さらし文学賞
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水槽のとりこ

 私の飼っていたエビが死んだ。透明な体に長いひげが美しい、ヤマトヌマエビという種類のエビだ。見つかったのは水槽の、循環型の濾過機の中。ポンプに吸い上げられたのだろう、濾過用の黒いスポンジに押し付けられて息絶えていた。
 まぁ、そんなことはどうでもいい。
 いまや濁ってしまった甲殻が、白く浮き上がっていた。白濁した体、ちぎれて溶けたひげ、絡まって取れかけたか細い脚。
 あぁ、いや、そんなことはどうでもいい。
 どうでもいい、どうでもいい、どうでもいいのに考えてしまう。濾過機に吸い込まれて窒息した、これが私の。弟かもしれない、なんて。

「あの子も吸い上げられていなくなっちゃったんだよ」
「だから?」
 灰色に濁った曇空を背景に、白い顔が浮き上がって見える。私は首を真上に向けたまましゃべる。
「だから、あのエビは私の弟だったんじゃないかって」
「意味分かんない」
 論理が飛躍しすぎですー、とミナミは笑った。
「こっちに、降りてきたら」
 教えてあげるよ、と言ったのに。
「やだよ、そんなとこ降りたら上がれなくなっちゃう。あたしチビだもん」
とミナミは笑う。
 ただの、使われてないプールなのに。五年前にここで行方不明者が出てから、水が抜かれて使われてない、かわいそうなプール兼防火水槽。新しく市営のプールができたせいもあって、簡単に放棄されてしまった、狭いくせに深い防火水槽。底にはすっかり土が積もって、雑草なんかが生えて、水はけが悪いせいで湿原みたいになっている。
「ミゾレはいいよ。背ェ高いもん。わかんないでしょ、水の入ってないプールから出るのって、結構大変なんだってこと。それにあたし、スカートだし」
「はしご使えばいいじゃない」
「サビだらけだから触りたくない」
わがまま、と、防火水槽の底に座り込んだ私は、真上にいるミナミに笑いかける。プールのふちぎりぎりに仁王立ちしている彼女は、なんで笑うのか理解不能だという顔をした。
「ミナミ、ぱんつ丸見え」
「死ね変態」

 結局ミナミは、私の隣まで降りてきた。いわく、真下を向いていると首が痛いらしい。真上を向いてる私とどっちが痛いのかな。逆のシュチュエーションには、いまだかつて一度もなったことがないのでわからない。ここに座り込んでいる私を、ミナミが探しに来て真上に立つ。その繰り返し。
「まぁ飽きもせず、毎回毎回こんなところに来るよね。いくら思い出の場所ったって。……ミゾレの弟君、ここでいなくなっちゃったんだっけ? 竜巻で」
「そう、五年前」
 竜巻に巻き込まれて、舞い上がって、行方不明。そんなバカな話があるもんかって、他の人はみんな見つかってるのにって、ずいぶん長く捜されたけど。見つからなかった、一向に。
 私はその時その場にいなかった。遠くから、見てただけ。夏休みだからプールに行きたいと、弟が騒いでいたのは覚えていたけれど、それだけ。私はクラスメートと遊びに行っていた。だから遠くから、見てただけ。まさか真下に弟がいるとも思わずに。今日みたいな曇りの、でもひどく蒸し暑い日。
「そんな遠くから見えるぐらい、大きな竜巻だったわけ?」
 ミナミは心底不可解そうだ。それは当然と言えば当然。大騒ぎになったあの竜巻を、三年前に越してきた彼女は見ていない。
「竜巻って、風がくるくる渦巻いてるのと違ってね、上から垂れさがってくるの。雲がぐるぐる回って、地上に吸い付く」
 だから最低でも空の高さはある。細いけれど、曇り空から一直線に垂れてくるあの忌々しい灰色の渦。

「私の飼ってたエビが死んだんだよ」
「その話は聞いたよ、ミゾレ。ポンプに吸い上げられて詰まってたんでしょ?」
「だから私の弟も、どこかに詰まっているかもしれない」
「え?」
「この世界は大きな水槽で、あの竜巻はたまたま勢いの強くなったポンプで、私の弟はあのエビとおんなじで、吸い上げられてどこかに詰まっているかもしれない」
 ミナミは沈黙した。絶句したのかもしれない。いきなり五年前のことを引っ張り出して、何を言うのかと思ってみれば、って。
 でもわからない。どうしてあの子が見つからないのか、あの子だけがいなくなったのか。ちっとも。さっぱり。
 魚が泳ぐように鳥が飛んでいる。カニが歩くように動物が歩いている。水草のように植物が。エビのように人間が。灰色の雲がふた。空気は水。
 ほら、この世界は大きな水槽。
 普通の水槽と違うのは、水の循環機が見えないこと。ポンプが一定の位置にないこと。ろ過されているのを誰も知らないこと。誰かが詰まっているかもしれないなんて、誰も心配しないこと。
 私の弟はどこへ行った?
 この世界をろ過した、その汚れと一緒に、空のどこかにいるんだろうか。灰色に濁った、この水槽のどこかに。
 逃げられなくて吸い込まれて巻き上げられた、私のエビみたいに。
「エビが死んで悲しいんでしょ」
 ミナミは言う。
 そうなのかな、それだけかな。そんな言葉で片付けないで欲しいけれど、でも実際それだけかもしれない。ちっちゃい頃に消えた弟と、最近まで飼っていたエビの、私の中の立ち位置は、同じくらいなのかもしれない。
「新しいエビを買えばいいじゃない。ミゾレの弟と違って、エビには代わりがいるんだから」
 代わり? それってなんのこと。水槽の中にいるのは、大きな種族。
 エビ。人間。
 死んだエビと新しいエビは、私とミナミくらいの違いしかない。私とミナミくらいの違いがある。
 違う?
「ううん、ミゾレは、エビが死んで悲しいんだよ」
 どうして。
「ミゾレ、飼ってたエビの種類は?」
「ヤマトヌマエビ」
「弟君の名前は?」
「ヤマト」
「ほら、ミゾレは重ねてるだけ。エビと弟君を、じゃなくて、弟君と、エビを」
 南はにんまり笑う。笑う。
「次飼うエビは、ミナミヌマエビにしてね。あたしは、いなくなったりしないから、さ」

 じゃ、あたし塾の時間だから、と言って、ミナミははしたなくスカートをたくしあげて、元防火水槽兼プールから出て行った。私はミナミを見送った時の格好のまま、水槽の底から、首を真上に向けて空を見る。

 灰色に濁った空は、渦巻いているようにも見えたけれど、一向に垂れ下がってはこなかった。
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