さらし文学賞
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御面講


 いつもより早く、まだ暮れ泥む夕陽の射す中に用意された夕食に、娘は首を小さく傾げた。舌足らずに「どうして」と言うから「今夜はお祭りだから」と応えたものの、幼い娘にはお祭りというものが理解できていない様子だった。村の皆が綺麗なお着物を着てね、と説明をしようとも思ったけれど、どうせ着物も夜店も御囃子も何も知らないのだ、私は微笑みながら「すぐにわかるよ」とだけ言った。
 まだ箸も上手く使えない娘がたどたどしく素麺を食べている間に、宵山の準備に向かう夫を玄関まで見送った。普段は線も細く穏やかな性格の為に優男に見える人が、法被に鉢巻き、股引に足袋と祭り装束をまとって、日に焼けた腕や脚を露わにすると、ああやはり男性なのだなと思わせてくれる。
「行ってくるよ。あの子をよろしく」
 言葉みじかに、彼は玄関に飾ってあった兎の面を被った。細い竹籤を編み上げた骨に薄い紙を何枚を張り重ねて作った、可愛いというより古臭さを感じさせる面だ。逞しい男性の身体の上に乗っても、決して滑稽にも見えない。私たちの村の祭りでは、参加者全員が何かしら手製の面をかける決まりがあるのだ。
 出て行こうとする夫の、面の結びが曲がっていた。呼び止めて結び直してあげると、彼は恥ずかしそうに笑った。やはりどのように着飾ってみても、間の抜けた人の好い男性だった。結び目をちょっと触って確かめて、「ありがとう」と彼は今度こそ出て行った。
 長々と延びる影さえ見えなくなるまで見送るのが良妻かなと笑って、彼の面の結びも十分認められる間に玄関戸を閉めて食卓へと戻った。慣れない箸の扱いに苛立った娘が、箸を棒のように握って麺をぐるぐると絡めて食べていた。あちこちにつゆが飛び、彼女の顔もべたべたに汚れていた。「まったくもう」と拭ってやると、能天気にニヘラと笑って見せた。これは父親似だなと思った。おかしくて私が笑みを溢したのを見て、屈託のない笑みをかえすのもそっくりだった。
 遅々とした食事を時には手伝ってやりながら終えさせると、風呂に入れて髪を梳いて、浴衣を着せてやった。卸したての浴衣は、緑に囲まれた池の中をゆったりと泳ぐ金魚が鮮やかに彩られている。「綺麗だね」と私が言うと、「ほんとう、きれいきれい」と楽しそうに繰り返した。「きれい」は娘が最近覚えた言葉だった。祖父の池の緋鯉を見ても縁側に吊るした風鈴を見ても、目新しいものは全部「きれい」だった。
「綺麗だね」
 私は襟や裾を直してやって最後にもう一度そう繰り返した。
 それから私も用意をした。しかし、私が浴衣を着る僅かな間に娘が寝転がって裾をぐちゃぐちゃにしてしまっているのを見て、私が先に着替えるべきだったなと後悔した。参加者全員が面をかける村の祭りでは、面を汚すからと化粧をしない。せいぜい白粉をふる事はあっても、決して紅をひくことはしない。眉を書きもしない。だからこそ直ぐに支度は済むものと思ったのが間違いだった。
 ふたたび襟や裾を直してやって、ようやく私たちは宵山に出かける準備を終えた。家の灯りを落として、玄関に向かう。玄関には私の分と娘の分と、二つの兎の面があった。「これをかぶろうね」と面を手渡すと「きれいだね」と笑った。「そうね」と笑って、私はまず自分の面をかけた。それから娘の分をかけてやった。「暑かったら言うのよ、とってあげるから」そう言いながら、しっかりと紐を結ぶ。綺麗な蝶結びが出来た。
 そして私と娘は手をつなぎ、宵山に出かけた。

 いかにも田舎という言葉を体現しているような私の村では、この祭りは正月や盆、収穫の宴と並び、大きな催しだ。村の外れの山の上に建てられた神社から、神様を神輿にお乗せして、村の中心の広場にお連れして村人の健康を祈願する祭りなのだが、その御迎えと感謝とお見送りにと三日に渡って盛大な宴を開くのだ。村の家々が幾つもの夜店を設け、楽士となって祭囃子を奏で、舞台に上がって踊りを見せた。野良仕事を引退した爺様方の中には、来年の祭りを目標に生きていくと嘯くものもいた。
 参加者が面をかけるのは、禊ぎ祓えと祈願を行う本祭をのぞいた、祭りというより宴というべき部分だ。神輿を担ぎ出す時は担ぎ手はもちろん、宮司まで面をかけている。
 これは宴が好きな神様が、面をかけた人々に紛れて馬鹿騒ぎをする為だと言われている。嘘か真か、家ごとにかける面の種類は統一されているのだが、時々見た事もない種類の面をかけている奴を見るという人もいた。それは時には宵山に繰り出して射的場の景品を全て取っていったり、時には舞台に上がって見事な舞を演じたり、時には神輿の音頭をとったりしていたそうだ。神様がそれほど宴好きなら、村民はどうか言うまでもない。
 この村は田舎だが、バスを使えば一時間もかけずに都市に行ける。そこには大学まであった。私はずっとこの村にいて、毎年この祭りに参加してきた。多くの思い出がある。
 今私がしているのと同じように、母に連れられて参加した。母は厳しい人だったが、その日ばかりは特別だった。ねだったものを買ってくれ、何度も「良い子ね」と頭を撫でてくれた。疲れ果てた私をおぶって帰ってくれた。幼い頃は一年でも特別な夜だった。
 女児から娘と呼べる歳になると、母の手を離し、友人たちと共に繰り出した。その頃に、この祭のもう一つの面を知った。
 この祭りは、古くは嬥歌、つまり村の若い男女が性的解放のため、ひいてはつがいを誘う遊びをかねていた。面をかけるのは、一見して誰と誰が連れだっていたのか判らぬようにするためと、あるいは露見した場合にもその夜限りは言及しないという暗黙の約束のためだった。ただし、そのような不貞な遊びに限らず、男女が将来の誓いをなす場合も考慮して、かける面の象る獣が家を表し、細かい模様が既婚か未婚か、父長との続柄は何かを表して、個人が判別出来るようになっている。その模様は同族くらいにしか判別できないが、意中の相手や父長同士の議によって決定した許嫁には予め伝えられている。男はそれを頼りに女を探し、人知れず喧騒の中から連れ出して、歌を送ったのだという。
 神様云々という話は後付けなのか、それとも正真の起源なのかは今ではわからない。祖母が娘だった頃、若い娘の間では、きっと昔、お忍びの地方の豪族や王の隠語だったのだろうと実しやかに噂されたそうだ。
 母の手から放れた私の手を、いつしか別の人が握って、友人たちからも放れて、そして私は歌を送られた。彼は昔から古風な人だった。おかしくて私はついつい、子供が相手の言葉を真似るように彼へと歌を返した。時代錯誤だと私たちは笑った。
 それから私は兎の面をかけて、同じく兎の面をかけた人と手をつなぎ、夜の祭りに繰り出すようになった。いつも彼は思い出の歌を口ずさみ、笑った。
 彼が義父に代わって夜店に駆り出されるようになると、私は女房として後の宴の料理を作る妻たちの集いに参加した。裏にまわっても面をつけたままという事にちょっと笑ってしまったのを覚えている。女装した神様が握り飯を作っていたという噂話も忘れる事が出来ない。
 娘が生まれて、今夜に到るまでは家に残って子守りをしていた。この頃は子守りの幸せを感じる反面、祭りに行けない寂しさも大きく感じていた。
 多くの思い出があるが、最も印象的だった、忘れるにも忘れられない夜は、初めて宵山に繰り出した夜だ。あの夜の、初めて味わったラムネの甘みと、得体の知れない悪夢のような恐怖はいまでも、胸の内のどこかに、一緒に渦巻いて黒く粘ついた鉄漿の澱のようになって溜まっている。


 幼い時分、まだようやく右を右と左を左と言えるようになった頃の事だ。私は母に連れられて宵山に出かけた。その時の私は兎の面ではなく、実家の犬の面をかけていた。普段は夕を過ぎれば灯りも人の気もすっかり消えてしまって寂しい大路が、赤提灯を連ねた夜店が立ち並び、彩り豊かに着飾った人々が溢れかえり、目にも耳にもうるさいほどに賑わっていた。確か、迸る熱気にうんざりし、せっかく綺麗に着させてもらった浴衣の袂をばさばさと振って「はしたないからお止め」と叱られたのもその日だった。その年はいつにない酷暑だった。
 今思えば熱気に浮かされていたのかも知れない。それとも単純に経験のない夜更かしに寝ぼけていたとも考えられる。雑踏に踏みいって間もなく、私は熱気と共にごうごうと渦巻く音と光の奔流にさらわれて、意識も足取りもふわふわと不確かな状態に陥っていた。あれはちょうど風邪をひいた時に熱に浮かされて夢の中をさまよっているような感覚だったと覚えている。とにかく現実感を失っていたのだ。
 ただ白痴のように、手をぎゅっと母に握られて、色とりどりの雑踏の間を引き回されていた。あの頃はまだ母の手も大きくて、ぐいぐいと引かれるともう逆らえなかった。今こそあれは大人の腰ほどもない私が迷子にならぬよう、しっかり手結ぼうとした優しさだったとわかるが、幼児にはどうしようもない、暴力のようなものにしか感ぜられないものだった。夢現な、幼い私は突如良くない妄想におそわれた。
 今、私の手を握る母。その面差しは紙貼りの陳腐な犬の面に塞がれている。どうしてそれが母だと分かるのだろう。この繋いだ手か、否、この手は家を出た時、まだそれが母だと確信している時に繋がれたものではない。この手はいつ繋がれたのか。どうしてこの手は私をこんなにも強く握って、この音と光と熱の渦の中を引き回すのか。果たして、その犬の面の下には――。
 まったくどこからやってきたのか、それこそ闇の中から襲ってきたとしか思えない、夢魔とも言うべき妄想だった。だが、悪夢の恐ろしきは、明らかに異常な因果に気がつけず、ただその刹那の感情と思考が絶対的な真実としか思えないところにある。私はそのおかしな恐怖にすっかり支配されてしまっていた。
 面の下は母か鬼か。雑踏を抜けて着く先は家か山か。果たして、黒森の中の塗炭の闇に鬼に見えて、私はむしゃむしゃと頭から食われてしまうのだろうか。
 色とりどりの浴衣を纏った、獣を象った面をかけた下から笑い声を漏らす人々の合間を縫うように進む。四方から鮮烈な光が差し込む反面、そこかしこに底の覗けぬ沼のような暗がりがある。すっかり逆上せあがって胡乱となった意識には、今やすべてが夢鬼の饗庭だった。
 そして、私と母は急に人垣から飛び出して、視界の開けた場所に出た。夜店と夜店の合間にあって、濃い闇が溜まった場所だった。いよいよ私の恐怖は高まった。
「少しお待ちな」
 母が再び人垣の中に消えていくのを呆然と見送るしかなかった。
 目の前には獣を象るをかけた夢鬼どもの蠢く人垣、背には星明かりさえもない夜の山森。
 私は息を殺し、じっと浴衣の裾を握っていた。唇を噛み、泣き声が漏れるのを必死に堪えていた。目尻に涙が溜まって風景が滲み、彩り豊かな光球の群れと化して、益々夢のごとく見えた。あるいは妖鬼の手によって私は蚤に変じられ、万華鏡の中に閉じこめられて弄ばれているようでもあった。
 その時、私は人垣の中に妙な人影があるのを見つけてしまった。皆が紙張りの獣面をかけているのに、彼だけは木から彫り出した立派な翁面をかけていたのだ。能に使われる立派な翁面だ。ただそれが、幼い私には老人の面には見えなくて、何か恐ろしいもののように見えたのだった。
 きっとあれが鬼の親玉だ。母に扮した手下が私を捕らえたと伝えて、食べに来たのだと、私はますます恐怖し、漏れそうになる泣き声を必死に堪えた。大丈夫、だって私もお面をかぶっているのだから、きっと私だとわかるわけがない。そう言い聞かせた。
 翁面は傍らに若い女性を連れていた。いや、その女性も面をかけていたから若いかどうか本来はわからないのだが、何となくそうわかったのだった。体つきがほっそりとしていたからか浴衣の柄が明るく賑やかだったからか、今でもわからないが、それでもあれは若い女性だったと思う。
 女性は私や母と同じ犬の面をかけていた。しかし、母ではなかった。
 翁面と女性は人垣の中を手をつなぎ、周りとあわせてゆっくりと歩いていた。流れに任せてゆっくりと私の方に近づいてくる。でもまだ、きっと私には気がついていない。彼と彼女は互いだけしか見ていなかった。
 このまま通り過ぎて。
 しかし、私の願いと裏腹に、私の前を通り過ぎようとする正にその時、翁面がくっとこちらを向いたのだ。大ぶりの面の眼窩と口の中に、僅かに顔が見えた。その目は確かに私を捉えていた。
 そう認めた瞬間に、首筋を何か冷たいものが触れた。
「ひっ」
 ついに恐怖が声となった。総毛立ち、自然と肩と背に力がこもって、ちょうど仔猫が威嚇するような形を、体が勝手にとった。
 くすくすと笑った声は母のものだった。振り返れば、母がよく冷えて水滴を滴らせるラムネ瓶を持って立っていた。
「ごめんねぇ、驚かせちゃって」
 蓋をぐっと押し込み、栓の役目の硝子玉を落とすと母はそれを優しく私に持たせてくれた。その水色の硝子瓶は幼い私の手には大きく余った。
「お飲み」と言われて、初めて私は正気を取り戻した。金縛りが解けて、得体の知れない恐怖から逃れ得た。
 人垣の中にあの翁面の男と犬面の女性を探したが、後ろ姿では誰がそうだったか見つけられるわけがなかった。
「どうしたの、飲まないの」
 母はかけた面をちょっとずらして、もう一本、自分の為に買ってきたラムネの栓を開けた。「おいしいわよ」とちょっと口に含み、笑った。
 私も母に倣って面をずらし、おっかなびっくり、瓶を少し傾けて仄かに甘い香りのする液体をちょっと舐めた。けれど、それでも十分にラムネの甘さを感じる事はできた。私は水飲み鳥のように何度も、瓶を少し傾けては、ラムネ水の水面をちょっと舐めた。その度に、喉から胸までいっぱいに詰まった熱気を少しずつ冷やしてくれて、気づいた頃には先ほどまでの浮かされる感覚もどこかにいってしまっていた。
 私は母の袖を引いて、あの人影のあった方を指さした。あそこに変な人がいたのだと訴えた。見た事もない動物の、白い眉毛とひげの生えた面をかぶった人だったと必死に説明した。
「それは神様よ。お爺ちゃんのお面をかぶった人はね、神様なの」
 母は口角をちょっと上げてそう言った。
 隣に犬のお面をかぶった人がいたよ、犬のお面をかぶった人は私の家族だよね、誰なのかな。そう聞くと母は口角を上げたまま、ちょっと眉を寄せた。
「それはきっと大伯母さんよ。お父さんのお母さんのお姉さん。ちょっと難しいかな」
 大伯母さんは神様と仲がいいの。母は少し首を傾げた。
「そうね。お母さんとお父さんも仲がいいでしょう。大伯母さんと神様も一緒。大伯母さんは神様と結婚したの」
 へえ、じゃあ私もあの子と結婚する。無邪気に将来の夫となる幼馴染の名前を口にすると、母はにこりと優しい笑みを浮かべ、私の頭を撫でた。「そうね。そうなるといいわね」そして犬の面をかけ直した。
 私がたっぷりと、手にした瓶が温くなるくらいの時間をかけてラムネ水を飲み干すと、母は私の口をそっと拭って犬の面をかけ直させた。それからふたたび私の手をとって人垣の中へと戻っていった。
 やはり人垣の中は、光と音と熱気が渦巻いていた。すぐに疲れを覚えて母の顔を見遣ったが、先ほどまで夢鬼に拐かされる妄想にふたたび脅かされて、私はそれから家に帰るまですっかり黙ってしまった。母も私を気遣ってか、何も言わなかった。


 あれが噂の神様だったのかもしれない。
 だが私はそれを誰にも確かめなかった。それを口にする事に言い様のない恐怖を感じるからだ。大伯母という言葉を理解した後も、家族に大伯母がどのような人だったか訊ねなかった。母に、なぜあの若い女性が大伯母なのかも訊ねなかった。
 訪ねる必要はなかった。
 それから翁面をかけた、神様を見ることもなかった。
 今日までは。


 私がそうだったように、娘は初めての祭りに熱に浮かされたようになっていた。私は人垣の隙間を探した。そこはラムネを売る店の向かいにある、なぜか開けた空間だった。
「ちょっと待っていてね」
 かつて母がそうしたように私は娘を待たせてラムネを買いに人垣にわけいった。
 その時に、実に二十年以上の時を経てふたたび私はあの翁面の男性を見た。あの時と変わらず、人垣の中心を人の流れなど意に介さぬように真っ直ぐに歩いている。そして獣ではなく人の翁の面をかけている。
 神様は私の方を一瞥してから、あの時と同じに、娘の方を見遣った。娘は私と同じように背を丸めて体を小さくし、息を殺すようにして神様をじっと見つめている。
 ただあの時と違って、神様の隣には誰もいなかった。
 私はラムネ瓶を一本買って、そして人垣の中へ入った。

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