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さらし文学賞
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見える男

 神谷君のことは以前から知っていた。いくつかの授業で一緒になったことがあるだけで、知り合いでもなく、むしろ言葉を交わしたことさえない。けれど、ある理由から彼はとても目を引いたから、密かに広く名前が知れていたのだ。
 容貌はいたって普通、人ごみの中にいたら間違いなく埋没してしまいそうな、人並み。授業のときにしか会わないためかもしれないが、常にむっつりとしたような無表情。誰かと特別親しくしている様子はなく、いつも一人で教室の中ほどの端っこにひっそりと座って、静かに話を聞いている。
 そんな彼が目を引く理由は、彼の不思議な挙動にあった。授業中、騒ぐでもなく、居眠りするでもなく、携帯電話をいじるでもなく、本を読むでもなく、授業を受けている彼なのだが、やけにせわしない。頭を緩く振ってみたり、手を払うようにしたり、何気ない動作ではあるのだが、頻繁ともなると目に付いてしまう。本当に些細なことなので悪目立ちするわけでもないのだが、たとえそれが視界の端でも動いているものは嫌でも気になってしまう。
 動作の意味するところは多分、前髪が目にかかって煩いとか、虫が纏わり付いてくるとか、そんな他愛のないことだと思われるのだが、しかし頻繁すぎるように思うのだ。
 そのせいで、彼はちょっとした有名人だった。同じ教室に姿を見つけると、「お、あいつが例の」という風に密かに奇異の視線でしばらく観察される、というような、珍獣のような扱いだったが。
 私は、彼に大いに興味を持った。と言っても、野次馬根性から来る好奇心ではなく、一個の人間としての彼に興味を持ったのだ。そのとき彼の不思議の挙動は、私にとっては彼を気にするきっかけでしかなかった。
 陳腐で大げさな言い方をするならば、私は彼に一目惚れしてしまったのだ。

「神谷君だよね?」
 彼は少しこちらに視線を上げて、「あ、そうですけど」と言った。その視線には、いぶかしみと煙たがりが見て取れた。
 私は簡潔に自己紹介し、隣に座って良いか尋ねた。彼は、「なんだこいつは」という顔のまま、勢いに押されて「どうぞ」と椅子の上にあった鞄をよけてくれた。
「神谷君てさ、木曜二限の授業も受けてるでしょ? 私も受けてるんだ」
 せめてもの共通の話題をふるが、当然のように彼の反応は優れない。「へぇ……」と気のない返事をしつつ、手元のシャープペンシルを見つめていじくり回している。戸惑いと言うよりも、はっきりとうざったがられている。
「あのさあ」
 埒が明かないと思ったので、無理やり本題に入る。
「授業中、神谷君いつも首振ったり手振ったりしてるじゃない? どうして?」
 私がそう言った瞬間、ぴたりと彼は全ての動きを停止した。え、とそれに私も思考停止しているうちに、何もなかったかのように彼は速やかに机の上に広げたノートもシャープペンシルもペンケースも綺麗に鞄にしまって、立ち上がった。私が混乱していると、彼は「行くよ」と言って、さっさと歩き始める。慌てる私を尻目に、どんどん教室から出て行く。
 彼を追い、教室を飛び出した私は教室の扉で担任講師とすれ違った。彼は、廊下のはるか先を当然のように歩いていた。

 着いた先は、学食だった。彼は授業のときと同じように、ひっそりと隅の席に腰を下ろしていた。息の上がった私が席に着くと、「さっきのことだけど」と話し始めた。その間も、しきりに手を顔の辺りで払うようにする。
「なんでもないから、本当になんでもないから、気にしないで欲しい。だから、あんまり関わってこないで」
 それだけ言うと、彼はおもむろに立ち上がって立ち去ろうとするから、急いで引き止める。迷惑そうな顔をする彼をなんとか留まらせようと口を開いた。
「そんなこといっても、神谷君、すごく有名だよ。別に陰口言ってるとか、嘲笑ってるとかじゃないけど、みんな気になってるんだよ、神谷君のこと」
 別に、それは彼のことを傷付けたり馬鹿にしたりするために発した言葉ではなかった。ただ私も先ほどからの彼の態度に困惑していて、混乱していて、どうにか自分のペースに彼を持っていこうとして言ったのだ。けれど、それを聞いて彼は心底うんざりした顔をした。
「他人はこれだから嫌になる。こっちに事情があるのも知らないで、変だって言うだけで勝手なことを言いふらしたり遠巻きにして見世物扱いしたりする。しまいには、こういう野次馬根性の連中が興味本位で近づいてくる。――もうたくさんだ」
 彼はもう私の方を見ていない。独り言のように、ぶつぶつとそう呟いた。そして、すっと視線を上げて、私の目を見て彼はこう言った。
「迷惑なんだ。笑いものにしたいならすれば良いけど、僕に関わりのないところでしてくれ。もう話しかけてきたりしないで」
 そう言ってまた、彼は立ち上がって今度こそ立ち去ろうとした。私は慌てて、彼の誤解を解こうと立ち上がって強い声で言った。
「違うの。私はそういうことを言いたいのではなくて、――ええと」
 言いよどむ私を、彼は思い切り不審の目で見る。
「――神谷君のことが気になるんです。仕草がどうこうじゃなくて。だから、お付き合いしませんか?」
 神谷君は、理解不能、と言う顔をしてしばらくかたまり、やがて私に背を向けて立ち去った。時折、緩く首を振りながら。

 その日から、私は授業で彼を見かけるたび隣に座り、弾まない会話を無理にした。最初は徹底的に無視された。そして周りから好奇の視線を山ほど浴びた。
 それでも根気良く、しつこく続けていると、ついに彼は根負けしたように応えてくれるようになった。何気ない会話に、ぶっきらぼうな相槌を打ってくれるようになった。
 昼食に誘ったりした。始めは断られ、半ば強引に連れて行くようになり、渋々付いて来てくれるようになった。
 その間も、彼は不可思議な挙動をしょっちゅうしていた。その理由は、もう尋ねなかった。

 ある日の学食で、突然彼は酷く真剣な顔をして、「これからする話を笑わないで聞いてくれる?」と切り出した。私はもちろん頷いた。
「僕、見えるんだ」
 彼は、重々しく言った。私には意味が分からない。
「何が?」
 彼は、声を潜めて言った。
「音が、見えるんだ」
 私は何を言われたのかわからなくて、少し椅子の上で身じろぎした。そのせいでがたりと椅子が鳴ったとき、彼は嫌そうに顔をしかめて、ゆるゆると首を振った。
「それだよ。その音が、僕には見える。纏わりついてくるんだ」
 彼によると、話はこうだった。
 彼には、音が文字で見える。文字になった音は羽虫のように、彼に纏わりついてくる。文字になるのは擬音語の類で、決して人の話し声が文字になって襲ってくることはない。それは多分、言葉は言葉であって、音だとは彼の頭が認識していないのだ。
 彼はそれが当たり前だと思っていたから、他人もそうだと思っていたから、何の気なしにそれを言うと、気味悪がられたり馬鹿にされたりして、友達もできないし人間不信にもなった。だから誰とも話さず、関わらずにいるようにしていた。
 そんなようなことを、彼は訥々と語った。
 それで、彼の不思議な行動も、一人でいることも、初めて私が話しかけたときに言われた言葉も、全てが繋がった。彼は、纏わりついてくる音を払っていたのだ。彼は、自分を守るために一人でいたのだ。彼は、もう人を信じることにうんざりしていたのだ。その間中、悩みの種は彼を悩ませ続けた。風の音も、誰かがノートをめくる音も、教授が使うチョークの立てる音も、自転車のベルも、存在するありとあらゆる音が、彼を惨めな気分にさせ続けた。
「君なら、言っても大丈夫かと思って」
 彼はそう言ったものの、葛藤しているようだった。裏切られるかもしれない。信じてくれないかもしれない。信じて欲しい。受け入れて欲しい。そんな顔を、していた。
 私はようやっとこの状況に至って、気付いた。彼を肯定するとか励ますとか、そんな簡単なことで彼のことを済ますことなどできないのだ。彼のことを本気で考えて、一緒に悩んで、それでも彼のことを本当の意味で幸せにすることなどできないかもしれないのだ。
 私は、軽く物事を考えすぎていたかもしれない。彼は、私と一緒にいるときも、このことを話してくれるのを決めるときも、死ぬほど悩んだだろうに。
 私は彼に、申し訳なくなって黙り込んだ。そんな私の様子を見て、彼はしばらく黙って、やがて「出ようか」と静かに席を立った。私も後に続いた。

 彼を悩ませるだろう物音がひっきりなしに響く校内を、黙って歩いた。意識すると、こんなにも音があったのかと驚くくらい、うるさかった。その全てが、彼を責め続けているのだ。文字になって。虫のように纏わりついて。それを考えると、ぞっとした。でも彼は、ずっとひとりでそれに耐えてきたのだ。
「神谷君!」
 堪らなくなって呼びかける。彼は振り向く。垂れ下がってくる前髪を払うように、手で目の辺りを払いながら。
「私ね、神谷君の気持ち全部理解してあげられないけど、でも、私神谷君と一緒にいたいの。神谷君が困ってること助けてあげられないけど、私は神谷君のそばにいるから!」
 彼は驚いた顔をして、少し呆れた顔をした。
「君は、いつも強引だね」
 私は彼に駆け寄って抱き付いた。彼は、そんな私を抱き締めてくれた。

 ――ほんの一瞬だけ。
 彼の腕が私の背中に回るか回らないかしたとき、彼は私を突き飛ばした。突き飛ばしたというより、彼は私を突き放すようにして後退ったのだ。よろけた私は呆然と彼を見た。
 彼は、耳を両手で押さえて、脂汗をかいて、ぶつぶつ呟いている。何を言っているか良く聞こえない。彼は私の方を見もせず、無我夢中といった体で駆け出した。
 すぐに、その背中は見えなくなった。

 思うに、あのとき彼には見えていたのだ。彼を襲う、無数の文字。聞こえてくる生活音や物音の文字とは比較にならない量の、羽虫のような文字の群れ。
 それは、抱き締めることによって直に肌に感じた私の鼓動や、呼吸音や、筋肉や骨の軋む音、内臓の運動音、その他人間が生きていくために不可欠な身体の働きの音だった。彼が、その身体の内に当然のように持ちながらも、当たり前すぎて、意識しないその音。
 それがいっぺんに彼に纏わりついてきたのだ。恐ろしかったに違いない。だから、彼は耳を塞いだのだろう。払うくらいではどうしようもなかったのだ。
 あれ以来、彼を教室で見かけなくなった。しばらくのうちは、根も葉もない、無責任な突拍子もないような噂がもっともらしく囁かれていたが、それも最近は聞かない。

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