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さらし文学賞
リ・ライト/エンド

 視界に広がるのは、ぺったりとした青い空と、赤い色。身体が痺れて、なんだか眠たい。
 そうだ忍はどうしただろう。首をめぐらせると、酷くゆっくりと視界が動いていく。赤が垂れて来る。
 忍は、少し離れた横断歩道の手前に立ち尽くしていた。取り乱す様子もなく、こちらへ駆け寄って来るでもなく、ただ私の方を見ている。その目は、やけに冷めていて、悲しい。
 何故、そんな目で私を見るの……?
 血を流し硬い道路に倒れたまま、有美の意識は、遠のいて行った。

「忍、ごめんね」
「良いよ、そんなに待ってない。練習、さっき終わったとこなの」
 重い図書倉庫の扉を全身で押しながら開け、明るい館内に戻ると、ソファに座って待っていてくれた有美の元に駆け寄る。有美は、立ち上がってスカートの裾を整えた。
「でも、拾い読みしてたでしょ」
 有美には全部お見通しらしい。小学校からの付き合いだから、もう十年くらい一緒にいることになる。行動パターンはお互い分かりきっているというものだ。
「砂漠にオアシスがあったら寄らざるを得ない訳で……」
「分かった分かった。じゃあ行こう。本返すのにうちに寄ってもらわなきゃいけないしね」
「忍が持ってくるの忘れたのがいけないんじゃない」
「はいはい、ごめんなさいね……あれ、有美、カバンは?」
 そう忍に言われて、手に何も持っていないことに気付いた。少し記憶をたどる…までもなく、図書倉庫の中だ。
「ごめん、中に忘れた。待ってて」
 さっきから謝ってばかりだな、と思いながら身を翻す。後ろで、忍が呆れたようにソファに座り直した気配がした。

 カバンはすぐに見つかった。埃臭く、薄暗い倉庫は落ち着く。整然と並んだ背表紙になんとなく目をやると、気になるタイトルがいくつも目についたが、これ以上有美を待たせる訳にもいかないと思い直してドアを開ける。
 倉庫の扉は金属製の分厚いもので、全身の力で押さないと開かない。
 扉を押し開けると、戸の隙間から有美の姿が見えた。有美がこちらに気付いたので、笑いかける。
「有美!」
 開いた扉の隙間から無理矢理身体をくぐらせ、倉庫を抜け出した。
「お待たせ。行こうか」
 声をかけても、有美は立ち上がろうとしない。私を、じっと黙って見つめているだけだ。
 ……その目。ときおり、有美が見せるまなざし。ぞっとするほど冷めていて、乾いた目。
 何度も、その目を見てきた。その理由を、未だに訊けないでいる。その目をするのはほんの短い間で、すぐにいつもの有美に戻るのだけれど。
「有美……?」
「ごめん、ぼーっとしてた。いこいこ」
 何事もなかったかのように、歩き出す有美。私も、なるべく気にしないように後を追った。

 にゃーん、と出迎えるように猫が鳴いた。玄関の定位置にどっしりと構える忍の家の猫、三太である。
 私の記憶の忍の家の風景には、必ず三太がいる。初めて見たときから既に子猫でなかったということは、かなりの高齢のはずだ。ぽってりとして、かなり貫禄がある。まるで、家の主のようである。
「三太はいつまでも元気でいい子だね」
 本を取りに行った忍を待つ間、三太と戯れる。その体型が原因か、高齢が原因か、じゃらしたりアクティブな遊びはできないが、なでてやるだけで三太は満足そうだ。
 そんなことをやっているうちに、ばたばたと有美が戻ってくる。
「はいこれ。面白かったよ」
「忍は本貸してもそればっかり。全く、剣道一筋のスポ根少女なんだから」
「あ、それは差別発言だと思う」
「ごめんごめん。じゃ、お邪魔しました」
 軽口を叩きつつ、もう時間も遅いのでお暇することにする。見送ってくれる有美は、いつもの笑顔だった。

「……ただいま」
 返事はない。とっぷりと日が暮れた今、家の中は真っ暗だ。そのこと自体にはもう慣れてはいるのだが、怖い、と感じることは未だに直らない。冷凍睡眠から目覚めたら人類が滅亡していた、なんてがあったら感じるであろう、孤独と絶望、に似たものを感じることは。
 家の中には誰もいない。私を出迎えてくれる、温かな家庭などない。だって、みんな、死んでしまったから。
 去年のあの朝、私以外の家族が夜のうちに押し入り強盗に殺されていたあの朝、私が味わった地獄は、私にとっては比喩でなく人類滅亡と大差なかった。生まれてから二十年弱、一つ屋根の下で私ともっとも長く一緒に生きてきた人間が皆殺しにされたのは、いわば私の世界の崩壊だった。私はしばらく、生前の様子も想像できない状態にされた家族の死体を見て、放心していた。それ以外に何もできなかったのだ。
 警察が来て私の世界をさらになにやら引っ掻き回していって、お葬式があって、骨になった家族と私とで家にたったひとりになって、ニュースが流れて、見知らぬ人たちがさらにさらに私の世界を引っ掻き回していって、そのときの記憶はあまりない。
 もう、良く覚えてはいないが、私の以前までの日常は見事なまでに崩壊した。何故私だけ生き残ったのか、もう死んでしまったらどうか、真剣に考えるまでに。
 けれど、一応私はつぎはぎだらけの世界を再構築し、なんとか今日も生きている。近くの親戚の家に頼ったり、忍の家を頼らせてもらったりで、何とか生きている。
 忍には死ぬほど心配をかけた。だから、もう心配をかけないように、「人生を楽しく」と心に言い聞かせ、生きている。でも、弱気にならないかといえば、嘘なのだ。けれど、「人生を楽しく」!
 私は真っ暗な家に、手探りで明かりを点けた。
 三太がいなくなった、と有美からメールが届いたのは、翌日だった。

 * * *

 有美にも手伝ってもらって、あらゆる場所を探し、色々な人に聞いてみたけれど、三太は見つからなかった。三太はかなりの高齢だったし、玄関の定位置から動くことなどなかなかなかったのだが、それでも見つからなかった。
「動物って死期を悟ると、一匹で静かに死ねる場所に行くんだって。寿命だったのかもしれないね」
 有美にはそう諭された。有美なりに気を遣ってくれたのだろう。その心遣いが嬉しかった。
 その日の練習には集中できなかった。とぼとぼとひとり、夜道を帰る。男子部員の何人かは思い遣りという名の下心が見え見えで、遅いから送ると言ってくれたが丁重に断った。諦めきれず、無理だと分かっていながら、三太を探したかったのだ。たとえ、それが死体でも。
 死体さえ見つかれば、何とかなるかもしれない――私がそう考える根拠はある。
 私の、有美にさえも言えない秘密――いわば、死の運命の書き換え、である。

 私にも、何故そんなことが起こるのか分からないが、幼い頃から目にした死をなかったことにすることができた。
 死を目にすると、くらりと視界が揺れる。私はそれを直視したまま、意識して深くまぶたを閉じる。ぱちり、と目を開けると、さっきまで死んでいたはずのものが何事もなかったかのようにしている。そんなことが、いくどもあった。
 私が一度目撃した死の光景がそもそも幻覚なのか、それとも本当に私がまばたきしたことによってそのしがなかったことになっているのか、詳しいことは分からない。けれど、そうやって私は今まで死をなかったことにしてきた。
 猫にやられたらしい鳩。大怪我をした友達。……そして、押し入り強盗に殺された有美。
 そのとき私は、朝のニュースを見ていた。速報で、有美の家の事件が流れた。一家全員死亡を確認。私は、確かにそのテロップを見た。何度も確認したけれど、映像は見慣れた有美の家、テロップの名前は間違いなく有美とその家族の名前だった。
 ぐらり、と視界が揺れた。気持ちの悪さからくるものだと思った。しばらく目を閉じたままいて、ゆっくりと目を開けるとテロップの家族の名前の並びから、有美の名前だけが消えていた。
 何故有美だけの運命が書き換えられたのか、全く分からない。直接現場を見たわけでもないのに死の書き換えが起こった理由が分からない。ないない尽くしだが、私は有美を失う事を免れた。
 その書き換えによって、有美が生き残った罪悪感から苦しむのは辛かった。けれど有美は立ち直ってくれた。それによって、有美の運命を書き換えてしまったという罪悪感から、私は少し逃れることができた。
 その自分勝手な罪悪感から逃れるため、有美とそれから一緒にいる時間が長くなったせいか、以来何度も有美の死を書き換えてきた。つい最近では昨日、図書倉庫のドアから出ようとして、勢い良く閉まった重いドアに胴を挟まれ死んだ有美の死を書き換えた。
 私がいなければ一回で死んでしまう死の運命は、想像以上の頻度で有美に襲いかかり、それを書き換えるたびに、やはり死の光景は私の見る幻覚なのかもしれない、と思った。

 死体で良いから、三太が見つかれば死の書き換えができる。道路で車に轢かれぺったんこになったときも、病気で苦しみながら死んだときも、私は三太の死を書き換えた。
 しかし、いくら死を書き換えても永遠に生きる生き物などいない。ここまで長生きしてくれたとは言え、やはりいつか必ず三太は死ぬ。それは良く分かっている。けれど三太を失うのは、怖い。
 手元も良く見えないような状態で、私は三太を探し回った。けれど、三太は見つからなかった。
 その死を確認できなかったからと言って、二度と会えなくてもどこかで生きているなんて陳腐なごまかしで自分を納得させることはできなかった。
 死を確認さえすれば、それはなかったことになったのに。
「三太……」
 暗がりに向かって囁きかけるが、それに答える鳴き声は聞こえてこなかった。

 * * *

 三太がいなくなってしまって、忍はすっかり落ち込んでしまった。長くそばにいた三太がいないということは、忍にとっての人類滅亡に近しいものなのかもしれないと思った。
 それならなおさら、私が忍を助けてあげなければいけない。人類滅亡気分の私にとって、一番の救いになったのは忍の存在だったから。恩返しなんて押し付けがましいものではなく、心の底から忍に少しでも笑って欲しかった。
 私のモットーは、「人生を楽しく」!
 具合が悪いらしく、部活を休んだ忍を、駅前の喫茶店に誘った。我ながら思考が単純だが、女の子には甘いものである。疲れには睡眠と同じくらいの鉄則だと信じる。
 さすがに口数の少ない忍に無理をさせない程度、雰囲気を保つために歩きながらのお喋りを欠かさない。道のり半ばの横断歩道で、車側の信号が赤になり、歩道側の信号が青になるまでの少しの間に何の気なしに歩を進めた。
 そして、何がなんだか分からぬうちに、突っ込んできた車に、私は跳ね飛ばされた。

 * * *

 高々と跳ね上げられた有美の身体は、鈍い音を立てて道路に叩きつけられた。その身体の下からじわじわと広がっていく血に、あおざめて虚空を向いた顔に、それでも私は冷静だった。
 ――ゆっくりとまぶたを閉じ、そして開ける。
 けれど、目の前の光景は変わらない。倒れた有美。命に関わりそうにしか見えない、酷い怪我を負った有美。
 おかしい……私は、騒ぎ出す周りの反応を無視して目を閉じる。今度は、必死に祈りながら目を閉じた。

 まぶたの裏は暗く――(女の子が轢かれた!)――焦りばかりが募り――(誰か! 救急車だ!)――もう見たくない――(しっかり!)――目を開きたくない――(そう言えば、この子の連れは?)――でも目を開かなければ。
 有美が、死んでしまう。一度目を閉じて、開かなければ、死の書き換えはできない。
 有美が死んでしまう? 有美が死んでしまう?


 目を開いた、けれど、世界はは変わらなかった。
 虚ろな有美の目が、私の、おそらく無慈悲な目と、交差した。

 ――ごめんなさい。

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