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さらし文学賞
大会前日

 高校生が車に撥ねられ、重症を負う事故が発生した。その生徒は、翌日に剣道の大会を控えていたが、当然出場は取りやめとなった。目撃者によると、その高校生は、車に轢かれそうになった子供を助けようと路上に飛び出したのだというが、しかし、子供の姿はどこにもなかった――。


「凄いぜ忍! まさか勝つなんて」
「剣道部の大会進出は10年ぶりなんでしょ?」
教室に入ると、俺はクラスメイトに囲まれた。
「お……おぅ、まあな!」
きゃあと歓声があがる。こんなの初めてだ。
「校内紙にも載ってるぜ。えー、『竹刀の高松、予選優勝――剣道部の高松忍くんは先日行われた地区予選で』」
「竹刀の高松?」
それ俺のキャッチコピー? いや、竹刀は当たり前だろ?
梅園高校は、進学校でなければ部活も強くない、田舎の高校だ。俺のいる剣道部も、昔は結構強かったらしいが、今は団体戦がやっとの弱小部だ。
 先週の地区予選で、俺は個人戦で優勝した。当然、大会進出だ。
「で、大会いつよ?」
「再来週の土曜」
よし、応援行くか! と声があがったのは、マジで嬉しかった。


「有美、忙しいんじゃないの?」
「図書整理は委員の仕事だよ。でもいつも司書の先生にやって頂いてしまっていて……だから。恵理こそ、忙しいんじゃないの?」
私たちは、返却された本を棚に戻す作業をしていました。とはいえ、図書委員は私だけです。恵理は、踏み台に乗っている私に、本を渡してくれていました。
「忙しいわよ。なんたって我が梅高の剣道部エースが大会出場するんだもの。いい記事書くわよ!」
恵理は新聞部です。
「もう超カッコよかった、あの試合!」
「と、図書室は本を読むところだよ。本を読む時は静かでなくちゃ……だから」
「え? ああ、声大きかった?」
周りがこちらを見ているし、色々と恥ずかしいです。でも恵理はニヤリとこっちを見て笑っていました。


「高松くん、手伝ってほしいことがあるんだけどいい?」
昼休み、俺は担任に声をかけられた。
「はい?」
「この授業の資料を返しておいて欲しいの。図書室に持ってくだけでいいから」
これよ、と指差す先には大量の本。しかも大判だ。
「や、すみません……俺、来週の大会の、ミーティングなんで」
「ちょっと寄ってくるだけじゃない。じゃいいよ、別の人に頼むから」
 すみません、と言って俺は教室を出た。そのまま、部室の方に歩き出すしかない。実は、ミーティングなんて嘘だった。俺は、あの人のいる図書室に行きたくなかった。
 ……俺、最低じゃね?
 仕方なく流れで部室に来てしまった。しかし、いつも独特な臭いの部屋だが、今日は更に埃っぽい。
「お、高松」
「部長、一人で何してるんすか」
 どうやら、部屋を整理していたらしかった。
「お前、ちょうどいいとこに来たな。これ見ろ。で、大会でいい成績を残して、そして今度こそ全国に行けるように気合入れろ」
「ハンパないプレッシャー……」
 部長は俺に古い写真を見せた。胴着を来た高校生が、照れた様子で、賞状を持って立っている。今よりずっと多い数の部員が、嬉しそうな顔で、一緒に写っていた。
「10年前の写真だ」
 部長が言った。小さくてわかりにくかったが、写真の中の顔を、よく見た。
「ただ、この時は惜しいことに、事故か何かで大会には出なかったらしいがな」

 自分に必死に言い聞かせ、ドアの取っ手を持つ手に力を込める。
 放課後。オレンジ色の光が、窓から平行四辺形型に差している。俺は「図書室」のプレートがかかったドアを、音がしないくらいそっと開けてみた。
 ドアは開いた。まだ中に人がいる。図書室のカウンターには、誰もいなかった。息をつめて、本棚の間を見回した。
 彼女はいた。一人で本を戻していた。
「……さ、」
 桜井有美さん。
 喉に引っかかって、うまく声がかけられない。
 彼女は棚の上の方に本を戻そうと、踏み台に乗ろうとした。そこでやっと、慌てて声を出すことができた。
「……手伝います!」
「えっ?」
 彼女は驚いていた。俺に気が付いていなかったらしい。
 俺は勢いで、桜井さんの持っていた本を奪って棚に入れた。俺は背が高いから踏み台はいらない。
「? ……あの、ありがとう」
「いえ、や、」
 俺はお礼を言う桜井さんの顔を見られず、本の背表紙を見ていたりしていた。
「本、戻すの手伝います」
「え? でも、図書委員じゃないですよね……?」
「いえ俺」
 慌てて、そこに積み上げられていた本を取った。偶然、昼休みに返してこいって言われた本だった。
「いや俺この本、図書室に返すよう言われたんすけど、その、俺行けなくて、で、えっと、俺仕事しなかったから、その代わり本を棚に戻す手伝いなんか、できたらなと」
「…………そう? ありがとう。助かります」
 彼女は頷いた。
「ごめんなさい、私だと台に乗らないと上の棚まで届かなくて、やっぱり大変だったので」
 俺は、何と言っていいか分からず、黙って頷くしかなかった。何がやっぱり大変なのか、深く考えることができなかったから。
「……図書委員の人とか、他にいないんすか」
「今、部活が忙しい時期ですから」
 校庭から、運動部の掛け声が聞こえてくる。
 俺は本を戻し終わって、桜井さんはゆっくり歩いてカウンターに戻った。
「もうすぐ閉館なので、本を借りるなら早めにお願いします」
「え、」
 いや、図書室は本を借りる所なのだから、桜井さんがそう言うのは当たり前なんだけど。
「いや、俺は……」
 本を借りに来たんじゃない。けれど、本当の事を言う勇気も出なかった。
「あー、……これ借ります」
 一番近くにあった、適当な本を出した。
「クラスと名前は?」
「2のA、高松忍です」
 俺は、一体何しに来たんだ?
 俺は、桜井さんに、話をしに来たのに。


 夕方、私と恵理の影が、夕日の赤い光に長く伸びていました。
「いよいよ今週の土曜日かあ……」
 恵理はうきうきしているようでした。私はそんな恵理につい尋ねてしまいます。
「剣道大会……そんなに楽しみ?」
「楽しみっていうかさ……わくわくする! 知ってる人が出るんだし」
 しかも期待のホープだよ、と恵理はいいます。言葉の重複です。
「もし、全国大会まで行ったらさ、取材とか関係なしでアタシ観に行くよ」
 笑って冗談っぽく言っていましたが、でも恵理は本気みたいでした。
「だって、剣道の事は分からないんだけどさ、すごいカッコいいんだもん」
「でもさ」
 私はちょっと笑って言いました。
「全国まで行ったら、会場は東京だよ?」
「うわ、どんぐらいかかるんだ!?」
 二人で、思い切り笑いました。


 大会まで、あと三日。俺は放課後の練習の後、図書室に寄る事を毎日続けていた。
 いつも、桜井さんは図書室に一人でいた。本の整理をしていることもあれば、本を読んでいることもあった。
「こんにちは」
「……こんにちは」
 俺が入ると、桜井さんは顔を上げて、慣れた様子で本の返却手続きをしてくれた。この前成り行きで借りた本は、結局まったく読まないまま返した。返す時に、桜井さんに話しかける口実ができるんじゃないか、なんて思惑は、まあ、数秒で断念。
「あの……何か用ですか?」
「へ……?」
「返却手続きは終わりました。高松くんは別の本を持ってきてもいませんから……だから」
 言われて、馬鹿みたいにカウンターの前に突っ立っていたことに気が付いた。
「や、や、別に特に用はないっす」
 しかも自ら話す機会を逃した。気まずいのは俺だけか。
 俺は桜井さんと話そうと思ってここに来た。来たはずなのに、いざとなると、その勇気が出ない。
 10年前の事故、逃げ出した子供のこと――。
 カタン、と音を立て彼女は椅子から立ち上がった。片手に本を何冊か抱えたので、本棚に本を戻すのだと分かった。
「俺、やりますよ」
「高松くんは委員じゃないですから、別にいいですよ」
「いえ、俺戻しますから」
 桜井さんは、そんな顔しなくていいのに、すまなさそうに俺に本を渡した。
「じゃあ……戻す場所は、私でないと分からないでしょうから」
 彼女が、ゆっくりとカウンターの外側に回り、迷わず本棚の間を歩いていくのに、俺も静かについていった。
「いつも、ありがとう」
「別に、大したことじゃ……」
「部活帰り?」
「はい」
 桜井さんは机の上に放り出してある俺の荷物を振り返った。
「剣道部ですか」
「……はい」
 剣道部のことに触れられて、急に喉の奥が渇いてくるのが分かった。本を持つ手が汗ばむ。
「毎日、竹刀持って帰ってますが、家で練習を?」
「まあ……」
 ぐらりと、足元が崩れ落ちるような感覚が襲う。必死で耐え、本を戻すことだけに集中した。
「ありがとう」
 お礼を言われて、全部本を戻し終わったことを知った。
「いえ……」
 必死に答えたけれど、その声が聞こえたかどうかは、わからなかった。
 耐えられなくて、今日はもう図書室を出た。逃げるように校舎を出る。そこで、いきなり肩を叩かれた。
「よっす、剣道部エース!」
 声も出なかった。というか全然気付かなかった。本当に周りが見えていなかったらしい。
「何だ、柴田か」
「何だって何だ。こんな時間までお前何してんの?」
「……別に」色々な意味で説明できない。「柴田こそ何して」
 柴田はけろっと言った。
「図書委員の当番」
「嘘つけ!」
「嘘だ。で、何で忍がそれ知ってる?」
 ……俺は柴田を睨んだ。
「忍は不器用だからな。なあ、お前、今が人生最大のモテ期だぜ」
「勝手に最盛期を決めるな」
「だってお前、スター扱いだぜ。生徒はほとんどお前を知ってるんだ、今ならカノジョできるぜ。しかしお前、年上が趣味だったかあ――」
 ……? 聞き流しているうちに、変な事言われた気が。
「桜井さんか……まあ、確かにクラスの女よりか美人だな……」
「な、馬鹿!」
「照れるなよ」
 みんな帰ったのか、周りには誰もいなくてよかった。
「違う、そんなんじゃねえよ……」
 柴田はニヤリと笑った。
「じゃあ何だよ?」
 俺は柴田を無視しようとしたが、……ふと思い至る。
 桜井さんから見たら、俺の行動はどう見えてるんだ?
 俺は、桜井さんに、言っていないことを話そうとしているのに。


「――有美、有美っ」
 私ははっとして顔を上げました。
「もう、さっきから呼んでるのに」
「ごめん」
 読んでいた本を閉じて、恵理に謝りました。
「本に集中してた? それとも」
「えっ……」
「やっぱり最近の有美、ぼーっとしてるね」
「……そうかな」
 確かに、自分でも落ち着かないのを感じていました。理由はすぐ思い当たります。分かってもどうにもならないものです……だから、こんな時こそ本を読もうと思ったのですが、内容は私から滑り落ちていってしまうのでした。
「こんなの……初めて」
「ん?」
 呟きは、恵理には聞こえなかったようでした。


 大会は、明後日に迫っていた。
「今日はもう、帰ったらどうだ?」
 部長の言葉が頭の中で何度も繰り返された。
「も……もう一回お願いします!」
「剣の動きが鈍いぞ。いつもと全然違う」
 自主練の、試合形式の手合わせで、俺はあっさりと部長に負けた。竹刀が床に、転がっている。
「まあ……正直、高松には予想以上にプレッシャーがかかってると思う」
 まさか、剣道の大会の為に応援団が結成されるとはなあ……今まで聞いたことがない、と部長は頭をかいた。
「そ、そうなんすか」
「知らなかったのか? ……ともかく、お前に今必要なのは、精神を落ち着けることだ」
 だから、帰って早く休め――と。
 まだ自主練をするという部長を残して――先輩たちは、もう最後の試合も終わって、引退なのに――俺は剣道場を出た。そして俺は、今日も、図書室の前に来てしまっている。
 ……ずっと、図書室を、彼女を避けて過ごしていた。その彼女と会うことが、俺を揺さぶっているのは間違いない。
 今向き合わなくてはいけないのに、俺は、そう、臆病だ。
 図書室のドアを、開けようかどうか、迷っていた、そんな時だった。
 コツ……コツ……
 廊下の向こうから、音がした。放課後の静かな廊下に、その音はよく聞こえて、桜井さんだとすぐ分かった。
「やっぱり今日も来たんですね。ごめんなさい、開いてないでしょう」
「……」
「最近、高松くんが来るから、図書室も開け甲斐があるんです」
 まさか。
 桜井さんは、俺が図書室に来るからとわざわざ来たのか?
「すみません、俺……」
「いいの、仕事だから」
 でも、俺は本を読みに来たんじゃない。話をしに来ていた。そのはずだったけど。
 今の俺の行動は、桜井さんに迷惑をかけているだけなのだと、強く思った。その勢いで、声を振り絞った。
「俺、」
 声は廊下に響いた。彼女の歩く音が止まった。
「俺、明後日、剣道部の大会なんです」
 強い西日が、目を刺した。桜井さんが、首を傾げるのが見えた。
「……高松くんのことだったんだ、話は聞いてたんですが」
「……」
 桜井さんはちょっと笑う。「頑張ってね――」
「俺は!」
 喉の奥がつんと痛く、熱くなる。声が、潰れる。
「おれは……」
 剣道は、中学の時から続けていた。毎日、練習していた。地区予選で優勝した時、俺は嬉しかった。大会に出られるのが嬉しかった。だけど、だからこそ、もしその大会に出る機会を潰されたら。
 その選手は……きっと、それを許さないだろうから。
 膝が震えて、言葉が続かない。桜井さんはじっとそんな俺を見ていた。
「あの……どうしたんですか?」
 答えようとした。
 けれど、言葉は滑って、何一つ出てこない。何か言おうと焦った俺を、桜井さんの澄んだ声が遮った。
「時間が経てば、少し冷静に考えられます。後から冷静に考えた時の方が、もっといい方法……言葉を選ぶことができます……だから」
「え……?」
「明日も、図書室は開いていますから」
 そう言い残して図書室に入り、動けない俺の前で扉は閉まった。
 頭を冷やせと言われたらしいと、気付いた。

 小学生の時から、犬の散歩は俺の仕事だった。
「ハリー、散歩行くぞ」
 ハリーは俺がリードを持って近付くと尻尾を振って寄ってきた。犬の年齢でいえば、もう随分よぼよぼだけれど、それでも散歩は楽しいらしい。
 脚を一本上げて、ひょこひょこと歩くハリーとの散歩は、普通の散歩よりだいぶゆっくりだ。もともとこういう歩き方なのに、最近は歳のせいでもっと歩くのが遅くなった。こうしていると、どうしても、俺は思い出せずにはいられない――桜井有美さんの事を、あの事故を。
「明日、逃げたら、明後日は大会でさ。多分そしたら俺は駄目だと思う」
 試合も、これからのことも。
 ハリーに聞かせるように、独り言を吐き出した。ハリーは休むように座った。
 俺が彼女に、言っていない事。
 桜井さんが10年前の事故に遭った時、俺がそこにいたという事実。
 10年前のあの日見たものを、ずっと忘れようとした。でも、あれは本当にあったことなのだと、ハリーは俺に教えていた。
「俺、明日、話すよ」
 ハリーは、くうん、と鳴いた。
「本当のことは……明らかにしないとな」


 大会前日。
 私は、校門のところで恵理を待っていました。恵理は私を見つけ、意外そうな顔をしました。
「有美、用事あるんじゃないの?」
「思ったより早く終わって」
 私たちはいつものように一緒に帰りました。いつもの私なら、恵理とのお喋りに夢中だったでしょうが、その時私は、ぼんやりしていたのです。
 だからこそ、その声に気付けたのでしょう。
「ハリー!」
 叫び声に、私は振り返りました。


 大会前日。
 明日の集合時刻を確認して、部活は早めに終わった。すぐ下校するふりをして、俺は図書室に向かった。不思議な事に、いつもより図書室のドアは軽かった。
「こんにちは、高松くん」
「こんにちは」
 ……有美さん。
 図書室は今日も他に人がいなくて、彼女は本を読んでいた。その本に学校の蔵書を表わすマークがついているのを見て、この人は本が好きなんだということが伝わってきて、変におかしかった。
「俺、明日、剣道部の大会なんです」
「ええ」
「……俺、あなたに言ってないことがあるんです」
「え……?」
「本当は、剣道大会の事なんかなくても、会って話すべきだったんです……」
 彼女は、黙って俺を見た。埒のあかない話を、まとめて聞いてくれるらしい。
「俺は、10年前、あなたに助けてもらって、あなたの大会出場を駄目にした、あの時の子供なんです」


 10年前、俺は小学生で、犬の散歩はその時から俺の仕事だった。学校の帰り、俺はまだ子犬のハリーを連れて走っていた。
「ハリー、待て、ハリー」
 最初はふざけていたけれど、いくら子犬でも走ればハリーの方が速くって、ハリーは俺を振りきってどんどん駆けていった。
「ハリー!」
 田舎の道路は車なんかほとんど来ないからと、俺はハリーを何とか捕まえようと、思い切り飛び出した。
 リードをつかみかけた、その瞬間だった。俺は思い切り後ろからぶつかられ、前に投げ出された。アスファルトに転んで、肘を打つ。どん、と大きな音がした――。
振り返った。
 すぐ後ろで、車が停まっていた。車の前に、ハリーと、それから、白い服と紺色のスカート、高校生のお姉さんが倒れて動かなかった。
 黒い地面に、赤いものがみるみる流れ出していた。
「ユミ! ユミ!」
 同じ高校生のお姉さんが、駆け寄り、何度も名前を呼んだ。
 悲鳴が聞こえた。ユミ! 早く救急車! ユミと呼ばれた人を、誰かが抱え上げた。ユミ! 誰か電話! ねえユミ! 見えた顔は、真っ白だった。
 俺は。
 俺は、動かないハリーを抱えて逃げだした。


「きみが、あの時の……」
 コトリ、という音を立てて、桜井さんは、杖をついて立ち上がり、俺の顔を見た。そうすると、俺にも、彼女の顔がよく見えた。あれから、彼女の顔は脳裏に焼き付き離れなかった。
「桜井さんが、司書に来た時、俺、すぐ名前を確かめました」
 名前は有美――ユミだった。
 だから俺は図書室を避けた。有美さんに会うのが、怖かった。
「偶然、あなたが剣道部の先輩だって知って……、あなたは大会まで進出していたのに、けれど大会に出場できなかったって聞いて……なのに、俺は明日……」
 まるで、俺が、有美さんの持っているはずのものを奪ったみたいだった。それを知った俺は、耐えられなくなった。
「それは違います」
「え……」
「運だけで勝負なんて勝てません。実力をつけるのは鍛錬だけ……だから。高松くんは、毎日竹刀を持って帰っていたでしょう?  私はそれが印象的だった」
 俺は、今も背負っていた竹刀を、見た。
「高松くんの実力は、大会の成績が証明している。自分を上達させられるのは自分だけ……だから。高松くんが頑張ったから、それ以外の理由はないんです」
 有美さんの声は、静かだった。
「でも、俺のせいで、」
「高松くんは、私の怪我を自分のせいだと思いました。私から言えば、高松くんのせいじゃないです。……私達は、それぞれの目でものを見ています。ものの見え方は人によって違う……だから、物事は、因果関係も何も、一つじゃないんです。だから……だから高松くんが心配するようなことは、ないんです」
 そして、俺には信じられないことに、有美さんは恥ずかしそうに笑った。
「でも!」
「確かに、偶然というだけでは、片付けられないものを、感じてしまうかもしれないです。でも、今まで、私と高松くんはお互いに関わりがありません。だから……私の大会のことと、今の高松くんの大会には、本当に、何の関係もないんです」
 有美さんの言葉は、とても曖昧な事を言っていて、けれどそれは言葉にできないものを真っ直ぐに伝えようとしているからで。ずっと胸を締め付けていた何かが、もちろん、完全にではないけれど……ゆっくりほどけていくのを感じた。
 静かな図書室の、空白を埋めるように、桜井さんは口を開いた。夕焼けの光が、彼女の後ろから差し込んで、きらきら光る。
「明日は頑張ってね」
「明日……」

 ああ、そうか、明日は。
「……はい」
 大会の日だ。

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