さらし文学賞
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団地の屋上にて

 中学生の頃の話だ。僕は自分の住んでいた団地の屋上に上がる事が好きだった。何でって言うと、屋根裏に憧れる少年の心理だ。どこか秘密基地のような隠れ家を求める。僕自身、少年と呼ばれるにふさわしい年齢。
 屋上へと上がる階段には、いつも張り紙をつけた、古びた椅子が置かれていた。黄ばんだ紙に薄くなったインクで「立ち入り禁止」と書かれている。そもそも団地は戦後しばらくして後の高度経済成長時代に大量に建設されたもので、当時のアメリカの生活様式を模倣したものになっていた。僕が住んでいたところは、県が管理している団地で、一定の条件を満たした県民が安い賃金で借りることができた。借りたい人が殺到するせいで、古い部屋が何らかの理由で空いたときは抽選になる。僕の父母もこの抽選で空部屋を手に入れた。それゆえに僕が育った頃にはもうとっくに真っ白だった外壁には細かな亀裂がはしり,黒ずんだ染みがぽつりぽつりと浮かんでいる。屋上も錆がひろがり,老朽化が進んでいて,安全性が保てなくなったため,立ち入り禁止にされていた。
 僕はいつもそんなことなどおかまいなしに椅子をまたいで屋上に上がった。そこには僕の夢があった。屋根裏で歌う少女の紡ぐような物語が広がっているのではないかという。そしてある日,屋上に上がるとそこには一人の少女がいたのである。
 屋上は貯水槽や何のために使うかわからないような梯子が置いてあり、開けていた。事故防止のために金属製の柵が設けられていたが、月日の果てに風雨にさらされ、腐食が進んでいた。その安全ではない柵に自らの体重を預けて、空を眺めている少女がいた。いつ柵が壊れてもおかしくない、その保証はしっかりとされている、その危険性など恐れもせず、悠然たる様子でよりかかっている。黒い髪は肩までストレートに伸びていて、綺麗に先がハサミで整えられており、簡素な白いワンピースを身につけている。手足は驚くほどに白く、その細さは非力な僕の力でも簡単に折ることができそうなほどだった。色鮮やかな真っ赤な靴を履いていて、そのコントラストは僕には少しまぶしかった。そう、本当に彼女は白かったのだ。まるで外に出て光を浴びたことがないのかのように。
 僕は彼女の声を知らなかった。でもそれを聴きたいと思った。人形のように整った顔立ちと容貌から、さぞかしこの子の声が華麗なものだろうと考えたのだ。そして、その声は,僕のこれまで知らなかったような,ずっと素適なものを与えてくれるだろうと。そんな漠然としたイメージが頭の中に自然と浮かんだ。それは恋とも憧れとも呼べるものだったのかもしれない。ただ、あの頃の僕はそうしたものを明確な形で考えられるほど大人ではなかった。
 人形ぽさを感じさせるのは目もだった。宙を見る視線は虚ろで、ただ光を刺激として感覚器に受容させるだけの存在の目。生気のかけらも意思も感じられない。その目は何を見ているのだろう。いや見てきたのだろう。
 しばらくしてから、彼女はおもむろに僕の方を見る。身体をほんの少し動かすだけで、柵がぎしぎしと揺れる。剥げた錆が粉になって宙にほこりみたいに舞う。彼女の視線は痛いほど突き刺さる。感情のこもらない視線は僕の隅々にまで及び,服を透視し、全てを満遍なく見通す。あまり気分は良くない。値踏みをするような目線ではない。体ひとつひとつのパーツをチェックして、何かを確認するためのものだ。
「あなた、ここで何をしてるの?」
 彼女が初めて言った言葉は確かこんな感じだったと思う。その声は予想通りの可憐なものだった。そして案の定、僕の精神に一種の化学反応を引き起こすことになった。透き通ったソプラノの声で、小鳥がやさしくさえずっているイメージを想起させた。口調は見た目よりも幼い感じで、それも驚きではあった。見た目は僕と同い年くらいだったからだ。
「君こそ、こんなところで何してるのさ」
「あたし? あたしは外を見ているの」
 質問に質問に返した僕に対し、特に気を悪くすることなく、彼女は答えた。目には少し温かみが宿っている。どうやらさっきの態度というか雰囲気は人間を警戒していたらしい。
「外はいいよ。あそこには森があって、通りにはお母さんと子どもがのんびりと歩いている。本当に楽しそう」
「なら、外に行けばいいんじゃない?」
少し会話らしい会話をしていたが、この僕の応答の後、彼女の顔には少し影がさした。
「外には行けない。あたしはここにいるしかない。ここで眺めることしかできない。あたしは籠の中に閉じ込められているの」
 その日は会話はこれで終わりだった。彼女は屋上から階段を下りて、自分の部屋に帰ってしまったからである。帰り際にまたねと言い残して。それだけであの頃の僕は満足してしまった。全く中学のころというのは実に単純なものだ。彼女がいったいどんな暮らしをし、どんな境遇であるか一切気にも留めなかった。
 それからしばらく僕は彼女に屋上で出会った。出会うたびに片言のような会話をして、彼女の方から帰ってしまう。いつも彼女は老朽化した柵によりかかっていた。僕もそのことを特に危険だといわなかったし、慣れてしまっていた。そんなことを繰り返しているうちに、突然ぴたっと彼女が現れなくなった。会わなくなってはじめて、名前もどの部屋に住んでいるのかも知らなかったことに気付いた。不思議なことに彼女とは同じ団地に住んでいるのに一度も会わないのである。屋上でしか会ったことがない。なんだか幽霊だったんじゃないかとも考えたりしているうちに、忙しくなり、彼女の事もついには忘れてしまった。ともかく、彼女こそが初恋の相手であり、恋を知ったのはそのときだった。
 
 それを十何年も経った今、どうして思い出したのか。と言うと、眼前に彼女が立っているからだ。僕が年をとったのと同じくらい、彼女も年月の経過によって円熟した大人の女性になっていた。あの頃は人形のような可憐な感じだったが、今は妖艶な魅力をもつ美しさで形容しなければならないだろう。
 僕は再び屋上で彼女に会った。もともと高校を卒業して家を出るときに、団地からもあの屋上からも離れていた。この団地の持主である父母の内、父は三年前に、母は先月三週間前に亡くなっていた。簡素な葬儀が終わり、相続関係の事務的な処理を済ませた後、生まれ育った団地の部屋は僕のものになった。と言っても運営は県だから、しばらくしたらまた新しい居住者が選ばれるため、近いうちに出て行かなければならないわけだが。住む場所は当然他にあるわけだが、すぐに引き払う気はしなかった。仕事を放り出して、しばらく僕はこの部屋で残された父母の品々と共に過ごした。そしてふとこの屋上の事を思い出して、気まぐれに昇ってみると、彼女と遭遇したのだった。
大人になって、中学生の頃とだいぶ異なってしまった自分だが、彼女を見た瞬間、時間は巻き戻され、僕も彼女も中学生の頃に戻った心地がした。
「君は何をしているの?」
 彼女はあの頃と同じ問いをした。だが、彼女はあの頃と違ってまっすぐ僕の目を見つめてくる。
「外をここで見るためさ」
「どんなものが見える?」
会話はたどたどしく、中学生の頃のままだ。普段使うような堅苦しい言葉遣いは捨てて、生身の言葉を口から押し出す。
「森が見える。あの通りにはおばあさんが車椅子で、その子どもらしき青年に押してもらってる。外は変わらず平和だ」
「外は変わらない。いつも通り」
「そう、外は変わらない。いつも通り」
微笑みながら噛み締めるように僕の言葉を繰り返す彼女。その顔は自然とほぐれていた。
僕も久しぶりに笑った。

 朝、目が覚ますと、閉ざされたカーテンから漏れ出す光がその日の天気を示していた。ベッドには僕以外誰もいない。今は。若干のシーツの乱れと皺で、ここにもう一人いたとかろうじてわかる。僕は起き上がると大きく伸びをして、昨夜のことを考えた。僕と彼女はあの頃遣り残したことを果たしたのだ。豆腐のような感触の彼女の肌を思い出した。それは少し触れば簡単に崩れてしまいそうなほど儚いもので、不思議な心地だった。まるで実存と虚無の間をゆらゆらと漂うような感覚。その間中、彼女は一言も発さなかった。
 彼女は部屋の中にはいなかった。僕はいつもの通り、また屋上に上がってみた。すると彼女はそこにもいなかった。だが、屋上にはどことなく違和感があった。僕はすぐに気付いた。いつも彼女がよりかかる、あの安全柵が壊れて、一部がなくなっていたのだ。慌てて駆け寄って、下を眺めると直下のコンクリートに彼女はいた。柵の一部と一緒になって、無惨に、その美しさは原型をとどめていなかった。真っ赤な花を散らしていた。
 彼女が落ちたのを確認した瞬間、僕は雨が降り出していることに気付いた。周りが明るいのに降る雨。天気雨というんだっけ、と思い出しながら、無性に悲しくなった。彼女は外にやっと出れた。でもそれは命を投げ出さなくてはならないほどのことだったのだったのだ。雨は全てを洗い流していった。
 彼女を監禁していた実の親が捕まったのはそれから間もなくの事だった。

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