さらし文学賞
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水槽の中にいる

 緑に濁った水の中を白く丸いものがゆっくりと落ちていく。それには黒く円状のシミがある。あぁ、あれはなんだろうか。黒いシミは丸く、光沢を持っている。そうだ、そうか、あれは人の目玉だ。
この水はどこのものだろうか、長い間ずっと放置されてきたためか、水は薄汚れた緑で視界ははっきりとしない光も差し込まず、気味の悪い緑色の藻が水中をゆらゆらと浮かんだり沈んだり、水の流動性を奪うように粘着性をもって存在している。
視界の端から突然、黒い影が現れる。薄い藻が揺蕩う緑色の水の中をゆっくりと落ちていく目玉を影は包み込むと、そのまま視界から消えていった。

 目を覚ますと汗をびっしょりとかいていた。枕も汗で濡れてしまっている。私は何の夢を見ていたのだろうか。何か不気味でよくない夢をみていたような気がする。だけども何も思い出せない。いつも隣りに寝ている母はすでに起きたのか、布団はたたまれてしまっている。一年前まで逆隣りに寝ていたはずの父はすでに死んでしまった。今では彼の灰になった骨が同じ部屋の仏壇の中に少しだけ納められている。枕がしっとりと湿っている。まだ八時半、休日だから出来ればもう少し寝ていたい、しかしこんなに湿ってしまっている枕にもう一度頭を乗せる気も起こらない。私は布団から抜け出すことにした。

 一人、朝食を終えると食器を洗っていた母は私に聞こえるくらい大きな声で呟く。
「今日は土曜日だから、水槽が捨てられるんだけどあの人は死んじゃったし…結局、私が捨てるしかないのかしら。」
 呟き終えると、今度は大きく溜息をつく。何年か前に金魚を飼っていたときに使っていた水槽、水槽は金魚を飼うにしては馬鹿にでかくて、母は身重な私に大きなゴミを捨てさせてたくないのだろう。
 金魚を飼っていたのは何年前だっただろうか。朝食を食べ終え、庭に放置しっぱなしなっている水槽のところへと向かう。祭の屋台からすくってきた五匹の金魚を飼うために買ってきた水槽だった。生来、動物好きだった父は私が珍しく生き物を飼うことに喜んだのか、無駄に大きな水槽を買ってきた。五匹いるといっても屋台ですくってきた金魚、あまり大きくない。だから、その大きな水槽は金魚たちの住処としては無相応なほど大きかった。金魚たちは大きな水槽の中をゆっくりとゆったりと泳ぎ続けていた。私が水槽の上から餌をやると今度は急に騒がしげにやってきて固形状の餌を丸い小さな口をあけて一生懸命体の中へと入れていった。そのころの水槽は美しかった。小さな猩猩色の金魚たちがのんびりと泳ぎながら暮らし、水槽の下には雑貨屋で買ってきた白と黒の丸く磨かれた石が敷き詰められ、所々に私が小さいころ宝物のように扱っていたビー玉が入っていた。緑色の水草が金魚が傍を通り過ぎるたびにゆらゆらと少し揺れていた。水を替えるのは父と私が交代で行った。随分と頻繁に行ったおかげか、水槽の中の水はいつでも透き通っていて美しかった。仕事に行く前に可愛い金魚たちに丸い餌をやり、彼らの前で一緒に朝食を食べる。仕事から帰ってきては晩酌をしながら彼らがひらひらと泳ぐ姿を眺める。これが私の日課だった。

 庭に放置されたままの水槽を見やる。水槽は新聞紙で包まれており、中の様子は伺えない。一年以上も野ざらしにされたせいで新聞紙は雨水を吸い、そのインクは滲んでしまい、一体何が書かれた記事だったのかすら、わからない。
金魚が全部死んでしまい、水槽はその住人を失った。濁った水を捨ててここまで水槽を運んだのは祖父だった。そういえば、最後に死んでしまった太った金魚を埋めるための穴を掘ったのも彼だった。小さな手持ちスコップで年老いた体に鞭打ち、一生懸命に最後まで生き延びた金魚を成仏させるための小さな穴を掘った。その上に割り箸で作った卒塔婆に金魚の名前であるギョという文字を書き込み、土の上に差し込んだ。荒れ果ててしまった庭の中で今での割り箸の卒塔婆は朽ちることなく立ち続けている。

金魚は一匹一匹と死んでいった。五匹いた中から一匹一匹と死んでいき、そのたびに水槽に増えた隙間を埋めるかのように、残った金魚たちはぶくぶくと太り、大きくなっていった。金魚たちは大きくなった口で貪欲に小さな丸い餌を食べる。食事を終えるとエネルギーを温存させるかのように水槽の中でじっと漂う。一匹、二匹と金魚たちが死んでいく。残り二匹になったあたりからだろうか、父が体調を崩した。交互に世話をしていた私たちの一人が倒れ、私や母は彼のことで奔走させられ、金魚などのことを構う暇はほとんどなくなってしまった。
ある日、彼の入院先から私が帰り、途中で買ってきたコンビニ弁当を啄ばみながら、ふと机の隣にあった水槽を見やった。水を替えたのはいつだっただろうか、水槽の中の水は濁りきり、丸く綺麗な光沢を放っていた砂利には汚らしい緑色の藻が生えていた。水槽の側面の硝子も藻が所々に生え始めており、中の様子はモザイクがかかったかのようにうかがい知ることができない。中に入れておいたはずの水槽は柔らかい部分は啄ばみつくされ、もう茎だけがゆらゆらと水槽のなかでゆれている。疲れ果てながら見ていると、ふと水面に漣が走る。なんだろう、餌もまだやっていない水面に浮かぶものなど何も無いはずだ。水槽を上から覗き込む、金魚が一匹浮かんでいた。ぷくりとした腹を上に向け、ぽかりと浮かんでいた。あぁ、また金魚が一匹死んでしまったのだ。浮かんでいる金魚がぴくりと動いた。なんだろう、残った一匹の醜く太り肥えた金魚が泳ぎ、水を揺らしたのだろうか。断続的に金魚が痙攣したように動く。なんだろう、この動きは、と水槽の中を覗くと残りの金魚が死骸の側を泳いでいた。彼は死骸をつつく、一度つつくと一辺はなれる。水槽の中を一周するように泳ぐと、再び死骸に近づきつつく。醜く太った巨体をゆらしながら泳ぎ、水面に浮かぶ死骸に近づきつつく。彼は同じ動きを何周も何周も行っている。いったい、何をしているのだろうか。あぁ、そうか死骸を彼は喰っているのだ。そう、思考が行き着いたとき、目が覚めた。
食べかけの弁当の上に置かれたままになっていた割り箸で急いで死骸をつまみ出し、残ったままになっていた固形状の金魚の餌を水槽へとぶちまける。死骸の片面は長い間空気にささられ鱗からは輝きが失われ、逆側は啄ばまれ、ぼろぼろになっていた。

 なんとか体調を良化させた父が退院した。以前に比べ痩せこけて疲れ果ててしまった父は入院中の分を補おうとするように精力的に金魚の世話を続けた。そんな姿をみて、私は彼に残った金魚のギョが死んでしまったキンを啄ばんでいたことを伝えることはできなかった。
 ギョは父の丹念な世話のおかげか、たった一人だけのものとなった大きな水槽に体のサイズを合わせるためか、今までにもまして、どんどんとでかくなっていった。小さく、細かったはずの体は大きくなり、それにもまして腹の部分がぶくぶくと太りだしている。小さいころは流線型の綺麗な形をしていたのに関わらず、今ではぶくぶくと太り、今までは気が付かなかったようなところに凹凸が見える。なんて醜い姿だろうか、その泳ぐ姿は優雅ではない。泳ぐというよりも肥満体型の男が沈んでいくようだ。嫌悪感がぬぐいくれない。
 父はギョに生気を吸われているのではないかと疑いたくなるように痩せていった。弱々しく動きながら、水槽の上から餌を父はやる。パラパラと落ちていく餌を面倒くさそうに水面にあげってきては口で吸い込みただ食べ続けるギョ、すぐに浮いている餌を食べ終えるとギョはまだ喰い足りないと主張するように水面の下をぐらぐらと泳ぎ続ける。急かされるように父は水面に餌を落としていった。

 このままでは父が先に死んでしまうのではないかと思っていたが、意外にもギョは先に水面に浮かんでしまった。でっぷりと太った腹を水面に映し出し、ぷかぷかと浮いていた。ようやく死んでくれたかと私は思った。そのまま死骸をゴミ箱に捨ててしまいたかったが、父は最後まで生き残った金魚なのだからと言い張り、丁重にギョを埋葬した。だから今でもこの庭にはギョの死骸が埋められている。もう住人のいなくなってしまった水槽は父の手で丁寧に洗われ、庭に置かれていた。そのうち捨てればいいだろうと思って置かれていた。しかし、そのあと父は死んでしまった。

 水槽の中を窺い知ることは私にはできなかった。今、私の腹は徐々に膨らんでいる。母は事情はどうであれ、新しい命が大きくなってきていることに対して喜んでくれている。私は喜べない。あのぶくぶくと太っていったギョのように、父の生気を吸って育っていったギョのように。ぶくぶくと太ったギョはまるで化け物のようだった。今まで長年一緒に暮らしていたはずの仲間の金魚の死骸を啄ばみ、死に損ないの父から餌をせがみ、ぶくぶくと太っていた。私の腹の中にいるのは私の子供なのだろうか。この中にいるあれもギョのような化け物なのではないのか。本当にギョは土の中に埋まっているのか、水面に浮かぶ姿は死んではおらず、ただ浮かんでいるだけで、狭くなってしまった水槽の外へと出て行く手立てだったにすぎないのではないか。そして、庭においていかれた水槽に潜み、いつか私の体の中のあれと喰いあいを始めてしまうのではないか。

「こんなところで、何しているの
庭に出てきた母が水槽の前で佇んでいた私に向かって話しかけてきた。
「いいわ、この水槽は私が捨てることにしたから、貴方は家の中でゆっくりしてるのよ」。そういいながら、母は水槽に近づき、持ち上げる。
「あら、思ったより重いのね。中には何も入っていないはずなのに。」
 本当に中に何も入っていないのか。中を検分しようと、母に話しかけたい衝動に駆られる。しかし、そんなこといっても鼻で嗤われるだけだ。黙って私の前から去っていく母を見やる。ゆっくりと歩きながら、母は去っていく、何かが入っているかもしれない水槽を抱えながら。そっと、私は腹に手を当てる。私の中でゆっくりと何かが育っている。

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