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くすくす山


 カン、カン、カン。

 部屋の窓が打ちつけられて、規則正しく音をたてている。この音を聞くと、いつも諭吉がうれしいときに振る尻尾が思い浮かぶ。興奮しちゃって忙しないんだけど、尻尾の振りだけがやたらと規則的。
ぼーっと布団に包まれながらその音を聞いていると、とても心地が良い。聞きなれた音だけど、優しくて、乾いていて、ほど好いリズムのこの音が私は大好きだった。

 時計を見る。まだ早朝の四時。こんな早くに家に来るのは初めてだ。いったいどうしたのだろう。いつまでもその音と共にまどろんでいたかったが、無視するとすぐに怒る。前にイタズラで無視したら、危うく窓にむかって石を投げられそうになった。お母さんはまだ寝ているはずなので、音を立てないようにそーっと窓を開ける。

「ユウちゃん、おはよう」
「おはよう、カナコ」
 やっぱりそこにはユウちゃんがいた。
「起こして悪かったな」
 彼にしては珍しい、他人を気遣う言葉だ。
「いいよ、もう起きていたから」
「嘘コケ。お前はばあちゃんか」
 それが嘘じゃない。この日はもう目が覚めてしまっていた。
「どうしたの? こんなに早くに」
「ちょっといきたいとこがある。つきあえ」
 いつものユウちゃんらしい、ぶっきらぼうな口調で言う。
「イヤ。まだ暗くて怖いよ。お母さんだって心配するし」
「ちょっとだけ。すぐに帰る」
 ユウちゃんのちょっとはちょっとじゃない。いつだってそうだ。信用ならない。
「イヤだ。あたし怖いのは苦手なの。また後でね」
「俺と一緒なんだから大丈夫。心配すんな」
「それって全然大丈夫じゃない。不安」
「いいから来い。泣かしちまうぞ」
 どうせ手なんかだせないくせに、そんな事を言う。でも、ここで癇癪を起こされるのはすごく困る。
「本当にちょっとだけだからね。もう」
「はやくしろよ」

 正直、こんな早くにどこにいくんだろうってすこしドキドキしていた。お母さんが起きるまでまだ時間もある。私は急いで着替えて、そーっと玄関を出た。

 玄関の前にはユウちゃんの自転車が止めてあり、その横で彼は仁王立ちしていた。
「おせーよ。行くぞ」
「行くってどこに?」
「くすくす山。ついてこい」
 私はすーっと鳥肌が立つのを感じた。どうしてそんなことを言うのだろう。
「イヤ、あたしあんなとこ行きたくない。怖い」
「いいから早く行くぞ、お前のお母さんも起きちまうぞ」
 私を引きずろうとする。こんなに荒っぽいのはひさしぶりだ。私は彼の手を振りほどいた。
「イヤだって言ってるじゃん。ばか」
 くすくす山にはお化けがいる、という噂はこの辺りに住んでいる子供なら、だれでも知っている話だ。そのせいで、学校のすぐ横にあるにも関わらず、誰もあそこでは遊ばない。
「お化けなんかいやしねーよ。それに俺、あそこでお前に会わせたい人がいるんだよ」
「あそこに人なんているの?」
「いいからついてこいって。ごちゃごちゃうるせーな」

 なんだか必死なユウちゃんにのっぴきならないものを感じ、私はしぶしぶついて行くことにした。けどやっぱり怖いので、一緒に諭吉も連れて行こうと私は提案する。

 庭の小屋に諭吉を見に行くと、ユウちゃんの気配に気づいていたのか、彼ももう起きていた。いつも寝起きは機嫌が悪いのに、この日はもう上機嫌で、リールを引きちぎりそうな勢いで、庭の中をあちこち動き回っていた。尻尾を振りながらハァハァ言っている。
「よしよし。いーなー諭吉、お前は素直でいい奴だ」
 ユウちゃんが近づいていって撫でてあげる。二人で彼を拾ったけれど、世話しているのは私やお母さん。それなのに、諭吉はユウちゃんに一番懐いていた。リールを外してあげて、彼を連れ出す。

 こうして、私達は二人と一匹でくすくす山へ向うことになった。まだ日も昇らない早朝の中、いつもの通学路を歩いていく。もう何度も通ってきたあぜ道だけど、こんな時間に歩くのは初めてで、とても新鮮に感じられた。薄闇のなかでさざめく稲穂が、まるで夜に波打つ海のようだった。

「静かだね」
「こんなもんだろ」
 ちょっとしたことを気にしてすぐにキャンキャンとほえる諭吉が、その日は大人しく私達の後を追う。それに、いつもはくだらない話をひっきりなしに聞かしてくるユウちゃんも無口だ。私は何をしゃべれば良いのかわからず、二人とも黙って歩いた。重苦しくて、冷えた空気が辺りを覆っていた。けれど、やがてユウちゃんがそっと口を開いた。
「俺、もうすぐここを出てかなきゃいけない」
「うん。知ってる」
 ユウちゃんが近々転校するという噂は、もう学校中に広まっていた。
「俺はさ、母ちゃんが一緒にいてくれるなら何だって我慢する。いくらでも殴られたっていい。どこにも行きたくない。俺おかしいかな」
「おかしくないよ。そんなもんでしょ」
 あんまり会ったことはなかったけれど、ユウちゃんのお母さんは変な風に印象に残っていて、私は苦手だった。特に印象的だったのが、何年か前の授業参観の日。その時に始めてユウちゃんのお母さんを見たのだけれど、彼女は私達の担任の先生をずーっと変な目で見ていた。その先生は、若くて優しくて、生徒からもとても人気な教師だった。その時間、ユウちゃんのお母さんを見る度に、彼女は何だかだらしなくて、甘ったるい視線を先生に飛ばしていて、私はそれをとても気持ち悪いと感じてしまった。以来、私はあの視線が忘れられない。けれど、私がお母さんを大好きなように、彼もあのお母さんが大好きなのだろう、と私はなんとなく納得していた。
 ますますしんみりとしてしまった私達の前を、いつの間にか諭吉が歩いていた。度々こちらを振り向いて、私達を見つめる。まるで先導しているみたいだ。

 やがて私達は学校に着いた。いつもお昼には賑やかなはずの学校が、人気がなくて静まり返っているのはやっぱり不気味だ。私達は校舎をぐるっと回り、すぐ横にあるくすくす山へと向った。
 くすくす山はとても小さい山で、周囲はフェンスでおおわれていた。フェンスといっても、小学生でも簡単に乗り越えられてしまうような小さなもので、私達も軽々と乗り越えて山に入っていった。諭吉もフェンスの合間を器用に潜り抜けてくる。入るとすぐに、斜面に沿って石でできた階段があるのがわかった。ユウちゃんは慣れたようにその階段を上っていく。こんな階段があるなんて、くすくす山にほとんど近づいたことのなかった私は知らなかった。
「ここを上ってくんだぜ」
「ふーん」
 ユウちゃんを追って、私と諭吉も階段を上る。
外からは小さく見えた山なのに、階段はとても長くてどこまでも続いているように思えた。

「俺は夜、家に男が来ると、良くこの森に遊びに来ているんだ。そしてししょーに出会って、色々なことを教えてもらったんだ。ししょーはすごいんだぜ。カナコはどうやって地球ができたか知ってるか?」
「わかんないなぁ」
 これから紹介してもらうのはししょーという人なのがわかった。
「ある時、ししょーは猫の金玉いじりに夢中になっていたらしい。あまりにも金玉が好きすぎて、もっともっと味わいたいってししょーは思ったんだ。そこで天才のししょーは、でっかい金玉を作ることにした。そうすれば金玉の上で暮らすことができる。それでできたのが地球なんだってさ」
 どうやらししょーはユウちゃんなみに変わっているようで、会うのが少し楽しみになった。

 どれぐらい上っただろう。ひたすら上り続けていたが、不思議と疲れは感じなかった。けれど、同じような風景の中、階段を上るのも飽きてしまった。もう起きてから大分時間も経ってしまったはずだ。

「ねぇ、まだ上るの?」
「まだだよ。黙って付いて来いって」
「お母さんが起きちゃう。心配するよ」
「うるせーなー。もうすぐだっつの」
 諭吉は人の気も知らずに、ハァハァいいながら楽しそうについてくる。

 やがて、大きくて真っ赤な鳥居が見えてきた。とても立派な鳥居で、これだけ大きければ下からも見えるはずなのに、私は今まで気づかなかった。そこをくぐると階段はおしまい。鳥居の向こうには古めかしくて、これまた大きな神社があった。
 ボロボロで、ずっと手入れもされていないような神社だったけど、本殿の前にある大きな猫の石像がやたらと迫力があり、印象的だった。

「ここがししょーの家」
「こんなとこ始めて来た」
「そうだろ」
 驚く私を見て、ユウちゃんはそれはそれは得意げだった。

「ちょっとまってな」
 彼は本殿に向かい、そして叫ぶ。
「ししょー」
 返事がなかった。本当にこんなボロボロな神社に人がいるのだろうかと私は疑問に思ってしまった。
「本当に誰かいるの?」
「いるって、おかしいな。ししょー」
 ユウちゃんがもう一度叫んだ。
すると、神社の背後に広がる森から何羽ものカラスが逃げるようにバタバタと飛び立っていった。急に諭吉も落ち着きがなくなり、森に向って吠え出す。
「うぃー」
 気の抜けた返事が森の中から返ってきた。ゲップみたいな声だ。
「ぼくですー、ゆうたろうですー」
「はいはい。わかっちょるとね」
 やがて神社の後ろの木々がガサガサと揺れて、そこから一人の汚らしいおっさんが現れた。禿げ散らかった頭に、汚いヒゲが胸の高さまで伸びていた。羽織っているダウンジャケットは、薄汚れ、所々に何かが飛び散ったような変な染みが付いている。下にはボロ布なんだかズボンなんだかよくわからないものを履いていて、紐をベルト替わりにして腰で巻いていた。片手にはやたらとパンパンな近所のスーパーのビニール袋があった。
「ししょー。遊びに来たよ」
「そうかそうか、よく来たのー」
 諭吉がこのおじさんに向ってキャンキャンとほえ続ける。リールを離したら襲い掛かりそうなほどの剣幕だ。
 そんな諭吉など意に介さず、おじさんはニヤニヤしながらユウちゃんに近付き、二人は仲良くしゃべりだした。

 私は少し離れた場所からその光景を眺めていたが、予想外の展開に面食らってしまっていた。こんな汚いおじさんを紹介されるとは。まだ小学生な私でも、近づいては駄目な人だとすぐに分かった。

「ししょー、今日は何してたの?」
「今日はマツタケ狩りじゃ。この辺りではの、マツタケが死ぬほど採れるんじゃ。見てみぃ、ほーら、おっきくてええ形しとるじゃろ。えっへっへっへ。」
 汚いビニール袋の中にはマツタケとおぼしきキノコがたっぷりと入っていた。
「すげー。ししょーさすがだぜ。マツタケってすごく高いんでしょ?」
「あぁ、高い。えらい高い。こんなええもんを、あいつは独り占めしよる。何がこの山は私有地だ。勝手ぬかしよって。これは天からわしらみんなへの恵みなんじゃ。アホンダラ」
何かぶつぶつと呟いている。昔、一度だけマツタケを食べたのを思い出した。お母さんが七輪で焼いて食べさせてくれたのだけど、私にはよく分からない味だった。

 やがて、ユウちゃんが後ろのほうで突っ立っていた私を指差して言った。
「ししょー。こいつ、カナコっていって俺の友達。今日は一緒に遊んでもいい?」
私はそーっと近付いていって、あいさつをする。
「おはようございます。カナコっていいます」
「ほー。カナコちゃんいうんか。えらいかわええ子じゃのう。ええなぁ。よろしくなぁ。おじさんと仲良くしておくれな」
 ししょーはぐいっと私に顔を近づけてきて、満面の笑みを見せた。ろくに歯が揃っておらず、鼻毛はぼーぼーでかなり気持ちの悪い笑みだった。正直恐かったけれど、私以外のユウちゃんの友達とはどんな人なのだろう、と私は興味を抱いていた。

「ほぉ、かわええ犬っころも一緒じゃ。ほれほれ」
 ぐるぐる鳴いて警戒していた諭吉を、ししょーはむりやり撫でつけた。すると、人見知りのはずの諭吉があっという間に大人しくなってしまう。
「うんうん。頭のええ犬じゃのう」

 このおじさんは何者なのだろう、謎がどんどん深まっていく。私はもっとこの人のことを知りたいと思ってしまった。

「ほんじゃ、今日は三人で森の中でええことしよか。ついておいで」
 そう言うと、ししょーは神社の向こうの森へと戻っていった。ユウちゃんと私と諭吉も後に続く。ユウちゃんはとても上機嫌で、鼻歌なんか歌っている。ええこと、というのはどれだけ楽しい遊びなのだろう、とユウちゃんを見ていて私もワクワクしてきた。さっきまで警戒していた諭吉も慣れたみたいで、すっかり楽しそうにしている。

 ししょーはずんずん森の奥へと進んで行った。そんなに大きい山ではなかったはずなのに、森はどこまでもどこまでも続いていた。進んでいくほどに、木々はますます鬱蒼としていて、うっかりすれば足をすくわれそうなほどだった。よくテレビでこんなジャングルを見た。探検隊の人が謎の怪物を追い求めて、道なき道を進むのだ。この頃には時間のこととかお母さんのことは綺麗に忘れて、探検に夢中になっていた。

 やがて私達は木々の少ない開けた場所に出て、そこでししょーの足は止まった。
「よし、じゃあここいらでじゃんけんしよか」
「おっけー」
「なにして遊ぶの?」
「かくれんぼだよ。いつも俺とししょーはこの森でかくれんぼして遊んでるの」
「へー、楽しそう」
「お嬢ちゃんは簡単に捕まっちゃいそうだねぇ。おじさんが鬼になったらすぐに捕まえちゃうからねぇ。えっへっへっへっへ」
 ししょーがやたらと興奮していて、とても気持ちが悪かった。

「じゃんけん、ほい」
 ユウちゃんの掛け声と共にじゃんけんをする。すると、ししょーもユウちゃんも諭吉もグーで、私だけチョキだった。

「なんだカナコ。よえーなー」
「お嬢ちゃんが鬼かぁ。残念じゃのう」
 まさか鬼になるなんて思っていなかった私は、隠れることばかり考えていた。
 
「あたしこの辺よくわかんないよ。鬼なんて無理だよ」
「しょうがねーだろ、お前が負けたんだから」
「ルールはルールだべ」
 何を言っても突っぱねられ、私は渋々鬼になった。

「じゃあカナコ、目つぶって十数えろよ」
「うん、わかった」
 ユウちゃんに促されて、私は両手で顔を覆ってその場にしゃがみこみ、カウントを始めた。
「いーち、にーい、さーん、しーい……」

「ししょーはあっちね、俺はこっち」
「あいよ。ゆうたろうはこっちでわしはあっちな」

 十数えて目を開けると、みんなは綺麗さっぱりいなくなっていた。辺りは静まりかえり、さっきまでみんなで楽しく歩いていたのが嘘みたいだ。とりあえず、私はぶらぶらと森の中を歩き回ってみることにした。

 いざ鬼になってみると、この森は広すぎた。どこから手をつけて良いかもわからず、少し歩いただけで、私はすぐに途方に暮れてしまった。
「ゆーきーちー」
寂しさに耐え兼ねた私は、とりあえず家族の名を呼んでみる。
「キャン、キャン」
 すると、大して期待していたわけでもないのに、どこからか諭吉が尻尾を振ってこちらに駆けてきた。ハァハァ言いながら甘えてくる諭吉を、うれしくなった私はめいっぱい撫でてやった。かくれんぼもわからないなんて馬鹿だなぁ、と思いながらも、私は諭吉のことがかわいくてしょうがなかった。
 ユウちゃんとししょーを探して、私は諭吉と森の中を再び歩き回った。一人のときと違って俄然やる気が出て、私達は森の中をあちこち歩き回った。私は諭吉の鼻にも期待していたのだ。けれど、やっぱり二人は見つからない。森は本当に広くて、二人は隠れるのが上手だった。次第に探すのにも飽きて、歩き疲れてしまった私は家に帰りたくなってしまった。だけど、私は帰り道を知らない。

 やがて私は一本の木に寄りかかって、そのまま座り込んでしまった。もう疲れ果てていて、帰りたくてしょうがなかったのだ。座り込んでしまった私の顔を、まだまだ元気な諭吉が不思議そうに覗き込んでいた。こんなに広い森で慣れない私を鬼にするなんて、なんてひどい二人なのだろう。
 しばらくそのまま休んでいると、突然、諭吉が草むらに向ってほえ出した。やっと見つかったと思い、私は諭吉がほえる先を注意深く見つめた。しかし、そこにはユウちゃんもししょーもいなかった。草むらの中から一匹の黒い猫が頭だけ出して、じーっとこちらを見ている。綺麗な目をしていて、とてもかわいらしい猫だ。
 あまりにかわいいので、おいで、と私は何気なく声を掛けてみた。すると、猫が茂みから出てひたひたとこちらに近づいてくる。毛並みが良く、光っているかの様に全身がつやつやで、かわいいだけでなくとても美しい猫だった。さらに、猫の後ろでは私の身長ほどもありそうなとても長い尻尾がゆらゆらと揺れている。見たことのない不思議な猫に私は見とれてしまった。そんな猫が私の足元にやってくる。すると、諭吉はほえるのをやめて、ぺたっとその場に座り込んでしまった。

「なんだお前、こんなところで一人うろうろして。迷子か」
 猫がしゃべる。
「こんにちは。友達とかくれんぼをしている最中なの」
「こんなところで一体どんな友達と遊んでいたんだ」
「ししょーっていうおじさんと、ユウちゃんっていう男の子」
 アーモンド型をした猫の目が、キッ、と細くなった。
「お前あいつらの友達か。しょうもない連中と付き合いやがって。お前もろくなガキじゃないな」
 全身の毛を逆立て、私を威嚇してきた。なんてかわいいのだろう。
「別に悪いことしないよ。今日初めて三人で遊んでいたの」
「けっ、どのみち人間のガキは嫌いなんだよ」
 そう言うと、そばの木でバリバリと爪を研ぎ始めた。あいかわらず尻尾はゆらゆらとしていて、うっかり近づくと巻き取られてしまいそうだった。
「あの泥棒じじい。人の山でまた面倒ごとを……」
 木にイライラをぶつけていたみたいだ。私のことなんか忘れてしまったかのように熱心に爪を研いでいた。
「しょうがない。家に帰してやる。ついて来い」
 そう言うと、猫は爪研ぎをやめ、ぷいっと踵を返して行ってしまった。私は迷って、とりあえず付いて行くことにした。口をきいてもおかしくないな、と私に思わせてしまうほどの気品を持った猫で、大して驚きもせずに普通に会話をしてしまった。諭吉はしゃべれないのに、どうしてこの猫はしゃべれるのだろうか。私はとてもうらやましく思った。

 その後、長い長い尾っぽの後を追って、私達は長いこと森を歩き回ったが一向に出口に着かない。猫は沈黙のままにぐんぐん歩き、諭吉も大人しいままだった。この調子で本当に帰れるのだろうかと、私は徐々に不安になっていった。

「ねぇ、猫さん」
 私は猫に話しかけた。くるっと猫がこちらを向く。吸い込まれてしまいそうな目だ。
「私、やっぱりユウちゃんを見つけて、一緒に帰りたい」
 猫がふわぁーっとあくびをした。
「放っておけばいい。猫をおもちゃみたいに扱いやがって、あいつら気に食わないんだよ」
「でも、かくれんぼの途中だったし、おいて帰ったら怒られちゃう」
「ふん。どうせお前のことなんか忘れて、二人で別の遊びをしているさ」
 猫はまたひたひたと歩き出してしまった。そう言われると、なんだかそんな気もしてきた。ユウちゃんは何事もいいかげんなのだ。どうしようかと考えたけれど、この先帰り道で彼らを見つけられるかもしれないと思い、私はまた猫の後を歩き出した。

 しかし、すぐにまた猫の足が止まってしまった。突然あちこち見回し、耳をひくひくとさせ、なにか落ち着かない様子だ。どうしたのだろうと不思議に思っていると、猫はぼそっと呟いた。
「ちくしょう。あのやろう」

 すると、私達のすぐ横にあった大きな茂みの中から、声が聞こえてきた。
「お嬢ちゃーん。どこだーい」
 やがてガサガサとししょーがその茂みの中から這い出てきた。
「あ、いた!」
 ぜぇぜぇ言いながら私に近づいてくる。ますます汚らしくなっていた。
「もぅ、中々探しに来ないから心配しちゃったよ。おじさんの方から探しに来ちゃった」
 ニヤニヤと笑いかけてきた。とても汚い笑顔。私を見つけられたことが、本当に嬉しかったみたいだ。
「ありゃ、犬は見つけられたんだねぇ、えらいねぇ、さすがだねぇ。じゃあこの三人でなにかして遊ぼうか」
 いつのまにか猫が消えていた。よっぽどししょーが嫌いらしい。
「あの、私もう帰ろうと思ってたんです。お母さんが心配するし」
 ししょーの表情を覗いながら、私はゆっくりと尋ねた。
「それで、ユウちゃんがどこに隠れているかおじさん知りませんか?」
「あぁ、どこだろうねぇ。まぁ彼は大丈夫だよ。遊んでいればそのうち出てくるんじゃないかなぁ」
 ガリガリと頭を掻きながらししょーは答えてくれた。変な粉があたりに飛び散る。

 ユウちゃんはどこにいるのだろう。お母さんはもう起きて、私がいないことで怒っているかな。ししょーの汚い笑顔を見ていると、私はたまらなく不安になってしまった。
 やがて、泣きだしそうになった私はその場から走って逃げ出した。諭吉も後を付いて来る。
 ししょーは追ってこなくて、私と諭吉はぐんぐんと木々の間を進んでいった。けれど、駆けても駆けても森の中。運動不足で歩き疲れていた私はすぐにバテて、足を取られてステンと転んでしまった。

私はそのまま起き上がれず、泣き出してしまった。いつまでもいつまでも泣いていた。どうしていいかわからなかったのだ。

「いつまでそうしているつもりなんだい。起きなさい」
 やがて突然どこからか声が聞こえてきた。聞き覚えのあるその声は、さっきの猫の声だった。

 驚いて顔を上げると、涙でにじんだ視界から緑が消えていた。顔を拭い、辺りを見渡す。すると、そこは学校の教室で、私は自分の席に座っていた。教室には夕日が差し込んでいる。私以外教室には誰もいなくて、静まり返っていた。きっと放課後だ、みんな帰ってしまったのだろう。いつのまにか諭吉も消えている。だけど、慣れ親しんだ場所に戻って来れて、私は少し落ち着きを取り戻した。

 やがて、どこからか、トン、と猫が教卓に飛び乗った。さっきまで森を一緒に歩いていた、尻尾の長いあの猫だ。

「どうした、なにをそんなに泣いている。家に帰りたいならまた案内してやるぞ」
 背筋をピンとさせて教卓の上に座るその姿は、まるで彫刻みたいだ。すごくきれい。
「違うの。ユウちゃんが見つからないの」
 猫はヒゲをひくひくとさせて、こちらをじっと見つめる。
「まったく、どうしてそんな風にいい子ぶる。お前はあの時、彼を見捨てたじゃないか。自分の身が大切なあまりにな」
 突然猫の口調が鋭くなった。嫌な記憶がじわっと思い出される。
「違うの。見捨てたわけじゃない。私は体が弱いし、ユウちゃんは体が大きいし」
 ふと周りを見渡せば、机やいすはひっくり返り、窓ガラスは何枚も割れていた。血がべったりとついたガラスの破片も所々に見られる。ここは、少し前にゆうちゃんが癇癪を起こした後の教室だ。もうこれで何度目だっただろうか。
「彼をなだめることができたのは自分だけだと、お前はわかっていたはずだ。そしてもう後がないことも。それなのにお前は努力もせず、やがて彼はここを去ることとなった」
長い長い尻尾をゆらゆらと振りながら、じーっと私を見つめてくる。
 ユウちゃんは同級生に大怪我をさせてしまった。彼の家の問題のこともあり、ついにユウちゃんはお母さんと別れて、遠いところへ引っ越さなくてはならなくなったのだ。

「恩を仇で返すとは、例え女子供だろうと犬畜生にも劣るやつよ。どうしてあの糞爺は彼を救わず、お前を生かしたのか。理解に苦しむ。お前なんぞ野垂れ死んでしまえばいい」

 くわっと目を見開き、私をシャーッと威嚇する。全身の毛は逆立ち、長い尻尾は何倍にも膨れ上がっていた。さっきの威嚇とは大違いで、今にも襲い掛かってきそうなほどの剣幕だった。美しくて、かわいらしかったあの猫はもういない。
 突然の変貌に、恐くなってしまった私は慌てて教室から逃げ出した。とにかくここから出ようと、階段を何段も何段も駆け下りて、出口に向かう。もうこんなところはこりごりだった。はやくユウちゃんとうちに帰りたくて、私は必死に走った。
 けれど、急ぐ私の視界に、やがて一人の少女が飛び込んできた。そこは下駄箱の前で、私は思わず立ち止まってしまった。その少女は小学二年生で、うずくまり、ひたすら泣きじゃくっている。さっきまでに私みたいに。

 彼女は帰り際にクラスメイトの男子に靴を奪われて帰れなくなってしまい、泣いているのだ。その靴は、誕生日にお母さんからプレゼントされたばかりの、彼女にとって大切な靴だった。
どうしたらいいか分からず泣いている彼女の元に、やがて体の大きな男の子が近づいてきた。顔に擦り傷や痣ができた彼の手には、真新しい女の子用の靴がある。彼はそれを泣いている少女に押し付けた。突然の事態に戸惑う少女だが、彼女は涙を拭いながらそれを受け取り、男の子の顔を見上げてお礼を言う。

 病弱なせいで学校を休みがちで、友達もいなかった私はよくいじめられていた。けれど、この一件からあまりちょっかいをだされなくなった。私を守ってくれて、優しくしてくれるたった一人の友達ができた瞬間だった。

「ユウちゃん!」

 私はたまらなくなって、大切な友達の名を叫んだ。すると、目の前にいる四年前の彼がゆっくりとこちらを向く。

 その顔は醜く焼き爛れていた。

 驚愕し、思わず後ずさる私に彼が迫った。
「どうして俺を助けてくれなかった。あそこで止めてくれてれば、こうして苦しむこともなかったのに」

 ユウちゃんや男に依存しないと生きていけなかった彼の母親は、ユウちゃんと離れるぐらいならと、家に火を放ったのだ。焼け跡からは、二つの焼死体が見つかった。

 ユウちゃんががっしりと私の肩をつかむ。一瞬にして、私達を炎が包みこんだ。

「お前も一緒に焼け死ねばいい。どれだけ苦しかったか、お前も味わえ」

 私はもうこのまま死んでもいいと思った。猫が言うとおり、私は彼を裏切ったのだ。最低だ。それに、ユウちゃんがいない世の中なんて、辛いことばっかり。このまま炎に呑まれてしまえばいい。
 私は目をつぶって、ただ炎の流れに身を任せた。どんどん体の感覚がなくなっていったが、不思議と苦しくなくて、なんだかお風呂に浸かっているみたいに温かかった。楽しかった二人での思い出が、走馬灯のように頭の中を駆け巡り、どんどん気が遠くなっていく。私なんて、早くこのまま消えてなくなってしまえばいい。

 けど、消え入りそうな私の意識を、一つのにおいが捕えて離さなかった。それはとてもいいにおいで、どこか懐かしい。何のにおいだろう、と私は気になってしょうがない。やがて私は思い出した。それはマツタケが焼ける臭いだった。


 ハッと気がつき目を開けると、私は森の中にいた。さっきまでかくれんぼをしていた森だ。倒れた木に座る私の足元では、諭吉が心配そうにこちらの顔を見上げていた。

 目の前にはししょーが座っている。私とししょーの間には何故か七輪が置かれ、そこではマツタケが焼かれていた。さっきのにおいはこれだったのだ。そして、ししょーの腕の中には、あの尻尾の長い猫がいた。押さえつけられて、股間のあたりをグリグリといじられている。
「このこのこの。こんなかわいい子に悪さしよって、このアホンダラが。お前の金玉なんかこうだ。このこのこの」
 猫は身動きできず、なんとも味わい深い顔をしている。長い尻尾も丸まってしまい、さっきまでの威厳は消え失せていた。

「まったく。本当にお前の金玉はきもちええなぁ。けしからん」
ひたすらグリグリし続けるししょー。私も触ってみたかったが、ついに言い出せなかった。やがて気が済んだししょーは、猫をぽいっと放り投げた。解放された猫は一目散に森の奥へと走り去る。その後姿に、諭吉がキャンキャンとほえ続けた。

「お嬢ちゃん。マツタケが焼けたで。一緒に食べよか」
 ししょーがこちらを向いて、笑いかけてくれた。
「うん」
 こんがりと焼けたマツタケを、おじさんが食べやすいようにナイフで切って渡してくれる。それに、これまたおじさんが渡してくれた醤油をかけて食べた。ひさしぶりに食べるマツタケは醤油の味しかしなくて、やっぱり私にはよく分からなかった。

「お嬢ちゃんはもう帰ったほうがええな。もっと一緒に遊びたかったがの。残念じゃ」
 二人でしばらくマツタケを食べた後、ししょーはそう言って立ち上がった。よっぽどマツタケが好きなようで、彼は一人でいくつもたいらげてしまった。満腹になったししょーはとても幸せそうな笑みを浮かべて、ぼりぼりと股間を掻いている。最初は気味が悪かったその笑顔が、この時はとても優しい笑顔に見えて、私はなんだかほっとした。

「帰り道はその犬っころが知っとるで。気をつけて帰りんさい」
 諭吉が尻尾を振りながら、私の周りをぐるぐると回っている。早く帰りたいみたいだ。
「うん。ししょーありがとう」
「なぁーに。また遊びにこいっちゃ」

 諭吉の後を追って、私は再び森の中を進んでいった。ししょーはいつまでも私達に手を振ってくれていた。さっきまで彷徨っていたのが嘘のように、私達はあっという間に最初に見た神社の前まで出てきてしまった。
 そして、あの大きな鳥居の下にはユウちゃんがいた。諭吉がうれしそうに彼に飛びつく。
「カナコ、お前どこいたんだよ。ずっと隠れていたんだぞ」
 ユウちゃんが諭吉をワシャワシャと撫でた。
「ごめんね。みんな隠れるのがうまくて、見つけられなかったよ」
「まったく、つまんねーの。お前は本当にトロいな」
「ごめんねったら。ねぇ、もう帰ろ」
「そうだな。帰るか」

 山を下りると、まだ辺りは薄暗かった。思ったほど時間は経っていないようだ。ちょっと安心した私は、帰り道をユウちゃんとゆっくりと歩くことにした。

「ユウちゃんはマツタケ食べた?」
「食べてないよ。え、食べたの?」
「うん。ししょーが焼いてくれたよ」
「なんだよ俺抜きで。食べてみたかったなー」
「おいしくなかったよ」
「嘘コケ。高いのにまずいわけあるか」

 行きとは打って変わって二人の会話が弾み、楽しい道のりとなった。炎の中で、忘れてしまっていた記憶も炙り出されて、思い出話にも花が咲いたのだ。ずーっとこのまま二人でいられたらいいのにな、なんてどうしようもないことを、前を歩く諭吉の尻尾を見ながら願ってしまった。

 楽しい時間はあっという間に過ぎ去り、やがて二人は私の家に着いた。どうやらお母さんはまだ寝ているみたいだ。どの部屋も電気は点いていない。

「今日はありがとな」
 やっぱりこの日のユウちゃんは少しおかしかった。ありがとうだなんて。
「うん。また明日会える?」
「どうかなー。会えるかな。でも、今度はお前一人で山に遊びに来いよ。そうすれば、俺とししょーが遊んでやるから。お前ししょーに気に入られてたぞ」
「うん。遊びに行くね。ししょーによろしく」
「じゃあな」
「じゃあね」

 もう会えないのかもしれないってなんとなく感じていたけれど、私は彼を引き止めることができなかった。自転車に乗って、すーっと来た道を行ってしまった彼を、私はただただじっと見つめていた。彼は一度も振り返らなかった。

 静かに部屋に戻って、私はすぐに布団に潜り込んだ。途端に疲労がどっと押し寄せ、私はそれっきり動けなくなってしまった。こんなんじゃ学校に行けない。少しでも寝て、体を休めなくてはと私は焦った。けれど、なんだか人肌恋しくて眠れない。とにかく寂しくて、私はまた泣き出してしまいそうだった。
すると、どこからか諭吉がやってきて、私の布団に潜り込んできた。諭吉を家の中に上げると、汚いと言ってお母さんが怒るのだけれど、動けない私にはどうしようもない。それに、一緒にいてくれることがとてもうれしかった。彼の息づかいや、鼓動、温もりが私を慰めてくれる。本当に諭吉はいいやつだ。

 やがて私は眠ってしまった。

 目を覚ました私の体調は、それはひどいものだった。かつてない程の高熱を出し、起き上がることができなくなっていた。あまりにひどい私の様子に母は半狂乱となり、一緒に寝ていた諭吉は心配そうに私の顔を舐めていた。 私は母の手ですぐに病院に運ばれ、そしてすぐに救急車で都会の大きな病院に搬送されてしまった。患っていた持病が悪化したのだ。そのまま入院し、私は何日も何日も生死の境を彷徨い続けた。消え入りそうな意識の中、あの森での不思議な出来事ばかりが思い浮かんでいた。
 その後、なんとか峠は越えたものの、なかなか退院できず、苦しいばかりの治療がいつまでも続いた。何も楽しいことのない入院生活だったけれど、早く治してまたみんなと遊ぶのだと、そんな風に自分を元気づけて私は治療に励んだ。

 やがて辛かった治療を終えて退院する頃には、私はとっくに中学に上がっているはずの年齢になっていた。村に帰っても、誰も私やユウちゃんのことなんか覚えていなくて、くすくす山も崩されてマンションが建っていた。ししょーや猫に会いたくてしょうがなかったのに、彼らがどこにいってしまったのか、私にはさっぱりわからなかった。

 それから、遅れた分を取り戻そうと私は死に物狂いで勉強した。近くの町の高校、そして東京の大学とトントン拍子で進学し、私は村を出た。

 その後は大きな病気をすることも無く、そのまま東京で就職して、結婚して、子供も持って、普通の家庭を築くことができた。母も諭吉も大分前に死んでしまって、もうずっとあの村にも帰っていない。

 それでも、私はあの山が恋しくてしょうがない。今でも猫を見かけると、最初に尻尾に目が行ってしまうし、汚いおじさんを見つけても、「ししょーですか?」と思わず声を掛けたくなってしまう。そして、子供と一緒にベッドに入っていると、私は夢を見るのです。ユウちゃんとししょーと猫と諭吉と、あの頃のままの私が、森の中で遊んでいる夢を。


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