さらし文学賞
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硝子のパレット

ちりんと、小さなベルの音が鳴る。そんな音で、店員に来客が伝わるのだろうかと、燈子は不思議そうに店内に入る。奈々は薄暗く静かな店内を見渡した。一見、昭和の香りのするレトロな喫茶店。しかし、その壁は大小の水槽で埋め尽くされていた。
「きれい」
 壁一面にはめ込まれたそれらを見渡し、燈子は息をついた。薄暗い店内で、水槽の照明は水を煌めかせ、魚の姿を色々に変えていく。
「いらっしゃいませ」
 奥から一人の男が現れた。そして、店主の小宮です、と一礼する。二人はつられて小さく会釈した。小宮はその姿に笑むと、メニューを携え、優雅な身のこなしで奥の席へと二人を促した。
「あの、見立ててくれるって聞いたんですけど」
 奈々は出されたメニューを見て、小宮に問う。
「ええ、うちは喫茶店でもありますから。そこにあるのはソフトドリンクのみです。魚を飼えないお客様が、うちの魚たちを見ながら店内でおくつろぎいただくためのサービスなんですよ。お客様がたは、オススメコースでよろしいですか?」
 奈々は、はい、と笑んで返した。燈子もそれに続く。小宮はかしこまりましたと深々と礼をして店の奥に姿を消した。
「――ねぇ、大丈夫なの? 決めてもらっちゃって」
 店主が奥に消えるのを見送って、燈子は言った。
「奈々が今度の展覧会は、熱帯魚を描きたいって言うから来たんだよ? どの子が良いか、自分で決めなくて良いの?」
 奈々はえへへと笑った。
「うん、一度試しに。燈子こそ、飼ってみたいって言うと思わなかったよ」
 話していると、店の奥から小宮が再び姿を現した。焦げ茶の盆の上に、二つのグラスが載っている。
「お待たせいたしました」
 そろりと、目の前に一つずつグラスが置かれた。
 ちらり。
 青と白のヒレが揺れる。水面がつられて光を散らした。水面と底のガラス玉の間に閉じこめられた光を浴びて、四、五センチほどの体が向きを変え、こちらを見上げた。燈子は息を呑んだ。


 燈子は脇に置いた小さなコルク瓶を取る。白い小粒のエサを一粒出すと、つまんで水面近くまで持って行った。
「レィ」
 レィはスッと近づいてきて、口をもたげた。燈子は目を細めてエサを落とした。レィの動くのを目で追う。
ひらり。ひらり。
尾びれが揺れる。飼うつもりは、実はなかったのだ。本当は猫が飼いたかった。暖かい体を抱いて、縁側で足を伸ばして寝転がりたかった。けれど、白くて硬い壁のマンションに、そんなものはないし、そもそも猫は禁止されている。違う。一緒にいてくれる相手が欲しかったんだ。一人暮らしの部屋に、温もりをくれる。
「私、飼ってよかったのかな」
聞きたい。レィに。こんな中途半端な好奇心で、飼ってよかったのか。
 ひらり。
燈子は思わず笑んだ。
「――きれいだ」
 ぽっ
 レィは口から泡をはき出した。水面に、一ミリほどの小さな泡が浮かぶ。くるりと泡が一回転して中に青色を巻き込む。色を閉じこめた泡は、消えずに水面を漂った。


《うちも浮かんだよ、水晶》
 奈々は携帯を操作しながら、三十センチ水槽の前に屈んだ。蓋の上に白いレースをかけた水槽は、中で同じ色の魚がひらひらと泳いでいる。
《レィは体と同じ色だったんだ。ましろのは、パステルイエローだったよ》
 そう打ち込んで、奈々はメールを送信した。脇に置かれた小皿には、ましろが吐き出した水晶が三粒置かれている。まだまだ小さくて、ましろの口の半分ほどの大きさしかない。琥珀のような甘い色が、ライトの光を反射する。ましろはそれにはお構いなしに水槽を横切った。真っ白の体は、見る度に色が変わる。ましろの体はパレットだ。思いもよらない色を湛えてこちらを見つめている。奈々ははっきりと、この子を描きたいと思った。ときどき、奈々の筆はキャンバスの上を迷う。どう描けばいいのかと。それを、ましろは体を一回転させる度に解消させた。奈々は、運命だと思った。本当は、何でもよかったのだ。熱帯魚でなくても。ただ、思うように進まない筆と自分のこころの矛先を反らそうと、偶々聞きつけた小宮の店の噂を試しに行った。選ばなかったのではなくて、選べなかった。どれを描いたらいいのか、見当も付かなかった。そんな奈々に、小宮は真っ白なましろを渡した。奈々ははじめ途方に暮れた。真っ白な魚を、どう描いたらいいのか。あまりにも選択肢が多すぎて。それでも、自分で何かを選ぶ気になれなくて、そのまま受け取った。そんな奈々に、ましろはすぐに答えを用意した。これは運命だ。奈々は小宮に感謝した。


 レィを迎えて初めての春が訪れた。まだ水温が下がり気味の水槽は、ヒーターが場所をとっていて、中に小物を入れることができない。もう少し、大きな水槽に移してみようかなと、燈子は考え始めた。レィはだんだんと、燈子のことを覚えてきているのではないか。燈子は水槽の掃除をしながらそう思う。スポイトでゴミを取るときと、エサの時では明らかに態度が違う。奈々に送る写真を取ろうとカメラを向けても、逃げ出すことはない水晶は口の大きさよりも大きくなってきた。水面に吐き出したそれを、つつきながら少しずつ大きくしている。その大きさは成長に比例しているのだと、小宮は言っていた。最終的には、一センチほどになると。既に五ミリ程の大きさがある。調べてもこの魚の生態はわからないため、あとどれほど一緒にいられるのかもわからない。
「――私は、よかったかも。レィを連れてきて」
 レィはどうだろう。燈子は呟く。レィの考えていることは全くと言っていいほどわからない。燈子のことを覚えてきていると言っても、生きる上で最低限のつながりだと、言ってしまえばそれだけだ。それ以上に言葉を交わせるわけでも、心を通わせるわけでもない。
 燈子は窓を開ける。隣の家の桜が、吹雪いてベランダに花びらを散らした。燈子はそれに手を伸ばす。花びらはするりと手のひらから逃れた。燈子は何となく悔しくて、再び手を伸ばした。何度も逃げられて、その度に手を伸ばす。何度目かの挑戦で、一枚がようやく両手に挟まった。燈子は初めての戦果に顔を綻ばせる。両の手のひらで花びらを挟んだまま、水槽の側へ小走りに駆け寄った。蓋を外してぱっと手を離すと、花びらはひらひらと水面に落ちた。レィはすすっと寄ってくる。突然の来訪者に、レィは威嚇するでもなくじっと見つめている。次に、二三度つついた。つついては離れ、水面を見つめる。そのこころは、燈子にはわからない。
「伝わったら、良いのに」
 レィは目をきょろきょろさせた。


 二度目の冬がやってきた。奈々は温めた水を水槽へ移す。熱帯魚に、寒さは毒以外の何者でもない。最近、ましろはヒーターの側でじっとしていることが増えた。水晶もあまり吐き出さなくなった。奈々は頻繁に水温計を気にかけた。気になるばかりで、なかなか絵に集中できない。奈々は次の展覧会で、ましろではなく別の題材を描くことに決めた。それでも、色に詰まるとましろを眺める。ましろが揺れ動くのを見て、こころに色を戻す。
燈子の方はどうだろう。奈々は携帯を見遣る。燈子の水晶は、日増しに透明になっているという。燈子は首を傾げていた。水晶は大きくなるにつれ、色がはっきりしてきた。ましろの方は相変わらず濃い琥珀色をしている。体も心なしか黄色っぽくなってきたような気がする。命が、尽きようとしているのか――。奈々はぶるりと体を震わせた。
こわい。
違う、手放したくない。
ましろはましろしかいない。パレットのような体を持った、私の願いに適うのは。奈々は泣きそうな顔でましろを見つめた。


 それでも、レィもましろも、二度目の冬を越えた。桜のちらつく中、燈子は小宮の店へ足を向けた。店は二年前と変わらない様子でそこに在った。小宮も。
「先日、ご友人がいらっしゃいましたよ」
「――聞きました。ましろに似た子が欲しいと」
「えぇ。時折、そういったお客様がいらっしゃるんですよ。うちには」
 小宮は笑んだ。
「お客様はどうなさいますか?」
 燈子は、頭を振った。バックからハンカチを取りだし、それを開く。二センチほどの楕円形の水晶がころりと出てきた。
「起きたら、水槽にこれが浮かんでたんです。蓋は閉まっていたし、周りも探してみたけれど飛び出してはいなかったんです。他に、考えられなくて」
「――ましろは、何も残さなかったそうですね」
 燈子は頷いた。ましろは奈々の目の前で、ゆっくりと透明になって、水の中へ融けていった。展覧会が終わって、二、三日水晶を作らず、水槽の中心でたゆたっていて。その後のことだったという。
「私のところには、この水晶が残りました。中に、桜の花びらが入ってるんです。こんな水晶、今までに作ったことなかった」
 小宮は、それぞれですよと、微笑で返した。
「人間だって、違うでしょう? その後は他の人の解釈しだいですよ」
小宮はそれ以上何も言わなかった。燈子は礼を言って店を後にした。
桜の花びらが吹雪いている。燈子は空を見上げた。薄い色の空に、桃色の吹雪が流れていく。ああそうか、と燈子は心の中で呟く。レィには、水面に浮かぶ桜が、こんな風に見えていたのか、と。レィは、もう一度見たかったのかもしれない。あの、桜が。勝手な解釈かもしれないけれど。
奈々は、形を残さないでくれて良かったのかもしれないと、言っていた。ましろは一つの色に染まらなかった。体も色も動かなくなるという、最も恐れていたことを、目の前から取り除いてくれたと。それがましろの本意であったかどうかはわからないけれど。燈子がいつかこの空気の中に溶け込んでしまった時、自分の残した言葉を、相手は正確に汲み取ってくれるだろうか。そんなことは、わからない。
燈子はレィの水晶を取りだした。薄空に花びらを浮かべたのを閉じこめたような水晶。燈子はそれを、そっと手のひらにのせる。風がひと吹きすると、それはするりと手からこぼれて空に融けた。
私はレィを連れてきて良かったと、燈子は手に残る風の感触にこころを託した。

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