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さらし文学賞
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「し」君の悩み事

 幼児がひらがなを覚えるのに使うあいうえおポスター。その中にひらがなが暮らす、ひらがなの世界があるという。
 彼らひらがなの使命は、文字媒体として、人間の意志を伝えること。今この文章を書いている時にも彼らは活躍している。しかし、彼らだって人間に使われてばかりで不満がないわけではない。むしろ、不満を抱えてノイローゼになった者もいる。今回はそんなひらがなの話だ。
 あいうえおポスターの右から三番目、上から二番目に「し」君が住んでいた。縦棒の先を右に曲げただけという、シンプルな体型をしている。隣にいる「き」君と比べると、なんとも貧弱な体だ。「し」君はこの体そのものがコンプレックスだった。
 彼の悩みはそれだけではない。むしろ、もうひとつの悩みのせいで、彼はひどく落ち込んでいた。いつもため息ばかりついているので、「さ」さんや「す」さんに何度文句を言われたことか。「せ」君は引っ越しを考えているくらいだ。
 相変わらず今日も「し」君はため息をついていた。
「なんかすごい落ち込みようね」
 「し」君にとって聞きなれない声がした。「い」君や「か」君ならよくその声を聞いているだろう。辞書で一番はじめに登場する「あ」さんだ。あまりにも「し」君が落ち込んでいるので、どうにかできないかと、「さ」さんが相談を持ちかけたのだった。
「それで、どういう悩みなの」
「確か、人間に対して不満があるみたいよ。そうでしょ、『く』君」
 「さ」さんに話を振られて、「く」君は重い口を開いた。
「そうだよ。人間のやつめ、余計なことをしやがって。『あ』さんも人間にはむかつかないかい」
「まあね。人間ってやたらと私を使いたがるでしょ。マイクテストの時も『ああ』って言うじゃない」
「人間に人気があって結構じゃないか」
「そういう捉え方もあるわね。でもさすがに、あれは困るな。ほら、最近人間はテレビゲームっていうのをやり始めたでしょ。あれで名前を入力するとき、私を乱用するのはやめてほしいな。私が五つくらい並ぶと、なんとも味気ない印象を与えちゃうからね」
 テレビゲームをやったことがある人なら、一度くらいは名前入力で「あああああ」と手抜きをしたことがあるだろう。名前を軽率に扱うなというのは、全ひらがなの主張である。
「でも、僕が悩みはそんなものじゃないんだ」
「そんなものって、一体何に悩んでいるのよ」
 思わず強い口調で「あ」さんが詰め寄る。その態度に「し」君はたじろいだが、ようやく悩みの本筋を話し始めた。
「もとはと言えば、僕らの祖先の漢字がいけないんだ」
 漢字は五、六世紀ごろ日本に伝えられ、それが文字の使用の始まりとされている。その後の平安時代に漢字を基にしてひらがなとカタカナが作られた。ひらがなたちにとって、漢字はご先祖様にあたる。そんなご先祖様の意味や読みを伝えるのにもひらがなは活躍している。
「知っていると思うけど、漢字の中に『死』ってのがあるだろ」
「ええと、生命体がその命を失って、天に召される。そんな意味だったわよね」
 「あ」さんは「さ」さんの同意を求めた。異論はないと、「さ」さんはうなずいた。
「なんで、そんな不吉な漢字の読み方が『し』なんだよ」
 そう言うや、ひときわ大きなため息をついた。
「うーん、これは難しい問題ね」
「だって、『死』の読み方を決めたのって人間でしょ。私たちにはどうすることもできないじゃない」
 「あ」さんと「さ」さんはすっかりお手上げのようだ。まさか今更「死」の読み方を変更するわけにはいくまい。この先人間が滅びるまで、不幸な言葉を伝えなくてはならない。こんなつらい宿命があっていいのだろうか。「し」君がノイローゼになるのも分かる気がする。
 思わぬ難問に突き当たって手をこまねいている時だった。
「ほう、若いの考えごとかね」
 老人独特のしわがれ声がした。ひらがなたちの最後を飾る、長老「ん」氏である。「し」君がひどく落ち込んでいるという噂は、た行、な行、は行、ま行、や行、ら行と伝わり、ついに「ん」氏が属すわ行にまで伝わった。もの好きで知られる「ん」氏は、どれほどの落ち込みようか知ろうと、はるばるさ行までやってきたのだ。ひらがなたちの住処は人間界のマンションと酷似しているので、基本的にどのひらがなとも容易に会うことができる。ご老体には階段がきついくらいだ。
 思わぬ助っ人の登場に目を輝かせる「あ」さん。さっそく、「し」君が悩んでいることを話した。
「なるほどな。しかし、お前さん。それはわしにとっては贅沢な悩みじゃぞ」
「贅沢な悩み?」
「左様。なにせ、わしは単体ではなんの意味も表わせない」
 確かに、「ん」で表せるのは、感動詞で承諾の意味がある「うん」の代用くらいだ。
「それにしりとりも憎いのう。わしが最後についたら負けになってしまうからな」
 これは、んで始まる語がないからである。補足しておくと、んで始まる単語は広辞苑の中ではひとつだけ存在する。アフリカ中部、チャド共和国の首都である「ンジャメナ」だ。ただ、実際のしりとりでこの単語が使われることは滅多にないだろう。
「他の四十九のひらがなたちと比べると、わしは随分ひどい扱いを受けておるんじゃ。わしも若いころは悩んだものじゃった」
「まあ、長老の話には同情するよ。でも、なんか釈然としないんだよな」
 こいつは強敵じゃなと、困ったというよりウキウキしながら「ん」氏は続けた。
「そもそもお主単体で漢字の読みを表せるのが、わしにとってはうらやましいことじゃて。ほれ、『四』という漢字があるじゃろ」
「ああ、確かに僕だったら一人でも読みを表せますね」
「だろう。ところがどっこい、わしの場合は、『よ』君と組み合わさなくては、『よん』と表せないんじゃ」
「なるほど。『ん』氏だと協力しないと表せない言葉を『し』君ならひとりで表せる。素晴らしいことじゃない」
 「あ」さんに結論を言われて、「ん」氏はふてくされた。
「ともかく、お前さんも一人でくよくよせんと、たまには誰かと組み合わさったらどうじゃ」
「組み合わさるね」
 「し」君はふと「あ」さんを見た。彼女と組み合わさると「あし」になる。動物が歩行に使う「足」になったところでどうしろというのだ。「あ」さんの方も「し」君が考えていることがわかり、後ずさった。
「とりあえず、誰かいいパートナーを見つければいいじゃない」
 気まずい雰囲気を打破しようと、「さ」さんが提案した。
「パートナーか。でも、間違っても『ね』さんと組み合わさるのはごめんだよ」
 「し」と「ね」が組み合わさるとどういうことになるかはみな承知だった。この二人の仲が悪いというのも、ひらがなの世界では常識である。
「うーん、『し』君と組み合わさるか。組み合わさる。合わさる。合わせる……」
 眉間にしわを寄せていた「あ」さんだったが、ふと目を輝かせた。
「そうだわ。『し』君にぴったりのパートナーなら、あれよ、あれ」
「なんだい、あれって」
「それは見てのお楽しみ。でも彼を連れてくるなら、カタカナの世界に行く必要があるわね。ちょっと時間がかかるけど、待っていてね」
 そう言うと、「あ」さんはそそくさと出かけて行った。
 あいうえおポスターには、ひらがなだけでなく、カタカナが書かれているものがある。その場合、カタカナが住むカタカナの世界に行くことができる。家の鏡の裏がその通路になっているので、行くこと自体は楽勝だ。しかし、カタカナの世界はいわゆるミラーワールドなので、ひらがなの世界とは文化が真逆である。なので、話しを合わせるだけでもひと手間かかる。「あ」さんが時間がかかると言ったのは、交渉の時間を考慮してのことだ。
 「ん」氏たっての希望で緑茶をすすりながら待っていたところ、ようやく「あ」さんが帰ってきた。ひらがなの食生活も人間と似ているようだ。三時のおやつの時間だったのが、夕飯の時間になってしまっていた。
「なんだい、お困りですか」
 カタカナのしゃべり方は、外国人がしゃべる独特のアクセントをもった日本語と考えてよい。「あ」さんが苦労して連れてきたカタカナの世界の住人とは、「シ」さんだった。
「僕がもう一人合わさるわけ。それだと、『しし』つまりライオンの『獅子』になるけど」
「おう、レオ! かっこいいじゃないですか」
 「シ」さんの甲高い声から繰り出されるハイテンションボイスに「し」君は明らかにひいていた。「あ」さんは、咳ばらいして、「シ」さんを連れてきたわけを語った。
「確かに、『し』と『シ』が合わさると『獅子』ね。でも、普通に合わさっちゃだめなの。ちょっととんちクイズのように考えてみて」
「ええと、『し』と『シ』が合わさる。『し』が合わさる。『し』合わさる……」
「あー!」
「あ」さん以外の面子が声を張り上げた。とんちクイズの答え、それはずばり、
「幸せ」である。
「どう、あなたは人を不幸にするだけじゃない。ちょっとインチキだけど、人を幸せにすることだってできるのよ」
「こんな僕にだって人を幸せにできるなんて。そうだね、僕が落ち込んでいちゃ嫌な意味しか伝えられないや」
 字体が崩壊しそうなほど背伸びした「し」君の声に陰鬱さのかけらもなかった。
 それからと言うもの、「し」君のため息の噂は全く流れてこなくなったそうだ。
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