんでいるように見えた。そして答えを叫んだ。
「私が人間を引退したからさ――――――――――――――!」
 その瞬間、田中さんは女性の手を取ると、伸び上がってそのまま宙に向かって一気に飛翔した。鳥や羽虫のように羽をばたつかせるのではなく、まるでロケットのように空気をかき分け上昇していく。女性は恐怖におののきつつも、しっかりと田中さんの手にしがみついていた。
 田中さんにたかっていた魍魎たちはわっさわっさといとも簡単になぎはらわれて、パラパラと落下していった。
「見たまえ。あのように無力なものたちを。まるでゴミのようだ」
田中さんは、冷たい笑みをほのかに浮かべながら、震えている女性に話しかけた。
「さあ、これから私はなぜ私であるのかについて話してみようじゃないかー」
世間話をしているかのような振る舞いの田中さんに戦慄を覚えた。女性は思わず、その手を離した。そして落下する。パラシュートもなしで。だが、田中は全く気にせずに蒼空に向かって語り続ける。落下した女性が失神する前に見たのは、成層圏を超え、宇宙空間に到達せんばかりに高速で上昇を続ける田中さんの放つ禍々しい光だった。

 私がまだ私でなかった頃。今よりもずっと通俗的で凡庸な傷つきやすかった私は、それだけでなく既にその時点で「素質」があった。それゆえに、必然的に私は自分の世界から「外れる」こととなった。
 私はある日全くひょんなことから変な事に巻き込まれて、気付くと黒ずくめの男たちに拉致されて豪華な一室に幽閉されていた。いったいなぜこういう目に遭うのか。まったく予想がつかない。誰が、何のために? 不思議と恐怖を感じなかった。むしろ好奇心の方が強かった。
 しばらくして、SPに警護されて、いかにも偉そうな感じの人が、部屋に入ってきた。ダークグレースーツに淡い青色のネクタイをきっちり締め、髪はポマードで陶器のように固められ、それを身につける身体は驚くほど無駄のない動きをし、驚く非の打ちどころのない男性です。銀行の頭取とも、大商社の社長にも見えるその風貌からは、これから訪れる戦いが困難になることが容易に予想できた。
「君が田中君かな。すまんね。わざわざこんなところに呼び出したりして」
男は早速話を切り出した。やさしそうに聞こえる口ぶりだが、ただ既に書かれている原稿を棒読みしているかのように、抑揚のない、冷たい声だった。
「いやあ君が、弊社の新事業と何らかの関係をもっていることは既に知られているのだよ。君は「あれ」が気にならなかったと聞いているが、本当かな?」
「お言葉ですが、「あれ」は間違っていると思います。人道的におかしなものだと……」
田中さんの反論をさえぎって、男は叫ぶ。さきほどまでとはうって変わって、恐ろしいくらい感情的な声で。
「だっかっら、なあんだと言うのかね? 君はそんなことを言って、自分は人道的な人間のつもりか。笑わせるな!」
田中さんはもう何も言えずに黙っている。男は一人でどんどんまくしたてる。顔は興奮から真っ赤になり、目からは狂気の光があふれ出ている。
「田中さーん、教えといてやろう。人間の世界って言うのはな、誰かを搾取しないと生きていけないんだよ。弱肉強食という言葉は知っているはずだ。んんんん、まだわからないのか? わからないのなら、この世界では生きていけないな。しょうがない」
男は、硬直している田中さんに微笑みかけながら、自分のふところから一本のバタフライナイフを取り出した。
「田中さん。人間世界のルールにうまく適用できないなら、人間辞めちゃえばいいんじゃないかな。不肖私がそのお手伝いを致しますよ」
そして男は、田中さんにナイフを振り下ろした。
「死ねい!!」

 ナイフが振り下ろされる瞬間、田中さんは神様仏様に助けてくださいと心の中で叫んだ。そしてついでながら、悪魔さんにも何でもするから助けてくださいと祈った。祈ってしまった。だから、それは来た。そして、突然田中さん以外の時間が止まった。
「おっはよー。田中さん。元気?」
みすぼらしい着物を身に着けた老人が突然田中さんの背後に現われた。
「何なんですか? あなたは。」
「わしか、わしは悪魔じゃよ。そちが呼んだから来てやったぞい」
老人はまるで他愛のない世間話をしているかのように、田中さんに自分が悪魔であることを名乗った。
「ほっほー。この男に殺されかけとったのか……」
悪魔は包丁を振り上げながら硬直したままの男をつついて、楽しそうな顔をした。
「わしは不幸が好きじゃから。普段はこんなことしないんじゃが。お前は特別じゃ。わしが助けてやろう、」
ここで、悪魔は言葉を切り、にんまりと気味の悪い笑みを浮かべて、こう続けた。
「ただし条件がある」

 先ほど落下した女性の話。実はこの子が主人公。成層圏と対流圏ぎりぎりの部分から落下して、絶体絶命。
「ただし条件がある」
地上の落下点には、田中さんがいた。今度は紺のスーツに、金縁の丸メガネをかけている。この田中さんが、見事に女性を受け止めた。田中さんにも女性にも怪我はなかったが、周辺地域はその日マグニチュード八の地震に見舞われた。
「ただし条件があるとその悪魔は言ったんだ。君は何だと思う? ふっふ、寝顔はいい顔じゃないか」
まだ失神したままの女性の耳に自分の口を近づけ、潜在意識にすりこませるように、かみしめながら次のように言った。
「人間を引退して、魂を売れとね

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