さらし文学賞
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眠れぬ夜


 おやすみなさい。ぼくは寝る。布団に横たわる。寝室はお兄ちゃんとお姉ちゃんとおんなじで、お母さんがおやすみなさいを言って出て行ってから、ぼくは目をつむって寝ようとする。寝ようとするけど、夏の、特に今日なんかはとってもジメジメしててドロドロしてる夜だから、全然寝れない。お母さんが窓を網戸にして開けてくれたけど、風なんて入ってこないし、居間にある扇風機を持ってきてほしいのに、うちには一台しかなくて、それをお母さんとお父さんが使ってしまっているからぼくたちは使えない。だから、昨日もおとといもそうだけど、寝ようと思う気がなくなってしまって困る。だけど、お兄ちゃんなんかはDSとか持ってて、布団の中でずっとやってたりする。掛布団全体から薄く光が漏れているので、ここにお母さんがきたならすぐに没収されてしまうだろう。ぼくはまだ小さいと言われて買ってもらえなかった。お兄ちゃんばっかり買ってもらってずるい、とは思うけど、どれだけ喚いても買ってもらえないことがわかったからもうぼくは無理に買ってもらおうとは思わないことにした。自分でお金を貯めればいいんだ。お兄ちゃんの次にはお姉ちゃんがいろいろ買ってもらっていた。お姉ちゃんはお父さんの書斎から勝手に電気スタンドを持ってきて、漫画をずーっと読んでいる。なんで飽きたりしないんだろう。ぼくには不思議だけど、お姉ちゃんは夜もずーっと漫画を読んでるから、お姉ちゃんも寝ることに困ってない。お兄ちゃんも困ってない。困ってるのはぼくだけだ。寝れない。寝れない。寝れない。窮屈な感じがとっても苦しい。
 ときどき窓の向こう側から声が聞こえてくる。だいたいは談笑。はっはっは。談笑。ほほほ。談笑。聞こえるのは声がぼくより低くて野太い大人の男の声。と、おばさんの声。たぶんお隣の前田さんだ。朝登校するとき、ふたりでランニングから帰ってくるときにちょうど会って、いつもいつも挨拶したら笑顔で挨拶し返してくれる。とってもいい人だ。ときどき、食べ物をうちに持ってきてくれるのだ。うちからも、どこかに旅行へ行ったら、だいたいお土産を前田さんのうちに届けるようになっていた。届ける役割はだいたいぼくと、お兄ちゃんかお姉ちゃんのどちらかだった。こういうときばっか、ぼくに仕事を押し付けられるけれど、前田さんは好きだから全然いやじゃない。届けに行くとお菓子をくれたりして、やっぱりいい人だ。何を話してるんだろう。部屋まで届く声はだいたいちょっと張っている大きな声だけだから、会話の中身はまったく聞こえない。そんなに楽しいことなのかな。どんなお話なのかな。ぼくも交じってみたいな。前田さんのうちに入ったことは数回ほどしかないけれど、装飾がとってもきれいで、うちのようにレイアウトに頓着ないお母さんがなにもしないようなのとは全然違って、もう全然違って、壁の高いところにはシカみたいなシカじゃない動物の頭とか、目つきの怖いタカが飾ってあったりして、本当にびっくりした。一番のお気に入りだよって見せてくれた大きなクマは、怖くてあんまり好きじゃないけど、そのあとに前田さんがやさしくしてくれたからやっぱりいい人だ。でも、お兄ちゃんもお姉ちゃんもそんなに好きじゃないみたい。お土産を届けるのをいやがったりする。どうしてだかよくわからない。
 さっと、窓から風が吹いて入ってきた。そよ風でも、今はとっても気持ちいい。でも、またすぐに暑さに苦しくなる。寝返りを打って、背中とお腹を入れ替えてうつ伏せになる。少し楽になるけど、またすぐ苦しくなるから、同じようにまた寝返りを打って、またすぐ苦しくなる繰り返し。そうしているうちにまた、風が吹いて入ってきた。すっと、ちょうどうつ伏せになっていたぼくの背中をひんやり冷やしてくれた。と、一緒に遠くから笛の音が聞こえてきた。《ピュー》なんだろう。ぼくが習っているリコーダーなんかよりもっと高い、澄んだ、清らかな、静かな、キレイな音が、ほんの小さく聞こえる。音が心地よくて、ぼくの心臓がふわっと持ち上がった。途切れると、またしばらくしてから笛の音が窓から入ってきた。《ピュー》ふわふわと、浮いたような感じになって、寝れる前みたいな、とっても寝たくなってきたみたいな、このまま、ゆっくり、寝れるのかな。
 目をつむる。何も見えないけど、笛の音は聞こえる。
 このまま寝ちゃえ。
 でも、やっぱり苦しくて、うつ伏せの状態から体を捻って横になろうと寝返りを打った、と思ったのに、何か柱みたいなのに当たってもとのうつ伏せの状態に戻された。寝室に置いてあるのはタンスとか本棚とかだけど、その当たったものはふさっとしてて、毛むくじゃらで、おおう、前田さんのうちでみたあの大きくてものものしいクマの脚なんだと、とっさに思った。
 やばい。食べられる。
 寝たふりをしなければ、食べられる。
 あんまり音を立てずに、静かにしてなければいけない。ジュラシックパークを見たから、動いたら食べられてしまうというのは知ってる。だから、動いちゃいけないんだ。動いたら食べられる。息を止めた。でも、すぐに息苦しくなって息を思い切り吐きそうになるけど、そうすると大きな音が出る。だから、ゆっくりゆっくり、丁寧に呼吸する。少なくとも、寝ているように見えるはずだ。
 クマはぼくのそばにずっと立っていた。動く様子はない。顔を近づけて臭いをかぐこともない。もしかしたら、人間なのかもしれない。泥棒なのかもしれない。強盗なのかもしれない。でも、じゃあ、ぼくをずっと見下ろして、何をしようとしているんだろう。いや、ぼくを見ているんじゃないのかもしれない。そうだ。この寝室にはお兄ちゃんもお姉ちゃんもいて、ふたりとも明かりで居場所がわかるじゃないか。ふたりが危ない。でも、ぼくが動いたってどうしようもない。なにもできない。ぼくは寝たふりをする。のそり。ドン。クマがぼくをまたいで、一歩、ぼくの頭の方向で漫画を読んでいるお姉ちゃんのほうへ近づいたようだった。でも、お姉ちゃんの悲鳴も、逃げる動作も、ページを捲る音しかしないから、きっとまだ漫画に夢中で気が付いてないんだ。のそり。ドン。クマがまた一歩動いた。ぼくは寝相が悪い体でもそもそと動いて、反対に向いていた頭をふたりと、クマのいるほうへ向ける。向けてから、薄目を開けてみる。あんまりはっきりとは見えないけど、スタンドのはっきりした光と、布団から漏れる薄い光で、お姉ちゃんとお兄ちゃんのいる場所はだいたいわかる。その手前に、大きな大きなクマがいることも影でわかる。やっぱり、前田さんのうちでみたクマくらいの大きさだった。
 クマはスタンドではっきりした明かりのほうへまた一歩進んだ。そうして、ぼくのときのようにお姉ちゃんの横に立って、漫画に夢中なお姉ちゃんを見下ろしていた。ぼくのときでもそうだったけど、そばで立って何をしているのか。ただ横たわるお姉ちゃんの姿を観察しているようにしか見えない。
 食べるのかな。食べないのかな。ぼくが思っているうちに、クマはゆっくり動いて、お姉ちゃんの身体をまたぐようにしてスタンドの前に立ち、大きくて太い腕をお姉ちゃんの頭があるだろう場所に沈める。ぐぬ。くぐもった声が聞こえる。お姉ちゃんの掛け布団が一度踊るように跳ねて、遮られたスタンドの光が揺らめいて、全てが静かに元通り収まった。のそり。クマが身体を傾かせると、スタンドの明かりが落ちる。消したのだろう。寝室の光量が急激に減って、静けさが一段と増したように思える。
 クマはそれが自然であるが如く、次の標的である掛け布団の薄い光へ一歩進む。微弱で希薄な光が、その動く影を肥大化させて寝室の天井から壁の至る所にまでのさばらせる。のそり。実体が動く。クマはお兄ちゃんの横まで移動し、でも今度は観察することなく、またぐことなく、盛りあがった布団へ覆いかぶさる。ぐぐぐぬ。掛け布団がお姉ちゃんのときよりも高く跳ねあがって、それも何度か跳ねあがってから、薄い光は急に消える。静かになる。そうして、やっと窓から差し込む月明かりの青白い光に気が付いて今日が満月なんだと知る。
 《ピュー》遠くから笛の音が、窓へ流れ入ってくる。風のようでもあるが、風は吹いてこない。応じるようにクマはお兄ちゃんの布団から起き上がり、ドスドスと、月明かりの中を窓に向かって歩いて行く。
 出て行くのだろうか。ぼくは薄目をもう少し開けて、その様態を確認しようと顔を上げる。と、クマはぼくの目の前で動きを止めた。
 ばれた。
 目を閉じる。
 息が荒くなる。だめだ。荒くなってしまったら、音が漏れて寝たふりがばれてしまう。必死に息を整えようとして、すー、吸って、はー、吐いて、ゆっくりゆっくりと、寝ているときというのは自律神経に頼って呼吸するわけだがその自然体である呼吸法を意図的に再現するのはむしろ自律神経を自らによってコントロールするということであり丁寧に呼吸をすべきであるのだがコツは息を吐く時間を長くすることで睡眠時と同様の自律神経による人間の生来持ち合わせた呼吸法を得る。毎分十八回程度の呼吸を毎分四、五回程度まで抑えるのが睡眠時であって、つまり一度の呼吸に十五秒程度もかけるのだが子供はそれよりも若干早いインターバルで呼吸を繰り返す。すー、吸って、はー、吐いて、ゆっくりゆっくりと、息を多くは漏らさず、さりとて不自然なほど殺すこともなく、ただただ目立たぬようにそこへ寝ている様子を演じる。客観的な寝姿というものはビデオでも撮ってない限り自分で確認できるものではない。それ故に、如何に可笑しな体勢で寝ているのかも知らない。わからない。知る術はない。
 ドスドスと、目をつむったぼくに足音が聞こえ始め、窓から出ていった気配を捉えた。
 それでも、つむった目を開けるわけにはいかなかった。目を開けたとき、目の前にクマの顔があったらどうするのだ。もしかしたら、出て行ったふりをしただけで、ぼくが寝ているかどうかを確かめるためにこの寝室へ止まっているのかもしれない。目を開けたら食われてしまうじゃないか。目を開けちゃいけないんだ。
 静かで何も聞こえない。何が起こっているのかもわからない。
 音と言えば、虫の鳴き声だけだ。さっきは気付かなかったけど、外ではたくさんの虫が鳴いている。ずーっと鳴いてるから、虫が鳴いていることに気付かなかった。そんなことはよくあることだと思う。ぼくもずーっとこのままでいれば、ずーっと寝ていることになるんだろう。寝ているふりはきっと、本当に寝ていることと変わらなくなるんだろう。ぼくは今も夢の中にいる。次に目を開けたときはきっと朝になっていて、そのときにはスタンドの明かりも、DSの光も、青白い月明かりも、全部呑んでしまうような太陽がのぼっているんだ。ぼくの夢も太陽の真っ赤な光に呑まれて、何にもなくなってしまうんだ。そうして、ぼくの世界は音だけで支配される。必要なものだけでいい。不必要なものは切り捨ててしまえばいい。
 だけど、苦しくて寝返りを打ちたくなる。目を開けてみたくなる。薄目を開けてみることも考える。どうなってるんだろう。お兄ちゃんとお姉ちゃんはどうしたんだろう。クマはどこにいるんだろう。目を開けようかな。開けても大丈夫かな。見てもいいのかな。いいよね。
 のそり。目の前で動く気配がした。
 びく、と身体が震えた。震えたあと、震えたことが悟られていないか、どうか。心臓にドクドクと血が流れている音が聞こえないか、どうか。体勢が変わっていることを悟られていないか、どうか。痛いほど血が頭に流れて、いやな可能性に全身をガチガチに縛られた。やばい
やばいやばいやばいどうしよう。何かしないと。逃げないと。どうにかしないと。でも。どうすれば。
 ぼくが不安で縛られている間に、クマだろう何かがドスドスと窓のほうへ歩いて行く気配がした。そして、今度は窓を開ける音がして、閉じられる音がして、音は虫の鳴き声しか聞こえなくなった。さっきと同じだ。
 もう大丈夫だろう。出て行っただろう。でも、大丈夫だと思っているからこそ、開けることは危ない気がする。だって、現にさっき危なかったじゃないか。大丈夫だと思っていたから、危なかったじゃないか。
 そういえば。
 いつの間にか、前田さんのうちのほうから、もう談笑は聞こえなくなっていた。笑い声は消えていた。さっきまでここにいたクマは、きっと前田さんのうちの元いた場所に戻ったのだろう。ということは、少なくともクマは前田さんのうちへ入ったはずだ。もしかして。前田さんは。クマに。あのおじさんも。あのおばさんも。クマに。
 寝返りを打つふりをして、顔だけ壁のほうに向ける。ぼくは寝ているんだ。寝ている以上、目は開けない。夢から覚めない。寝ているんだ。寝ているんだ。そうだ。虫の音も聞こえない。何も聞こえないんだ。風も感じない。ぼくは寝ている。暑苦しくても、布団を剥いでも、ぼくは寝ている。朝が来るまで。明日学校に行くまで。いつもの太陽がのぼるまで。
 ギィと、寝室のドアが開く軋んだ音が聞こえる。誰かがまた、この寝室に入ってきた。心臓がまた跳ねる。誰だ。別のクマか。いや。お母さんかもしれない。でも、まだクマがここにいたら。お母さんは。でも、やっぱりぼくはどうにもできない。目をつむる。つむったまま、寝たふりをする。「あーあ、布団剥いでるじゃない」あ。お母さんの声だ。起き上がってみると、顔がはっきり見えないけれど、青白い月明かりにうっすらお母さんの姿が浮かんでいた。まわりを見回してみるけど、クマなんてどこにもいないし、お姉ちゃんもお兄ちゃんも、明かりを消して布団にもぐってしまっている。「暑くて寝付けないのね」お母さんがかがんで優しく微笑みながらぼくの顔をのぞく。「大丈夫かしら。眠れるの」どうだろう。ぼくは今まで寝ていたのに、起きてしまったのだから、もう一度寝るのは大変だ。「じゃあ、お母さんのとこで眠る」うん。お母さんの部屋にはお父さんもいて、その部屋だけ冷房がある。お母さんたちは夜はタイマーをかけて冷房を効かせているから、きっとよく寝れるだろう。「おいで」お母さんはぼくに手を差し伸べる。その手を取って立たされ、手を引かれて寝室から離れる。寝室を出る前に振り返るけど、お姉ちゃんもお兄ちゃんも、ぴくりとも動かずに布団にこもっている。窓に取り付けられた網戸の向こう側、ちょうど見えるお隣の前田さんちの居間の明かりは消えていて、そこで何かが動く気配など寸ともしない。ただ静かな夏の夜だった。寝苦しくないから、きっと今度こそ朝まで寝れる。

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