FC2ブログ
さらし文学賞
スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

スポンサー広告 |


夕焼け食べた

夕焼け食べた 
                  
 僕には忘れられない思い出がある。それは美しく、まるで現実とは思えない、白昼夢のような体験であった。この、太陽がぎらぎらと輝く季節は当時のことを鮮明に僕に思い出させる。あの頃僕はどうしようもなく幼く、そしてそれが許されるほど子どもだった。

 都心近くのベッドタウン。そのころ生まれ故郷には開発の手が伸び始め、あちこちで新しいマンションが建築される音が響いていた。田畑と交差して新品の道路が整備された。土の見えない道が珍しく、友達といっしょに裸足になってアスファルトを踏みしめ、その独特な痛みに叫んだ。新築マンションに引っ越してくる家族はみんな、どこかしら違う土地の面影を残していた。
 建築にやってくる人たちは陽気で、母に言われるがままにペットボトルと紙コップを休憩の合間に差し入れすれば、豪快に笑いながら感謝の言葉を投げかけてくれた。自分の生まれた故郷が違うものに作り変えられていくみたいと、開発について快く思わない同級生もいたが、少なくとも僕は目新しさが先行して、心が躍る日々であった。僕には不安など何もなかった。なにせ田畑や山なんて、ずっと自分の隣にあるものだと何の疑いもなく信じていたからだ。少々の開発で失われたって、それは決して、奪われることのできないものだと感じていたのだ。
 小学四年生、夏休みに入ったばかりの頃。蒸し暑さの中叫ぶ蝉を、なんとかして捕まえようとしていた。僕も、友達も真っ黒に日焼けして、お互いを「まるで真っ黒くろすけのよう」と笑いあった夕暮れ。建築途中のマンションの向こうに、赤い光線を反射して輝く田んぼがあった。まだ成長途中のイネがその葉先に光の粒をきらめかせる。静かな水面に赤色が浮かんでいる。ときたま生まれる波紋はアメンボか、それともカエルか。ねぐらへ帰ろうとする白鷺すら赤く染まる。太陽が沈みかける時刻にだけ、作り出される美しい情景。それは僕らの単純な感性にするりと入り込んできた。
 そうして僕と友達はその光景に見入り、馬鹿なことに、あの夕焼けを捕まえに行こうとどちらからともなく言い出したのだ。陽がとっぷり暮れてから帰れば母親に怒られることなどわかりきっていたことなのに、どうしようもなく冒険をしたい年頃だった。太陽はちょうど、田んぼの真ん中に座る小さな山に食べられようとしていた。
 畦道を踏みしめればバッタが跳ねる。思いっきり駆け出せば、風になった気分になる。走りながら手を広げればバランスを崩して転びそうになった。友達が馬鹿にしたように笑うから、お返しとばかりにその腕を引っ張る。戯れを続けながらでこぼこの畦道を走る。視界の端をかすめる不揃いに並んだイネが、初夏の田植えを思い出させた。
 二人は今にも太陽を隠さんとする小山を目指す。僕たちは、その山のことをよく知っていた。カブトムシが群がるクヌギの木の場所とか、木登りに最適な木はどれかとか、誰某が転んで膝をぶつけたのはどこか、そんなことをたくさん知っていた。だからたとえ、夕闇がすぐそこに迫ってくる時刻に入山したとして、なんにも恐ろしさなんてなかったのだ。あんまりにもよく知っていたものだから。
 木々に埋もれるようにして頂上へと向かう石畳の階段に一歩足を踏み入れて、二人は顔を見合わせて笑った。心の底から温かい色をした雲が沸きあがってくるようだった。半分苔に隠れた階段を息を弾ませながら登る。そうこうする内にも空は段々と青ざめていく。僕も友達も、負けるものかと一気に走った。
 そう、そうして辿りついた山の頂上から見えた景色。今まで何回も踏みしめた頂から、僕は果てのない赤を見つけた。太陽はこの小山どころかもっと遠い遠いどこかで、静かに眠ろうとしていた。その瞬間の、地平線に与えられた一筋の赤い色を、僕は今でも鮮明に思い出せる。そうして、赤に引っ張られるように、僕は不思議な世界に足を踏み入れていたのだ。
 息を吸って、吐いて、また吸って。何度もそれをくり返して、太陽があっさりと隠れてしまったことになんだか悲しさを覚えながら、僕は横を向いた。そこには友達が、僕と同じように赤の美しさに心を打たれているはずだった。
「結局、夕焼け捕まえられなかったな」
 そんな言葉を携えて向いたそこに、友達はいなかった。僕は驚きのあまり息を一瞬止めて、友達の名前を呼ぼうとした。何度も何度も口にしたその音は、なめらかに零れ落ちていくはずだった。実際は、空気を震わすことさえなかったのだけれど。
 友達のいるはずだった隣には、幼い少女がたたずんでいた。下を向いているためにその表情は見えない。人形みたいなおかっぱ頭をして、その手に赤い鞠を大事そうに抱えていた。臙脂色した着物を着て、そのあまりに深い赤色がまるで夕焼けのように思えた。
「お兄ちゃん、夕焼け好きなの?」
「……へ? あ、いや。好きだよ」
「好きだから、夕焼け捕まえたいと思うの? あんな遠くにあるのに。木の天辺に登っても届かないよ」
 少女の言を聞きながら、きっとこれは夢だろうなと僕は考えていた気がする。あるいはあまりにも夕焼けがきれいだから、こんな幻想を見ているのだと。そう信じることでなんとか平静を保っていた。そうして、何事もなく現実へと戻り、友達とくだらない会話をしながら母に怒られるために、僕は少女と話すことにしたのだった。
「たしかに届かないけど、やってみたくなるじゃん」
「どうしてそんな、無駄なこと」
「どうしてだろ。ただ、僕だって無駄だって、届くはずないってわかってるけど、やりたくなるんだ」
 どうしてだろう。僕は呟いた。どうしてなの? 少女は反復した。何度も何度もどうして、なんて小さく呟いて、少女はその小さな手に抱えていた鞠を、地面に落とした。鞠はぽんぽんと数度跳ねると、僕らの二三歩前で静止した。赤い刺繍糸で形作られた模様は細く繊細で、彼岸花のように艶やかだった。
「じゃあ私も、無駄だってわかってるのに不満を言っていい? お兄ちゃんに言っても無駄なのはわかりきってるのに、それでも、言っていい?」
 少女は顔を上げない。ただ、その声がひどく震えていて、僕は非常に申し訳なくなった。たとえ夢だと考えていても、泣きそうな声を搾り出す理由をつくってしまったのは僕にあるような気がして仕方なかったからだ。どんな理由でも、自分より幼い子どもを泣かすことは悪いことだと、昔から教えられていたからだ。
「言えばいいよ」
 この簡単な言葉は、純粋な僕の思いだった。だってこれは夢だから。夢の中でどんなことを言われようと、所詮は「夢」の一言で終わらせることのできるものなのだ。
 ここに来てようやく、僕は周囲の情景をまともに認識できるようになっていた。鞠の転がったところには茂みがあり、そこからちろちろと、蛇の鋭い瞳が垣間見える。僕らの頭上には桜と梅が同時に咲き誇り、白と赤の競演が美しい。鼻をくすぐるかぐわしい芳香は、きっと少女の向こうに咲き誇る白百合のものだ。雀の群れが枝葉を揺らす。騒がしいさえずりは椋鳥だろうか。
 山石楠花、躑躅、石榴。さまざまな花が一堂に会していた。そこには草本も低木も高木も、何の垣根もない。ただ伸ばしたいように枝を伸ばし、自由につぼみをほころばせていた。不思議なのは枝が決して絡まることなく、仲良くやわらかな陽光を浴びていることだった。肺に染み渡る香りすら、不快感ひとつ催さない。
 少女の肩で駒鳥が羽を休める。木々の向こうで鹿が遊んでいるのが見える。足元からぐんぐんとすさまじいスピードで蒲公英が花を咲かせる。明るい黄色の花のあとに綿毛のような種が現れると一陣の風が吹き、あっという間に丸裸にしてしまう。種が芽を出し、つぼみが綻び、花が咲き、そして新しい種を作る。何度も何度もくり返される。まるで定点カメラ一年分の映像を見せられているようだと思った。終わりの内容に思える繰り返しの最後に、少女の鞠から、彼岸花が咲き誇った。
「変わっていくのが嫌いなの。もう、無くなってしまうということが、どうしようもなく恐ろしいの」
 少女がつい、と白百合を指さす。するとたちまちの内に白百合は枯れ、茶色い残骸を地面に落とした。
「もうあそこはね、生き返らない。何十年かけても元通りにはならない。水が汚れてしまったから、井戸水は汚くて使い物にならない」
 それからね、と少女は桜を指さす。大の大人が腕を広げても抱えきれないほどの太さのその幹が、重い音を立てて崩れ落ちた。
「あんなに皆に愛されてたはずなのに呆気ない。どんな強風に耐え抜いたって、日照りにも水害にも耐えてがんばって毎年花を咲かせたのに」
 そうやって続々と周囲の草花は枯れていった。並行するように動物の姿も消えていった。淡々と少女は話し続け、とうとう残っているのは、鞠から咲いた彼岸花だけだった。
「もうここだけなの。あんなにたくさんいたはずなのに、どうして。仕方がないのはわかってて、お兄ちゃんに言ったってどうしようもないことだっていうのも、わかってるよ。でもやっぱり、どうしてなのかなあ」
 悲しい夢だと、僕は思った。美しいものが次々と消えていく嫌な夢だった。少女が泣いているということがなにより辛かった。
 僕は色々な言葉を探した。どうすれば少女を泣き止ますことができるのか、足りない頭で必死に考えた。口は音もなく動くばかりで閃き一つもたらしちゃくれない。
「――あのさ、夕焼け好きだから捕まえたいって事じゃないんだぜ!」
 最終的に、僕の口から飛び出たのは知性なんて欠片もないような文章だった。少女の語りと何一つ触れないことを話してしまい、瞬間僕はパニックになった。懸命に、言葉と意味をつなげようとした。
「ええと、な。僕は確かに夕焼けが好きだけど、触ってみたいとか思ってるけど。でもやっぱ無理ってことはわかってて……だけどそこはほら、冒険心はくすぐられて。なんか負けた気分になるしちょっと挑戦するのもいいかなって。あの、うん」
 少女は驚いたように僕を見る。大きな黒い瞳が挙動不審な僕の姿をきれいに写していた。意味もなく両腕を振る、そんな動作も全て丸写しだ。
「そんで、なんかまったく繋がらないけど。無理だから諦めるのは当たり前でしょうがなかったりするけど、なんだか癪じゃん。えっとさ、だからちょっと反抗するのもいいかなって思ったり?」
 どぎまぎと僕は歩を進めた。立派に咲く彼岸花のほうへ。篝火みたいなきれいな赤色は、夢を見る直前の夕焼けを思い出させた。
「彼岸花の赤って夕焼けみたいに思わん? 透明で、きれいでさ。こうして触ったら、ほら夕焼け捕まえたってことに」
 彼岸花には毒があることを知っていたのに、脳からその知識がすっぽり抜けたままの行動だった。思い返したら、本当に僕はなんて馬鹿なことを言っていたのだろう。いくらパニックだったからって、あんまりにも恥ずかしいことを口にしていた。
「……夕焼けと、彼岸花はまったくちがう」
 少女の言葉は正論だった。薄桃色の唇がゆっくりと動く。眦はすこし赤らみ、瞳は潤んでいるけれど、それでも涙が見えないことに僕はほっとした。
「ねえお兄ちゃん、彼岸花好き?」
「へ? うん、好きだけど」
「私、お兄ちゃんのことよく知ってる。みんなとよく、この山で遊んでるよね。いつも友達といて笑ってて楽しそう」
 不思議な気分だった。僕は少女の顔にまったく覚えがない。このあたりで日常的に着物を着ている女の子を見たことはないし、うわさを聞いたこともない。なのに相手は僕の――僕たちのことを知っているなんて。嘘だと思うことは簡単だったが、少女を疑うのは駄目な気がした。そしてやはり最後には、これは夢だから起こっていること全て信じていいのだと、何かが僕に囁くのだった。
「笑ってるのも、楽しそうなのもあったかいから嬉しい。だから、少しだけでも、この山がこのままで、それで皆で、遊んでいられるように。そうしたら毎年お花咲かせるから、見に来てね。お願い」
「じゃあいつもどこにいるのか教えてくれよ。僕、失礼だけどまったく顔知らないからさ、家がどこかもわからない。教えてくれて、それなら会いに行くけど。なんなら明日にだって」
 すると少女はふんわりと笑った。小首を傾げて、それから緩やかに首を横に振る。
「だめ。私、今はきちんと会えない。それなら、秋にここに来て。この山がある限り、何回でも咲くから」
 まるで自分が花であるように言うと思った。視界の隅で、彼岸花の花弁が風も吹いていないのに揺れた。
「ねえ、どうか覚えておいてね。大人になったって、白百合の咲く丘があったこと、人に愛された桜があったこと、無くなったものを忘れないで」
 僕は強く頷いた。それは決して少女の意を全部理解してではなく、ただ安心させたいというエゴからの、不純なものだったけれど。たったそれだけで笑顔になってくれたものだから、この選択は間違ってないと思った。同時に、意味がわからなくても少女の言葉を覚えておこうと思った。今わからなくたって、いつか大人になった日、唐突にわかるときがくるかもしれないから。
「それなら、秋に会いに行くよ」
 約束ね、と少女は微笑む。それから、夕焼けに手が届いたら教えてね、とも。それはおそらく、赤い少女の精一杯のお茶目だった。
「やくそく」

「約束?」
 友達の訝しげな声に、僕はハッとして辺りを見回した。太陽は沈んだばかりのようで、西空に赤紫の線が幾筋も入っている。慌てて隣を振り向けば、そこにはそばかすだらけの、友達がどうかしたのかと僕を見ていた。
「ううん、なんでも」
「ふぅん、ならいーけど。結局さあ、夕焼け捕まえることできなかったな」
 必死で走ったのに、と友達はおどけた口ぶりで話す。そうだな、と頷いて、二人で太陽の沈んだ空を眺めた。
「また、秋にここ来よう」
「どうせ夏休みなんだから、秋以前に来るよ。カブト採ったり、かくれんぼしたりにさ。蚊がうざったいけど」
「まあそうだけど……秋にも」
「いいよ、来よう。そん時は紅葉狩りかな。俺、いいスポット知ってんだ」
 頂上にお別れをして、木立の隙間から薄闇が染み出てくる階段を下る。段々と空気が冷たくなる。夜のにおいだ、と僕は思った。
 肺の奥深くまで浸透していく澄み渡った空気が、きれいで、きらきらしていて、美しいと感じた。魔法をかけられたように気分がよかった。夜空の星がはっきりと輝いていた。
 その後母親の雷が落ちたこと、生まれて初めての拳骨を味わったこと。今となってはすべてが懐かしいと思う。それでもやはり、夢の中の少女との出会いは、格別のものなのだ。
「なあ、今年の秋もあの山登るか?」
「そのつもりだけど。なに、今年も付き合うのか?」
「まあ、なんだかずるずると毎年行ってるからな。むしろ行かないと落ちつかねえ」
「そうか」
 蝉も鳴かないような猛暑の昼だ。日向の草花はあまりの暑さにうだっている。空を見上げれば、立ち並ぶマンション類によって直線的に区切られた空が僕たちを見下ろしている。
 今なら僕はあの少女の言いたかったことが理解できる。かといって何ができるものでもない。僕が理解できる年齢になったときには、もう既に開発の大部分は終わっていた。だから仕方がないことなのだ。田畑の大部分は消滅して、昔からの住人が細々と農業を営むだけの結果となってしまったことも。星があまり見えなくなってしまったことも。思い出に感傷の影を落としながらも、それでも結果は覆せない。
 ただあの山だけは残った。街にも緑地が必要だとか、そんな行政的な判断によるものなのかもしれないけれど、とにかくあの山だけは当時の状態のまま、残されている。カブトムシの群がるクヌギの木や、木登りしやすい木はどれかとか、そういったことはこの地で生まれ育った僕らだけの秘密だ。
「あの夏の日、僕はきれいで悲しい夢を見た」
 友達はへえ、と気のない声を上げた。興味の範疇外だったのだろう。
「とてもとてもきれいな夢で、だから今年も、僕はあの山に登るよ」
 彼は笑い声を上げた。いわく、成人男性が夢見る少女のようなことを呟いて気持ち悪い、と。まあ確かに、少しは自覚しているので否定はしない。
 見上げた僕らの頭上には空が広がっている。風が吹き、風鈴が歌う。甲高い音色に紛れて車が走る。景色は変わってしまったけれど、あの山の頂から見える夕焼けは、きっとこれからも変わることはないだろう。そして、夕焼けを丸ごと閉じ込めたような美しい赤い花に会いに行くことも。



スポンサーサイト

第二十八回さらし文学賞 | trackback(0) | comment(0) |


| TOP |

comment











管理人のみ閲覧OK


trackback

trackback_url
http://pilloryofprize.blog57.fc2.com/tb.php/264-188de93f

| TOP |

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。