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さらし文学賞
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汗と涙とオリハルコン

そして十年の月日が流れた。
 多くの者がこの地を去っていった。それも当然だろう。もはやこの地には未来も希望も残されてはいない。ただ一人私だけが、懲りずに今日も鶴嘴を担ぎ小屋を出る。
 十年は長い。約束も色褪せる。無精髭を生やした男、ロック・ソウルは歩きながら思う。服装は重労働に適した白いランニングシャツと丈夫な布地で出来た長ズボン。もっとも、シャツはもはやその色を白から薄汚れた茶色へと変えており、ズボンもかなり色が抜けて、所々が擦り切れて穴も開いている。人によればそれらの汚れや傷は「味」なのかもしれないが、客観的に見て、みすぼらしく小汚い格好と言って差し支えない。頭には使い込んだ手ぬぐいを巻き、腰には一振りの脇差を下げている。銃の時代には珍しい。しかし、人が去ったこの地に、今なおたった一人残る変わり者にとっては丁度いいのかもしれない。
 ロックは器用な男であった。彼が拠点とする小屋は、彼自身の手作りで2年掛けて作り上げたものだ。常に暑いか生暖かいかの二択でしかないこの地では、風通しの良さと水の確保のしやすさが重要となる。その点、この小屋は申し分なかった。
 ロックの頭は綺麗に刈り上げられ、丸坊主である。その体躯は、長年の節制と重労働で赤黒く焼け、自然と頑丈でしなやかなものとなっていた。今でこそ一人もいないが、かつては頻出する強盗から身を守る必要もあったのだから、常日頃から体を鍛えることは生き残るための必須事項であった。略奪者はおろか生活の上での協力者もいなくなった今でも、彼は一日の始まりと終わりには腰のささやかな愛刀を抜き放ち、手入れと修行を続けていた。

 やがて鬱蒼とした森がぷつりと途切れ、目の前には巨大な壁が現れた。右にも左にも切れ目なく延々と続く壁は島を南北に両断していた。その高さは実に三百メートル。自然に出来たものではない。かつては大地までも思いのままにした者たちがいたのだ。つまるところ「地上に現れた地下三百メートルの地層」こそが、数多の欲深き者たちをこの不自然な島におびき寄せた。そして当時、十年前において唯一人「ガキ」であったロックだけが食べ残された。その、続く悲劇に対しては些細な事件が歴史書に刻まれるには、さらに十年の月日を必要とする。

 ロックは目の前の壁に開いた数多の横穴から一際大きな穴に足を進めた。今や、邪魔するものや勝手に穴を横取りするものもいない。ただ一心に、ロックは師が指し示した先を掘り進んでいた。囚われの身であったロックを救い出し、生きる術と意思、何よりも果てしなく青い空を与えたのが師であった。その師が身体の半分を失ってなお彼に遺したのは短い刀と身を守る護身石、そして宝を指し示し続ける宝位磁針であった。
「あの悪しき化け物を封じるには、かの伝説の金属でなければなりません」
 ロックは亡き師の名を継いだ。ロック・ソウルはそうして名を得た。

 ぐっと、首から下げた護身石を握りしめると、温かい空気が身を包むのを感じた。師は「簡易宇宙服のようなものです」と言ったが、つまりは簡単には死ななくなる。ロックにはそれで充分だった。
 もはや外の光は届かないが、護身石が放つ淡い輝きが作業を照らしている。宝位磁針は一週間前から激しく赤い光を放っていた。宝が、近いのだ。

 そして、ロックの鶴嘴が、十年間一度も欠けることのなかったその特別性の切っ先が、呆気ないくらい簡単に砕けた。岩の間から、まるで太陽のような輝きが零れている。ロックは静かに、その手を触れた。

「しつこい人ね」
 頭の中に声が響く。夢を見ているのだろうか。目の前には絢爛豪華な室内が広がり、世にも美しい女性が華やかな衣装に身を包んで、私を睨んでいた。
「何度も言うけれど、わたくしは貴方と結婚するつもりは毛頭ございません」
 混乱するロックの口が、ひとりでに動いた。
「おぉ、麗しき我が君。私ほどの勇者はこの世におりません。つまり、私ほど貴女をお守りできる者はいないのです」
 驚愕するロックの意識をよそに、姫君は言い放つ。
「貴方の望みはわたくしなどではなく、我が宝刀なのでしょう?
 わたくしの事をおまけ程度にも思っていないくせに、よくぞ口がまわるものね勇者殿」
 ようやくロックは己が見ている光景が幻であることを悟る。恐らくは、手に触れた宝が見せている、在りし日の出来事なのだろうと。
「聡明なる我が君。私は誰よりも貴女を愛しています。その貴女をお守りするために、大切なお刀をお借りするかもしれません」
「そうね、貴方はわたくしを愛しているでしょう。わたくしが与える地位と名誉の為に」
 ロックは姫君が放つ怒気に圧倒されていた。が、彼とは別の人物は意にも介さずに言葉を継ぐ。
「我が君よ。今や世界は奴のせいで危機に立たされているのです。貴女が誰よりもご存知のはずですが。
 ご理解とご支援を、何卒お願い申し上げます」
 畏まった口調だが、性根の腐った声だった。姫君の眉が寄る。きつく唇を結んで、何かに耐えている。ロックには想像も及ばない、何かに。
「貴方を、信用できません我が前から去りなさい」
 決然と言い放つその瞳には覚悟があった。しかし、一瞬でそれも砕かれる。
「ふむ。所詮は年端もいかぬ小娘か。従えば玩具くらいにはしてやったものを」
 男が演技を止めた時には既に、姫君の胸には輝く刃が突き立っていた。

 どれだけの時間が過ぎたのか、ロックには判断出来なかった。手には輝く金属が、武骨な刀身を形作っている。それは、夢の中で姫君を貫いたものに思えた。恐る恐る、その身を撫でてみる。淡く煌めく刀身は、生きているようだった。
「貴方もしつこい人ね」
 ロックは驚きのあまり、宝刀を取り落としそうになる。刀が、言葉を発した。そうとしか思えなかった。
「あら? 何も聞いていないの?
 わたくしのことを知らないで求めるなんて、馬鹿なのか物好きなのか、『本物』なのか……」
 ロックはしみじみと輝く刀身を見つめた。自分は試されているのだろうか。
「わたくしは、命を持つ刀。正確にはわたくしを構成する金属が、『生きている』。故に、呼吸し、自己回復し、あらゆる魔物を半永久的に封じることができる」
 それは師が遺した意思だった。世界に牙を向ける存在を、封じるために宝が必要だと。
「貴方は、夢を見たでしょう?」
 ロックは直ぐさま頷いていた。
「ならば、話は早い。わたくしの望みは、民の幸せ。
 貴方が、同じ意思ならば従おう」
 ロックは長い間使うことのなかった喉を震わせるのに手間取った。
「あ、……あぁ。
 あな、たは……?」
 刀身が淡く光る。微笑んだのかもしれない。
「わたくしは、この身に刺し貫かれた古き血の系譜。最後の『正統なる血筋』。
 千年も前かしら。この地に深く沈められ、やがて魔法遣いたちの喧嘩でこの地は島になった。それでもなお深い地の底で、わたくしはずっと眠っていた。貴方は何年生きているかしら?
 それもくだらない質問ね。貴方はわたくしを見出だした。望みを、告げなさい」
 ロックは、それでも聞きたかった。
「あ、貴女は、……?」
 数瞬を置いて、『彼女』は答えた。
「野暮な人ね。おまけに不器用な人。でも、あの勇者よりは数万倍、いい人。
 わたくしは貴方が見た夢の中で、確かにこの宝刀で貫かれた。しかしわたくしの、強い憎しみ、怒りが、我が意思を宝刀に宿した。わたくしは彼の憎き者に不運と死を運び沈められたのです。
 そして、意思を宿した宝刀にはあらゆる力を封じる魔封じの力が宿ることを、わたくしは証明した。その時には海の底にいたのですけれど」
 ロックは、十年振りに涙を流した。衣服に染み込んだ汗とは、違っていた。師のことを、強く思い起こさずにはいられなかった。ロックは、言うべき言葉を探した。彼女を安らかに眠らせていたかったが、師は世界に迫る危機をロックに伝えていたのである。
「貴女の、力を、貸して欲しい」
 宝刀は淡く瞬いた。
「わたくしを、人として扱うの?」
「貴方は、誇り高く、生きている」
「ならば、共に歩みましょう。わたくしは貴方を我が担い手として受け入れます。
 我が名は、オリハルコン」
 厳かに、彼女は名乗った。応える必要が、ある。
「私は、ロック・ソウル。名は師から頂いた。師の仇を討ち、皆が笑いあえる、世界にしたい」
「よろしく、ロック。さぁ、行きましょう、世界へ!」
 後の世に、ロック・ソウルの名は『世界を救った英雄』として刻まれる。生涯独り身だったというが、「己の愛刀と言葉を交わしていた」やら、「愛刀のことを溺愛しており、人間の娘には恋をしなかった」といった逸話がまことしやかに語られる。その愛刀が、命を宿すかのように輝く剣と脇差しだったという点は、全ての歴史書で変わらない。

 ある一つの歴史書だけが、彼の輝かしい功績ではなく、その幼年期から青年期のことを語っている。結びはこうだ。
「数多の勇者は世に溢れていますが、彼のように長年に渡り辛く厳しい作業を淡々と続け、誰にも見向きされず、賛嘆の言葉もかけられることのない『真の勇者』は中々いないのです」
 今なお、ロック・ソウルの愛刀は、彼と共に行方知れずのままだ。

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第四回さらし文学賞 | trackback(0) | comment(0) |


キセキ発見部

三島学園文化系部活棟一階。他の学校には存在しない珍妙奇怪な部がそこに存在する。部員は部として成立するギリギリの三人しかいないにも関わらず、他と比べて遜色ない部費を獲得している謎めいたその部の名をキセキ発見部という。
「もう部会の時間だというのに、また部長は遅刻かしら」
 二台ある長机の一角、パイプ椅子に腰かけているのは、副部長かつ会計の二年生・三島。学園指定の制服をきっちりと着込み、スカートからは学園の校章入りの白いニーソックスに包まれた脚が伸びていて、さらにその先、やはり学園指定の上履きは8ビートを刻んでいる。
「あ、あの、兄はというか部長は、遅刻ギリギリはいつもですけど、遅刻そのものは滅多にしませんから、ええと、あと四十秒。怒らずに待ってもらえませんか」
 三島の怒りにハラハラしながら部長を擁護するのは、キセキ発見部唯一の一年生部員、折原。兄の誘いを受けてキセキ発見部に名を連ねる少女は、対立しがちな部長と副部長の折衝役を主に務めている。こちらも特に制服は着崩さず、短い髪にヘアピンがワンポイントとなっている。
「ええ、わかってはいるわよ折原。でもね、ぴったりの時間に来ればよかろうという考えもどうかと思わないかしら?」
 貴方に当たってもしかたないのだけれど、とビートを刻む足をことさら強くする三島に怯む折原。
「そ、それはそうなんですが……うう、璃瑠さん意地悪です」
「折原。部活動の最中は副部長と呼ぶようにと言っているはずよ。私も貴方を苗字で呼んでいるでしょう」
 何気ない一言に厳しいリアクション。
「部会前だし、私たちしかいないんですから、普段どおりの呼び方でいいじゃないですか。なんでお兄ちゃんも璃瑠さんもそう拘るかなあ」
「そういう甘えを持っていると、他に部員が増えたときに困るからだとわからんかね、折原部員」
 自然に話しに割り込むのは、たった今部室の扉を開けて入ってきた人物。キセキ発見部部長・折原。三島が時計を見ると、やはりというかなんというか部会の時間ちょうどだった。
「私がいない間に部についての重要な会議かね、二人とも」
 何が重要なんだろう、と考えこみそうになる折原の横で、三島は素早く反応。
「雑談に過ぎませんが、内容が気になるのならせめて五分前には来てください。時間ちょうどはどうかと思います」
 対して部長はふむ、と頷くと、
「来てから準備をするならともかく、来た途端に私は部会を始められるのだが、何か問題だろうか?」
 驕りも衒いもなく言い切り、事実ゆえに三島も意見をやめた。部会を始めるべき時間であったし、部長が聞く耳持つと思えないというのも理由であったが。
「問題がないようならば早速部会を始めよう。今回は外部から我々に有益な情報を得た。諸君、なんだと思うかね? ちなみに、歓喜するに十分な内容と私は踏んでいる」
 部長は話しながらデジタルビデオカメラを部に備え付けの大型テレビに接続していく。
「歓喜に値する、とまで部長が言うのなら、今回はキセキの情報ですね。UMAの移動の軌跡でも見つかりましたか。それとも鬼籍に入ったはずの市長のお祖父さんでも化けてでましたか」
 指先で耳元の髪をくるくるといじりながら、見た目には冷静かつ興味なさげに対応する三島。
「私としてはそういうオカルトなものより、奇跡(ミラクル)の一つくらい発見したいんですが。宇宙人に会うとか、そこから発展する恋とか」
 奇跡のオカルトさには無頓着な折原。
「想像力豊かで大いに結構。では、正解発表といこう」
 接続を完了したビデオカメラを操作して再生させると、のどかな風景が映し出された後、タンクトップにチノパン、麦わら帽子に肩にはタオルと、農家の典型のような男が映し出され、一時停止。
「見たことがあるかもしれないが、彼は裏山付近に土地を持つ農家の佐藤耕作さんだ。ご本人に来ていただきたかったのだが、女性が苦手なので来られないとのことで、取材の形を取った。撮影は三十分ほど前だ」 部長は速やかに説明を終えると、止めていた映像を再生させた。
『最近妙な事ばかり起こるんだよ、学生さん。近くの田んぼには稲なぎ倒してへんちくりんな模様描かれるし、昨日の夜妙に明るいと思って外に出たら、ウチの夏みかんは一本木ごと盗まれてるし、光る何かが山のてっぺんあたりに落ちてったんだ。流れ星かとも思ったけど、どうもでかかった気がするんだな』
 そこまでで映像は停止。
「佐藤さんには私費で謝礼を出しておいた。さて、部員諸君。今の情報をどう判断する?」
「どうもこうも典型的なユ」
「奇石の落下の可能性が高いですわね。こんなところで無駄話していないで、即座に現地に向かいましょう」
 折原の言葉に自分の言葉を重ねた三島は、鞄を手にとりすぐさま行動しようとする。
「流石我が部の副部長、話が早い。しかし君、眼鏡はいいのかね? それにスカートで山登りはあまり賢いとは言えないな」
「二分で着替えますから、部長は外へ。眼鏡はコンタクトをしているので結構。あ、勝手に先に行ったら殺しますので」
「やれやれ、物騒なことだ。そんなに私がオリハルコンを発見するところを見たいのかね?」
 部長が出るのを待たずに制服にかけられた手がピタリと止まる。
「寝言を。浮遊金属であるオリハルコンが山に落ちる理由がありません。輝く物が発見されたというのなら、ミスリルこそ相応しい」
「戯言を。ミスリルが空から落ちてくる理由こそないだろう。オリハルコンは『浮遊』金属なのだから、落ちてくることくらいあるさ」
「屁理屈を」
「こじつけよりはマシだと思うがね」
「あの、二人とも。口喧嘩は結構ですけど、私先に行きますよ?」
 二人をやんわり止めた折原は部長がいることを気にせずに着替えたようで、既に学校指定のジャージ姿である。
「ちなみに、あと二十秒ちょうどで二分だが?」
「とりあえず出てください部長。時間通りで着替えますから」
 促されるままに部長と折原が部屋を出ると、どのような魔法か確かに二十秒で三島は着替えを終えて出てきた。
「行きましょう。他人に発見されてからでは遅い」
「それをわかっていて諸君に知らせるまで動かなかった私に感謝して欲しいものだ」
「部長、そういうのは言わない方がカッコいいんですよ」
 道中の全力疾走をしながらの会話。裏山頂上までは部室から徒歩四十五分というところだが、一行がついたのは二十五分後。体力に自信のないメンバーはキセキ発見部に存在しない。
「ふむ、我が野望のオリハルコンはどこかな」
「私のミスリルはどこかしら」
「二人とも、目の前のアダムスキー無視するのやめません?」
 頂上には、一般にアダムスキー型と呼ばれる宇宙船にしか見えないものが鎮座していた。
「やっぱりUFOの目撃情報だったんじゃないですか」
 目を輝かせる折原に、部長は声だけは冷静に答える。
「それは違うぞ、折原部員。UFOとは未確認飛行物体の略称だ。これはアダムスキー型と確認済みの着陸済み物体。略すのならばILOが正しい」
「部長、それは経済用語です。大体にして、この物体が着陸したという保証はないのですから、確認済み停止物体、ISOが正しいと私は思います」
「なにやら環境を思いたくなる略称だな、副部長」
 ワクワクしている折原兄妹に比べ、三島は肩を落としている。
「どうしたね? 世紀の発見の前兆を前にしてその落胆は」
「部長、私が見つけたいのは宇宙人ではなくてミスリルです。というか璃瑠的には宇宙人なんてどうでもいいです」
「本音がダダ漏れだぞ副部長。しかし君の探究心がその程度とは、いや実に残念だ。私は今からあの宇宙船と推定されるものの外壁や構造物の成分、内容物を逐一チェックするつもりだが、君はそこで休んでいるかね?」
 部長の発言に三島は息を呑む。
「不覚でした。私もお手伝いします。といっても、未知の物質を見つけた時は早い者順ですが」
「当然だよ、まぁ、私が遅れをとるはずもないがね」
「……兄さんたち、宇宙人さんの船を破壊はしないでよ?」
 なにやら怪しげな機械をいずこからか取り出した兄たちを折原が心配そうに見ていると、アダムスキー型が開いた。
「#$??★■!♪」
 現れたいわゆるグレイタイプの宇宙人がなにやら音を発する。
部長は殴りつけた。
「『郷に入っては郷に従え』という言葉を知らんのか無礼者! 日本語を話せ!」
「あの、部長、それメチャクチャ理不尽に聞こえるんですが」
「副部長、第一種接近遭遇(ファースト・コンタクト)で相手になめられてはいかんのだよ」
「いきなり殴りつけるのは多分兄さんくらいだと思う」
「折原部員、体に教えなくちゃわからない相手もいるのだよ」
 それを部長が判断する根拠は何だ二人は問い詰めたかったが、
「どうした、こんな典型的な宇宙船で地球に来られるほどの科学力を持つ宇宙人が日本語程度できないはずはあるまい?」
 という部長の発言で疑問は氷解した。
(兄さんの言うことに筋が通っているなんて!)
(航宙と翻訳という技術体系の違いは無視していいのかしら)
 おのおのの思惑は胸に秘められたまま事態は進行していく。
「確かに、我々は言語を翻訳することができます。この星の人のイメージに合わせたつもりでしたが、余計な配慮でしたか」
 グレイタイプが流暢な日本語を話したと思った瞬間、グレイタイプの見かけが変化して、地球人と似たような姿になった。髪の毛から覗く犬の耳のような部位が地球人とは決定的に違う。
「我々は地球人の皆さんと友達になろうとやってきました」
 その声に呼応して、アダムスキー型の中からぞろぞろと十数人の宇宙人が降りてくる。顔は違えど、やはり犬の耳のような部位が髪の毛から覗いている。
「お友達になろうって、本当ですか!」
 興奮して答えたのは折原。微笑んで犬耳第一号は答える。
「ハイ、本当です。我々は我が星を代表してアーテア……この星に派遣されたのです」
「わあ、そうなんですか! 聞いた、兄さん? これ、夢じゃないよね?」
「夢ではないが、折原部員。我々は彼に聞かねばならないことがある」
「なんですか?」
「まず一つ目。あの船、材料や積荷に我々の文化では理解できないものはあるかね?」
「惑星間条約で、未開発惑星には最低限のものしか持ち込んではいけないことになっているので、航宙システム以外には無いですね」
「ふむ。それは嘘ではなさそうだな」
 部長の言葉に犬耳一号は首を傾げるが、部長は構わず第二の質問をした。
「この山の田に残された模様、一般的にミステリーサークルと呼ばれるものや、夏みかんの木ごとの消失、おそらくはキャトルミューティレーション、あれらは君らの仕業かね?」
「そうです。この星の文化の研究のためにしました」
「そうか」
 聞くが早いか、部長は回し蹴りで犬耳一号をなぎ倒した。
「盗人猛々しい! 地球人をなめるなよ貴様等」
 倒された犬耳一号の体を三島がすぐさまボディーチェック。
「どうやら、部長が今回異常に暴力的なのは正解のようですね」
 犬耳一号が後ろ手に持っていた銃を奪い、犬耳二号を狙撃。漫画的光線が出て、犬耳二号が失神する。
「武器を隠しての交渉。もしかして貴方たちは、次は人間のサンプルを手に入れようとしたのでは?」
 残る犬耳達と折原に動揺が走る。部長は大仰に頷くのみ。
「大した科学力を持っていないのにここまで生きてきたのはこの直感力か」
 犬耳五号が発言すると同時、事態は動く。二号に走り寄った部長は銃を奪い、二号を盾にして銃を乱射。身体能力まで対して地球人と変わらないのか、犬耳達は銃をかわしきれないが、気絶した仲間を盾にして応戦。部長と三島がじわじわと追い詰められる。そして動いていなかったのに奇跡的に被弾していなかった折原は、
「せっかく、夢が叶うと思ったのになあ」
空を見上げて呟くと
「乙女の純情、返しなさいよねえっ!」
 何の盾も持たず、ただ肉弾と化して突っ込む。その様子を見て、部長と三島、応戦をやめて逃走。敵地の中心への突入を成功した折原は、仲間への被弾を恐れて一瞬怯んだ犬耳に掴みかかると、小柄な体からは信じられないパワーを発揮して投げ飛ばして二、三人を巻き込む。投げ終わった直後には跳び蹴りを放ち、犬耳の顔面と肩を踏み台にもう一跳躍をして、空中回し蹴りで隣の犬耳を倒す。後ろからの狙撃が見えているかのごとくに避け、倒れた犬耳から奪った銃を投げつけて昏倒させる。
 一分後、その場に立っているのは返り血すら浴びない強さを誇った折原のみ。
「あいつ、自分の存在が一番奇跡的だって気づいているのか?」
「あの子が加わってから、キセキとの遭遇率はグンと上がったし、あの鬼神の如き強さもありえないわよね」
 とは安全圏にいた二人の言葉。
「あ~、すっきりした。兄さん、璃瑠さん、もう帰りましょう」
 いい汗かいた程度の爽やかさで言う妹に戦慄を感じつつ、部長はそれをおくびにも出さずに
「いや、あの宇宙船の検分をしてからだ。もしかしたら、君が望むような情報もあるかもしれないぞ、折原部員」
「そうですね。まあ、次なる部隊を送る手筈がある可能性も否定できませんが」
 そのときは折原に暴れてもらおうという続きは飲み込み、様々な計器をどこからか取り出した二人は宇宙船内へ。折原はやはりどこからか取り出された荒縄で犬耳を一人残らず縛り上げ、適当に転がした。
「部長、なんであの宇宙人たちが怪しいと?」
「友好目的ならば、言語や姿を偽って現れた理由が見えない。ミステリーサークルを残す理由は文化の研究というのはおかしい話だし、文化を研究するのに夏みかんの木というのも不自然だろう。我々の学校はこの山の目と鼻の先なのだよ? 木をまるごと盗まずとも、宇宙船を降りて訪ねればよかったのだ。彼らの見た目は地球人に近しいし、あの犬の耳のような部位は十分隠せる」
「まあ、よくもそんなことを瞬時に思いつく」
「君とて後ろ手の銃だけで察したではないか」
「銃を持って交渉する文化の人じゃなくてよかったよね、二人とも」
 折原の発言に一瞬沈黙が下りるが、三島がごまかすように声を上げる。
「船内の機械の操作がわかりました。船内を調査しましたが、我々が求めるような金属は積んでいないようです。彼らのことですが、どうやら彼らは急進派というか過激派で、地球人を支配しようと考える少数派のようですね」
「じゃあ、多数派は友好的なの?」
「いえ、多数派はまだ干渉すべきではないと考えているようね」
「まあ、地球人はまだ宇宙に出ることすら満足にできているとは言えない。こちらから関わる手段もないのだから、彼らとしても、彼らのいう『未開発惑星』に関わる理由が特には無いのだろう」
「そのようですね。しかし、どうしますか部長。この宇宙船と捕らえた宇宙人たち」
「NASAにいる友人に恩を売っておくのも悪くはないが、おそらく私が何かするまでもないだろう」
「NASAに友人がいることに疑問を抱いていいですか?」
「却下、そんな暇はないぞ副部長。我々は、次なる宇宙人を迎えねばならない」
 三島の手によって翻訳されている計器には、敵機接近の文字。
「敵!? どうするんですか、部長?」
「どうもこうも、歓迎するだけだよ副部長。何せ、この過激派の敵なのだから、友好的な可能性は大いにある」
『聡い方がいらっしゃるようですね』
 敵機遭遇の画面が顔つき通信に切り替わる。相手はやはり犬耳付き宇宙人。
「お褒めに預かり光栄。私は貴方との直接の対面をしたいのだが、この付近に下りてこられるだろうか?」
『ええ、宇宙船とあれらの回収もあります、すぐにつきますよ』
「では、我々は撤収します。船外でお会いしましょう」
 他の二人が口を挟む暇なく部長は通信を終え、計器を片付けてしまう。宇宙船にことさらこだわりがあるわけではないが、やはり何か惜しいと思ってしまう三島と、友好的な宇宙人に会えることを楽しみにする折原が部長に続いて下りると、宇宙船は音も無く下り立った。
 両手に何も持っていないと示しながら下り立った犬耳宇宙人の青年は、まず頭を下げた。。
「我々の同郷のものが失礼をいたしました。失礼の一言で済まされないほど危険な目に合わせてしまったこと、どうお詫びをすればいいか」
「気にしないで結構、と言うほど寛大ではないが、貴方がやらせたことではないだろう? 先ほどの連中と違って貴方は誠実そうだ。少し話をさせていただきたい」
「規定があるので、何事にも答えられるとは限りませんが、お詫びのしるしにおつきあいさせていただきます」
 部長がどこぞからキャンプ用の机と椅子を取り出して、四人が腰掛ける。
「さっきの連中は随分多かったけれど、貴方はお付きを出さなくていいの?」
「ええ。別に出し惜しみや待ち伏せではなく、私の船は私以外には人が乗っていないのです。ロボットと自動制御の賜物です」
「貴方の目的は先ほどの不埒者を捕らえることだと思っていたが、それで目的が達成できるのかね?」
「ロボットに任せるつもりでしたから。出したら、そのお嬢さんにウチのロボットでも破壊し尽くされるかもしれませんね」
 折原がその発言に赤面すると、犬耳宇宙人は笑った。
「ウィットに富んだジョークまで使えるようですね」
「私は恥ずかしかったですよう。あの、宇宙人さん。貴方はどこの誰、って聞いてもいいですか?」
「ええ。私たちの星は、あなた方に発音可能な言い方をすると『トオイホシ』。私の名はトモです。あ、敬称は不要です」
「そうか。では、トモ、貴方に聞きたいことが二つある」
「未開発惑星には最低限のものしか持ち込んではいけないという決まり、あれは本当のことと見受けたがどうか?」
「正解です。万が一宇宙船が壊れた時などに、その星にありえないテクノロジーが流出しかねませんから。ちなみに、彼らの持っていた銃は禁制品です。本来取り締まられるものなのですが、どうやって目をかいくぐったのか……」
「それはさておき。もう一つの質問だ。君たちは、我々が言うところのオリハルコン、そしてミスリルをこの星に持ち込めるか否か?」
 質問の意味を図りかねたのは折原のみ。三島が息を呑み、トモは微笑んだ。
「なるほど、賢い聞き方ですね。本当に貴方は聡いようだ。答えはイエスです。お詫びのしるしにお持ちしましょうか?」
「いや、結構だ。気持ちだけ受け取っておくよ、トモ」
 部長と三島が立無言でち上がり、いきなり強く抱擁した。呆気にとられるトモに、今度は息巻いた折原が声を上げる。
「あ、あの、トモさん!」
「いえ、別に敬称はいりませんよ、お嬢さん」
「ソラです! 折原(オリハル)(ソラ)! 夢は宇宙(そら)におりはる人たちと色々と深い意味で仲良くすることです!」
 そこまで言うと折原は思い切り顔を赤らめ、
「好みど真ん中です、お友だちから始めてもらえませんか!」
 遮二無二告白した。
「ええと、お友だちなら喜ばしいほどですが、私は貴方たちに危害を加えた星の人間ですよ?」
「その規模で考えると、誰とも親交を築けなくなりますね」
 いつの間にか座り直した三島の冷静な指摘。
「私は星に帰らねばならない身ですが、それでよろしければ」
「よろしくお願いします!」
 折原はトモと固く握手をし、ぶんぶんと上下する。
「よろしければ、私達とも友人になっていただけませんこと? 異星の友人など出来ることは滅多にありませんもの」
 肩が外れそうなほどの握手を終えたトモに、悠然と三島が語りかける。
「申し送れました、私は三島璃瑠。誰が呼んだか独り身の璃瑠(ミス・リル)。甚だ不名誉なこの名前を払拭するため、私の目標はミスリルと結婚相手をいっぺんに見つけること。ミスリルを見つけるその日まではミスリルという呼び名で構いませんわ」
「きっと見つけられますよ、ミスリル。宇宙船の機械をあっさりと使いこなした貴方なら、両方とも」
 二人がしっかりと握手をすると、待ち構えていた部長が芝居じみたポーズで告げる。
「遠い星の友よ、感謝しよう。君は私に希望を与えてくれた。この地球に私の求める物が在る、その確信を持てることは素晴らしいことだ」
「本来答えられるギリギリの範囲なんですけどね、あの質問は」
「ならば、それを答えてくれたことにも感謝しておこう」
 制服の襟元を正し、部長は告げる。
「私は不肖折原宙の兄にして三島学園キセキ発見部第二代部長、そしてオリハルコン探索の徒、折原崑(オリハルコン)。いつか、地球産のオリハルコンを君に見せると約束しよう、(トモ)よ」
「その日を楽しみにしています、オリハルコン」
 この出会いが、後に学界を揺るがす大発見を二つも呼び、その後差人の苗字が一つになったと思われた瞬間、国際結婚の概念を超越してさらに話題を呼び、当代のキセキ発見部三名の名前を知らぬものは世界にいなくなるのだが、それはまた別の話である。
――世界三大偉人オリハルコン著『遠い星の友との誓い』第一章「キセキ発見部」より適宜抜粋

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雪の下にて、世界よ終われ。

駅まで送っていくよと言うので、僕は彼女と家を出た。僕は玄関で深々と頭を下げて、「おじゃましました」と家の奥に向かって告げた。返事はなかった。
外に出ると、急に寒くなった。マシュマロのような雪が、ぼってりと降ってくる。
「東京じゃ、こんな雪、見たことないでしょう」
「ないね。今まで、一回もない」
彼女の言葉に、僕は頷く。彼女は背伸びをして、僕のコートのフードを頭にかぶせてきた。彼女は毛糸の帽子をかぶっていた。
「どう言うかさ、躍動してるんだよね。まるまるとして重そうな雪なんだけど、ふわっ、ふわって、なかなか落ちてこない。ほんのちょっとした風にも舞って、地面に着くのを嫌がっているみたいにも見える」
 二人並んで、田舎道を歩き出す。しばらくは互いに黙っていた。僕は、先ほどの訪問で強く否定された事実を噛みしめていた。予想通りの反応だったとも言えるし、予想以上に厳しい状況になったとも思った。
「気にすることはないのよ」
 彼女がぽつりと言った。
「私達、もう大人なんだから」
「君の方がつらいだろう」
「いいの」
 ことさらに軽い調子で言葉が返ってきた。
「もう、何も考えずにやってしまうのよ」
 彼女の言う「やる」が、どうすることを意味するのか、僕は聞きたくてたまらなかった。しかし、僕は聞けなかった。
「ああ、もう、このまま世界が終わっちゃわないかなぁ」
「何を言うんだよ」
 僕の言葉が聞こえなかったかのように、彼女はコートの裾を翻して回って見せた。僕は息を呑んだ。道路は踏み固められた雪が凍りついて滑りやすかったし、彼女はヒールの高いブーツを履いていた。しかし、彼女は危なげなく一回転して、フィギュア選手のようなポーズすら決めてみせた。
「おどかすなよ」
 内心の動揺を隠して僕は言った。彼女は楽しそうににっこり笑った。
「私はね、一番幸せな気持ちのときに、世界が終わったら最高だと思うの」
「僕はそうは思わないな」
 言下に否定してしまう。
「そこまで破滅的にならなくてもいいじゃないか」
「不幸のどん底で世界が終わってもいいの」
「世界が滅ばないのが一番いいよ」
 人通りの多い道に出た。クリスマスが近いためか、都会の豪華なイルミネーションほどではないが、あちこちの建物に電飾が吊られている。雪を降らせる厚い雲のせいもあって、そう遅い時間でもないのに、ずいぶん暗くなってきた。
「触ったものが全部、黄金になる王様の話があったじゃない」
「ミダス王のことかな」
「そう、そう。あれは悲劇の王様だよね」
 彼女が急に何を言い出したのか、よくわからなかった。ちかちか光る電飾から連想したのだろうか。彼女の家を出てから、僕達はまだ一度もちゃんと目を合わせていない。
「でも、あの話で不満だったのがさ、どうして王様が、触れたものを全て黄金に変えたがったか、その理由がわからないっていうところ」
「ああ、どうなんだろうね。元は神話だったはずだから、ちゃんと調べればわかるんじゃないか」
「そんなのどうだっていいの」
 苛立ったように、彼女は僕を遮った。
「それにしたって、願い方が半端じゃないわよね。黄金が欲しい、じゃないもの。王様は触れるもの全部を黄金にしたかった。自分の周りを、全部黄金で固めてしまいたかった」
 そこまでは神話でも言われてないんじゃないか、と思ったが、また「どうでもいい」と言われそうなので反論しなかった。
「それなのに、どうして王様は後悔したの? 黄金に対して異常な欲望を抱いていた人でしょう。娘が黄金になっちゃったんだっけ? でも、本当に黄金が好きな人なんだから、それでいいじゃない。娘より黄金よ。そんな人でないと、触るもの全部黄金に、なんて発想が浮かぶわけない」
「いつものことだけど、人の性格を勝手に想像してあれこれ言うのは、君の良くない妄想癖だよ」
 つい、からかうように口を挟んでしまった。彼女はむっと頬を膨らませた。
「じゃあ、誰か架空の人を設定すればいいんでしょ。ミダス王なんかより、一途な王様にして。それに、黄金じゃ説得力がないって言うのなら、それよりもっと価値のあるものにしてさ」
「黄金よりって、例えば?」
 彼女は、しばらくうーんと悩んで、答えた。
「――オリハルコン」
 突飛な単語が出てきたので、僕はおもしろがって煽った。
「じゃあ、触れるもの全てをオリハルコンに変える王様の名前は何だい」
「名前? ええとね、コンランスよ」
「コンランス?」
「混乱す、で」
 彼女が発音を変えてくれたので、僕にも意味がわかった。彼女は「コン、で韻も踏んでいるし」と自慢げに言った。寒い道中を温めるために、僕はこの意味のないキャッチボールを楽しもうと思った。
「それで、そのコンランス王はどうしたの」
「コンランス王は、触れるもの全てがオリハルコンになるようにしてもらいました。ためしに道端の小石を取り上げてみると、それはたちまちオリハルコンに変化しました。王様は狂喜しました」
 彼女は昔話のように語る。
「ですが、祝宴を開こうとして用意させた食事を前に、コンランス王は狼狽しました。彼の触れるものは、皆オリハルコンになってしまうからです。あらゆるオードブルも、メインのターキーも」
「君の好きなデザートも」
「そう、イチゴのブラマンジェでさえ」
 それが目の前にあるわけでもないのに、彼女は抑えきれないような微笑をこぼした。
「それだけではありません。コンランス王は、自分の娘にも触れてしまったのです。娘はオリハルコンでできた彫像になってしまったのです。――あれだよね、まさに、最終兵器愛娘。みたいな」
 アイドルグループの名前にしたら、さぞかし売れないことだろう。愉快になってきた僕は、さらに彼女を乗せた。
「それで、コンランスは自らの願いを悔いたのかい?」
「いいえ!」
 ちょっとびっくりするような勢いで、彼女は首を横に振った。
「コンランス王は、何がどうあってもオリハルコンが欲しかったのです。そして今、自分の触れるものは何でもオリハルコンにすることができる。後悔するわけがないのです」
 彼女の声が大きくなってきた。周囲を歩いていた人が、ちょっと振り向いて彼女を見たほどだ。
「そんな、かっとならないでさ」
「だって、本当にそうだもの」
 彼女は興奮していた。顔が赤いのはそのためか、それとも外気が冷たいせいか。
「どうしても、君は王様を悔やませたくないみたいだね」
「だって、そうだもの。手に入れたくて仕方がなかったものを、彼は得たんじゃない。それを悔やむなんて、そんなの、本当は初めからオリハルコンなんて欲しくなかったのよ」
 そんなの嘘よ、と彼女は断固として言う。
「だってコンランス王には、可愛い娘がいたんだろう。おいしい料理も手に入る立場だし、きっと使用人もいた。女王だって健在かもしれない。国民に慕われ、広大な敷地も彼のもので」
「そんなの、どうだっていい」
 彼女はぐっと身を乗り出すように、僕の目を覗き込んできた。雪の降る路上で、僕達の時間が一瞬止まった。
 突然、彼女の体が傾いた。足を滑らせたのだ、と思う間もなく、僕は腕を伸ばして彼女を支えた。何とか、彼女は倒れずに済んだ。
そのとき、僕ははっとした。彼女の右手は僕にすがりついてきていた。しかし彼女の左手は、彼女自身の腹部を、抱えるようにかばっていた。おそらく反射的なものだったのだろう。僕は喉の奥がしびれるような気がした。
 彼女は、僕の腕の中で呟く。
「だって、彼はオリハルコンが欲しかったんだもの。他のものがどうなったって、構いやしなかったんだわ」
「そうだね」
「ううん、むしろ、全部オリハルコンになっちゃった方が良かったのよ。他のものは皆、オリハルコンを愛するのに邪魔なだけの存在だわ」
 そうだね、きっとそうだね、と言いながら、僕は彼女を固く抱きしめた。たぶん人目があっただろうが、僕には何も見えなかった。彼女は熱に浮かされたような声で続けた。
「だから、王様は後悔なんかしなかった。王様はオリハルコンを手に入れて、自分の周りをみんなみんなオリハルコンに変えてしまって、それで自分の大好きなものだけに囲まれて、一生を幸せに幸せに幸せに過ごしたんだよ」
 雪は躍動するマシュマロのようで、
 彼女は身動きしないオリハルコンのようで、
 僕は、このまま世界が終わってしまえと願ってもいいような気がした。

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結晶は籠の中で

 夢のような過去の中、雲を踏む足取りで歩いていると、頭蓋の底からしゃらしゃらと音が鳴る。
 しゃらしゃらがかちかちになり。かちかちがことことになり。足を踏み出すたびからからと揺れるその音の、正体を誰も知らないという。

 でも、あたしが知っている。
 頭の中でオリハルコンが結晶していく、その音だと。
 
 オリハルコン、伝説の金属。ダイヤモンドよりも硬くアルミよりも軽い、緋色に揺らめく希少な鋼。あたしの頭の中で、着々と結晶しているもの。アルミよりも軽いから長い間あたしですら気づかず。ダイヤよりも硬いからレーザーでも壊せない。希少なもの、価値あるもの。だからみんななにもしない。なにもしないで待っている、あたしの頭蓋の中全てが、これで埋め尽くされる日を。
 伝説の金属、つまり伝説に残るようなことをした金属。よく聞くものなら鎧と剣。魔王を倒す勇者の剣が、オリハルコン。
 きっとあたしが選ばれたのだ。オリハルコンを精製する、その役目に選ばれた。とてもとても重要な役目。放棄したらいけない定め。だからみんな黙ってる。いつ家に帰れるのか聞いても、頭で響くこの音がなくなるのか聞いても。
 いつか勇者がやってきて、この結晶を欲しがるんだろう。その時あたしが進んで自ら、この金属を差し出すのだ。魔王を倒す、その材料を。だからその時までここにいなきゃならない。だからその時までここを動いちゃいけない。
 だってそうでしょ?あたしの頭から取り出されたオリハルコンを、ただ渡されるだけじゃ勇者だってつまらない。そこで良心の呵責にさいなまれるべきだよ、魔王を倒すための剣と、あたしの命とを天秤にかけて。
れべるあっぷ?けいけんち?必要でしょ、そんなのが。

 白い白い部屋の中で白色のカーテンが揺れる。外で満開の花の香りも、死にそうな蝉の断末魔も、この中まで届いたりしない。
仕切られて隔絶されている。区切られて乖離させられている。
カーテンを揺らす空調の風。乾燥に加湿器で対抗して。
機械ばかりが置いてある。機械ばかりが増えていく。
 気がつけば食事が机の上に。ラップのかかった椀、水滴のついたラップ。スープに落ちる水滴、すぐに味が薄まる。
 ラップを外して放置しておく、その表面に丸く波紋が。具に当たって跳ね返る、その干渉する波を鑑賞して。小さく笑う。いったいなにをしている?
波紋ができるのなら、床が揺れているということ。耳を澄まして眼を閉じると、だん、とかすかな振動、だん、とわずかな音。白い人達のたしなめる声。リノリウムの床を踏む足音。あぁ、いつものかんしゃくだ。

 誰の?
 さぁ、よく知らない。

 音をたどることなんて難しくない、ことこととオリハルコンが跳ねるのがうるさくても。音がする、廊下の向かい側のブロックから。床と壁とをつたわって振動がくる。その向こう、いくつも並んだ扉の一つが、勝手に閉まるそのドアが、震えている。あぁ、あの向こうが元凶なの。
 諦めたらしい白い人達の、足早に去っていく後ろ姿を見送る。ここのかんしゃく持ちの部屋、同室者がいないのだろう、いたらもっと必死になだめているはず。
 ドアノブに手をかける。開けようとするけどあたしのところのより若干重い。一人部屋なんだ、つくりが頑強だもの。そう気づいて、気づいたからってなんてこともない。
引き開ける。
 部屋の中で風が踊っていた。
あぁ、窓が開いているんだ。蝉の悲鳴も木々の香りも、恐ろしく鮮烈にあたしの脳髄を焼く。ことこという音が大きくなる。
 壁がたたかれている。床が踏みつけられている。そのたびに音。その都度振動。
「……どうして暴れるの」
 鮮明なこの空間の、窓際に立つ人影に投げかける。
 振り向いた少年の目元が赤い。手が痛いのか、泣いていたのか。そんなことの判別も、もうあたしじゃできない。長くここにいすぎている。なにもかもが麻痺している。
「なに、アンタ」
小さな口が開いてそう言う。流れるようなボーイソプラノ。頭に響かない音量と音域。それが少しだけざらついている。とがっている。いらだっている。
カーテンがひるがえる。
「あたし、向こうの向かいの病室の」
「……あぁ、俺とおんなじヤツ」
視線がそらされた。
 おなじ。なにがだろう。この子とあたしならきっとあたしのほうが年上。この子、ランドセルが良く似合いそうだもの。髪もあたしの方が長い。病室があたしのと線対称。カーテンの色が青い。
おなじ。なにがだろう。そうだ、ここにいる期間なら同じくらいって、たしかそう聞いている。履物がスリッパ。枕元に本。昼食が机の上に乗ったままで、手付かず。腕が二本で、足が二本で、頭が一つ、眼が二つ。考えてみれば同じことだらけ。きっと、カルテに記されるあの長ったらしい単語だって。
 彼の短い髪がかきむしられる。
「アンタもむなしくならない?」
「どうして?」
「アンタだって頭ん中、かちかち音がするんだろ?」
「あたしの場合、ことこというけれど」
 長いまつげがまばたく。アンタの方が進行早いんだ、と意味不明な呟きを漏らす、少年。
「だったらなおさら、なおさらだ。こんな耳鳴りごときに、俺達殺されるんだぜ?苛立たねーの?」
 耳鳴り?結晶していくこの音が?
違う違う、そんなんじゃない。
「苛立つの?世界の役に、立てるのに」
「は?」
 怪訝な顔の少年に、説明しようとする。この音の存在価値を。なにかを順序だてて話そうとするなんて久しぶり。やり方なんて覚えていない。この子の気が短くないことを祈るばかりだけど、さっきのかんしゃくを見るにそんなこと微塵も期待できない、ね。
 頭蓋の中で、結晶がかたかたいう。

「そりゃいいや、ヤマタノオロチってわけか、俺達」
「ヤマタノオロチ?」
「スサノオが退治した、頭が八つある龍。尻尾を切ったらアメノムラクモノツルギが出てきたって神話だよ。伝説の剣なら、オリハルコンなんじゃない?」
 頭じゃなくて尻尾だけど、と。目の前の肩が震えて、笑う。けらけらと聞こえる、その笑い声。
「頭で結晶したのが尻尾に集まったのかもね。八本なら相当の量があるでしょう」
「いいねいいね、俺達、ヤマタノオロチの末裔なんだ。きっと全部で八人いて、勇者がその八人を倒してオリハルコンを集めるんだぜ。魔王に対抗できる剣を造るために」
「倒す?」
「そ、そ。最終武器を持ってる奴って、中ボスなのが相場なんだよ。でかいドラゴンとかを倒すとさ、宝箱が出てきたりすんの」
「あたし達が、勇者と戦うの?」
「そうそう、負けると頭をかっさばかれて、頭ん中のお宝を取られるってワケ。まぁやられ役なんだけど」
「最後の障壁?」
「ってこと。あーあー、なるほどねー、勇者をラクにさせないために、俺達がいるってことなんだぁ。ダンジョンに来たらハイ手に入りましたー、じゃ、確かに張り合いねーもんな」
 あったまおかしいんじゃない、と言われると思っていたのに。からからと笑いながら、少年が言う。
「つまり俺達って龍なんだ。で、俺達の頭の中のコイツが、世界を救うってわけなんだな?」
 龍同士、理解が良いってことなのかも。
「アンタってサイコー」
 そうかな?

 雲を踏む足取りで廊下の先へ歩いていくと、空調が意味を成さない部屋があたしを迎え入れる。いつだって窓が全開で青い布のひるがえるその部屋で、展開されていく議題こそが、あたし達がここにいる意味。だと、思い、たい。
 いつまで待っても勇者が来ない。来なければいい。ずっとこのままでいられるから。

 あたしも少年も、本を本棚に並べなくなる。活字が灰色に滲んだ染みにしか見えないから。

 音がうるさい。歩くことが少なくなる。

 白い人達がよく来るようになった。機械がさらに増える。

たまに、少年に会いにいけない日ができた。

 重いドアを引き開ける。窓枠にはまったガラスがぴったりと閉じていて、青いカーテンが空調の風に揺られていた。
「……やぁ」
 ベッドに座って、机に伏せていた少年が視線を上げた。空気が乾燥気味なのに、見当たらない加湿器。
「……なぁ、昨日なに食べたか、覚えてる?」
「さぁ……」
 曖昧に微笑んでみせたあたしの元に、白い紙が一枚滑らされる。
「これ、昨日のメニューだって。俺ぜんぜん記憶にねーんだけど」
「食べなかったんじゃない?」
「だったら今頃、点滴来てるよ」
 記憶が薄くなってきてる、それぐらいあたしだって自覚している。オリハルコンの代償でしょう、仕方ないよ、これくらい。
少年が心底だるそうに、机に伏せられていた顔を上げてぼんやりと言う。
「目が回る……」
天井を見ている彼の目を覗き込む。懸命に虹彩を見極めようとして。一点に固定された黒目、瞳孔が開きかかっている。黒目が動いていないのに目が回るのなら、脳の処理がおかしいのだろう、たぶん。
「誰か呼ぶ?」
 押せば白い人達が飛んでくる、そのボタンを手探りしながら聞く。
 ずいぶん伸びた短い髪が、それでも左右に振られた。
「いいよ、大騒ぎになるし。『全力を尽くします』とか言って白い台に乗せられるんだぜ、きっと。ダメ元でアタマ開かれるなんてまっぴらだ。俺達の頭を開くんなら……」
「勇者じゃないと」
「だろ?」
 青いカーテンがひらひらと揺れる。陽光の色がやわらかいのもベッドが白いのもわかるのに、全てのものの輪郭が、奇妙にとろけてわからない。オリハルコンももう鳴らない。頭蓋いっぱいに結晶していて、転がるほどの空間がない。痺れたような感覚のなさが、首の後ろへと触手を伸ばす。
「お昼寝しよう」
 あたしの提案に、少年が変な顔をした、と、思う。たぶん。色も輪郭も滲んでぼやける。
「じゃあ戻んなよ」
 自分の部屋に?いやぁよ、あんな味気ない部屋。カーテンに青い色味すらない、色素の抜けた無機質なんか。
「ここがいいな」
しばらく沈黙したのち、気だるそうに頷く彼。
「いいよ、ここで、二人で寝よ」
 タオルケットを巻きつけて、寝そべって。一人用のベッドじゃ、横幅が少し狭い。
「……勇者が来たら、返り討ちにしちまおうぜ」
 耳元で囁く少年の声。
「俺、頭蓋骨割られるのなんてまっぴらだ。治りたいなんて贅沢言わねーから、アンタとずっとここにいたいよ」
 治る?なにを言っているの、キミ。オリハルコンの精製を、病気みたいに言うなんて。
「いいよ、なんでも。もしオリハルコンの話が、さ……」
 少年が途中で息を継ぐ。目を閉じたらしい。彼の長いまつげが、頬をかすめたから。
「……俺を、慰めるための嘘、でも、本当、でも……」
 ぐい、と腕を回されて引き寄せられる。あったかい。体温なら、まだわかる。首筋に吐息がかかる。
「……大丈夫、俺、結構、救われてる、ぜ……?」
 嘘?キミのための?とんでもない、オリハルコンの話なら、あたしのための嘘。ここにいる意味がわからなかったから、自分で作った物語。でもね。キミがここにいるから、キミがあたしの話、聞いてくれたから、もう本当の話。一人だとただの空想だけど、わかってくれる人がいるなら、それは本当。だから大丈夫。選ばれた龍であるあたし達だから、勇者なんてものともしないよ。
 あたしも彼も、そこで眠ってしまった。空調が寒くて乾いててしょうがなかったけど、でもあったかかったから。
 勇者が来たら、返り討ちにしよう。そうすればずっと、側にいられる。

 目が覚めると、窓の側で白いカーテンが揺れている。味気もなにもない自分の部屋。少し驚いた。あの白い人達がそんなことすると思ってなかったから。

 そしてそれが最後だった。

 少年に会えなくなった。あたしがほとんど歩けなくなったから。たくさんの機械に繋がれて、ベッドから下りるとそれだけでぴーぴーアラームが鳴る。頭の中の結晶と違って、耳障りな電子音。白い人達に聞いても、いつも同じ答えが戻ってくるだけ。きっと村人なんだ、この人達。おんなじセリフしか入力されてない。勇者にヒントを与えるだけの、あたし達にとっての障害物。

 違う?
 聞きたくても彼がいない。

 こっそり抜け出した先の病室に、青いカーテンがかかっていない。シーツのないベッドにマットレスが剥き出しで。足ががくがくしてきたから、空調が効きすぎて乾燥したその部屋から逃げ出した。足がもつれる。派手に転ぶ。リノリウムの床が鳴って、白い人達が来る。
 勇者が来たんだ。
 そしてオリハルコンを持ち去った。
少年を殺してしまった。
 次にあたしのところに来る?それとも他の六人のところへ行く?

 もうベッドから起きられない。眠くて眠くてしょうがない。救われてる、と言う少年の言葉がリフレインして響いていく。
 勇者が救えるのって世界だけで、そこにあたし達が入ることって、ないんだ。あたし達が選ばれた。救われない人間と定められ。
 知っている、いまさらだけど。知っている、いまさらだから。

 早く。
 勇者があたしを殺せばいい。
 だって、あたしは優れた龍なのだから。

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君にオリハルコンをあげよう

『「君にオリハルコンをあげよう」』
 パソコン画面には無機質模様の壁紙の上に稚拙な文章が並んでいる。
『そういって彼は彼女の前に跪き手をとる。彼女は嬉しそうな笑顔を浮かべながら、黙っている』
 少し引きながらも失笑してしまう。あまりにも子供じみたな設定、いや設定というよりもただの妄想に近いストーリー展開、そして語彙の少なさからくるのだろうか表現の稚拙さ、ページをスクロールすると青い文字で第二話へというリンクが張ってある。私はブラウザを閉じて、パソコンの電源を落とした。
 ベッドの上に寝転がりながら、未だに嫌な笑みを浮かべてしまう。最近、噂で聞いた私の名前が出てくるという小説、なんでも最近私の隣の席になった気味の悪い男子生徒が書いているらしい。興味本位で覗いたものの、気持ち悪いとしか言いようがない。少しだけ読んだが、彼は私のことを純真で佳麗な聖女のような女だと思い込んでいるらしい、話したこともないくせに。

 隣の席の彼がちらちらと私のほうを見ている。昨日、あんなものを読んだせいだろうか、彼のうざったらしい視線が妙に気になる。何度も何度も彼は私のほうを見ているようだ、彼は気づかれていないつもりなのだろうか。休み時間中も当然のことながら、休み時間も隣の席にずっと座ったまま、友達の席の近くに移動した私のほうに視線を動かしてくる。また、今もちらちらと私のほうを見ているのだろうか。思わず隣の様子を覗くと気まずいことに彼はちょうど私を覗き見ていた。彼の澱んだ瞳が私の視線の中央に入り込む。油で汚れている眼鏡のレンズ越しの目は拡大されているにも小さくしょぼくれている。顔はニキビとその潰したあとで凸凹になっている。髪の毛は汚らしい癖っ毛、整髪剤を使うことも知らないのだろうか、短く切ったあとそのまま無作為に伸ばし、手入れのしていない庭の雑草のようになっている。ところどころの若白髪、さらにフケさえもみえてしまう。見れば見るほど気持ち悪い。
 思わず引きつってしまい、ゴキブリをみるような表情を作りそうになるが、愛想笑いを浮かべる。すると彼も気持ち悪い締まりのない笑顔をみせてくれた。

「ほんっと、気持ち悪い。まじで見るのやめて欲しい。」
 ベッドで横たわりながら、思わず呟いてしまう。となりで寝転がっている男が私のつぶやきを聞いたのか、どうしたのと聞いてくる。
「別に、クラスの気持ち悪い男子のこと思い出しただけ。」
 気になる子とか、そういうやつ? なんて、あまりにもくだらない質問を彼はしてくる。彼の横顔と例の男子の横顔を比べてみる。細い眉毛。女の私のように小奇麗な茶色の髪と白い肌、いや私なんかよりも随分と熱心に手入れしているに違いない。流石に化粧はできないからだろうか、細い目に短い睫毛。ほんとうに馬鹿みたいに小奇麗にしている。白い煙が部屋の天井に向かって昇っていく。思考が深く、深く沈んでいく。

 彼は何故、あそこまで私を美化したのか。いや美化したわけではない、彼はもともと私がどういう人となりなのか知りはしないのだから。クラスメートの彼は私の外見だけで、あんなくだらないイメージを作ったのだろう。一ページだけ読んだつまらない小説の中に出てきた私、その性格は清廉潔白で公明正大。誰にでも優しくて、笑みを絶やさない。なんて、つまらない自分だろうか。彼の理想の女とはそんな薄っぺらいものなのだろうか。

 窓の外では雨が降っている。湿気がひどい、綺麗にストレートパーマーをかけた自分の黒髪が気になり、軽く左手を沿えて、なでつける。少しだけ髪が跳ね上がっているようだが、この程度なら気になるものでもないだろう。帰ったら、少しブラシをかけよう。
 窓の外でそっと覗く。学校の周りの木々の深緑の葉に雫が滴る。放課後、さっさと帰ってしまいところだが、約束した知り合いが来るのを待ちながら、窓の外を覗きながら溜息をつく。窓の外も見飽き、廊下の様子をみると左のほうから、男子生徒が急ぎ足で歩いている。例の男だった。私に気が付いていないのか、それとも気が付いているからか。ぎくしゃくとしたカッコワルイ急ぎ足で私の目の前を通り過ぎていこうとする。雨が降っているのに、傘をもっていない。
「ちょっと待って。」
 気持ちの悪い急ぎ足をとめて、彼が私のほうに振り向いて、気持ち悪い顔をみせてくれる。
「傘持ってないみたいだけど、大丈夫?よかったら貸そうか?」
 彼は呆然とした様子で私の差し出した傘を見ている。彼は口ごもりながらも、噛みながらも、借り手もいいのかと聞いてくる。
「いいよ、同じクラスでしょ。確か君。」
 彼はおおげさな身振りで感謝の念を示しながら、私の傘を受け取る。困惑しているのか、歓喜しているのか彼の動作は一々おおげさで、笑ってしまいそうになる。
「それよりも、私にオリハルコン、頂戴。」
 彼の動作に笑ってしまったのか、それともこんな馬鹿げたことを言ってしまった自分に笑ってしまったのか。含み笑いしながらいう。自分の後ろのほうから、聞き覚えのある声が響く。振り向くと待っていた知り合いが来たらしい。
「待った、何してたの。」
 彼のほうは一切見ないで、興味の欠片もないようなそぶりで振り返り、知り合いに手を振る。男二人に女一人だ。
「ねぇ、誰か傘に入れてくれない。」
 どうしたの? と可愛らしい笑顔を作っている女子が聞いてくる。
「ちょっとね。……え、入れてくれるの。嬉しいな。」
嬉しそうに相合傘を受け入れてくれた男子に媚びた声を出しながら、擦り寄る。
「さ、行こう。行こう。」
 肩越しに彼を見やる。大事そうに傘を握っていた。コンビニで買った安物のビニール傘を。
 相合傘の相手はあまり背が高くなく、少しだけ私は濡れてしまった。これならば、背の高い、もう一人のほうの傘に入ればよかった。しまいに、私を彼は家に送りもしない。中々に最悪だ。

 ちらちらと彼が私のほうを見ている。晴天だというのに、彼は安物のビニール傘を机の横に大事そうにかけている。この授業が終われば昼休みだ。今日はどこに遊びに行くか考える。カラオケは昨日行った、一昨日はファミレスで無駄に時間を潰した。明日は休日だというのに模試が入っていて、一日が潰れてしまう。今日はできるだけ遊んでおきたいが、中身が残り少なくなった財布を顧みても散財するわけにはいかない。そもそも、誰と遊ぼうか。そんなとりとめもないことを考えているうちに授業は終わってしまった。授業中ずっとちらちらと私のほうを見ていた彼が教室から出ていこうとする私を引き止める。
 周囲にいた友達がざわつく、私と彼のことを怪訝そうな顔をしている。クラスでも地味な、いや気持ち悪い部類の彼が私に話しかけてきたのは、確かに怪訝なことだ。もしかしたら、彼が気持ち悪い小説を書いているという噂を聞いたこともあるのかもしれない。
「ちょっと先にいっておいて。少し彼と用事があるから。」
 不審そうな様子を崩さずに友人たちは購買部のほうへと向かっていく。

「……あの、傘、ありがとう……」
 人気のない廊下で私と彼は立っている。珍しく彼の髪はきちん整えられていて、いつものようにバラバラの長さの髪の毛が無造作に癖でたっていない。しかし、のっぺりと撫で付けられている髪は別の意味で気持ち悪い。
「別に返してくれなくてもよかったのに。というか邪魔だから、返さないほうがよかったかな。」
 私は彼の差し出す傘を受け取ろうとはしなかった。彼は困惑した様子で差し出した傘を引っ込めることもできずに固まっている。
「で、まだ何か話があるの?」
 私は笑いもせずに彼に問いかける。
「えっと……その……」
 頑張って私を連れ出せたのはよかったのだろう。しかし、私がありがとうと微笑みながら傘を受け取ってくれるとでも彼は考えていたのだろうか。
 彼はまごつきながら、ズボンのポケットの中を漁る。私はその様子を冷たく、汚いものでも見るかのように見守る。
「これ……。」
 彼が取り出したのは小石だった。薄緑をした小石、小さいころの私なら綺麗とでも思ったかもしれない。今の私には興味の湧くものでもなんでもなかった。。
「オリハルコンは……なかったけど、これ……」
 小汚い男が小汚い小石を掌に載せて、私に差し出しながら必死に喋っている。
「小さいころに……父さんと一緒に川原で拾った石で……ずっと大事にしてたんだけど……」
 その石の思い出を彼がどもりながらも必死に喋っている。川原? 父さん? それがなんだというのだろう、私の人生には一切合財関係ないじゃないか。
「ふぅん、それで?」
 私はつまらなそうに、ぶつぶつと彼が喋っている声を遮る。
「……これを……君にあげよう……と思って。」
 彼の右の掌は相変わらず私に差し出されている。顔を下に向けて、ぶつぶつとぶつぶつと喋っている。
 緑色の小さな石を私は彼の掌から奪いとる。彼は下を向けていた顔をこちらに向けて、驚いたような顔をみせてくる。そんなにこの石を私に渡せたことが嬉しかったのだろうか。やっぱりなでつけられている髪が気持ち悪い。いや、相変わらず顔が気持ち悪い。
 彼の顔ににっこりとした笑顔を見せてあげる。いや嬉しいのは、本当だ。
体を窓のほうに向ける。右手に握り締められている小石を空いている窓に向かって投げつける。窓からはからっとした風が吹いていて気持ちいい。

綺麗に小石は外に落ちていった。

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御姫様とその護衛のカンケイ

 貴族のお嬢様なんか大っ嫌いだ。

 歓声に満ちた円形闘技場の中心部。熱狂に沸きあがる観衆が見守るなか、俺は筋骨逞しい三十代と推定されるオッサンと向かい合いながら、敬愛する自分の主に心の中で力の限り悪態をついていた。
「……最悪だ」
 観客達の真ん中に武器一本持たされて放り出されたこととか、よりにもよって第一試合の相手が軍人あがりのごっついオッサンだったこととか、無責任な主が必ず優勝して来いとかほざ……いや失礼、仰っていたこととか、今朝の朝食のパンを焦がしてしまったこととか、今日の占いで水瓶座は最下位だとか、とにかく全てが最悪だった。
 何日も悪夢となって俺の安眠を妨げてくださった主のついうっかり見惚れるほど可愛らしい笑顔と、ご無体極まりない台詞はきっと一生忘れられない。曰く、
『絶対、優勝してきてくださいね、オリビエ。わたくしの従者なのですもの、それしきのこと、出来ますわよね?』
 アデライード様、いくら王族傍系の大貴族のお嬢様の護衛でも、世の中には出来ることと出来ないことというものがあるんです。いくら俺でも自分の二倍はありそうな体格の男に勝てると即答できる自信はないんです。そんなキラキラした目でこっち見たって無理なものは無理なんです。ってゆーか武闘会の出場は本来護衛の仕事じゃありません。ちゃんと危険手当は出るんでしょうね、アデライード様ッ!
「では試合始め!」
 悶々としているうちに試合は始まってしまった。
開始の合図と同時に、咆哮を上げながら巨漢が襲い掛かってくる。ぼさっとしていたら賞金どころか命ごと持っていかれそうだ。もちろんまだ命は惜しいので慌てて剣を構える。
「うらぁっ!」
 ガキンッと金属同士のぶつかり合う音が闘技場に響いた。
うう、なんて馬鹿力だ。
俺は渾身の力で刃を押し返し、素早く巨漢から遠ざかる。両腕の痺れを必死に隠しながら、余裕を装って男との間合いを計った。
この試合、すぐにでも終わらせないと殺られる。俺は早くも勝負に出ることに決めた。
「はぁあっ!」
 響く剣と剣の衝撃音。飛び散る汗。舞い上がる砂埃。咆哮。歓声。その中心で俺は思った。
ああ、アデライード様。この仕事、絶対割に合わないです。


「オリビエ、わたくし欲しいものがありますの」
「何でございますか、アデライード様。先に言っておきますが、もう野生のホロホロ鳥は捕まえてきませんからね」
 野生のホロホロ鳥が見たいと言われ、炎天下を駆け回ったのは確か先月のことだ。
 主は美しい弧を描く眉をひそめて不服そうに言った。
「ホロホロ鳥はもういいですわ。思っていたより不細工な鳥でしたわね。肉は美味しかったですけれど。そうではなくて、今度は馬で三日も掛かりませんわ。都内ですもの」
「はぁ……」
 アデライードはにっこりと、それはそれは晴れやかな笑顔で俺を見た。
 嫌な予感がする。
「何を、ご所望なのですか?」
 聞きたくない。全力で聞きたくない。
 けれどアデライードは容赦無く、純真そのものの口調で言い放った。
「あのね、オリビエ。わたくし、『オリハルコンの剣』という物が見てみたいの」

 オリハルコン。それは手っ取り早く言ってしまえば、「すごく硬くて、すごく軽くて、すごく丈夫で、ものすごく貴重な金属」の名前だ。そのオリハルコンを鍛えた剣、その名も「勇者の剣」が次に開かれる王家主催の武闘会の優勝者に与えられる、とアデライードは言った。
「物の本によると、オリハルコンは何色とも言い表し難い光に輝いているのですって。ああ、素敵」
 アデライードは胸の前で手を組み、うっとりと虚空を見上げている。胃が痛くなってきた。
「……お嬢様。またお裁縫の授業をさぼって、冒険小説をお読みになっていましたね」
「オリビエ。細かいことを気にする男は、女性にもてなくてよ」
「そういう問題じゃありません。とりあえず授業を抜け出された件については、後で侍女長殿に報告させていただきます」
「うっ! ……とにかく、申し込みはわたくしが済ませておきました。試合日は二週間後です。今日からしばらくの間、仕事の時間を減らしてあげますから、鍛錬に励みなさい」
「ちょっと待ってくださいお嬢様っ!! なんですかそれ、私の意思とかその辺のことは丸無視ですかっ!」
 アデライードは哀しそうに目を伏せて、物憂げな仕草で口元に手をやった。
「事後承諾になってしまって、貴方には悪いことをしましたわ」
「本当にそう思ってらっしゃるんだったら、今すぐ私の出場取り消してきてくださいー!!」


 午前の部が終わった頃には、俺は精神的に疲れ果てていた。
 支給された弁当をもそもそと食べながらげっそりと呟く。
「まだ、二回戦……」
昼からは三回戦だ。胃が痛くて、正直食事なんかする気分じゃない。でも食べないとやってられない。
「おい兄ちゃん」
 やけに馴れ馴れしく呼びかけられた。振り返る。ヒョロ長い男が立っていた。もちろん見覚えは皆無。
「アンタ、モンローとやった奴だろう? あいつに勝つとはやるねぇ」
「モンローって誰だ?」
 ついでにお前も誰だ。
『アンタが一回戦で倒したでかい男さぁ。マリリン・モンローつったら割と有名な傭兵だぜ」
 そりゃあ有名だろうな、そんな名前じゃ。
「へぇ」
「まぁ俺もここいらじゃちょいと名の知れた奴なんだけどよ」
「へぇ」
 面倒臭いなぁとか思いながら、適当に聞き流す。暇な奴がいるものだ。飯くらい静かに食わせて欲しい。
「……でよぉ、この真実のインコ様にお願いすりゃあ、どんな願いでも叶うんだぜ」
適当に相槌を打っていたら、いつの間にか話題は宗教の勧誘にすり替わっていた。
「どうだい兄ちゃん、アンタも真実のインコ教に入信……」
「断る。うちは代々浄土真宗だ」
 嘘だ。
「目障りだ、とっとと何処か行け」
睨みつけたら男はそそくさと去って行った。
まったくこの国にはろくな奴がいない。
アデライード様。俺、もう帰っちゃ駄目ですか?


 武闘会で疲れた身体を休めるようにと貰った休暇の翌日、主の自室に現れた俺の顔を見た主、アデライードは軽く目を見張って、可愛らしく首を傾げた。
「まあオリビエ。随分男前になったこと」
「ええ、まあ、おかげ様で」
 曖昧に笑った俺の左頬には大きな絆創膏。そのほかにもあちこちに切り傷や擦り傷ができている。
アデライードは溜息をついた。
「それにしましても情けないこと。四回戦で敗退なんて」
「そうは仰いましても、ベスト十六ですよ? 私にしては結構頑張った方じゃないですか」
「でも! わたくしはオリハルコンの剣が欲しかったのですわ!」
 アデライードは豪華な椅子の肘掛部分を両の拳で叩いた。
「お行儀が悪いですよ」
 俺の小言にアデライードはぷいっとそっぽを向く。俺は溜息をついて懐から絹の布包みを取り出し、黙ってそっと主に差し出した。
「なんですの?」
 布包みをちらっと見、不機嫌を隠さずにアデライードは尋ねる。
「ご所望の品ですよ」
 訝しげな顔で振り返った主に、ついでににこっと笑ってみる。
 アデライードは俺が差し出した包みを怪訝な表情でめくった。中からは金色とも銀色とも言い表せないが、とにかく光る金属製の細長いヘラのような物が現れる。
「なんですの? これ」
 アデライードは眉を寄せたまま、そのヘラのようなものをつまみ上げた。
「ペーパーナイフです」
「は?」
 俺は目が点になっている主に、噛んで含めるようにゆっくりと言う。
「だから、オリハルコン製の、ペーパーナイフです」
 今現在主の手中にある布包みは、帰り際に出口で一人一つずつ渡されたものだ。役人曰く、参加賞。ちなみに口が裂けても主には言えないが、本当はメッキだ。
「……オリビエ」
 アデライードは抑揚の無い声で俺を呼んだ。
「はい?」
 アデライードは高価そうな椅子を荒々しく鳴らして立ち上がった。
「わたくしが欲しかったのは、小刀(ナイフ)ではなく剣(ソード)ですわっ!!」
 確かに自分でも代わりにペーパーナイフはないだろう、とは思う。だが本物なんて手に入る訳が無い。
「もうこれでいいじゃないですかアデライード様! オリハルコンには違いないでしょう。我慢してください!」
「馬鹿言わないでオリビエ! ペーパーナイフでドラゴンと戦えますか!」
「戦わなくっていいんです! っていうか変な冒険小説ばかり読まないでください!」
「オリビエの分からず屋! もういいですわっ!」
 アデライードはどかっと椅子に座り、乱暴に机の上から臙脂色の上装丁の本を取って開いた。ぺらぺらとページを繰っていた手が目的の記述を見つけたのか、あるところで止まる。三十分ほど熱心にその本を読んでいたアデライードは、紙面から視線を上げもせずに俺の名を呼んだ。
「ねぇ、オリビエ」
「何です?」
 嫌な予感がする。
 聞きたくない。全力で聞きたくない。
 けれどアデライードは容赦無く、純真そのものの口調で言い放った。
「サラマンダーの尻尾って、引っ張ったらやっぱり切れるのかしら?」

……貴族のお嬢様なんか大っ嫌いだ。

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どこにもない

「僕には如何しても其れが必要なのです」
 碧い目のうつくしい若者は今にも頭を地に着けんとするような焦りと必死さの滲む声音で賢者に言った。
「ほう、此れが」
 対する賢者は年老いたものに特有の哀れみに似た静かな眼差しを以って溜息のように呟いた。
「はい、其れが。オリハルコンが」
 答える声は信仰者のような敬虔さに満ち、瞳からは信頼が泉のように湧き出て閃くかのようだった。賢者は目尻の皺を更に深くしてゆっくりと細い息を吐き、口の中で何か呟いた。それから、咀嚼するような丁寧さで尋ねた。
「何(なに)故(ゆえ)に?」
 若者は白く整った貌を輝かせた。一縷の光を見たと言いたげな表情を賢者は哀しげな瞳で捉えたが、若者はそれに気付かずに紅い唇を開いた。
「囚われの姫を助けたいのです」
 そうして若者は滔滔と隣国の姫君が悪しき魔法使いに攫われて竜に守られた高い塔の天辺に閉じ込められているということを、切実さが滲み出る口調で語った。
「僕は姫の乳母の息子で、幼いときから共に育ちました。姫の五歳の誕生日に招かれた魔法使いが姫の美貌に嫉妬し呪いをかけ、『姫が十七を迎えるまでに恋を知ったら、姫を攫い我が塔のものとする』と言ったのです。王は姫を城に閉じ込め、全ての男性と会うことを禁じました。けれど姫は十七の誕生日、完全に締め切られた部屋から忽然と姿を消していました。寝台には魔女の刻印が残されていたんです。魔女の呪いが発動したに違いありません」
 賢者が僅かに眉を寄せた。
「違いない、とはどういうことだね。姫は塔に囚われているのだろう」
「そう言われています。塔には魔女の刻印が浮かび上がり、魔女の魔力が感知されているうえに、竜もまた魔女の刻印により支配を受けているようなのです。ですが」
「なるほど。魔力と竜とに守られているせいで何者も塔に入ることが出来ない」
 若者は悲痛な面持ちで頷いた。
「そのとおりです。ですが僕は、姫があの塔に囚われていると信じています。そして僕は姫を救いたい、いえ、救わなければならないのです。だからそのために」
「此れが要ると」
「はい」
 賢者は深い息と共にそうかと言い、ずるりと老体に纏ったローブを引き摺り若者に近付いた。老いて曲がった背中をゆっくりと伸ばせば、すらりと背(せい)の高い若者の耳元に届いた。驚き目を見張る若者の健康な肌柔らかな耳朶に、賢者はゆっくりと吹き込むように囁いた。
「救わなければならぬ(・・・・・・・・・)と言ったな? 何(なに)故(ゆえ)に。見ればお前はまだ若く体も貧弱、筋肉も然程ついてはいないし指先もうつくしく荒れを知らぬ。その上容姿は美しく喋りは流麗――どうして竜退治をする柄であろうな」
 賢者は追い詰めるようにゆっくりと言葉を重ねた。喉奥に篭る笑いは嗜虐に近かった。
「それなのにその無謀ではまるで、責務がある(・・・・・)と言いたげだ」
若者は俯き目を閉じる。きつく噛まれた紅い唇に、賢者は満足げな笑みを浮かべて、声だけを優しく偽った。
「いや、答えずとも構わぬよ。愚かだが、若いというのはそういうことなのだと、私は知っているからな」
 若者の位置からでは賢者の顔は間近すぎて見えなかった。見れば見下ろす無礼に当たる、だから、若者の喉が緊張で鳴るのを賢者が甚振るように眺めているのが見えなかった。
「いえ、どうか。どうか僕に、言わせてください」
 だから若者は、若者が震える声を発したときに、賢者がまるで人が堕ちる刹那を目にした幸運な悪魔のような狂喜の貌をしたことにも気付かなかった。
「僕には責務があるのです」
 若者の声は情熱に溢れていた。
「姫は五つの誕生日から、ほんとうに、いちども男性にあっていないのです。父親である王自身ですら、万に一つを恐れて姫と会おうとしなかったのです。だから姫が恋を知るはずなどない。なのに呪いは発動してしまった」
 一旦話を始めれば、若者の言葉は止まらなかった。制御するものをなくした洪水は、若者の思いの丈を含んで零れた。
「つまり姫は、恋を知ったということです。誰にも会わずに? それともよもや世話付きのメイドに? いえ、そう考えるよりもむしろ」
 若者の瞳には熱が宿っていた。特有の病気の患者に見られる特有の熱が。
「姫はすでに恋を知ってしまっていた(・・・・・・・・・・・)のだ――そう考えるほうが余程自然です」
 若者は妄信にすら近くはっきりとそう言った。
「すでに? つまり、呪いがかけられたときにはすでに」
「そう」
「なるほど、つまり?」
 賢者がわざとらしく促すと、若者はそのとき初めてほんの少し頬を赤らめ間誤付いた。
「つまり、……姫が一番長く時を過ごしたはずの異性、即ち、……僕、に」
「なるほど!」
 先程とは随分と違う幼く照れた態度は十分に賢者を満足させた。賢者は陽気に声を上げると、なるほどなるほど、と、ゆっくりと二回頷いた。
「だからお前には責があると。姫に恋を教えてしまった責が」
「はい。だから僕は、姫を助けなければならない。僕が、姫を助けなければならない」
「そのために此れを求める。未熟な腕の変わりに、最強の武器を求めるのか」
「腕は磨いているつもりです。たしかに一流には及びませんが、自分の身を守ることは出来ます。それに、オリハルコンは究極の金属」
 若者の声はもう震えてはいなかった。
「それで作られた武器は、使い手の腕など問題にしないといいます。魔物は光に怯え、魔力を打ち払い、竜の肉も軽く突き破ると」
 若者の希望に満ち、期待に溢れ、夢を抱いた言葉に、賢者の薄い乾いた唇が歪んで攣りあがった。
「そうか、……そうか」
 賢者が繰り返し呟く声に若者は背に怖気が走るのを感じた。じわりじわりと足元から何かが這い登ってきて引き摺り落とされる、そんな悪夢に似た震えだった。
賢者の呼吸が若者の首筋に触れて、若者の息を凍らせた。
「若人よ、お前が持っているものは、そして求めているものはすべて同じ哀しきものだ」
 賢者の囁きは宣告に似ていた。

「そんなものはどこにもない(・・・・・・・・・・・)」

 ひくりと、若者のしろい首から不恰好に浮いた喉仏が揺れた。
 それを満足げに眺めると、賢者はゆったりと若者から体を離した。ひらりとローブの長い裾を翻す様は優雅なダンスにも似て、若者はやっと見えた賢者の顔がとても若く、そして残酷に閃いたことに愕然とした。
「さて若人よ君に問おう! 恋とは何か?」
 すらりと伸びた背筋で軽やかな足取りで、賢者は高らかに声を上げた。
「恋という形のないものがどうしてわかる? そんなもの、賢者であろうと魔女であろうとわかりはしない」
 若者が顔を上げた。蒼白な面差しはもう少しで崩れ落ちるように見えた。
「それにそもそも姫がお前に恋をしていたのなら、呪いの条件は不公平に過ぎて掛けられるまい。『十七までに恋を知ったら』? その時点ですでにお前に恋していたのなら、それは発動の条件が既に満たされている。表が出る仕掛けのコインに賭けるような不公平では魔法は掛からない」
 賢者は意地の悪い教師のように、若者にとって絶望に塗れた答えを引き出した。
「つまり(・・・)、お前に責などない(・・・・・・・・)」
 賢者の顔は嬉々と輝き声はうつくしく滑らかに流れて、もっと若者を痛めつけようと、留まるところを知らずに溢れた。
「しかも恋など形がなく測りようがないのだから、条件はもっと直裁であろうな。そうだな、魔女で醜女となれば恐らくは男を知らずに魔術に手を染めた口であろうから――きっと酷く単純に、姫が知ったかどうかであろうよ。もちろん、恋などという見えぬ不確かなものでなくて」
 賢者がちらりと若者に走らせた視線が、その一言を求めていた。若者に、自らで自らに止めをさせよと強いて。
「――純潔を」
 若者の声にもう色は無かった。うつくしい白い貌はもはや蒼褪めて、碧い瞳は薄氷色に凍り付いていた。
「失ったと、いうことですか」
「その通り!」
 答えに辿り着いた生徒を褒めるように賢者は顔に笑みを浮かべた。
「しかしどうにも、王宮の人種は言葉が綺麗でいけないな。男を知ったと、処女ではなくなったと、はっきりそういえばいいのに――純潔とはまた、男を知らねば綺麗であるような幻想だ」
 呟きは独り言に近く、若者の耳には入らなかったかもしれない。打ちひしがれた若者から表情は失われ、もう二度と戻ってくることがないかのように見えた。
「大方、お前も過保護な父親も知らぬところで、情を交わしていたのだろう。年頃の娘の好奇心を押さえつけるなど不可能だ。そして往々にして好奇心は猫を殺してしまうのだが、まさにその通りになってしまったというわけだな。部屋の外の世界に憧れて、抜け出た先で出合った警備兵とでも恋に落ちたのだろう。少女とは愚かな生き物だからな」
 賢者は滔滔と語り続けた。
「もしかしたら十七の呪いを逆手にとって、二人で手に手を取った駆け落ちでもしている――というのが事の真相のような気もするがね。密室からの失踪は内部の犯行である可能性をまず考えなければ。魔女もまた、娘への嫉妬よりも王宮への報復の意識の方が強いだろうから。お前は自らの使える王宮の恥部など知らぬだろうが、あの魔女はあの王家に積年の恨みがあるんだよ――だから、一人娘がいなくなって血筋さえ途絶えてくれれば、閉じ込める必要もないというわけだ。だからもしかしたら、君の求める姫は最初からいない(・・・・・・・・・)のかもしれない」
 そこで賢者はくくっと意地悪く笑った。
「いや、そもそも、君の抱く幻想のお姫様がいやしないことは、私が証明してしまったか――」
「――オリハルコンを」
「――ん?」
 楽しげに語る賢者の前で、若者はふと顔を上げた。
「オリハルコンを、頂けませんか」
「……?」
 若者の静かな願いに、賢者は僅かに細い目を見開いた。
「どうして? もうお前には、必要のないものだろう。背負うべき責も、救うべき姫も、どこにもないのだから」
「いえ」
 若者は、氷を弾いたような冷たく透き通った声で答えた。
「責は、確かにないかもしれません。けれど、姫は、いるかもしれません」
 若者の蒼い瞳が、真っ直ぐに賢者を捉えて煌いた。
「僕に恋したのでなくても――誰かの腕に抱かれたのであっても、呪いにより捕らえられた姫が、いるかもしれないのです」
 その眼差しは、どうして最初よりも真摯で揺らがなかった。
「僕は姫を救いたいのです」
「……救わなければならないのではなくて?」
「はい。救いたいのです」
「……何(なに)故(ゆえ)に」

「姫のことが、好きだからです」

 若者の照れたような笑顔が閃いて、賢者は僅かに目を眇めた。
 そして徐(おもむろ)に踵を返し、部屋の奥にある古びた棚を開ける。
 光が溢れた。
 きらきらと蛋白石(オパール)のような七色の光が内側から溢れて狭い空間を満たしていく。その様は宛(さなが)ら洪水のようだった。
「……これ、が?」
 若者が呆然と呟き、賢者は頷いた。
「オリハルコン……」
 ふらりと、引き寄せられるように若者が一歩踏み出した。滑らかで細い指先が吸い寄せられて光に触れる。金属のような冷たさを持たないそれに触れ、つるりとした表面をなぞったそのとき。
 ぱきん、と、硬い音がした。

「……え?」

 ぱきん、ぱき、ぺき、ぱら、ぱらり、ばら、ばらり、ばき、ばきん、ばきっ、ざら、ざらり、ざらっ、ざらざらざら……
 割れ、壊れ、崩れ行く音の洪水と共に、目の前で光が収束し消え入っていく様を、若者は悪い夢でも見ているように碧い目を見開いて見つめた。うつくしく光を放っていた究極の金属は、若者がほんの少し触れただけであっさりと崩れ落ち、今ではただの砂の山と化していた。
「言っただろう?」
 背後に立つ賢者の声が若者に降りかかった。

「お前の持っているもの。お前の求めているもの。
 ――そんなものは、どこにもない、と」

 厳かな神託のようなそれに、若者はほんの少しだけ震えた。うつくしい指先が、一瞬の夢の残骸を掬って、縋るように握り締めた。けれど砂は余りにも細かく、どんなにきつく握り締めたところで零れ落ちるしかない。
 冷たい沈黙と絶望とが部屋を支配したことに、賢者は満足したように息を吐いた。ふわりと長いローブがはためき、巻き起こった風がただの砂であるものを舞い上がらせる。
 若者が目を擦る。泣いていたのかもしれないし、砂が目に入ったことを、いい言い訳に出来ると思ったのかもしれない。
「――あり、ます」
「……ん?」
「僕に責はない。僕の求める姫はもういないかもしれない。僕の求めたオリハルコンはない。だけど」

「僕の求める恋は、僕の恋は、たしかに、あります」

 若者が立ち上がる。砂の山を踏み潰して、しっかりと。
 賢者の脇をすり抜けて外への扉を開ける。
 部屋に差し込む、眩しい光を背に。
「ありがとうございました。僕は、――僕の手で、竜を、倒します。オリハルコンなんて、なくても」
「……そこに、姫がいなくても?」
「はい。……そしたら、姫を探します。もしかしたら、他の領域に囚われているのかもしれませんし」
「……姫が、誰かと幸せに暮らしていたら?」
 若者は、ぱちりと目を瞬いた。

「それはいいですね。姫が、囚われの辛い時期を過ごさず、幸せで居てくれたとしたら――そんなに素晴らしいことはない」

 ありがとうございました。
 もういちど、若者は賢者に頭を下げて、来るときよりも余程確かな足取りで苦難の道に向かう。
 残された賢者は、砂に手を掲げて少しだけ笑った。光を取り戻していく砂は、鍛え上げれば究極の武器になるだろう。


「大丈夫。
――すべて、そこにある」


 賢者には若者の背負う光が、たしかに、この虹色に見えたのだった。

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たとえ太陽が空から落ちても

「むし」、と呼ばれている。大きな屋敷の片隅で、今も住んでいる。そこの主人も、その妻も、その息子も、その娘も、下男も下女も、料理版も庭師も、ただ「むし」とぞんざいに吐き捨てるように、呼ぶ。呼ばれるのは嬉しい。持ち得るものはこの五体満足な身体だけであるけれど、それを使って誰かを助けられるのは、嬉しい。
 「むし」と呼ばれる日々を過ごして来て、決して、そうやって嬉しいばかりの日々ではなかった。頼まれた仕事をうまくこなせず罰を与えられたり、冷たい夜露に震えながら眠る夜を過ごしたり、理由なく暴力を加えられたり、嘲笑されたり、たくさんの痛みを知った。たくさんの痛みを知って、他人の痛みが気になった。屋敷も、たまに出る町も、様々な痛みを抱えた人でいっぱいだった。痛みの形や大きさに問わず、人々は同じように痛みを抱え、苦しんでいた。苦しみのあまり、自分を、他人を、傷つける人もたくさんあった。
 まるでそれらは我が事のように響いた。彼らが苦しんで、悲しんでいるのを見ているのは、途轍もない苦痛であった。彼らを苦しみから解き放ってやりたいと思った。けれど、この身が持っているのは、貧相ながら五体満足なこの身自身のみだった。けれど、そこから出来ることをしようと思った。
 痛みを抱える人々に、この両腕を差し伸べた。彼ら自身の抱えるそれぞれの痛みを癒してやることは出来なくても、また立ち上がり、進んでいこうとする心が息を吹き返すようにと。腕の中に、そのまま抱かれる者もあった。さめざめと泣き出す者もあった。腕を拒む者もあった。いきりたって、こちらを動けなくなるまで足蹴にした者もあった。それで、救われた者があるのかどうかは分からない。けれど、そこに痛みを抱えた者があれば、腕を伸ばさずにはいられなかった。
 たくさんの人を、苦しみから救いたかった。けれど、この身には力などなかった。それだけの理由で、全てを諦めたくないと思った。こっそりと図書室に忍び込んで、書物をあさった。何もかも、損じたくないと思った。
 図書室に忍び込んで幾度目かの真夜中、古い記述を見つけた。世の中の、ありとあらゆる人に幸せを与える物が、この屋敷から山を十七越えた所にあると。
 その物の名前は、オリハルコン、と言った。

 それを手に入れることが出来れば、人はもう苦しむことなしに生きてゆけるという。人を飢えさせることなく、欠かせることなく、全てを満たすことが出来るのだと。人から悩みも憂いも取り去り、よろこびと希望を与えると。
 それを手に入れれば、人々の痛む姿をもう見ないで良いと思った。どんな代償を払ってでも、それをここへ持ってくることが出来たらどんなに良いだろうか。誰もが幸せそうな顔をして、満ち足りた生活を送れたらと思うと、胸がいっぱいになった。
 それで、ある夜こっそりと屋敷を出た。誰もが寝静まるのを待って、この身ひとつだけを連れて抜け出した。一度だけ振り返ると、月もないどんよりとした空を背景に、大きな影となって屋敷は息を潜めているようだった。過去のいつを思い出しても、いつもこの屋敷は影だった。たくさんの人がいても死んだように静かで、冬のようで、寂しかった。そんな屋敷をしばらく眺めて、もう二度と振り返らなかった。がむしゃらに歩き続けた。

 長い長い道程の間で、様々なことがあった。ならずものたちに取り囲まれ、かろうじて纏っていたぼろを奪い取られたり、食べるものがなくてぽっちり掘った木の根を貪り食ったり、立ち寄り宿を乞うた村でまるで相手にもされず、それどころか石を投げられ農具を振り回され追われ、命からがら逃げ出したり、逆に貧しいもののささやかなもてなしをされたり、した。その間中、「むし」と呼ばれることはなく、自分が一体誰であるのか分からなくなるときもあった。「むし」と呼ばれることもなく、一体自分が何のために何を成そうとしているのか分からなくなるときもあった。
 けれど、足を引きずってでも先を、目指した。人の痛む姿は、もう見たくないと固く思った。
 長い長い時間が経ったように思われた。逆に、屋敷を出てからそう経っていないようにも思われた。ともかく、山を十七越えたとき、もうすっかり冬であった。辿り着いたのは、裸の足に凍えそうに纏わり付くさらさらの砂でいっぱいの、海岸であった。その向こうでは、不気味な色をした波が不機嫌そうに荒れ狂っていた。それが、霞む目で見た全てであった。
 片腕をなくし、残ったもう片方の手も無事なのは三本の指だけ、片足は黒く縮み、傷だらけ肉刺だらけのもう片足は歩き疲れて棒のよう、そんな姿であった。見渡す限り塩辛そうな海と雪のような海岸が広がるばかりで、求めるものは見当たらないようだった。
 そうとなれば、求めるものはこの海の底にあるのであろう。躊躇わず、冷たく刺すような水の中に飛び飛んだ。途端にどちらが上やら下やら訳が分からなくなるほど凍える水の中をもみくちゃにされ、すぐに意識を失った。

 次に目を覚ましたのは黒くごつごつとした岩場の上であった。命が助かったことがまず信じられなくて、しばらくぼうっとしていた。やっと人心地付いて、ぎしぎしと痛む身体を広げ、指の欠けた手のひらに何かを握っていることに気付いたとき、やはり信じられなかった。縮こまり強張った手をようやく開くと、ころりと奇妙な色の丸っこいものが零れ落ちた。霞む目を凝らして見たそれは、どんよりと曇った空の下でもきらきらと不思議な七色に輝く、艶やかで滑らかな感触の石ころのような物。
 これが、求めていたものであると、直感的に思った。
 これこそ、人々を救う、オリハルコンであると。
 これさえ持ち帰れば、痛む人々を苦しみから救うことができる。それを考えると、いてもたってもいられなくなった。身体の痛みも忘れ、ふらつく身体を引き摺って走り出した。その手に握られたものを見ると、人も動物も恐れをなして近寄ってこなかった。それにすら気付かず、がむしゃらに走った。
 時は、走る速度のように、風のように過ぎた。見慣れた屋敷が見えた頃、何年もが過ぎてしまったように感じた。
 気が急いて、正面の大扉から中に飛び込む。扉の軋む音が、大仰に屋敷のホールに響く。屋敷に巣くう陰は一層に濃くなったように思われた。空しい容れ物のような空間。
 その音に主人が飛び出して来て、顔を歪めた。逃げ出してどこかで野たれ死んだものかと思っていたのに、と苦々しく吐き捨てた。「むし」、どの面下げて帰って来た。お前の居場所などもうここにありはしない、出て行け。
 もう何も言うことを持ち合わせていなかった。ただただ気が急いて、欠けた手の中に握った物を掲げた。それは、どこか薄暗い屋敷の空気を切り裂くように鋭く輝いた。
 主人が絶句する。「むし」、お前、それは…それは…まさか。言葉にならない。血走った目を見開き、にじり寄って来た。「むし」、それを俺に寄越せ。お前の持っていて良い物ではない。猫撫で声でさえない、単なる命令。
 首を横に振った。これは人々の苦しみを除くためのもの。渡してしまえば主人が救いを独り占めしまうのは、ぎらぎらと光る目を見れば見て取れた。
 首を振った。首を振った。後退る。あんなに嬉しかった名前を呼ばれることが、苦痛でならなかった。こうして呼ばれるくらいなら、「むし」でさえなくなることも恐ろしくなかった。逃げたかった。ついには主人から苛立ちと殺気が立ち上るのを見るや、踵を返して走り出した。
 もうここに帰ることはないだろう、と確信を覚えた。虚しい確信だった。

 町に出た。その手に握った物が振りまく眩さに目を射られた人々に取り巻かれた。皆欲望に充ち満ちた目をして、それを奪おうとした。最初はありったけの金品が目の前に積まれた。その山が高くなっても首を振り続けた。それにつれ人々の目が怪しく光り、言葉も刺々しくなっていく。
 終いには逃げ出した。石を投げられ、飛び掛かられ、矢を射られ、それでも逃げた。取り押さえられは、必死に振り払って逃げた。
 人々を撒き、ちらりと振り返った光景は目を覆いたくなるような惨状だった。互いの妨害をし、我先に走って来ようとする者を引きずり戻し、殴り合い、泥に塗れ、それでも止まらぬ欲望に突き動かされる醜い姿。
 こんなはずではなかった。
 これは、人々を幸せにする物だったはずなのに、何故彼らは争うのか。わからなかった。解からなかった。
 ただ、泣きたかった。

 ぎくしゃくとかろうじて動いていた足がもつれて転んだ。片腕で身体を引きずり、必死に地を這った。ぶるぶると震える腕で、霞む視界の中を這いずった。いつまでそうしていたかはわからないが、ついには身体のどこもかしこも言うことを聞かなくなった。意に反して微かに痙攣するばかりで、転がっているしかなかった。
 町に出てから後は未知の世界で、その中をめちゃくちゃに進んできたせいで自分がどこにいるのか見当さえ付かなかった。その上、良く見えなかった。ただ、さらさらと水音が絶え間なく耳に届いた。
 このまま朽ちて死んで良い、と思った。何もかもが無駄だったのだ。オリハルコンが手に入っても、人々はその幸せを独り占めしようと奪い合い、争うばかりで、誰も幸せになどなりはしなかった。
 呼んだ書物の古びた記述が甦る。オリハルコンが人々を幸せにしたのは、はるか昔、人間の文明が栄華を誇り、その恩恵で人々は飢えもなく寒さに凍えず暑さに干されず死すらもなく、生きていた時代の話。人々が常に飢え、わずかな物を奪い合い、争い、傷むこの時代においては、単なるかつての豊かさの残滓でしかなかったのだ。
 どこから湧いてくるのか、渇いて枯れ木のようになった身体なのに涙が零れ、頬を伝い下りていった。ついには死んでしまいたいと思った。今まで痛んだことは数知れなかったが、涙を流すのも死にたいと思ったのも、これが初めてだった。ただ、もう消えてなくなってしまいたいと思った。満ち足りていない世界が変わらないというのならば。それを変えることが出来ないというのならば。
 目を閉じた。墜落していくように気を失った。

 ゆらゆらという振動を感じて目覚めた。酷く身体がだるくて、ぼんやりとしていると、口に何か冷たいものがあてがわれる。抵抗しないでいると、水が注ぎ込まれた。
 大丈夫ですか、と声をかける者がある。少量の水では潤わなかったのどでは声を発することもままならず、微かに頷いた。すぐには反応がなく、頭に手が添えられた。それから声の主は溜息を吐いて、良かったと呟いた。
 ここで何をしているのですか、と問われた。何もしていない、と首をただ振った。名前は、と問われ、名乗る名もなくまた首を振った。そう、と声は残念そうに答えた。
 放っておいて欲しい、そう思って身じろいだ。頭の辺りに添えられた暖かい手を、振り払うように。動いてはいけません、と声は言った。そして、当てられた手で優しく押さえつけられる。
 しばらく、そうしていた。会話もなく、二人の間には何も生まれなかった。その間、ただただ息を潜めていた。
 ねえ、これは何ですか? 声がふと、呟いた。手が、欠けた手で握り込んだ物にそっと触れた。それを渾身の力で振り払った。きっとこれを奪おうとしているのだと、そして不幸になるのだと、思った。声の主はそれきり黙って、手からそれを取り上げようとしなかった。
 気付いた。きっと、声の主は盲なのだと。だから、この欲望を突き刺すような光に惑わされることもない。
 これからどこへ行くのですか、と声が躊躇いがちに訊いた。首を振った。どこにも行く必要はない。ここでこのまま朽ちていくのだから。その諦めのような物が手から伝わったのか、悲しげな声で、そうですか、と答えた。
 その手に、握り込んだ指を開いて小さな欠片を落とし込んだ。もう、これは自分には必要なかったから。
 頭に添えられた手が離れ、温かい腕が冷え切った背中に回った。柔らかな中に抱き締められ、一筋、最後の涙が零れた。

 温かな気配が離れていくと、また独りになった。ただ、後はやってくる物を待つだけだった。受け入れるだけだった。時間の感覚はすでに消え失せていた。
 意識が遠のく前に、満たされぬ世界で生きてきて、それももう終わろうとしている我が身を思った。何も感じなかった。もう自分は何でもなくなっていたからだ。「むし」とも呼ばれることなく、ただ消えていくだけ。
 人々が幸せになる道を見つけられなかったのが、ただ唯一の心残りだった。そう、思った。

第四回さらし文学賞 | trackback(0) | comment(0) |


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