さらし文学賞
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かたらずの歌

 勝浦は、ちょうど夕飯時に帰宅した。そして、食卓のテレビがミュートになっていることに怒り出した。
「湖恵がいるときは、必ず音を聞かせろと言っておいただろう」
 そう言うと、自らリモコンを取り上げて、音声をオンにした。妻の美由紀は、苦しそうに眉を寄せた。それから、傍らに置いてあるメモ帳に、ボールペンでさらさらと走り書きをする。
『ごめんなさい。聞いてるとアタマがいたくなって』
 勝浦はそれを一瞥して、「湖恵のためだ」とだけ言った。その言葉が正しく美由紀に聞き取れたはずはない。しかし夫の意味するところは十分伝わっていた。
 一人娘の湖恵は、父親が母親に冷たくするのをこわごわと見ていた。そして六歳にしては大人らしい気遣いで、「お父さん、今日の肉じゃが、おいしいよ」と明瞭な発音で声をかけた。それを聞くと、勝浦もつい微笑んで、「それはいいな。さっそくいただこう」と答えるのだった。

 勝浦は、俗に「絶対五十音感」と呼ばれる能力を持っていた。これは、ほんの数十年前までは、日本人のほとんどが当たり前に持っている力だった。その頃は、人が声で会話をするのが普通だったのだ。
 絶対五十音感とは、「あ」という音を聞いて、それを「あ」だと認識できる感覚だ。「あひる」を「あひる」と聞き取れるから、人はそれを聞いてあひるを想起することができる。
 しかし、あるときから、それができない者が急増した。聴覚に障害があるわけではない。音楽を楽しむこともできる。しかし、言葉を聞き取れないのだ。「あ」を聞いても、何か意味のわからない音としか感じられず、それが「あ」に該当するということがわからない。聞き取れなければ、いきおい喋れなくなる。それまで行われてきた通常の会話は、成立しなくなってしまった。
 原因は不明だったが、この症状は瞬く間に日本中に広がった。現在では、成人の中で絶対五十音感を持つ者は、全体の一割弱に過ぎなかった。

 字幕付きのクイズ番組をテレビで流しながら――最近は、ほとんど全ての番組に字幕が出るようになっていた――、勝浦を交えての夕食は進んだ。湖恵は時折食べるのをおろそかにしてテレビに熱中するが、勝浦はそれをあまり注意しない。テレビから流れる声は、はっきりした発音のものが多いので、湖恵にはなるべく聞かせるようにしていた。 
 コマーシャルに入ったところで、湖恵は勝浦に話しかけた。
「あのね、今度の土曜日、合唱団の発表会があるの。お父さん、来られる?」
 湖恵は今年から地区の児童合唱団に所属しているのだ。美由紀に相談をもちかけられたとき、勝浦は喜んで賛成した。合唱となれば当然、歌詞を発音できる、絶対五十音感を持つ子供達が集まると思ったからだ。
 そもそも未就学児の場合は、半数が絶対五十音感を持っていると言われている。ただし近年は、両親とも会話が不自由という家庭も多く、その割合は減ってきている。
美由紀は結婚後に五十音感を失った。そのとき勝浦は、自分の子供の音感だけは何としても守りたいと決めた。湖恵という名前も、声にちなんでつけたものだ。
「土曜日か。午後からか?」
「うん、お昼ちょうど」
「そうか。たぶん大丈夫だろう。母さんと一緒に行くよ」
 美由紀が曖昧に微笑んでいるので、勝浦はペンをとって『土曜、合唱』と書いてやった。美由紀は嬉しそうに肯いた。そのときに、おそらく「はい」という意味だろう、意味の通じない唸るような声を発した。勝浦は、妻が傷付くとわかっていながらも、顔をしかめずにはいられなかった。
 合唱団は、音楽としての音感もそうだが、言葉の音感も鍛えられる、理想的な環境だ。その発表会に登場する娘の姿を想像して、勝浦は誇らしい気持ちになった。

 金曜日、勝浦は翌日に仕事を持ち越さないため、業務の処理に追われた。あるメーカーの営業部で働く勝浦は、部内で常に上位の成績をあげていた。取引などの際、双方とも口頭での会話ができれば、筆談などに比べてやり取りが早い。そのため、勝浦のように絶対五十音感のある者は重宝されているのだった。
「勝浦君、手があいたら、ちょっと」
 夕方近くになって、勝浦は上司に呼ばれた。この上司も、絶対五十音感を持っている人物ではあったが、最近は年齢のせいか口の動きがやや覚束なくなっている、と勝浦は気付いていた。
 書類を整理してから、上司の席に向かう。そこで告げられたのは、勝浦を喜ばせる内容だった。ユーザ対応部門のリーダー職をやらないかと打診されたのだ。勝浦は、ぜひ引き受けるつもりだった。
「ただ、条件があってね。いや、そう難しいことじゃないんだが」
「何でしょう」
「うん。君にはね、手話を勉強してもらいたいんだ」
 さっと勝浦の表情が曇った。
「もうね、五十音感のないお客様の方が、ずっと多いんだよ。ユーザ対応の責任者が、手話をできないというのでは困るからね」
「お言葉ですが、筆談をすればいいのではないですか。手話では、細かい数字や仕様などの説明が不正確になります」
「確かに、正式な契約の際などは文書を使って説明することになるさ。しかしね、円滑なコミュニケーションをするとなると、手話の方が適当なんだよ」
「私は手話を学ぶつもりはありません」
「今は、仕事だけじゃなく、どこでも手話ができた方が便利なことが多いだろう? 君よりもう少し下の世代だと、音感があるないに関わらず、誰でも手話ができるじゃないか」
 学校で手話を教えることが必修になったというニュースは、ずいぶん前に広まった。勝浦はそれを聞いたとき、絶対五十音感のある者にとっては非常に屈辱的なことだと思った。
「うちの社でもまもなく、管理職には手話の習得が義務化されるよ。遅すぎるくらいだ。君の優秀さは十分理解している。だからこそ、この機会に手話をやってほしいんだよ。スキルアップだと思って、な」
 ぽん、と肩を叩かれた。勝浦は、身体が震えそうになるのを抑えて、「考えてみます」と短く答えた。
 席に戻って、動揺を鎮めようと、缶コーヒーをぐっと飲み乾した。ちょうど終業のベルが鳴った。そこに、同じ課の小嶋がやって来た。小嶋は勝浦の二年後輩で、五十音感のない男だった。にこにこと勝浦に近付いてくると、短い文章を記したメモ用紙を示した。
『ムスメさん、あすの合唱会にでるんですよね?』
 勝浦は、怪訝な表情をすることで返事に代えた。小嶋は笑顔のままメモに書き足す。
『実は、うちのムスメもメンバーなんです』
 勝浦は驚いた。小嶋の家は、妻も娘も会話ができないと聞いたことがあったからだ。勝浦は、小嶋のメモを借りて、率直にそれを問うた。小嶋は素早く、しかし読みやすい字で答えた。
『五十音かんがなくても、合唱はできるんですよ。そんな子が、たくさんいます』
 勝浦はメモ用紙を穴の空くほど見つめた。自分の頬が紅潮していくのがわかった。

 その夜、湖恵が眠ってから、勝浦は美由紀を怒鳴りつけた。
『だってあなた』
 美由紀は涙目になってペンを走らせた。
『そういったら、コエを合しょう団にいれてくれなかったでしょう』
 ひらがなの多いカタカナ交じりの文が、勝浦をますます苛立たせた。勝浦は美由紀の手をなぎ払うようにペンを取り上げた。
「声で喋れ! 声で喋れ!」
 美由紀は頭を抱えてソファにうずくまった。勝浦は追い打ちをかけようと口を開き、そのまま固まった。
 ――声が出てこない。
 言おうとする言葉は頭の中にある。しかし、その音がわからない。どのくらい口を開ければいい? どんな風に喉を震わせればいい? どのように、舌を――
 恐怖が物凄い勢いで勝浦の背筋をなぞり上げた。泣きじゃくる美由紀を見下ろしたまま、勝浦は呆然と立ち尽くした。

 合唱会に出席するつもりは、勝浦にはなかった。湖恵に合唱団をやめさせることまで考えていた。しかし、何も知らない湖恵が、緊張と興奮のためか、そわそわと朝食を食べているのを見ると、勝浦には何も言い出せなかった。結局、彼は午前の内にコンビニへ行き、耳栓を買ってきた。
 昼少し前に、三人は揃って家を出た。会場は市民会館の小ホールで、合唱会は一時間程度だということだった。プログラムによれば、年少者から歌い始めるということで、湖恵の出番は最初だった。『サイゴの全体合しょうもでるのよ』と美由紀は勝浦に教えた。
 ホールの中ほどに席をとり、二人は開演を待った。正午になると、まず指導者の女性が壇上に現れ、手話交じりで挨拶をした。それからプログラムに入り、湖恵を含む年少のグループが、指導者のピアノ伴奏に合わせて、童謡を二曲歌った。音程はたどたどしいところもあったが、皆がきれいな発音をしていたので、勝浦は満足だった。湖恵が礼をすると、惜しみなく拍手を送った。
 次いで、五十音感の不自由な子供達が壇上に上がった。勝浦は耳栓を取り出して装着した。それに気付いた美由紀は、一瞬夫を咎めようとする素振りを見せたが、呆れたようにため息をついて、そのまま座り直した。勝浦は、何か自分が非常な悪者であるように感じた。
 そのとき、美由紀が勝浦の肘をつついた。促されてホールの後ろを見ると、そっとドアを開けて入ってくる小嶋とその妻の姿が見えた。小嶋は勝浦の姿に気付き、会釈しながら勝浦達の隣の席にやって来た。勝浦は反射的に耳栓を取ってしまった。
 小嶋が腰掛けてすぐ、ピアノ伴奏が始まった。勝浦はそのまま聞いているしかなかった。易しい旋律だったが、子供達は歌詞の言葉を歌えない。本当ならラララとでも歌わせたかったのだろう、と勝浦は想像した。しかしそれもままならず、十人くらいの子供達が発する音はばらばらだった。音程は正確だったのだが、勝浦にはそれも合っていないように聞こえた。
 美由紀が薄暗い中でメモ帳に何か書き、勝浦に見せた。読み取ると、「前レツ右から三人目、コジマさんとこのハルミちゃん」とあった。人一倍大きな口を開けて歌っている子だった。
小嶋の動く気配がした。勝浦が何かと思って見ると、彼は指で何か妻に言葉を送っていた。手話と言うのか、それとも指文字と言った方が正しいのか、勝浦にはよくわからない。とにかく、それを見た彼の妻は微笑んだ。ステージを見る二人の表情は柔らかかった。
勝浦は逆を向いた。驚いたことに、美由紀の表情も優しげだった。湖恵の歌を聞いているときと同じようだった。自分には不快とすら感じられる歌の、何が彼らを感動させているのか、勝浦にはわからなかった。勝浦は戸惑った。
前夜のことがあって以降は、勝浦は自分の発音や聞き取りに問題を感じていない。しかし、あのときの恐怖は消えなかった。自分が不安定だと思う歌声を聞いていると、自らの足場までもが揺らいでいるような気になってくるのだった。
 プログラムが進む間、勝浦はなるべく歌を聞き流すようにしていた。すると、五十音感がない子供の歌に限らず、ほとんど何も印象に残らなかった。勝浦はそのむなしさを振り払うように、湖恵の出演する最後の全体合唱に向けて背筋を伸ばした。
それが始まろうとしたとき、勝浦ははっとした。湖恵が、小嶋の娘と手をつないで壇上に現れた。考えれば当然のことなのだが、最後は五十音感のある者もない者も一緒に歌うのだ。
「俺は……聞かないぞ」
 独り言のように呟いたが、その言葉は美由紀にも小嶋にも届かなかった。勝浦は耳栓をしなかった。せめて湖恵だけに集中しようと思った。
 百人近い子供達が、ステージに並んだ。ピアノ伴奏が始まる。古い歌だ。「翼をください」。
 歌い出しがはっきりした言葉で聞こえてきたので、勝浦は安心した。上級生達に交じって歌う湖恵が立派に見えた。しかし二フレーズ目は五十音感の不自由な子供達が歌った。そしてサビの部分は、本当に全員で歌い出した。
 勝浦は、不協和音に耐えようとした。ところが、ふっと音のまとまりが聞こえた気がした。勝浦は注意深く聞いた。これまでの不快な感じが薄れたように思った。自分の耳がおかしくなったのかと疑った。
 二番に入ってからも、全員が歌い続けた。勝浦は不思議な感覚を覚えながらそれを聞いた。少なくとも、美由紀や小嶋が知っていて、勝浦の知らなかった何かがあることは感ぜられた。
 最後に、サビをリピートして曲は終わるはずだった。一回目のサビの後、ピアノの調子が静かでゆっくりしたものに変わった。勝浦は、はっと胸を突かれた。最初は、子供達がダンスを始めたのかと思った。違う。
 手話だ。
 百人の子供達が、同時に手を大きく広げた。一拍おいて、勝浦はもう一つの異様さに気付いた。
 子供達は歌っていないのだ。口は動かしているが、誰も声を出していない。ただ、手だけが歌そのもののように揺らめいた。
 鳥のように手をはばたかせる。祈るように手を組む。勝浦は湖恵だけを見てはいなかった。壇上と、客席までを含めた全体の中に、自分がいることを感じた。
 終わりに、百の手が一斉に空を指差した。拍手が沸き起こった。美由紀も小嶋夫妻も、一所懸命手を叩いた。そして勝浦も、周りの誰にも負けないくらい熱心に、最後まで手を叩き続けた。

※手話に関しては、WEBサイト「手話☆わ~るど」
(http://homepage3.nifty.com/shuwa-world/ 2008.6.13参照)
を参考にしました。
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