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さらし文学賞
退位前日

 静寂に鎖された其処に、折節老人の溜め息が響く。
 衰躯を椅子に預けた老人は実に疲れきった様子で、その虚ろな眼居も何処と定める処を持たない。物を見るため、というよりはただ閉じ方を忘れてしまって仕方無しに開けているといった風でもある。一見しては正気を失しているかの様だったが、永き艱難の時を幾重に刻みつけた貌はむしろ報われぬ思索に耽る哲人の、心を何処かに惑わす姿にも見えた。
 それにしても……。
 幾度目かも知れぬ溜め息を吐きつつ、ふと彼は思う。
 それにしても、闊かなるかな……。
 事実、其処は百人が会して尚余りある程に広大な部屋だ。歳経り滑らかになった石造りの床の壁は燭台の明かりに濡れたかの如く黒く照り、掃き清めた筈が何処からともなく薄く埃と煤と錆とが匂い、部屋にはいかにも身を糺さずには居られない荘厳な空気に充ちている。だが、此処にはただ一つの座と老人があるばかり、過ぎた広大さは空虚で、過ぎた荘厳さは滑稽だった。
 老人は永きを此処で過ごした。此処に座る前、自身が何処に身を据えていたのか明々と思い出す事が出来ない程に。
 いつか紐解いた書の曰く「部屋こそ自身の写しなれ」
 果たして此が己なれば、いかに下らぬ五十年を過ごした事だろうか。
 くくっと薄く自嘲しようとしたつもりが老いぼれた喉笛はクッ、クッと苦しそうに引き攣れた音を鳴らすばかりだった。石壁から伝う冷気に調子を崩したらしいが、それは改めて自身の老いというものを思わせる。笑う事さえ不自由な体を、彼の心は嘲け笑った。散った花の代わりのつもりか、不釣り合いに豪奢な錦を纏う枯れ枝は、此の部屋と等しく滑稽だ。いや、あるいは嘲る心さえも、滑稽なのかもしれなかった。
 老人は今一度、長々溜め息を吐くと、すと目を伏せた。この頃は過ぎた事を思う時間ばかりだ。今もつい瞼の裏に半生を映し見てしまう。
 先ず見えるのはやはり、この孤独な部屋の事。彼の半生とは即ちこの部屋そのものなのだから必然の事だったが、目を開けても閉じても映す物が変わらぬとは、やはり滑稽が過ぎる。しかし、愉しき時もあった。いや、愉しき時の方が多かった。そも自身がこの部屋に居る時間など一日に二時間ほどに過ぎず、残りは外に赴き、心ある人々と交わってきたのだ。
 歳をくうと愁いにばかり身を浮かすようになるのは、虚しい事だ。いや、明日を思えばこそ感傷的になっているやも知れない。
 彼はただ静かに眠ろうと決めた。
 暫しあり、意識が舟の舫いを解かれたごとく揺蕩うのを感じていた彼の耳に、男の低い声が届く。
「……陛下、お休みにございますか?」
 微睡の誘惑のために、少しばかり億劫になりながらも老王は目を開けた。
 其処には、上等ながら簡素な官衣に身を包む壮年の男が片膝をつき畏まっていた。
「ここは冷えますゆえ、お体に障ります。お休みになられますならご寝所に」
「ガレノアか。……いや、過ぎし日を思い遣っていたに過ぎぬ。それより、いかにかした?」
「いえ。ただ最後の日を、陛下と共に過ごさせていただきたいと存じまして。お気に障らなければ、どうかお許しをお与えください」
 老将軍ガレノアは白髪の雑じり始めた頭を垂れたまま、老王の顔を拝す事もない。おそらくは許しを与えるまで動かぬだろう。
 老王は少しの間黙してガレノアを見る。老いながら尚屈強な肉体を不断の鍛練によって保つ彼は、正しく絵に描いたような武人だ。誰よりも忠節を重んじ、また体現している。彼が最後の日……明日退位する老王の在位最終日を、主と共に過ごしたいというのは至極当然の事なのかもしれなかった。
 老王は愁いと穏やかさとを兼ね備えた気品ある笑みを浮かべ、彼に頭を上げるよう促した。
「わしごときに忠義を尽くそうとは、貴公は臣下の鑑よな。好きに致すが良い」
 言って、老王はガレノア以外には臣官の無い事に思い当たり、ふふと息を漏らした。
 しかし、ガレノアはそれをいちいち問い質そうともせず、ただ畏まっていた。彼は自身を心無い無骨な武人に過ぎず、無用な言葉は控えようと心掛けている。
「は、有り難き光栄に存じます」
 だから、その一言のみに留め、後はじっと口を噤む事にした。
 再び静寂が訪れる。四間は遠い燭台の油のじじと焼けるさえ聞こえた。
 ややあって、老王はゆるりと背を糺して天井を仰いだ。
「ガレノアよ、レイームは如何な様子か?」
 ふと次代を担う孫の事が思い遣られたらしい。
 老王の息子とその妻はレイームが誕生して間もなく流行病に臥せ、レイームが三つを数える前に他界した。情け深い老王はそれから嘆く事が繁くなり、その反動のようにレイームを溺愛していた。
 老王の王位に対する愁いも、幼時に両親を亡くしたレイームの苦労も知るガレノアは一瞬息をのみ、けれどやはり淡々と事実のみを奏する。
「は。レイーム殿下は今も西の塔に篭もられ、祈りを捧げられています」
「戴冠式の前の、禊ぎの儀礼か。……ふふ、貴公は可笑しいと思わないか、ガレノア?」
 皮肉気に、見方によれば痙攣を起こしたかのように、唇端を歪める老王に対して、ガレノアは表情を微動だにさせない。だが、老王は気にせず続ける。
「禊ぎの儀礼は戴冠に際して、穢れを払い清め、太陽神の加護を得る為に七日七晩斎場に篭もり祈りを捧ぐ儀式だ。それはいい。その信仰心自体は実にいい事だ。だがな、戴冠するのは魔王だぞ?」
 老王……魔王の自嘲気味な笑い声を、魔将ガレノアは黙して聞いていた。
「くくっ、神聖帝国国教会の伝承によれば天地開闢より万年に渡る不倶戴天の敵たる太陽神に、なぜ加護を求めねばならぬのだろうな?」
 乾いた笑いは止まない。草臥れた息骨が外れた音を出し始めた頃、「下らぬ仕組みよな」と打って変わって静かに一言漏らして、魔王は再び口を閉ざした。口を閉ざして、自身を思う。人の身でありながら、魔王を名乗る自身を、そして自身の血脈を。
 それは六百年程の昔。大陸制覇を成し、栄華を極めた神聖帝国の皇帝は、しかし巨大過ぎる国の脆さというものをよく知り、その行く先を案じた。多くの人種、多くの思想、多くの価値観が渦巻くこの国を一つに統べ続けるには、大義名分を必要する。賢君と名高い彼の結論は、人に普く敵対する魔王を仕立て、それを討ち封じる役目を帝国に負わせる事だった。
 それより火山噴火、大地震、飢饉、流行り病……災禍に見舞われ、帝の神聖性、正統性が疑われる度、大陸には魔王が出現した。次期帝位後継者は騎士団を率い、これを討つ事により、帝国臣民に勇者として迎えられて帝位に就いた。
 その〝魔王〟を代々演じ続けて来たのが、老王の家だった。
 幸いか、近年は治世に仔細なく、老王が魔王として世に出る事はなかったが、それでも彼の心は時と共に蝕まれていた。帝国皇帝の身勝手な人柱と知りながら、皇帝に対する忠義と帝国民の平穏を願う心から、魔王として黙して斬られた先達を思えば仕方のない事だった。元々は初代皇帝の右腕と謂われた名宰相の血筋だのに、その不当な地位を守ってきた家に対する誇りと疑問の葛藤は、千重の波が岩を砂へと変ずるように、老王の心を狂わせていったのだ。
「嗚呼、だが漸く終わるのだな。我が役目も」
 子を亡くした為に、他の王よりも永く王位になった老王はもう憔悴しきっていた。
 遠い目をする老王を、ガレノアはいまだにただ見守るばかりだった。かける言葉など在ろう筈もなかった。
「……ガレノアよ、貴公はいかにする? 妖魔将軍の位も共に次代へ継がせる決まりだが、貴公はその後いかにする?」
「小官は、愚息が立派にレイーム殿下にお仕え出来るよう、見守りゆこうと存じます」
 ガレノアの息子を思う。彼も父と同じく忠節に厚く、人の情けを知る精錬潔白な好青年だ。
「……強いな、貴公らは。どうかレイームを頼むぞ」
 突然色の変わった主の声に面を上げたガレノアの目に、永遠の命題に挑む哲人のごとき苦悩に充ちた貌をした老王が、ゆるりと立ち上がる姿が映った。傍らに置いてあった杖を手にとり、王はのろのろと足を動かす。カツンカツンと響く硬質な音は、冷たい牢獄を連想させた。
「……少し、歩いてくる。明日は忙しくなろうから、貴公は下がって休むが良い」
「陛下……!」
「暫し独りになりたいのだ」
 鋭い眼光をさしむけてくる老王に、ガレノアは黙るしかなかった。
「は。陛下も早くお休みになられますよう……」
「判っている」
 老王は緩慢な歩みで玉座の間を後にした。



 城を出て、老王は夕陽に染まる領地を眺めていた。
 魔王制を支えるために造られた、人口百にも満たない、一村落と変わらぬ王国。其処に息づく民草は帝国皇家の他、数少ない魔王制の存在を知る人々だった。彼らはこの国の下らぬ茶番劇を知り、領主に哀情を抱きながら、それ以上に尊敬の念を抱いていた。
 彼らの生活は温かい。魔王に近しいからか、より人間の善性を知り、至極平穏な日々を過ごしている。皮肉にも帝国内において最高の楽園は、魔王領なのだ。
 それを思えば、ますます帝国のくだらなさを感じずにはいられない。そもそも勇者を名乗る暴君どもも滑稽だ。彼らは魔族のない事も、魔王が牙を剥く事も十分に知りながら、魔王領を目指すにあたって臣民たちに「私は死ぬかもしれない……」などと憐憫の情を誘うのだ。かつての勇者どもなど、それが安全な旅と知らなければ、そも出征しない臆病者どもだったかもしれないのだ。
 この帝国とは、馬鹿げた人形劇の舞台となる、独裁者の箱庭に過ぎないのかもしれない。
 もう何もかも滑稽だ。
 この滑稽に、ついに最愛のレイームが巻き込まれていくのかと思うと腸が千々に千切られるようだ。願わくは、彼の強き心が自身のように愁うばかりの老いぼれに成り果てぬよう。
 老王はいつものように長く長く溜め息を吐き、彼の牢獄たる城へ戻る事にした。今はただ明日を考えよう。明日のレイームの事だけを。死する時まで彼の傍にいてやる事が、自身に残された役目かもしれないのだから。
 その時、突然木陰から小さな影が飛び出し、勢いよく彼にぶつかった。
 老いた胸に走った激痛に視線を落とせば、其処には小さな剣の柄が生えていた。
 刃はいずこか?
 愚問だった。間もなく老王は杖を取り落とし、音も無く崩れ落ちた。
 急速に光の失われていく瞳に、彼を刺した者の姿が映る。
 それは少年だった。所々擦り切れた厚い皮製の旅人の格好をしているあたり、皇族ではなく、庶民の子らしい。まだあどけなさを残す顔には、ありありと憎しみの色が見て取れた。
「ザマァミロ、魔王め!」
 少年は老王を見下ろしている。
「父さんと母さん、姉さん。ネスにリゴール、それから……トリス。皆の仇だ! お前が流行らせた病で死んだ皆の恨みだ!」
 ああ、そうか……。
 老王は唇端をひきつらせながら、全霊を込めて声を絞り出した。
「少年……、名は?」
「あ?」
「名だ、名だよ……。君の名を、聞いておる……」
 次第に声も出せなくなってきた。
「ああ? ……そうか、俺を呪う気か? ……いや、いいよ。呪いたければ呪え! その代わりに忘れるな、俺の事を! 俺の恨みを!」
「……わかった。だから……、早く……」
「マグナスだ」
「そうか……、マグナスか……。よう……来たな、天晴れなり。……勇者、マグナスよ」
 そう、勇者だ。
 庶民の子は魔王制を知らない。しかも帝国から魔王復活を命ずる書簡も無かったから、まだ老王は魔王として世に復活を告げられていない。
 つまり、マグナスは独り魔王の存在を信じ、その恐怖に打ち勝ってここに辿り着いたのだ。
 彼を勇者と呼ばずして、誰をか勇者と呼ぶべきだろうか。
「な、何を言っている!」
 敵に称賛された事に戸惑っているのか、マグナスは頓狂な声をあげた。
 だが、対して老王は限りない慈しみの眼差しを向けていた。彼は出逢ったばかりのこの幼き勇者に、愛おしさすら感じていたから。
 しかし、その想いを伝える事は叶わないらしい。もう声も出なかった。
 代わりに彼は残された全力をもって、自身の胸に突き刺さる剣を掴んだ。
 マグナスは魔王が抗おうとしているのかと、飛び退さって身構えたが、実際老王はその剣に触れたかっただけなのだ。護身用の安物に過ぎないソレが、神聖なものにも思えて触れたくなったのだ。
 老王の手が血に濡れる。老いた胸を破って噴くそれは、鮮やかな赤色をして、焼けるように熱く、いかにも命の象徴のようだった。
 ああ、温かい……。
 彼は玉座を思った。あの冷たい監獄を。
 そして老人は、穏やかに微笑みながら、眼を閉じた。

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