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さらし文学賞
この、壊れた世界で

ザーーッ

ザーーーッ

ザーーーーッ

 

黒い……黒い雨が降る。

分厚いくすんだ漆黒の雲が空を覆い、一筋の光さえ届かない。

闇が、この世界を覆っていた。

 

俺は何度目になるかもわからないため息をついた。

全身がひどく重い、熱もある、目眩がずっと治まらない。

死の階段を駆け上っているような感覚が、

絶えず俺を苛んでいる。

無理もない。

こんな汚染された雨に全身をさらし続けていたら、

そりゃ死も近くなるだろう。

俺は空を見るのをやめ、辺りを見渡す。

360度。

どこまでも、どこまでも更地が続いていた。

雨を遮るものなど何にもない。

あるのは砕けたコンクリートと、ひしゃげた鉄筋、

そして、なぜか消えない炎だけ。

地獄絵図だ。

ぼんやりと、そんな言葉が浮かんでくる。

こんな光景が日本中、いや世界中に広がっているかと思うと、驚きを超えて笑えてきた。

「ははっ」

ああ、これは何度目の笑いだったろうか?

――そうだ、三度目だ。

笑ったら鼻血が出た。

急いで腕で拭おうとする。

が、すぐに馬鹿らしくなってやめた。

どうせもう、この鼻血は止まらない。

血小板が破壊されてしまっているんだ、放射能の影響で。

あいつの言葉が脳裏によぎる。

あいつは、鼻血が出たら七日以内に死ぬと言っていた。

 一週間か……長いな。

そう思いながら、俺は地面に倒れ込む。

衝撃で、ポケットに入っていたラジオが地面を転がっていく。

俺は特に何の感慨もなく、それを見送った。

別に壊れたっていい。

もう、ラジオに入る電波など、どこにもないのだから。

その証拠に、この三日間ラジオから音が鳴ることはなかった。

雨が火照った頬にあたり、気持ちいい。

どうせもうすぐ死ぬんだ。

なら、この気持ちよさに身を任せて、緩慢な死を迎えるのも悪くはない。

俺は静かに目を閉じる。

そして、世界とのつながりを断った。

 

思えば無意味な人生だった。

僕の不幸は、生まれたときから始まっていた。

あいつらは、ある電力会社の社員で、原子力関係の仕事を一任されているようなやつらだった。

いわゆるエリートってやつだ。

そんなやつらが結婚し、そして息子が生まれたのだ。

当然、あいつらの歪んだ期待は僕にむく。

運動は出来なくてよかった。

友達も出来なくてよかった。

笑顔だって出来なくてよかった。

ただ、勉強だけ出来ればよかった。

それだけで、あいつらは満足だった。

そう、僕に望んだ。

僕はあいつらの望みを受け入れた。

そうするしか、なかった。

当然、小学校では友達なんか一人もいなかった。

そりゃそうだ。

誰がいつも暗い顔で、一日中机にむかっているやつと友達になりたいなんて思えるのか?

俺だったら絶対にそんなやつとは友達になんかなりたくない。

それでも、まだ小学校の時はよかった。

僕には勉強があった。

確かに僕は不気味な存在だった。

けれど、勉強が出来ていることで、みんなからは一目置かれていた。

それに、あいつらや先生からは褒められた。

幼かった僕は、そんな馬鹿みたいなことで満足していたのだ。

 今考えると反吐が出る。

反吐が出るが……あの頃の僕は幸せだった。

友達がいないからこその穏やかさ。

それを日々甘受していた。

 

そして、どんな日々でもいつかは終わりがやってくる。

僕の場合、それは中学受験と共にやってきた。

今まで勉強一本でやってきたもやしっ子が、受験当日に熱を出して失敗する。

よくある笑い話だ。

ドラマなんかじゃ珍しくもない。

けど、あいつらにとっては笑い話じゃなかったらしい。

あいつらは泣いた。

僕に向かって、罵詈雑言を浴びせながら。

勝手に期待して勝手に失望する。

身勝手な話だ。

なんで僕はあの時、あいつらを殺さなかったのか、今でも不思議に思う。

殺してさえおけば、僕はまだ、××でいられたのに。

きっとあの時の僕は、想像以上に甘ちゃんだったのだろう。

僕はまだ、あいつらに見放されてないと、信じていたのだ。

 

ごく普通の公立中学へ進学した僕は、今まで以上に勉強を頑張った。

必死だった。

もう後はない。

小学校で僕に一目置いていた人達も、受験に失敗したことを知り、僕を馬鹿にした。

やっぱり、あいつはただ不気味なだけ。

そう、彼らは僕を判断した。

僕はいじめられた。

僕は頑張った。

定期テストでは必ず一位をとった。

けれど、それは自分を追い込むことにしかならなかった。

あいつらは、たかが公立の中学で一位をとったくらいで喜ぶようなピーではなく、中学のやつらは生意気だと思ったのか、ますます僕をいじめてきた。

それでも僕は頑張った。

きっとその時の僕は、半分××じゃなくなっていたのだろう。

もう、頑張ることしか出来なくなっていた。

頑張って、頑張って、頑張り抜いて……頑張った。

 

ある日のことだ。

僕が夜遅く、参考書を読みながら家にむかっていると、中学の不良グループがいちゃもんをつけてきた。

いつもなら何発か殴られて終わりだったが、その時は何かあったのか、特にしつこく僕を殴り続けてきた。

当然僕も××だ、殴られれば怪我をする。

それに、もやしっ子とくれば、五発も殴られれば立ってはいられない。

地面に無様に倒れた僕を、彼らは殴りつけてくる。

何発も何発も、何発も何発も。

どれだけ殴られただろうか、意識が朦朧とし、死ぬかもしれないと思ったとき、かすれた視界の端に、スーツ姿のあいつらがうつった。

今でも後悔していることがある。

この時、僕は。

僕は大きな間違いをおかした。

僕は、あいつらに、あいつらなんかに

「おねがい」

心の底から――

「おねがいだから……」

助けを求めてしまったのだ。

 

「たすけてっ! たすけてっ! 

お父さんっ! お母さんっ!」

 

けれど。

あいつらは目をそらした。

「う、そ……だよね」

信じられなかった。

わけがわからなかった。

絶望した。

そして――気絶した。

 

次に目を覚ましたとき、そこにはぼろぼろになった僕がいた。

僕だけがいた。

他には誰も、いなかった。

「ははっ」

乾いた笑い声が出る。

その時の僕はどんな顔をしていたのだろう。

わからない。

けれどこれだけはわかる。

僕は、人生の最後に初めて、笑うことが出来たのだ。

 そして、僕の中に怪物が生まれた。

 僕は、俺になった。

 

次に笑ったのはあいつらを殺したときだ。

「ははっ」

二度目の笑いは、血の味と共にあった。

 

それから、俺は家に引きこもった。

そうでもしなければ、俺の中の怪物が、抑えきれなかったからだ。

最初の内は、警察が来たときのために、あいつらの油で切れ味の悪くなったナイフを研いでばかりいたが、不思議なことに警察どころか学校の先生でさえ、来る気配はなかった。

引きこもってから二週間目。

久しぶりに愛用のラジオをつけたとき、その謎は解けた。

いつの間にか、アメリカとロシアが戦争を始めていたらしい。

それも、他の国々を巻き込んで、戦火は徐々に拡大してきているようだ。

日本ではこの戦争は全面核戦争になるという噂が流れ、  大パニックとなっていた。

国会議事堂の地下にある核シェルターをめぐって、議員と民衆の間で争いが起こり、暴徒と化した××が、シェルターを破壊したことをラジオは報じていた。

ラジオの中のリポーターは狂ったように、繰り返し、繰り返し、噂に流されずに落ち着いて行動してくださいと叫んでいる。

馬鹿らしい。

そんな世界が破滅するような真似、誰がするだろうか。

いくら××といえども、そこまで馬鹿じゃないだろう。

そう思って俺はラジオを切った。

 

結論から言うと、××は救いようのない馬鹿だった。

それから二週間後、世界は破滅した。

 

核爆発の轟音が響いたとき、俺は家の地下にいた。

皮肉にも、あいつらに感謝しないといけないことができた。

あいつらが原子力関係の仕事をしていて、放射能の怖さを十分理解していたからこそ、俺は助かった。

あいつらは、家の地下に密かに核シェルターを作っていたのだ。

もしかしたら、この戦争のことも知っていたのかもしれない。

残念だったな。

俺は初めて、あいつらに祈りを捧げた。

 当然、何の感情もわかなかったけれど。

 

それから三日後。

ついに食料が尽き、俺はシェルターの外へと出た。

そこには、黒い雨が降りしきる、地獄絵図が広がっていた。

「ははっ」

俺は、こんな脆い世界で一体何をやっていたんだろう。

三度目の笑いは、今まで頑張ってきた馬鹿な自分と、それ以上に馬鹿な××達へのものだった。

 

「ザッ……ザザッ……ッ」

目を覚ます。

どうやら本当に眠ってしまっていたらしい。

長時間雨に当たっていたせいか、体の火照りがとれ、さっきよりも頭はしっかりとしている。

ただ、鼻血はずっと流れ続けていたようだ。

服が血だらけになっている。

俺は、腕で血を拭いながら起き上がった。

その時、微かに物音した。

「たザザッ……すザザザッ……」

「えっ!?」

心底驚く。

ラジオからノイズと共に、確かに誰かの声が流れていた。

まさか生き残りがいるのか? 俺は急いで周波数を合わせた。

ノイズで聞こえなかった声が、だんだんと鮮明になってくる。

「だ、だれかいませんか?」

女の子の声だ。それもまだ幼い。

「わたしは、ザザッのよねんせいのザザザッ……です」

ラジオの調子が悪いのか、よく聞こえない。

くそっ、さっきの衝撃で壊れたのか?

慌てて見渡すが、特に壊れたところは見あたらない。

「わたザッ……しんじゅくえきのちかにザザッまっくらでパパもママもいなザザザッって」

新宿駅だって? だいぶ近いじゃないか。

女の子はだいぶ弱っているようだ、このままだとすぐに死んでしまうだろう。

どうしよう、どうすればいい?

またラジオから声が聞こえてくる。

「たすけてっ! だれかたすけてくださいっ!」

 嫌に鮮明な声。

その瞬間。俺の頭はふっと冷たくなった。

ざわざわと、俺の中の怪物が蠢き出す。

視界がかすむほどの破壊衝動が体を突き上げ、抜けていく。

気がつくと、ラジオを地面に投げつけ、仰向けになっていた。

ラジオからはまだ女の子の叫び声がする。

だが、もう何を言っているのかわからない。

かすんだ意識の中、ぼんやりと思う。

馬鹿らしい。

どうせみんな一週間やそこらで死んでしまうんだ、今さら生きようともがいたって何の意味もない。

それに『だれか』って一体誰だ?

その『だれか』さんは君のことを助けてくれるのかい?

そんなわけない。

この世界に『だれか』なんて存在しないんだよ。

少なくとも、僕には『だれも』いなかった。

なんだか疲れた。そろそろこの下らない人生に幕を下ろそう。

俺は静かに目を閉じる。

鮮明に、怪物の蠢きを感じた。

この破壊しつくされた世界で、まだ破壊できるものがあると知って、喜んでいるようだ。

このまま眠ってしまえば、わずかに残った××らしさすら失って、俺は完全な怪物になってしまうのだろう。

そうなれば、きっともう俺は止まれない。

壊し続けて、死ぬだけだ。

けれど、ラジオから聞こえる女の子の必死な声が、それを許さなかった。

なぜだか耳につくのだ。

下らない、人生なんて下らない。

なのに、どうして彼女は、そんな人生を必死に生きようとするのだろう?

俺にはわからない。

生きていたって辛いだけじゃないか。

まして、もう世界は馬鹿な××達によって破壊されてしまっている。

生きていたってしょうがない。

それは彼女もわかっているはずだ。

それなのに何で、何で彼女は助けを呼ぶのだろう?

 滑稽なくらい必死に、『だれか』を呼ぶんだろう?

 本気で『だれか』がいるって信じているのだろうか?

 ああ、そうか。

今わかった。何で彼女の声が耳につくのかが。

かぶるんだ、あの時の僕に。

あの時の僕はまだ人生に絶望してはいなかった。

まだ、僕はあいつらが助けてくれるはずだと信じていた。

僕にも『だれか』はいた。

けれど結局、それは僕の甘い妄想で、現実は『だれも』いなかった。

でも、と俺は考える。

もしあの時『だれか』いてくれたなら、俺はこんなふうにはならなかったんじゃないだろうか。

少なくとも、こんな歪んだ笑顔しか浮かべられなくなるようなことはなかったはずだ。

――××でいられたはずだ。

俺はもう一度立ち上がり、ラジオをつかんだ。

ラジオの中に、あの時の僕がいた。

俺はもう『だれも』いなかった時の顔を知っている。

だからこそ、俺は知りたくなった。

彼女の生きたい理由、そして『だれか』いた時の表情を。

ラジオから声が消えた。

驚いてラジオを見る。単に電池が切れただけのようだ。

ほっとした。

「ははっ」

無性におかしくなる。

どうやら俺は思ったより彼女のことが心配らしい。

四度目の笑いは、決意と共にあった。

相変わらず笑顔は歪み、声は乾いてはいるが、初めて笑えたような気がした。

「今、助けにいくよ」

一歩、また一歩と歩き出す。

こんな近くに二人も生き残っている人がいるんだ、世界にはもっと多くの生き残りがいるだろう。

あと一週間あるんだ、その人たちを全員助けよう。

俺の中の怪物は、いまなお新たな犠牲者を求め、蠢き続けている。

少しでも気を抜けば、俺は怪物になってしまうだろう。

現に、俺の手は女の子の柔らかい首の感触を求めている。

けど――。

ひび割れた地面を踏みしめながら、俺は確かな予感を感じていた。

きっと大丈夫。まだ俺は、まだ僕は……人間だ。

全員助けたとき、

僕はもう一度人間に戻れるかもしれない、

もう一度、人を愛せるようになるかもしれない。

 

――――この、壊れた世界で。

 



 


 

 

一週間後のことだ。

 

 

この灰色の世界に、不思議な色を放つ場所があった。

赤、青、黄色――様々な種類の花が束になり、明るい色彩を溢れさせている。

まるで神々が住まう、楽園のようだ。

その中に、一人の少年が眠っていた。

放射能の影響でひどく体が傷んでおり、誰かはまったくわからない。

きっとひどく苦しかっただろう。

けれど、その表情は穏やかだった。

地面に何か彫り込まれている。

よく見ると、それは文字だった。

 

 

『ありがとう、お兄ちゃん』

 

 

小年は、穏やかに微笑んでいた。

 

                                                    ~FIN~

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