さらし文学賞
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空音

 美歩が出て行ってから一年が経つ。その間に私の彼氏だけが帰ってきてお願い、あの女に騙されたんだよ、頼むよって私の足元で鼻水を垂らして泣いたけれど、私は容赦なく彼を蹴り出した。元々美歩のお下がりのくせに、美歩の悪口を言い続けるその口は歪んで青ざめ、みにくい。かつて美歩がその唇に唾液にまみれたキスをしたことを想像し、私は黙って煙草に火を点けた。
 このマルボロライトメンソールも美歩が置いていったものだ。
 ジッポは自分で買った。昼休み、駅前の昔ながらの煙草屋で刻印を頼むと、青黒い顔の店主はお姉さん似合わないね、と遠慮なく言って笑った。彼の顔の右半分に現れる、神経質な痙攣を私は仕事用の地味な銀縁越しに見つめていた。事務の制服は灰色とピンクの悪趣味なチェックで、私の太り気味の身体をことさら強調し、きっと彼はピンクの襟についた朱印の染みを笑ったのだろう。午後の業務が終わるまでに、店主は美しい筆記体で刻印を終わらせていてくれた。
 申し訳程度のベランダで、眼前に迫るブロック塀の皹を見つめながら煙をくゆらせていると、今夜も美歩からの電話が入る。
「もしもし」
「うわ、ちえ、また家にいんの、あんたどんだけ暇なの」
「あんたも電話してきて暇じゃない」
「暇じゃねえし、ねえ聞いて、美歩深夜のCMに出てるの」
 美歩の声はいつも騒音の向こうに聞こえる。美歩が爆音と怒声の中にいるというより、私たちの距離の間に横たわる、数え切れない街の喧噪が電話線を震わせているように感じる。
「美歩、今どこにいるの」
「バイト中。スナックスナック。てかね、こないだスカウトされた事務所すぐ契約もらえて、社長が美歩気に入ったからすぐCM出させてくれて、すごくない? すごくない?」
「すごいね」
「反応薄すぎなんだけど」
「どのチャンネルで見られるの? 私も見たい」
「あーなんか、ローカル局だからよくわかんない」
「○○とか、××ネットだったらうちも入るけど」
「わかんないんだってば。でね、今度は恵比寿の社員寮に入れてくれるらしいの」
「すごいね」
「だからクールすぎでしょ、あんたに言ってもしょうがなかったわ」
「すごいね、美歩」
「あーまじ萎えたわ、バイバイ」
 通信は唐突に絶ち切られる。耳を麻痺させていた喧噪を奪われ、しんとした夏の終わりの真夜中に、虫の声だけがふいに音を広げて湿度の高い部屋を浸す。私は窓を引いて、美歩の部屋に入る。
 煙草。彼氏。ブラジャー。CD。携帯のストラップ。エナメルリムーバー。コンビニブランドのリップグロス。コンドーム。ジャージ。髪留め。コンタクトの空箱。督促状。嘘。
 美歩が私の家に置いていった、忘れていった、捨てていったもの。
 それらを集めて、私は一つの部屋をつくっている。
 六畳二間のアパートは黴臭く、西日に照らし出される畳の下で、真菌はきっと息を潜めて育っている。その上にヒョウ柄のカーペットを被せ、息づく気配を感じながら、そのうちの一つの部屋に、私は美歩の小さな王国を建てている。
 エアコンのない、締め切った部屋の大気は、夜の生気をもってあおあおと呼吸している。ニッセンで買った、美歩が高校生の時に使っていたドレッサーがあり、ラックとテーブルとミニソファはけばけばしいピンクで統一されている。美歩が置いていった品々は、それぞれあるべきところにしまわれ、美歩自身には一度もそうして収納してもらったことがない。だいたい美歩が置いていったものはファミチキの油まみれの袋だったり、何年も前のリップグロスだったり、きっともう腐っているそれらでも、私はそのままゴミ箱と化粧ポーチの中に収納している。
 私はヒョウ柄のカーペットの上に大の字になり、もうほとんど灰になった煙草をカーペットに押しつける。小さな音をたてて化学繊維は焦げて黒く固まった。忌々しい顔の染みのように、ぽつぽつと点在する焦げ目を数えていた。
 美歩がテレビに出るならば、と考える。女優にでもなるというのならば、それにふさわしい服を導入しなければならないと私は考える。今までのような縫製の悪いギャルブランドではいけない、もう少し質の良いものを。今月のカード額と給料日を算段して、メンソールで呆けた口の内側の粘膜を噛んだ。美歩が残していったものの他、美歩が語る様のままの生活を想像して、私はあらゆる品を少しずつ買い集めてはこの部屋に運び込んでいた。美顔ローラー。スムージーをつくるためのミキサー。観葉植物。秋っぽい彼女の煙草はそろそろピアニシモあたりに変わっているだろう。駆け出しの新人女優。恵比寿の部屋をここに再現するなど愚かしさの極みでもある。
 美歩は昔からそういう嘘をいくらでもつくりだした。
 吸って吐いて食べて寝るように、美歩は嘘を吐き、騙り、欺し、そうして裏切った。幼稚園に上がる前から、同じ色のランドセルを背負っていた時から。絵の上手ないじめられっ子が描いた絵を盗んで自分が描いたと言い張った。先生に叱られたら盗んだのは私だとけろりとして言った。ディズニーランドにみんなで行くと約束して私だけ忘れられた。万引きの手伝いをさせられた。中学一人気者の先輩と付きあっていると浮かれて吹聴し、遊ばれただけだと指摘すると泣きながら何度もぶたれた。根性焼きを何回もしたけれど、日サロで焼いたからわからなくなったのだと言った。高校を辞めたのは友達をレイプした体育教師を殴ったからということだが、そんな教師はどこにもいなかった。
 昨年末思いついたように、女優になると言い出して、私に男を押しつけて消えた後、魔法のようにもう一度彼を攫ってどこかに消えた。今回の虚言には、美歩はなかなか飽きずにいるようだ。
 そうしてそれでも、美歩は二三日に一度は必ず、私に電話をかけてくる。頷いて聞いても不満足そうなまま、美歩は一度も「またね」と言うことはない。それでも電話は必ずかかってくる。
 美歩との電話の後、必ず私は美歩の部屋でこうして横になり、組み立てられていく彼女の世界を見ている。私がつくる彼女の世界。そこには彼女の甘い、美しい恋愛の記憶があり、多くの男と友人達からのプレゼントがあり、そこでは彼女は真実の主である。
 甲高い、耳障りな、美歩の声音が左右の耳の間で繰り返し反響する。黴と夜と、使われない家具のニスの臭いに、意識は幾重にも塗りつぶされて、美歩のむらのある茶髪のような色に沈んでいく。

 デスクに座って書類を整理していると、受付をこんこんと叩く音がする。顔を上げる前にはいと声を上げて、立ち上がった所で私は立ち止まる。金髪の男は芝居がかった仕草で手を振ったあと、脇に抱えた封筒をひらひらと示して見せた。
「千恵実ちゃん、眼鏡だったっけ」
「仕事の時は前からそうです」
「似合うよ、仕事できる感じがして」
 眼鏡の下から見上げると、男はちっとも笑ってはいなかった。
「ただの事務員ですから」
「千恵実ちゃんがいてくれてよかったよ、俺みたいな職の奴が来ると嫌がるおっさん多いからさ」
 私は黙って求められた書類を作成している。
 龍彦は一度視線を落とし、それから笑顔を見せる。
「美歩はどうしてるか知ってる?」
 それから夕方には、私は龍彦と向かい合い、駅ビルのパスタ屋でサラダを食べている。龍彦は食事を頼まず、ミルクで濁ったコーヒーを挟んで私の食べる様子を無遠慮に眺めている。五十年代のジャズが今風の軽さにアレンジされて、もう何回も同じ曲が流れているように感じる。
「千恵実ちゃんさ、美歩に金貸したりしてないの」
「三万円くらい」
「あいつに貸しちゃだめだよ、ただの泥棒なんだから。また来たら、俺んとこ来いって言ってよ。ちゃんと拇印捺させるからさ」
 龍彦はまた無理に作ったように笑う。この男の笑い方が苦手だった。情けなく縒れて、寂しいだけなのに平気で彼は、搾り出すようにそれをさらけ出すのだった。子供の頃からそうだった。引っ掻き合う美歩と弟を宥めている時も同じ顔をしていて、二人は当然少しも静まらなかった。
「あなたの所で借りたら、ひどい目に遭わされるんじゃないんですか」
 視線は最後に残ったレタスに向けたままだったが、龍彦が細い眉を上げたのがわかった。椅子に座り直し、脚を組んで彼は口元を手で覆った。珍しく声を上げて笑っているようだったが、低い笑い声は私まで届いてこなかった。隣のテーブルの大学生らしきカップルが驚いて視線を寄越し、私と龍彦をまじまじと見比べては何かを囁き合う。安いスーツを着た地味な女とあからさまに崩れた風体の男は、それ以外の何に見えるというのだろう。
 龍彦は私に向き直り、年甲斐もなく伸ばされた金髪の前髪を掻き上げた。
「千恵実ちゃんてさ」龍彦は指先で机を叩いた。爪と指輪が同時にぶつかって二重のノックになる。「千恵実ちゃんてほんとはっきり言うよね。そんなまさか、いくら俺でも実の兄だからさ。その前にちゃんと真面目に払わせるって。ていうか千恵実ちゃん、あいつが絶対返さないって思ってるの、ひどいんじゃない」
「泥棒って言ったのはあなたですよ」
 真顔に戻った彼に私は密かに、少しだけ安堵している。
 私の眼の前に湯気を立てるトマトパスタが置かれ、立ちのぼるオリーブオイルの香りに私は頭がくらくらしそうになる。私はパスタを啜り、騒がしい店内で私たちの座る角だけが沈黙している。止まっている。私は咀嚼し続ける。
 龍彦が首を傾げ、私を覗きこむ。
「千恵実ちゃん、俺と付きあってよ」
 私は、顔を上げず、龍彦も答えを求めてなどいない。

 指先で畳の溝をなぞっている。箪笥と机しかない自分の部屋の真ん中に横たわり、灰皿を側に寄せるのも面倒くさく、このままこの藺草が燃えて静かな炎が、うす暗い部屋の真ん中に立ち上がって私の肌を舐めればいいと思う。水疱が泡立ち、赤く腫れ上がり、音もなく燃えればいいと思う。
 私の肌はぬるく、不健康に生白い。肉は余り、脂肪をため込んで垂れ下がっている。私は美歩の肌を思い描く。自ら紫外線を浴び続け、冬も戻らず浅黒い肌は、しかし私よりずっと張りがあって、汗の混ざった甘い匂いがしていた。美歩が本当に芸能事務所にスカウトされたならば。想像する。夜ごと、美歩の肌がその社長の贅肉と脂の上で滑る様を。それともスナックの元締めの、青龍を背に背負った小指のない男の下で蠢く様を。
 あるいは私が。
 遠くで悲鳴とクラクションが細く響いた。
 私が作った美歩の部屋。美歩の嘘が堆積された虚構の王国。美歩の憧れる実現し得ないもう一つの暮らし。
 想像する、その部屋で、数え切れない焦げ目のついたカーペットの上で、私は龍彦と交わる。いずれ私の腹は腫瘍を抱えるように膨れ、幾月かして産まれ落ちるけものを私は美歩と名付けるだろう。龍彦はその子供に、あの湿った笑顔を向けるのだろうか。
 奇形の妄想は宵に沈む。
 美歩の嘘は私の夢なのだろうか。
 何度も傷つけられたはずなのに、私は美歩の側にいた。美歩の電話を取り続けている。私はふいに息を止める。この四日、美歩からの電話がない。
 なぜ美歩は私に電話をかけ続けるのだろうかと考える。昔の男でもなく共に遊び回った中学の同級生でもなく、この私に。彼女が虐げてきた存在に。金と一晩の宿を借りるだけなら解る。泊まっていっても私の隠している美歩の部屋、もう一間の方には目もくれず、「全部押し入れなんてずいぶん贅沢してんじゃん」と口を歪めるだけの美歩。私は彼女に絶対に、あの部屋を見せはしない。
 音も防げない薄壁の向こうにしまいこんだ美歩の王国は、私の産んだ幻想なのだろうか。あれこそが、私の産み落とした美歩なのだろうか。どこにもいない夢を私は育て、そうして置いていくのだろうか。
 天井が回転する。鳴らない携帯電話を握った手の方が震えている。私は夜の底にあり、この味気ない町の片隅で、燦然と輝く美歩の部屋を思う。それは嘘に塗れ、異臭を放ち、金色に輝く華の夜だ。色のない私の世界に一点光る、闇の力だ。私は美歩に部屋を隠し、美歩は私を利用し、互いが互いを裏切って積み重なる、裏表の金の偶像だ。
 その時インターホンが鳴り、ドアノブを騒音を立てて回すものがある。私は虚を突かれ、立ち上がって玄関へと向かう。
 開けるドアの隙間から網膜を射るビームライトが差し込み、背の高い影の向こうに、タクシーの行灯の鈍い光が辛うじて認められる。
 美歩からは、強烈な柑橘系の香水の香りがした。彼女は大きな口を開き、私の腹を突くかのように手を差し出した。
「ちょっと困ってるんだけど。とりあえずタクシー代払ってくれない?」
 私の目はライトの光にやられているが、香水に隠れたメンソールと美歩の体臭は香った。蒸し暑い夜の大気に紛れ、彼女の身体の熱が感じられた。私は目を擦った。
 美歩は強く美しい。

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第二十六回さらし文学賞 | trackback(0) | comment(1) |


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うわっ、面白ッ!

2013/08/18 02:20 | 黒部 [ 編集 ]


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