FC2ブログ
さらし文学賞
スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

スポンサー広告 |


無知覚分子と天体観測

 空から女の子が落ちてきた。
 ビルの屋上で夜空を眺めていたわたしの上に、落ちる、といい表すにはあまりにゆっくりと降下してきたそれはあたりまえのように美しく、なにものも身に纏ってはいなかった。
 両手を投げ出して寝ころぶわたしの胸に飛び込むようにして、彼女はわたしの唇に自身の同じものを重ねようとした。わたしはとっさに避けて、口の中を傷つけてしまう。かすかな血の味が口のなかに広がった。
「ああ、ごめんよ」
 そうして彼女は、わたしに口をきいた。
「痛かったかい」
 唇の裏辺りがひりひりとしみてきて、ここが夢の中ではないのだと理解させられた。
「あなた、だれ」
 恐怖も震えもなかったけれど、言葉を発するのはそれが精一杯だった。
「私は天使だよ」
 裸の少女はそう、涼やかにささめいた。
「いきなり何をしたの」
 わたしは口元を押さえた。天使と名乗った彼女はうっすらと笑みを浮かべて、わたしの首に細い腕を絡ませる。口付けだよ、とにべもなく言った。
「口付けね。そんなもの……」
「意味ならあるよ。私の遺伝子の一部はすでに、ここにある」
 天使はその白い指先を、わたしの唇に添えた。

  *  *  *

 
動物的な生殖についての知識を得たのはずっと前のことだ。なぜ性差というものが有り得、恋愛感情が発生するのか、一定の知識は持ち合わせていた。夢のような甘い口づけでも子孫は残せない。そんなことはとっくの昔に知っている。
 いつまでも駄々をこねるわけにはいかないのだ。白馬の王子様は現れない。口づけは究極には至らない。甘美な終焉になりえない。わたしたちは遺伝子をつたえてきた。そしてこれからも、それは受けつがれていかなければならないのだ。
 だからこそかんに障る。
「ね、今夜行こう、星を観にさ、」
 いまわたしの周りをさながら反復横飛びのように行ったりきたりしながら話しかけてくるこの男が、だ。さっきから無視しているのに、どうしてこうもしつこいのか。
 男女二人で星を観に行くって?
 笑止。
 そんなつまらないものにつきあう義理などない。
 たとえ、この男の最終的な目的が生殖にあったとして、わたしにも選択の余地というものがあるだろう。いやいや、むしろ生殖に伴う快楽ばかりに夢中で、いざ受精と相成ったら嫌がる手合いである可能性の方が遙かに高いではないか。
 無視無視。
「ねえ、ね、ねぇってば」
 ああもう、うるさいなあ。
「二組の京子ちゃんも行くって言ってるしさ、ケントも勇も乗り気なんだよ。ね、美弥子さんもおいでよ」
 あれ? 二人で行くんじゃなかったっけ。わたしの聞き間違いだったかしら。
「みんな行くなら、行くわ。わたしてっきり……」
 いやいや。わたしはそこで口をつぐんだ。こちらのエラーをわざわざ報告することはない。
「よかった。場所は廃ビルの屋上だから、日が暮れる頃待ち合わせね」
 男は、紙切れに書かれた簡単な地図を寄越すと、さっさとどこかへ行ってしまった。わたしは中断されていた帰り支度をすませて帰途につくことにした。季節は夏。日はまだまだ長いのだ。

 なるほどなるほど。あの男、作図能力は充分評価の対象となりえる。わたしは、さして迷うことなく古ぼけたビルにたどり着くことができた。
 あたりを見回したがわたししかいないようだ。まあ、今やっと夕焼けが西の空を染め始めた頃だからな。夜はこれからこれから。のんびり待つとしよう。
 
 さて、わたしはその後30分ほど待っていたわけだが、誰一人として姿をみせない。
 このあたりはどうも寂れゆく過程にあるらしく、ぽつりぽつりと配置された電灯以外に明かりはなく、民家もほとんど存在しない。年頃の女の子なんかは、寂しかったり不安だったりするんだろうな。
 ああ、わたしもそうか。
 まあいい、とにかく誰かこないのか。大人数で星を観るんだろう? 集団で時間にルーズとはやっかいだな。
 おやおや、やっと主催者のご到着か。
「ごめん、待ったかな」
 その妙になれなれしい言い回しは是非やめてほしいものだな。
「いや、ついさっき着いたばかりよ」
 ……デートか!
 いけないいけないなんてセルフつっこみをしてしまったんだそもそも暗い中待ってたんだから文句ぐらい言ってもよかったのにもう!
「実は、言いにくいことなんだけど、今日くるって行ってたみんな、急に用事ができたらしいんだよ」
 な。な?
 何だって、とは言わないからなわたしはしかしどういうことだおいそんないっぺんに急用が発生するわけないだろていうかホントに男女二人で天体観測とか聞いてないぞわたしは――
「悪い!」
 突然男は、顔の前で手を合わすと、謝罪のジェスチャーをした。
「……今回は中止ってことでいいかな」
「ああ、いや、でも」
 サンクコストは回収できないから意志決定には関係ないなんて言ってるのは経済学者くらいのものだからな。何しろ女の子が暗い中一人で待ってたんだからな、もったいないからな。
「せっかくだから、観ていかない?」
 わたしはそう問いかけた。語尾を上げれば何でも「問い」だ。つまり、決定するのは、向こう側。責任を負うのも向こう側。
「うーん、ケントが持ってきてくれるはずだった望遠鏡もないしなあ」
 煮えきらないわね草食系。
「あんまり女の子に恥かかせないでほしいな」
 ……言ってやったぞ。こいつは最後の切り札だ。これで何ともない男がいるわけないじゃない。
「ああ、うん、ごめん。待ちぼうけさせたことは謝るよ。本当に悪いと思ってる」
 そういうことじゃねえよ!
「行きましょう」
 わたしは彼の手を引いて、廃ビルの敷地内へ入っていく。立ち入り禁止? そんなもの関係無いわよ。
「え、ちょっ、待ってよ」
「悪いと思ってるんでしょ?」
 ぐいぐい引っ張って、非常階段を一気に屋上までかけあがる。
「ねえ、星なんか観て、あなたたちはどうするつもりだったの」
 六階分の階段は、一度に上るには手強い。息を荒くしながら、わたしは彼に問うていた。
「それって楽しいの? 何でわたしを誘ったの」
 どうしてわたしはこんなところで全速力なんだっけ?
「楽しくなかったらどうしてこんなまねするのさ、君は」
 彼は言い返すけれど、わたしは楽しんでなんかない。ただ意地になっているのだ。埋没費用を掘り返しているのだ。
 本当に星をみたいの? あなたたちは、わたしたちは、それ以外の目的で動いているのではないの? 生殖に付随するノイズに惑わされているだけでしょう。そうじゃなければわたしはなにを必死に避けてきたの。
 どうしてあなたは帰ろうとしたの。
 どうしてみんな急用なんてできたの。
「ついたわ」
 だっれもいない、ふたりっきりの、よるの、おくじょうよ。
「ねえ、今夜の星は、きれいなの?」
 彼は座り込んでしまった。意外と体力無いのね。
 
 *   *    *

「私の遺伝子の一部はすでに、ここにある」
 そう言って天使と名乗る彼女は、わたしの唇に触れた。
「どういう意味よ」
 そのままの意味だよ、と天使は笑う。
「私は寄生虫に巣くわれているような状況にあってね。今のキスで君にも感染させたってわけさ」
 へらへらしたまま彼女はとんでもない事実を私に告げた。
「なんてことを……」
「健康には特に害はないんだよ。ま、吸血鬼にかまれたと思えばいい。君も今日から吸血鬼。よろしく」
「あなた自分は天使って言ったじゃない」
「天使だよ。そして吸血鬼でもある。けど、もっとわかりやすく言えば、ある特定の分子構造を伝える為の存在だね。いいかい、生存競争は種全体で行われるか。否。では個体間では。これも否だ。何せ個体は死ぬのだよ? 『遺伝子』とは『遺』し、『伝』える物なんだからね、当然だ」
 私たちは、遺伝子の仮宿なのさ。彼女はそう言った。
「だからさ、個体が生殖について悩む必要なんかないんだ。遺伝子のせいで、君だってずいぶん恥ずかしい思いをしたろ。こんなところに男女二人きりなんてさ」
 彼女が目をやった先には彼が仰向けになっている。さっきまでのわたしのように両手を広げて。時間ごと静止したみたいに、ピクリとも動かないけれど。 
「でももう、大丈夫! ひとまず私のおかげで吸血鬼になった君は有性生殖からは解放されました。おめでとう! でもね、代わりに生き物にキスしたくなる衝動が『遺伝子』によって生み出されるんだ。私の送り込んだ『遺伝子』ってのは地球上の生物の持ついわゆる遺伝子とは根本的に違って、個体の管制を後から奪うことができるんだよ」
 彼女は、きっと心地のいい笑顔で、わたしにそう言った。
「もう君は、男性に対して何の性欲もわかないよ。ただ、『キスしたい』っていう乙女みたいな感情を抱いて生きるんだ。そうだね、私は天使で、吸血鬼で、王子様なんだ」
 すっ、と彼女は顔を寄せ、耳打ちする。
「じゃあさ、続きをしようか、キスの。彼の寝てる隣で。大丈夫、今度は上手くやるからさ、痛くしないよ」
 彼女の創った傷が、かすかにうずきはじめる。




スポンサーサイト

第二十二回さらし文学賞 | trackback(0) | comment(0) |


| TOP |

comment











管理人のみ閲覧OK


trackback

trackback_url
http://pilloryofprize.blog57.fc2.com/tb.php/203-03330e29

| TOP |

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。