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さらし文学賞
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代償~グリーンデイズが血に染まる~

次の連立方程式を解きなさい。
 こんなもの大して難しいはずはないのに、今日の僕はどうかしてる。集中力が全く続かず、何度計算しても必ずどこかで間違える。答えが出ないまま、計算できるスペースも減ってきた。
もしこれが毎度のように勉強不足に起因するものなら、弁明の余地などないだろう。だけど今回僕は自信を持ってこう主張できる。答えが出せないのは僕のせいではなく、全部僕の目の前に座っている彼……綾部くんのせいなのだと。彼の一挙手一投足が僕の注意をこれでもかと惹きつけ、彼のことを除く一切の思考を妨げようとするからなのだ、と。
 
 二年一学期期末試験。その結果次第で中学生の夏休みというものは大きく左右される。成績が良ければ大型連休、中学生にとってそれはまさに天国だ。逆に悪ければ、待っているのは補習地獄。まぁ僕にとっては、自宅のパソコンか学校のプリントのどちらとにらめっこするかぐらいの違いでしかないのだけれど。
とにかく、そんな天王山で僕たち生徒は必死の思いで頭を悩ませ、夢中でペンを走らせる。唯一人、綾部くんを除いて。
 
 それは試験開始後まもなくのこと。硬い木質の長方形たちと、無個性で教師の言うことに従順な、蟻のような集団がうごめくこの部屋。その部屋に突如、床と上履きの擦れる、乾いた音が響き始める。どうやら蟻のうちの一匹が、足裏で教室の床を叩いているようだ。
 リズミカルなその音の発信源が教室の左端、すなわち僕の前の席であることはすぐにわかった。その場所に普段は置物のように鎮座する、一際巨大な体躯のその男は、今は足音に合わせて頭を激しく上下させ、肩までかかる長髪を振り乱していた。
 たんっ、たたんっ……たたんっ、たん、たたっ……。
 徐々にテンポを増す音はついに教室全体を巻き込み、生徒の関心は全て、目の前の問題用紙から綾部くんの揺れる逞しい背中へと移ろう。
 綾部くんの真後ろで、僕はただ感じていた。彼に注がれる痛いほどに熱い眼差しを。羨望、憧憬、嫉妬、慕情……彼に魅了された無数の瞳の一つ一つ、その全てが主役のカリスマ性を際立たせる舞台照明のように思えた。

「綾部くん! 皆が迷惑してます。静かにしなさい」
 突然、試験官を務める女王蟻、もとい教師が注意を促した。大方、彼の求心力を目の当たりにし、自分の立場に危機感でも覚えたのだろう。汚く、小賢しい、大人の模範のような考え方だ。綾部くんは無言で足を止め、それを機に教室も一旦は平静を取り戻したかのように見えた。
 しかし、カリスマはここで終わらない。
「あーあ。だりぃ」
 綾部くんは教室内全員に聞こえるような声で呟き、なんと机に突っ伏して寝息を立て始めたのだ。この時試験開始から僅か五分。再びクラス中の熱い視線が浴びせられる。
以降、試験終了まで僕はこの不世出の鬼才から目を離せなかった。恐らく彼のせいで夏休みの補習は確定的。しかし、不思議と悪い気はしていなかった。

 試験終了後、僕は思い切って綾部くんに話しかけてみることにした。幸いなことに、彼は普段一人でいることがほとんどなのでチャンスは得易い。タイミングを見計らい「綾部くん!」と声をかけてみる。緊張のあまり若干上ずったのが自分でも分かった。
 振り返った綾部くんのニキビ面は僕からはかなり見上げる高さで、体格を含めたそのビジュアルだけで得も言われぬ存在感を放っている。圧倒的な迫力に思わずたじろぐも、ここまできて引くことはできない。
「えっと……さっきのリズムは何なのかなぁ、なんて。あのテスト中の」
「もしかしてあのビート聞こえてた? やっべぇ静かに刻んでたつもりだったのに、まじミスったわぁ」
「も、もしかして綾部くんの好きな曲のリズムなのかい?」
「あのビートのこと? あれはソルティ・ペッパーズってバンドの曲な。まぁマイナーだから普通は知らねぇだろうが。石原も聴いてみろよ」
 それは確かに初めて聞くバンド名だった。しかし綾部くんが好むというのなら素晴らしいバンドであることは間違いない。

 僕は放課後部活を休んでCDショップに向かい、ソルティ・ペッパーズのアルバムを購入。少年ジャンプの発売日ということすら失念して、そのまま家に直帰した。そして長期戦を想定して冷蔵庫から兵糧……すなわちファンタを取り出すと、自室にこもり、夜中までかけて全ての曲を聴き漁った
 結論から言うと、流れてきた音楽は僕が今日まで嫌悪し、敬遠してきた類のものだった。エレキギターは汚らしい不協和音を排出し、ボーカルは断末魔に似たがなり声を吐き散らす。聴いていて心地よいものではない。
 しかしそんな曲でも、綾部くんが好んで聴いていると思うと印象が変わってくるから不思議だ。不調和な旋律は、一部のエリートたちに統制されているこの管理社会に反旗を翻す咆哮のようでもあり、悲壮感に満ちた叫びは、こ れまで不条理な大人の世界の犠牲となってきた若者たちへの鎮魂歌のようでもある。
 やはり綾部くんのセンスは異次元である。その一方で、彼のセンスの一端に触れて理解できたことに、僕自身驚いていた。

 翌日、綾部くんに昨日の報告を兼ねて再び話しかけてみた。
「あの、ソ、ソルティ・ペッパーズのアルバム聴いたよ! すごくいい曲だねぇ! 特に四曲目なんかは」
「四曲目……『代償の蒼天』か。それがお前の答えか」
「お、おかしいかな?」
 綾部くんの反応に一抹の不安を感じた僕だったが、返ってきたのは僕が予想した通りの言葉だった。
[お前さぁ……最っ高だな!]

       /

 思えばあの日が始まりだった。二人の少年が紡ぎだす、ちっぽけな日常(グリーンデイズ)。実はそれがこの世界の命運をも握る物語になろうとは、この時はまだ誰も信じていなかった…………的なことを考えながら、早朝のコンビニの中、ヤングジャンプをめくりつつ綾部を待つ。
 しばらくすると一人の男が俺の横に立ち、雑誌を手に取って読み始めた。俺はいつものように手元から目も離さず、口を開く。
「五分の遅刻だ」
「お前が早すぎんだよ、石原」
「人を待たせるのはポリシーに反するんでね。それじゃ遅れてきた罰として、今日もあれ、頼んますわ」
「ジャンプだけでなくこっちの懐事情にも目を向けてもらいたいものだね。全く」
 こうして本日も、綾部の奢りの午後の紅茶を片手に学校と続く坂道を上る。俺たちの到着を出迎えるようにこうべを垂れる、道端のコスモス。頬を撫でる冷やりとした風は、俺の心にも新しい季節の到来を実感させた。
 教室に着いた時にはすでに授業が始まっていた。俺はできるだけ大きな音を立てて扉を開く。
「……またお前たちか。授業が終わったら職員室に来るように」
「すんませーん」
「しゃーっした」

 あの日以来俺と綾部は悪友となり、俺はかつてないほどに充実した日々を送るとともに、初めて学校に通う楽しみを見出しつつあった。
 授業中は寝る、放課は綾部と音楽や女について語り合う、そんな毎日。教室の左端、秋のオレンジ色の日差しが差し込むその一角はいつしか、いつもの討論会場と化していた。今日の議題は学年の女子についての意見交換だ。
「てか、F組の○○ってかわいくね?」
「同意せざるを得ない。でも○○、誰にでもすぐ股を開くって噂だがな」
「なるほど、開脚の堕天使というわけか。ならば俺はH組の……!?」
 白熱した議論が続いていたが、突然後方で快活な笑い声が湧き起こり、思わず振り向く。声の出どころはクラスの中心的存在の女子グループだった。どうやら彼女たちもまた、集まって談笑しているらしい。そこで俺は、教室の後方まで届くように声のボリュームを一段階、上げる。
「実際、H組の××って清純っぽくてそそるわ」
「いやでもよ、ぶっちゃけ、○○の方がヤれそうじゃね?」
「うっわぁ。ヤれりゃいいとか、お前童貞かよ!!」
 童貞かよ、が水を打ったように静まり返る教室を駆け巡った。一瞬何事か理解できなかったが、周りの視線でようやく状況を呑み込む。一斉に俺たち二人を射抜く、クラスメイトの眼光。そう、声を張りすぎたため予想以上に響いてしまったのだ。
 やってしまった、と思った。調子に乗りすぎたと後悔しても後の祭りで、級友たちは皆こちらに睨みを利かせたまま、小声で何かを囁き合っている。そうだよ、童貞は俺だよ。だからもうこっち見んな……。
 先程まで優しかった教室が、数か月前と同じ無機質で冷徹な、ただの箱に変わってしまったような気がした。そして俺自身、あの頃のような臆病で地味でイケてない俺に逆戻りだ。
 こんな空気はもう、耐えられない。やっぱりここは俺がいるべき場所じゃないんだ。そうだ、放課が終わるまでトイレの個室に避難しよう。そう思い、席を立ちかけた瞬間だった。
「とっくに卒業してるしぃ! 残念でしたぁ!」
 それは綾部の声だった。腰を椅子から浮かせたまま、俺は「へ、へぇ、お前もかよ。奇遇だな」と慌てて取り繕う。そして気付いたのは、すでに誰一人こちらを見てはいないということだった。安堵して、俺は再び椅子に深く腰掛ける。
 やはり、綾部はカリスマだった。彼のおかげで、俺は「女を赤裸々に語ることができる大人の男」というイメージだけでなく、「他人の評価など気にも留めない芯の通った男」を印象付けることまでできたのだから。それに比べて俺は……こんなにも、弱い。

 それからというもの、俺は常に意識して綾部のように振る舞った。いつでも気だるそうにして、ポケットに手を入れたまま歩く。あくびは欠かさず五分に一度。柱があればもたれかかりながら空を見上げ、窓があれば虚ろな表情で鉄枠が切り取る風景に見とれる。そしてこう呟くのさ、「鳥はいいよなぁ……」ってね。
 クレイジーだって? アイシンクソウ、トゥー。
 
 三学期に入り、俺は部活に行かなくなった。というよりはむしろ、もっと大切な何かを手に入れたから行く必要が無くなった、と言うべきかもしれない。
 今日はもう授業が終わったので、帰宅するためにカバンを机に乱暴に投げ出す。反動で飛び出した、洋楽のCDにエロ漫画、そしてバタフライナイフ。ジッパーが開けっ放しなのはもちろん、カバンの中身をクラスメイトから見えるようにするためだ。そしてナイフはただの護身用ではない。もし教室に異常者が現れたら、皆を守るための武器だ。
 俺は授業道具、と言っても持ってきているのは筆箱のみだが、それをカバンに詰めさっさと学校を後にした。

 雲一つない、澄み切った寒空の下。俺は冬を謳歌するかのように吹き荒れる一陣の風に、髪をなびかせ歩く。以前は眉毛にかからぬように切り揃えてあった前髪は、今はこの眼が悲しさを映さぬよう、覆い隠す役目を果たす。寝癖は敢えて直さず、毛先を遊ばせることで、何かに憑依されたかのような雰囲気を醸し出せる仕様だ。
 この頃にもなると、もう以前の俺はどこにもいなかった。
 家に着いた。すぐにジャージに着替えイヤホンを耳に装着すると、再び家を出る。
 玄関を出る時、お母さんに呼び止められた。うるさい。
「あんた、一体どこ行く気?」
 振り向きもせず、背中で伝える。
「外」

 俺は先程くぐったばかりの学校の門前に舞い戻った。そう、ここでジョギングをするのだ。何故なら冬場は部活の時間が短くなるため、そろそろ活動を終えた生徒たちが家路につく時間。つまり、学校の周囲を走っていれば、帰宅中の生徒に「人知れず努力する男」をアピールできるという寸法だ。
 早速迷える子羊が一人、校舎からこちらに向かってきた。俺は靴紐を結び直し、軽い跳躍を号令に走り始める。当然、ボクシングのジャブの動きを交えるのも忘れない。
 シュッ、シュッ、シュシュシュッ。
「あんた、何してるの?」
 出会ったのは同じ部活の女だった。綾部情報によると彼女はその整った顔立ちで、学年でもファンが多いらしい。必然的にアピールにも気合が入る。
「えっ俺のこと? 別に、最近煙草の吸い過ぎで体力無ぇから、ちょっと鍛えてるだけだけど?」
 俺は一度も吸ったことのない煙草を咥える動作をして見せる。
「そうじゃなくて、なんであんた文芸部の活動にも来ないでボクシングしてんのかって聞いてんの」
「あっそうだ、絶対誰にも言うなよ、このこと。うわぁ、こういうのマジ恥ずいわぁ」
 彼女はそれ以上何も言わずに去って行った。しかし俺は見逃さなかった。彼女の、ほんのり染まった薄紅の頬を。
 惚れてんじゃねぇよ、ったく。こっちまでドキドキするだろうが。
 
 その後も小一時間ほど校門の前をウロウロしていたが、さすがに体が冷えたので帰宅することにした。
しかし、家を出てから二時間弱。俺はまだ知る由もなかった。残酷な運命の歯車が、ゆっくりと軋み始めていたことを。

 異変はすぐに気付いた。自室に入り、壁にかけてある制服が目に飛び込んできた刹那、俺はすでに膝から崩れ落ちていた。何なんだよ……これは。
 その時後方から、闇の淵を彷徨う俺の鼓膜を叩くノックの音。その不快なノイズの主は、俺が返事をしていないにもかかわらず、勝手に部屋に踏み込んできた。
「どういうことだよ……おふくろ」
「何急に?今朝まではお母さんって……」
「なんでズボンの裾を直したんだ!」
 それはわざと地面に擦り付けることで苦労してほつれさせた、制服のズボンの裾だった。何故なら、その方がワルっぽい感じがしてイカすから。
 それだというのに、先程まで不死鳥の翼を司っていたはずのそれは、今俺の目の前に本来あるべき姿でぶら下がっている。
「なんでって、ボロボロだったから」
「あれはファッションなんだよ……なのに……」
「何言ってんのよ。あ、丈もちゃんと調節しといてあげたから」
 俺は未だかつて感じたことのない激情に駆られていた。律義に縫い合わされた元不死鳥の屍が眼球にこびり付き、視界が隈なく絶望の色に染まる。こんなこと……こんなことあってたまるかよ!

 世界が再び色を取り戻した時、俺の右の拳は壁に叩きつけられていた。木材がミシミシと動揺の音を上げ、表層からぱらりと剥がれ落ちる乳白色の破片。目の前にはぎゃあぎゃあと喚き散らすおふくろ。俺の中で「何か」が目覚めた瞬間だった。俺はその得体のしれない存在への恐怖を覆い隠すように、生まれて初めての痛みを帯びた指先をただただ、さすり続けていた。

       /

 次の高次方程式を解きなさい。
 そういや俺、三年前はこんな簡単なことすら解っちゃいなかったんだな。まぁ正確には、今だってはっきりとは見えちゃいないんだが。
 方程式……それは言わば「解―意味―」を求める「工程―旅―」であり、途中あらゆる「計算―障害―」を乗り越えねばならない。
 そう、方程式とは人生に似ている。
 だが、人が生きる意味というのは人それぞれで、誰一人として同じものではありえない。故に、人生という方程式に解は無い。だからこそ、人はこんなにも生きたいのだ…………的なことを解答用紙に書き終えたところで、俺はこの試験と言う名の、欲望に塗れた騙し合いを終わらせるべく席を立った。
 二年一学期期末試験。俺はまた今日も、静寂を切り裂くようにこう吐き捨て、教室を飛び出すのさ。
「あの野郎また一人で勝手に……! 俺が行くまで、死ぬんじゃねぇぞ」

 俺はしばらくトイレの個室で時間を潰し、試験が終わった頃を見計らい表に出た。その際家から持参した絆創膏(ヒーリング・オブ・ザ・ペイン)を、鼻の頭に貼る。こうすることで、戦いの傷跡(あかし)の完成だ。
教室に戻る途中、正面から懐かしい男が歩いてきた。かつて共に「混迷の大地に二筋の希望あり」と謳われた男。
「ばぁろう。二年生になってから急に連絡取れなくなって、心配したじゃねぇか。午後ティー一本な」
返事がない。どうかしたのか? 久しぶりに会話を織り成すせいだろうか、以前と雰囲気が変わったような気がする。
「……そうだ、お前ソルティ・ペッパーズの新曲聴いたかよ? 今度のは……」
「興味ない」
 俺は耳を疑った。そして、適切な返答を探す俺が見つけたものは、言の葉ではなく、目を覆いたくなるような現実だった。
 まず目に付いたのは自慢の長髪が短くなり、露わになっている耳だ。それだけではない。ベルトの位置が以前より若干高くなり、学ランの第二ボタンは閉まっている。
「堕落(おち)たな。教師の犬に成り下がるとは……お前らしくもないぞ、綾部」
「お前まだそんなこと言ってんの? いい加減やめたら?」
「な……何言ってんだ綾部? 二人でてっぺん取るって約束したよな? 俺たちが世界を変革(かえ)るんだよな?」
「マジ勘弁して。人が見てんだけど」
 ふと我に返ると、俺たちは他人のいざこざを見物しようとする野次馬が群がる、その喧噪の中心にいることに気が付いた。
 その様子を見てようやく、俺は綾部の意図を把握した。そして、ここ最近の彼の態度が全て演技だということも。そう、彼は仕立て上げたかったのだ。俺とのライバル関係を。
 盟友(とも)から宿敵(とも)へ……これは漫画やドラマにおける王道的展開。つまり綾部はかつての仲間との対立を演出し、皆に見せつけようとしているだけなのだ。
 こんなことすら気付けないようじゃ、演出家綾部さんの作品の主人公失格だな、はははっ。面白い。全力でその演技に付き合ってやるぜ!

「やっとわかったぜ、綾部。俺は信じていたんだ。これからもずっと、お前と同じ道を歩んでいけると。だけど、もう無理なんだよな」
「……俺たちの心の羅針盤は近すぎるが故に反発し合い、いつしかその進路を違(たが)えてしまった」
「…………そして運命に翻弄された俺たちの旅路は、今ではもうお互いの声も届かねぇ場所にまで来ちまった」
「………………そう、俺たちは敵対する宿命の元に生まれてきた、選ばれし二人だったんだ」
 どうしてだよ綾部? お前の台本はどうなってる? 早く何か返事してくれよ。そうじゃないと俺、もう台詞が……
「…………しかし、心配することはない。何故なら道というものはどこまでも真っ直ぐ伸び、この丸い地球上のどこかで、再び交わる時が来るからだ! だからな綾部……その時はもう一度、お前に俺の唄を……」
「長ぇよカス。てかキモい」
 えっ。お前今何て言ったの? 聞き返そうとする俺の言葉を遮るように、綾部はわざとらしい舌打ちをし、踵を返した。
 徐々に小さくなっていく彼の背中は目尻から溢れるもので滲み、輪郭が溶けていく。おい、勝手に俺を舞台に引っ張り上げといて、自分だけ先に降りてんじゃねぇよ。行かないでくれ、頼むから……。
 綾部の姿が完全に見えなくなった。俺は綾部に言われた言葉を何度も何度も反駁した。キモい……キモい……キモい? そしてその意味を理解した時、俺の心は柱を失った建造物のように、切ない悲鳴を上げて崩落していった……。
「んぐ……ぎゃうわぁぁああ!!」
 俺は獣の如き雄叫びを発しながら、その場に倒れ込み、のた打ち回った。そう、奴が暴れ始めたのだ。
 中学二年生の冬の日に、突如覚醒した「何か」……実はその正体は、俺の中だけに潜んでいる怪物だった。俺がこの世に生まれ落ちたその日、同時に俺の体内に宿ったそいつは、あの目覚めの日をきっかけに頻繁に活動を始めた。そして暴れ出したら最後、俺は自我を失うほどの破壊衝動に駆られてしまうのだ。
 俺は必死に自分の右腕を抑え込んだ。そうしなければ俺はこの能力(ちから)に身を委ね、眼に映る生命体を、片っ端から血祭りにあげてしまう。
「離れろ……皆俺から離れろぉ! この血塗られた手甲(ブラッディ・ガントレット)が、お前らの心の臓を貫く前に!」
 俺は周囲の人間をこの右腕のテリトリー内から遠ざけようと、無我夢中で声を振り絞った。しかし、一向に皆が逃げ出す気配はない。
「なんでだよ……お前らは俺に……愛する者さえ守護(まも)らせてくれねぇってのかよ……ひぐぅっ!」
 これ以上は堪え切れねぇ。もうお仕舞だ……愛する者を手にかけるという過酷な未来を悟り、諦念に囚われていた俺はその時、信じられない光景を目にした。
 ふと顔を上げるとそこには、下を向いたまま肩をプルプルと震わせている、数人の生徒たち。先程の野次馬たちだ。お前ら……こんな俺のために、泣いてくれているのか?
 彼らの姿に、最後の覚悟を決めた。俺は左の方の腕でゆっくりと上体を起こし、右足を地面と垂直に立てる。そのまま膝にぐっと力を込め、再び二本の脚で大地を踏みしめた。
「ったく、泣いてんじゃねぇよバーカ。やっと決心がついたってのに、離れたくなくなっちまうだろうが……けど俺、やっぱ行くわ」
「辛気臭ぇ顔すんなって! さっさとこいつ殲滅して、お前らのその情けねぇ面拝みに戻ってきてやっからよ」
「じゃ、ちょっくら殺りあってくるわ……今まで、サンキューな」
 この怪物と戦い、勝利すること。最早それしか、皆を救う手だてはない。ただ仲間のため……俺は決闘の地へと駆け出した。

       /

「石原由美子さぁん、どうぞ」
 とある心療内科。今日ここにやってきたのは他でもない。愛する我が息子について相談するためだ。
 昔の息子は、目立たない性格で友達こそ少なかったが、決して人に迷惑をかけるようなことはしない自慢の息子だった。そんなあの子が変わってしまったのは中学二年生の時。性格、言動、身だしなみ……全てが別人のように変わってしまった。私は何度もお医者さんに診てもらおうと提案したが、あの子はもう、私の言うことには聞く耳も持たない。
 だから私は今日、一人でここにやってきた。
 診療室に入ると待っていたのは、とても医療関係者には見えない中年の男だった。白銀の長髪にだらだらとした情けない白衣、妙に先端がスリムな靴を履き、脚組みをして椅子にふんぞり返っている。そして極めつけは、左目に装着した黒い眼帯だ。よく見ると目の位置に縦に一本、刃物で切りつけられたような傷跡が覗いている。
「今日はどうされました?」
「あの、息子のことでご相談が、あって……その」
「何か?」
「いえ、失礼ですが……その左目は?」
先生はククッと不敵に笑い、こう告げた。
「やはりこの左眼、気になるようですね。困りましたねぇ、クククッ……しいて言うならそうですねぇ、この隻眼は……」
「そう。代償ですよ」

       /

 俺は階段を駆け上がり、鍵のかけられたドアを蹴破った。そして誰もいない屋上に一人、ゆっくりと足を踏み入れた。この真っ白なコンクリートの闘技場はじきに、この皮膚の下を満たす液体で真紅に染まるだろう。
 とはいえ、ここで重大な問題に直面した。怪物と戦うと言ったものの、戦う方法が分からないのだ。そりゃそうだ。自らの体内に巣食う怪物と、一体どのように対峙すればいいというのだ? しかし、先程聴衆に大見得を切ってしまった以上、何もせず引き返せるわけがない。俺は自らの発言によって首を絞められることとなった。
 何か手はないか? そうだ、ヒーリング・オブ・ザ・ペインがあるじゃないか! あれを全身に貼り付けて帰還すれば体面が保てる上、激闘があったように見せかけることも……しかし、それでは少々ワンパターン過ぎか。だけどやはりそれしか……
 あれこれと思索を巡らせつつ、俺は絆創膏を取り出そうと制服の内ポケットをまさぐった。すると、何やら冷たい棒状の物体に手が触れる。おい、嘘だろ?
 ポケットから引っ張り出し、小刻みに震える手でキャップを外す。すると今まで隠れていた金属部位が剥き出しになった。仲間を傷付ける者の肉を裂き、骨を断つのには十分な鋭利さを誇っている。太陽に照らされ、不気味なほどに輝くその様は、研ぎ澄まされた狂気を讃えているようで心をざわつかせた。
 こんな時に限って、カバンじゃなくてポケットの方にある運命を、俺は呪った。確かにこれがあれば怪物を……だけど……。
 心は怯えているはずなのに身体は勇猛らしく、気付くと切っ先を自らの右腕に向け、両足を踏ん張っていた。心臓の鼓動はこれでもかと早鐘を打ち、体中から冷たい脂汗が滲み出る。
 おい、本当にやるのか俺? でも……こうすれば皆を守護れる。そうだ! 俺が皆を守護るんだよ、はははっ!

 俺は気が付いたらあの唄を口ずさんでいた。俺たちの旅の終焉に相応しい、あの唄を。
「……劫火の焔に包まれて……ああ今こそ贖罪の時……紅蓮の時雨が降りしきるは……おおいぇい代償の蒼天(そら)……」
「はぁ……はぁ……もし俺が生まれ変わったら、またお前と同じ舞台に立たせてくれよぉ。だからその時はまたお前の相棒と言う名のチケットを、俺が買ってもいいかい……?」

 俺は手汗で滑らぬよう、柄の部分をもう一度深く握り直す。そして左腕を高く高く持ち上げ、手にしたバタフライナイフを右肘めがけて、一息に振り下ろした。

       /

 私は先生に、息子の不審な行動を洗いざらい打ち明けた。ところが、初めは神妙な面持ちで聞いていた先生は話の途中、さも愉快そうに高笑いを始めた。
 真剣な悩みを嘲笑われ憤る私に対し、先生から告げられた病名。それは怒りを一瞬で失望に塗り替えるのに十分なほど、残虐極まりないものだった。
「奥さん。おたくの息子さんがかかったのは、個人差はあれど思春期には誰しも発症する病だ」
「大抵の患者は時が経てば自然に完治し、新たな病を発症する。それが高二病と呼ばれるものだ」
 そこまで聞いて、私は思い知らされた。絶対に知りたくなかった真実。そして次々と浮かんでは消える、ママ友たちの顔。穴があったら入りたかった。
「うちの子に限って、そんな……」
「ヒャッハー! あんたの息子はもう、逃げられないんだよぉ! そしてこれは俺からの伝言だ。息子さんに伝えておいてくれぇ……」

「ようこそぉ! 中二病の世界へぇぇ!!」

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第二十五回さらし文学賞 | trackback(0) | comment(0) |


はらぺこマービンお化け屋敷へ行くの巻~Rvengetothegiant monkey~


「おうい…まってくれぇ…」
途方に暮れていた。
「くそったれ…あいつら…」
暗闇の中たった独りで仲間を探すは恐ろしいことだと思った。
また問題はそれだけではなかった。
「うおおおおおん!うおおおおおん!」
順路であるこの部屋からの出口で男性が死にかけの羊のよがりのようなうめき上げてる。
その背中一面中にはケッチャプがぶちまけられていた。
「うらめしぁぁぁ…うらめしぁぁぁ…」
どうやら彼は羊よがりとケッチャプの2点を持って「廃病院に夜な夜なあらわれる怨霊(生前に改造手術…もとい人体実験済み)」を自称しているらしい。
「あの…ちょっ…」
「うおおおおおん!うおおおおん!」
話が通じない。
この幽霊は必要以上に仕事熱心のようだ。
完璧に役に入り込んでいる。
なんでこんなことになってしまったのか。
私は眉間のあたりを揉んだ。

今日は修学旅行。
行先は某有名テーマパーク
そう、一生の記憶に残るタノシイ体験になる。
はずがなかった。
私は自分の通う学校が嫌いだった。
今の学校はもともと志望校ではない。
本来はより偏差値の高い学校を目指していた。
実力があった、内申点も悪くなかった。
運は悪かった。
受験当日、私が会場に向かう途中のこと、
信号待ちをしているといつの間にかおばあさんが隣に立っていた。
自分の半身より大きな荷物を持つ姿、頼りげなく荷の重さに小刻みに震える。その姿は受験で心の余裕がない者にさえ仏心を起こさせるのに十分だった。
「おばあさん俺が荷物を持ちましょう」
この一言がいけなかった。
老婆からひったくり同然に奪った(もちろん親切心に基づいてるが)大荷物の中から突然黒い影が飛び出し私を押し倒した。
何が起こったかわからぬうち、黒い影は恐慌に満ちた群集の中に消えっていた。
手負いの巨大なサル(身長約2、5m)がその界隈をひっかきまわしたことを知ることになるのはわたしが退院してから3週間後であった。
とにかくその場から救急車で病院に運ばれた私は志望校を受験することができず、結果、滑り止めで受けていたこの学校に入学することになった。
学校に入ると世界が急変した。
周りにアホが溢れたのだ。
入学した学校は思った以上にレベルの低いものだった。
あほども間に入り会話するということが何一つ理解できなかった、
いや、バカどもの娯楽、及び話題が余りにも次元が低いせいだ。
私は口と耳をつぐむことにした。
もはや全てが過ぎ去るのを待つしかない。
休み時間私は一人ぽっちで絵をかいて過ごしている。

「…君もさ、お化け屋敷に行かないかい。」
2年生の春、修学旅行の班決めの時間、その時期マイブームであったぶつぶつと呪詛を唱える私に声をかけるものがあった。
クラスの輪から外れた4人の天パーの集合である。
所謂「イケてないグループ」であった。
入学してこのかた、生徒に話し駆けられたことのない私はいったん思考停止した。
(この私に話しかけるだと、バカどもからおちこぼれたカスどもが、くっ。いいだろう貴様らには予想もつかないだろうレヴェルの高い返しをしてやる)
「…わかめ」
「やっぱりあんまり話したこともない僕らに話しかけられるのは迷惑だよね…」
「ちょっ…」
こっちが話してる途中だぞ!人の話を聞け!
「あの…えと」
おかげでテンパって何言おうか忘れてしまったぞ。んとえーと
「ん?なに?」
そう!これが回答だ一山30円のわかめども!
「い、いっしょうに、でゅふ…つれってて…です。はい、はい」
「…ぅえ…あ…うん…」
文字通りの二つ返事だった。
初めて友達(と呼んでいいだろう)と「約束」を交わした。
それだけで世界が輝いたようであった。
あんなに憎んでた修学旅行までもうイケイケゴーゴーって感じぃ。だった。(それ以降なぜかわかめ君たちから話しかけられる機会はなくなったが)
そして修学旅行当日、私は重大なことを思い出した。
私は怖いものが苦手なのだった。
テレビで心霊特集をやってたら即電源をコンセントから切り、布団に潜り込むほど。
今日頼れるものは、いつも持ち歩いてる交通安全のお守りしかなかった。
だからわかめ君たちが提案した、はぐれると怖いから手を繋ごう。
というのは地獄で仏であった。
お守りと仲間の手を握りしめていたおかげで(途中5回ほどちょっとゆるめて、ゆるめて、痛いよ。とささやきが聞こえたが無視した)
順路半ばまで進めたことはよかった。
この狭い小部屋に来たとき幽霊の襲撃に合った。
皆全速力で逃げ出したが、5人というお化け屋敷に入るにしては大人数であったため幽霊もいかに捌こうか迷ったらしい。
4人を追いかけることに成功したが私を背後に見逃した。
そして、幽霊としての仕事を完成させるため出口あたりで後ろから逃げて行った者たちを追い立てることになった。
出口の大きさは1人がやっと通れる程度。
そんなこんなで未だに幽霊ががんばってしまっているため私は部屋から出られないのだ。

お化けがで仲間を追い立ててる
くっそちょう怖い。
はやくコンセントを切って布団に…
いや、これは心霊番組じゃない、リアルなんだ。
ああどうにもならない。
もはや全てが過ぎ去るのを待つしかない。
私は口と耳をつぐむことにした。
あれ、これって…
腹のなかでどろりとしたものが形作られていくのを感じた。
目がちりちりした。
たまらず瞼を下げる。
そうすることで思考に感覚が集中していくのが感じられた。
コレッテ…
日常風景が脳内で再生される。
いつも独りノートの隅に絵を描いていた。
この絵は腹を空かせたオオカミ、腹ペコマービン。
作業をするためのBGN(バックグラウンドノイズ)は奴らの馬鹿笑い。
キャハハ ギャハハハ  ゲヘヘヘヘ
こうやって毎日毎日俺は机の上でやんになっちゃってた。
お分かりになるだろうか畜生どもの群れに放り込まれた私のつらさ!
オレはあいつらとは違う。
だからこそ話を聞かないし、話もしない。
あのサルみたいに手をたたいバカ笑いをするあいつらとは。
チガウンダ!
感情の高ぶりに伴って眉間にぐっと力が入ると。
意識が遠のいて行った。

目を覚ますといつの間にか椅子に座らされていたらしいことがわかった。
気絶した私を誰かが運んでくれたんだろうか。
気分がいくらかよくなってる。
介抱までしてくれたのか。
しかし、突っ伏していた顔を上げるとそうではないらしいことに気付いた。
教室だった。
途端、腹の中のどろりとしたものが復活した。
だれだ、クソ…なんで…
不意に、右頬に温度を感じた。
そこにはクラスメートらしきものがいた。
ただいるだけでなく私に話しかけているらしい。
「…あの」
応じようとしたその時、私の顔を何かが覆った。
それがマービンをかたどった仮面だとすぐに知れた。
クラスメートは仮面が見えないのか驚きもせずに語りかけてくる。
だが。聞き取ることはできない、もう、仮面が耳をつぐんでしまったから。彼の顔は険しくなる。
そのことを伝えることもできない、仮面が口もつぐんでしまったから。
でも彼は止めない。
それどころか形相は一層激しくなり、いまや私をののしるかのようになった。
私は彼が誰か知りたかった。
こんなになって私に話しかけようとする人間などいなかったはずだから。
だがわからなかった。
仮面は目までつぐんではいなかった。
見えてるのにだれかわからなかった
学校の人間に無関心だったせいだ。
全てを安心のままにするために諦めたはずだった。
しかし安心を得るどころかこんな危機に陥っていた。
私が状況を打開しようと眉間を揉みながら考えていると、
無価値な罵りを続ける彼に変化が訪れた。
あまりにも激しくなりすぎた怒りの面相が歪みはじめたのだ。
(おいちょっと)
私にはこの一言を出すことができなかった
歪みはついにとまった。
哀しみの形相だった。
それはどうにもならない私を哀れんでいるかのようだった
…哀れまれてるだと、よりによってクラスメートに、
みるな、そんな目で俺を見るな!
構うな!俺は貴様らみたいなサルじゃねえ!一匹オオカミなんだ!このマービンなんだ!
手前らみたいなサルどころか2.5mのボスザルにも負けねえ!そうなったら!そうだったら!

腕を払った。
するとクラスメートは煙のように消えてしまった。

ギャハハハ!△△クンチョウシワルソウダカラサア!ホットイテヤリナヨオ!

エ~!ダッテ△△クンイツモネタフリシテンフダモ~~ン!ウケル~!

危機は去った。だのになんだろうこの気持ち。
まるで食道に生暖かい油を流し込まれてるような気分。
腹の中にある黒いどろりとしたものは今やトグロの形をとっていた。

「…ですか!?」
鋭い声が耳に飛び込んできた。
私は未だにお化け屋敷で倒れているらしいことを知った。
握りしめられていたお守りは汗でびっしょびしょになっている。
固い床に横たえられていた苦痛にきしませながらふらりと上体を起こした。
「大丈夫ですか!?」
一体誰の声だ…
顔をあげた。
今度は何者かが分かった。
ケチャップを顔にまで飛び散らせている幽霊が心配そうに私を覗きこみながら話しかけてくる。
何とも奇妙な光景であった。

死に掛けのひつじの声を上げていたものが一匹狼の身をあんじている

…だがオレハ知っていた。
BGNに騙されないでノートの隅に目を向ければその絵は一匹狼マービンなどではない。
毛を刈り取られ丸裸で群れから取り残された貧相な子羊マービンであった。

ケッチャプ幽霊の心配そうな顔が近づく。

…ああ、あの目だ。
サルから間抜けな幽霊まで、この世のすべてがオレを哀れむ。
そんなこと耐えられない。
ならどうする。
「…」
渦巻く暗黒のとぐろが浮いた。
それは天上まで飛び立たんとする竜の様だった。
「…いてくれ」
「はい?」
なんだ。その間抜け面。瀟洒なケッチャプ染め白衣が台無しだ。
「どいてくれ…!」
のどから絞り出した。
「へ?」
瞬間、私が暗がりの底に横たえていた体が飛び上がる。
「ウワアア!」
悲鳴。そのあとに大きな衝突音。
幽霊が吹っ飛ばされたようだ。
暗黒の竜からはほの暗い満足感が胸にしみだしていた。
心臓が満足汁の喜びに強く鼓動する。
同時に背中一面の皮膚が粟だった。
凄まじい悪寒ガスル。
やばい。にげろ。ナニカラ?
やばいやばいやばいやばい。
「きさまらああああ!!」
自分の声のでかさに驚いた。
「さるとわかめのもりあわせのくせにいいいいいいいいいいじゅうううううううじつしてやがってええええええ!!!」
絶叫のロケットエンジンが噴射した。
いままで口をつぐんでいたからあたりまえである。
体がぐんぐん加速する。
自分が運動音痴であることが信じられない。
ナニコレコワイ。
手から汗を吸って重くなった交通守りが滑り落ちた。
速度を縛るものがなくなった!!
精神と肉体が制御不可能な速度まで加速する
全身が酸素を求め悲鳴を上げている。
このままじゃ体がバラバラになってしまう。
通路の遙か後ろからケッチャプ幽霊のサケビ声が聞こえる。
つぐんでいた耳はどんな音でも拾えるようになっていた。
かひゅ。
苦しみのあまり喉が鳴る。
かまいやしない。
かひゅ。
息を取り込むたびに喉を焼かれている。
知っての通りお化け屋敷の闇の中は毒の瘴気で満ちているのだ。
だが、安心していただきたい。
この毒とコントロール不能の疾走によって私の肉体はあの気高き一匹狼、マービンへのトランスフォームが可能になるのだ。
だから止まらない、止まったら倒れてしまう。
勢いを失った独楽のように。
だから、はやくみつけろ、暗黒の中に。
倒れる前に、倒れるまで。
進め。
暗黒竜が語りかける
マービンヨサルドモヲコロスノデス。

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Dusk


 十四歳になった夏に僕の髪は真っ白に色が抜け、右の瞳は奥深くまで澄みきった赤に変わったけれど何もかもが遅かった。封印ははるか前に解かれて僕の町は一晩で永遠の暗黒に吸い込まれたし、その時タヴィスの眷族に連れ去られた幼なじみは覚醒した姉が歌声と引き替えに取り戻してくれた。それぞれ時を違えて目覚め、能力を得た友達は暫定政府の憲兵隊に追われて一人、またひとりと消え去った。暗黒に地表ごと削られぽっかり空いたクレーターの底で、音程の崩れたプロパガンダの歌声を流すばかりのラジオの隣で、姿は色を変えようとも、僕は相変わらず途方に暮れた十四歳のままだった。
 今日も足下の瓦礫を掘り返して、てのひら大の輝石を探す。暗黒に取り込まれ、身体を闇に溶かされた人々の悲鳴が凍りついた結晶がこの青緑色の輝きで、空冷飛行キャブの燃料としてよく売れる。日がな一日地面を掘って、夕暮れ時に地下ステーションに行ってブローカーに売って端金を得る。数百万人がたった一瞬のうちに息を止められたこの瓦礫の下からはこんなものはいくらでも見つかるので、大した額にはならない。ブローカーは紫色の煙を吐いて、今日もえらいな坊主と言う。僕は答えず、ステーションの闇市場で白く萎えたキャベツと湿った肉を買う。
 夕暮れの帰り道では、僕のような生活をする人々の影がぽつぽつと灰色の更地の上、帰路を急ぐ訳でもなくゆっくりと蠢いていたり、ただその場でうずくまっていたりする。底から眺めるクレーターの壁はなだらかに隆起して、見上げれば夕暮れは今日も高く鮮やかに薄い空に広がっている。焼ける雲の照り返しに目を射られて右眼を覆う。疼きも光りもしないまま、右眼はただ少し視力が落ちて羞明がひどくなっただけだ。片眼を隠し空を睨む僕を、姉は声のない吐息で笑う。
 姉に掬われた幼なじみの彼女は言う。
 セシルの眼もいつかすごい力を発揮するのよ。
 僕はたき火の上の鍋を掻き混ぜながらそんなことないよと呟く。そんなことないよ。


 家々の灯火が落ちるころ、夜の帳が音もなく地の底から闇を引き上げて地上を這いだす。覆い被さる暗黒の中で鋭い銀が、銕が金属音を響かせて、刃を包む炎が龍を形取って牙を剥く。
 それは、艶やかな殺戮の舞踏だ。
 刃先の一閃が夜を断ち、照らされた肌が弾けるように裂けて白い骨を露わにする。カルシウムが折れる音が届く前に金色の霧が傷口を取り巻き、苦痛を感じない唇が紅の孤で静寂に笑う。血液の飛沫がうねり形を変え、無数の赤い針と化して日本刀を構えた敵を包囲し一斉に距離を縮める。鮮やかな青のヴェールで針先を断ったのはまた異なる杖からの魔力で、魔導師のローブが反撃を躱しひらりと踊る。
 力と力が衝突するエネルギーの場で、限界を知らず放たれる暴力は優雅でしかない。暴れ、狂い、咲き誇る能力に、波動に闇は煌めき大気は熱に焦げる。因縁も憎悪も裏切りも愛も、そこでは戦いの果てに純化され、一つの刃先の触れられない程の先鋭に過ぎない。死の足取りは軽く、絶望も、狂気渦巻く勝利の果ても、闇が引き夜明けに焼かれるまでは結果の先の透明な予感でしかない。
 死と生が同じ一枚の上にあり、力のみが二つを引き裂く一次元。
 ブローカーの店先で会った、隻眼の戦士が頬の傷痕を引き攣らせてにやりと笑った。
 あれがなきゃ、生きてるって感じしねえんだよ。
 半年前にいなくなった友達のリュークは、父親の形見のサーベルを支えに立って自分自身に言い聞かせた。
 僕は行くよ。あの戦場へ。それが僕に課された宿命だから、僕の命の意味は他にないから。
 そうして彼は十四歳の誕生日の満月の夜にたった一人足を踏み出して、それから帰ってこない。珍しいことではない。クレーターの底のこの町ではよくある話で、きっとクレーターの外側でも、またよくある話なのだろう。
 痛いほどの静けさに息を潜め、彼らはクレーターの底から走り出す。はじめはなだらかでも、正真の球形にえぐられた地形は傾斜をきつくして空へ垂直に伸びてゆく。愛機に跨がって、重力を操作して、身体を浮かせて、あるいは重力を超えるほどの速さで、それぞれの思いを抱いて彼らは飛び出す。クレーターの外へ。闇の中へ。
 力だ。力が彼らを駆り立てるのだ。力を得て、生来の願いを増幅させる。力による救済に縋る。ただいたずらに、力を行使してみたいと思いつく。そうして彼らは闇に潜る。廃墟と腐敗に塗れたこの世界で、踏み出す先は他に存在しない。しかし彼等は怯まない。能力を与えられたこと自体がまず一つの矜持となるからだ。十四歳にして、たった一人自分だけの特別を手に入れること。それだけで彼らは奈落に堕ちる決意ができる。そんな友達を何人も見てきて、僕はもう充分に知っている。
 そして与えられなかった者たちにとって、十四歳になることは永遠の薄闇に取り残されることと同義なのだ。
 僕のように。
 湿気と異臭の強い闇市場の中を彷徨いて姉が欲しがっていた飴を手に入れた。手渡すと姉は嬉しそうに口に含み、白い頬の裏側でころころと転がす。姉の喉はもう声を出す器官をそっくり失ってしまっていて、喉飴なんて効くわけはないのに。幸せそうな姉を眺めながら、僕は無意識に頬を撫で、最近潰れた面皰の痕に触れた。
 僕はもう十四歳になってしまったのだ。そうしてそれもあと幾らかの日を経て終わる。能力もなく、クレーターの外にも出られないまま。
 ある朝目覚めて、鏡の中の生まれ変わった自分の姿に息を奪われた瞬間を思い出す。朝日に透ける色自体はステーションで見かけるありふれたものであっても、かつてのコーヒー色の髪と茶の瞳からの変化が、僕を静かに興奮させていた。能力の発現する予兆か、それとも気づいていないだけでもう始まっているのか、落ち着かない心で色々やっては試したあの頃は、その後時と共に絶望に置き換わっていった希望と相まって、鮮やかに明るい記憶として僕の薄闇をぼんやりと照らして離してくれない。
 指先から溢れる虹色の光に沿って、姉の美しい筆致が、砕けた岩の上に描かれていく。
 セシルが元気で、ここで一緒にいてくれるだけで幸せよ。
 それぐらいしかできないんだよ。
 唇の先で答えると、姉は静かに目を伏せた。
 この世界ではね、生きてるだけでも奇跡なのよ、セシル。
 姉がかつて得た能力は強大すぎた。人ならざる者と渡り合い、闇そのものに分け入った力は命の理をひっくり返し、数人分の命を取り戻した後、姉の声と健康を少しだけ奪い取って自ら消滅した。輝きを失った姉の肌から視線を外し、ポケットの中の輝石を握りしめて空を見上げる。
 僕が欲しかった奇跡はこれじゃない。
 呟きは喉から出られないまま、胸の内側に停滞している。
 
 歪んだバケツに輝石を放りこんで、今日の仕事を終えようと立ち上がる。側で寝転んでいたホームレスがびくりと大きく反応し、片眼で僕を見やったがすぐに眼を閉じる。無視してステーションに向けて歩き始めた。夕焼けが瓦礫の町をモノトーンに染めて、押し潰された車のガラス片だけがきらきらと黄金の光を散乱させている。能力を持った戦士達はきっと今頃、訪れる夜に備えて静かに、武器を抱えたまま眠っている。
 市場の臭い熱気の中、煤けた色の分厚い上着を着た人々がごった返している。成長の悪い身体で僕は隙間を擦り抜け、姉のための食料をより安く手に入れるために迷路のような配置の露店を覗いてはまた人いきれで窒息しそうになる。気がつけば行き止まりの角まで来ていて、黒い襤褸布を垂らした上にぶっ違いの槍を構えた、比較的大きな露店の前に来ていた。武器商人の小屋だ。何とはなしに見ていると布の隙間から黒い犬がぬっと頭を出した。思わず立ち竦む。球を感じさせる犬の黒の瞳に、白い髪の自分が映っていた。この犬にとって、僕はどう見えるのだろうか。僕はつい覗きこみ、反射の中の僕の姿がぐにゃりと歪んで拡大される。
 君もここのお客かい?
 顔を上げると金髪の若い男に見下ろされていた。磨き抜かれた青銅の甲冑の上にビロードの黒いマントを羽織り、バヨネットを担いでいる。清潔で垢抜けた風采から瞬時に理解できたーーこの男は能力者だ。
 男は強張った形相で見上げる僕の答えを待ち、期待できないとわかると微笑んだ。
 武器屋は初めてかい。ここはさほど値が張らなくても中々のものが買えるよ。一般人もよく来ているようだから緊張することはない。一般人に武器が必要だとは知らなかったが、彼らだって、ちょっとした夜盗などからは身を守らないといけないんだしね。なんだったら僕が見繕ってあげようか。君の能力はなんだい?
 自分の表情が見る見るうちに崩れ、顔から零れてゆくのが感じられた。男もそれを見取り、言葉の最後の端ではもう気づいていたのがわかった。男は一度、言葉を飲み込んで言った。
 すまない、勘違いをしてしまったようだ。だけどーー
 最後まで聞く前に僕は床を蹴って駆け出していた。ひどく太った老婆に激突し悪態を吐かれても走り続け、もみくちゃにされて弾き出され、埃に塗れて地上への階段を上りきったときには、涙は頬を伝い切って泥塗れの黒い跡になっていた。
 地上は宵闇に覆われる少し前で、薄紫の空に星が輝いていた。僕は声を抑えることなく嗚咽し、剥き出しのコンクリートに跪いて頭を擦りつけた。白い髪が砂塵で汚れた。突き出していた鉄線が容赦なく頬を切り、血と涙と砂塵が混ざり合って僕の顔をぐちゃぐちゃに彩り穢し、声が嗄れて息が切れ切れになるくろにはその色さえ暗闇に溶かされた。
 男の言葉よりも、最後の表情が幾度も蘇り僕を蝕んでいた。憐れみではなかった。ただ、心からの後悔と、僕の心情を想う真摯さこそが何よりも僕を貫き、僕をくしゃりと簡単に押し潰して窒息させた。

 翌朝、心配する姉に手を振って家を出て、早朝から瓦礫を掘り続けた。休憩することなく、いつもの採掘仲間に声を掛けられても答えずひたすらに掘り続けた。日暮れには普段より一回り以上大きな輝石の山ができて、ブローカーは一度煙草を口から離し、僕を見上げてにやりと口元を歪めた。
 燃える赤が頭上を通り過ぎ、紫の空に紅色の雲が流れて、薄闇が訪れる。
 ポケットの中で重なり合う銀貨の感触を確かめながら立っていた。夜の手前の、やわらかな青の気配に紛れるように、紺色の上着をステーションで買って着た。帰り際に武器屋の前を通り、その黒い仕切り布の前に立ってしばらく考えてけれど、僕は立ち入らなかった。
 人々がゆっくりと家路につき、しばらくして瓦礫のそこここで、暖かな炎の光がぽつぽつと輝き始める。その隙間に忍び寄る暗闇が、逸る息を抑えるようにして生気を持ち動き始めるのが肌で感じられる。家ではきっと、姉と幼馴染の彼女が、不安げに僕の帰りを待っている。金髪の能力者はバヨネットの手入れをして、彼の黒犬の豊かな毛並みを撫でている。
 出かけに姉が掛けてくれた一言が反響する。
 明日はお誕生日のお祝いだから、セシル、今日は早く帰ってきてね。
 瞳を閉じると、瞼の裏側で眼球が転がる。姉の微笑みと、能力者の男の険しい表情が入れ替わる。それから闇に消えていった彼ら、友達、夜の闘いに敗れ瓦礫の合間に埋まった死体。
 再び眼を開くと、暗がりに強い赤の瞳は闇を退け、青の中に廃墟の輪郭が鮮明に見極められるようになった。視界の端で蠢くものがあり、目を凝らすとそれは二人組の汚らしい夜盗だった。雑多な布を何枚も纏って膨れ、盗んだ装飾品を誇らしげに帽子に飾りつけている。僕は気づかれないよう足音を立てずに、そろそろと彼らに近づいて行った。
 今日はどうするよ、俺、腹が減ったよ。
 うるせえな。あの娘っこの所はどうだよ。
 こないだも行ったじゃないか。
 あの辺はどうせ男手がいねえよ。みんなやれ戦いだとかで出払っちまってるからな。びびってんだから、ほいほいなんでも出すだろうよ。
 下卑た笑い声が静けさを破って、積み重なるコンクリートの瓦礫に反響する。僕はしゃがみ込み、足下を探る。這うようにして少し進んだ辺りで、折れた鉄のパイプが地面から突き出しているのに触れた。そっと周りを掘り起こして抜き取る。先端が現れたところで大きめのコンクリート塊が崩れ、その音に心臓が大きく跳ねて収まらなくなった。幸い二人組は気づかなかったようだ。唾を飲み込む。高温で煮えたようた脳の中で、一つの事実がきんと冷え切ってそこにある。
 僕は明日十五歳になる。
 こめかみと喉元が焼けるように熱く、逸る息を必死で押さえつけて忍び寄る。拍動が胸を叩き、うるさくて音が遠くなる。大柄な方の夜盗の真後ろで、彼の凹んだ帽子が目の前に現れた所で全ての音が消えて、僕は右手を振り下ろした。
 鈍い音と同時に、笑い声が音程を崩して潰れた叫びに変わった。骨の折れる衝撃と、軟らかいところへずぼりと突き刺さる勢いで僕の身体は夜盗に突っ込む形で転げた。視界いっぱいに砕けた頭が広がり、噴き出した血が右眼に入って、右側が一時にどす黒い赤に染まった。体勢を立て直した時にはもう一人の夜盗は後ずさり、恐慌を来して震えながら首を振った。立ち上がろうと動いた瞬間に彼は一目散に逃げ出し、訪れた闇に吸い込まれるようにして消えた。
 僕は立ち上がって空を眺めた。群青の空で星が輝きを増して、満月の一日前の月と張りあっていた。その前を飛行キャブが空冷音を響かせて横切る。掌の中の鉄パイプが夜盗の血と体液で滑ったけれど僕は離さなかった。視界を縁取る、月明かりに透ける髪にも同じようなものがべっとりとついていた。世界の右半分はまだ、血の赤で曇ったままだった。

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流星のメロディー

   流星のメロディー

  1
 スピーカーから流れるハルキの曲が終わった。小さな練習スタジオの中はその余韻に包まれる。私たち四人はお互いの顔を見合い、同じような感情を共有していることを確認した。みんな、わくわくした気持ちが滲み出ている。静まった空間に高揚が充満して、その場の温度が少し上がった気がした。
 二、三秒の静寂の後、シュウが最初に口を開く。
「すげえじゃんハルキ! 作曲の才能あるよ!」
 パチン、とその場に張りつめていたものが弾け、私とカナちゃんもシュウに続いて口々に溜め込んでいた感想を吐き出した。
「うん。すごくかっこいいよ、これ」
「ハルキってギターだけじゃなくて作曲も出来たんだねえ!」
「いや、まあそこまででもないって」
 ハルキは少し顔を赤くして恥ずかしそうに笑った。長くまっすぐな黒髪の間から覗く、切れ長の目が余計に細くなる。口ではそう言っているが、実際はハルキも曲の出来には満足しているようで「じゃ、これ次のクリスマスライブの時にやるってことでいいかな?」と言った。

 私たちのバンドは今年の文化祭前に組まれて、文化祭ではまあまあ人気のアーティストのコピーをした。私の高校の軽音楽部ではみんなコピー曲しか演奏せず、私も二年生の冬である今までコピーしかやったことがない。だから今日、リードギター担当のハルキが「オリジナル曲を作ってみた」と言ってデモ音源を持ってきたのには、みんなびっくりした。
 他のバンドがコピーを行う中、私たちのバンドだけオリジナル曲を演奏するのを考えると、すごいことをしているようで何だかわくわくした。といっても、オリジナル曲は一曲だけであとはいつも通りコピーをするのだけど。
 私たちオリジナルやるんだ! スカウトされてインディーズデビューとかになったらどうしよう! とか馬鹿みたいなことをちょっと考えてしまう。

「でさ、作曲は俺がしたから、誰かに作詞をしてもらいたいんだけど」
 ハルキが言った。ハルキの作ってきたデモ音源には歌が入ってなくて、キーボードでメロディーラインが打ちこまれているだけのカラオケ状態だった。
 作詞、という響きに心が動かされる。心臓の鼓動が少しずつ速くなっていく。
「やっぱり、ボーカルだしシュウやる?」
「いや、俺は……」
「あ、私やりたい!」
 シュウの言葉をさえぎって、咄嗟に私は名乗り出た。メンバーのみんなが私を見る。私はドキドキしている。

 詞を作ることは私の密かな趣味の一つだ。
 ハルキが曲の中で重視するのはボーカルの声質や伴奏など、いわゆる「音」の部分みたいけど、私は伴奏がどうのこうのという難しいことはよく分からないし、曲を聴く上での興味の大半は歌詞に注がれる。いつもCDを買ったらまずは聴かずに歌詞カードを眺めるほどだ。
 今まで、多くの素晴らしいアーティスト達の詞に励まされたり、涙したりしてきた。繊細な言葉たちが紡ぎだす情感や風景、たった何行かのそれが生み出す感動は、私にとっては1冊の長編小説を読むのと同じくらい価値があるものに思えた。
 いつから自分で詞を作るようになったのかは正確には覚えていないが、たぶん小学6年生くらいからだと思う。何かに魅せられた受け手が、それの作り手側に立ってみたいと思うのはごく自然な流れだろう。
 長いこと作詞をしてきたし、国語も得意なので良い詞を書く自信はある。自分の詞を誰かに見せたことはないが、ついにメロディーに乗って日の目を見るのだ。ハルキに作曲の才能があるのなら、私は作詞の才能を見せてやる。ああ、本当にクリスマスライブが楽しみになってきた! 

「じゃあ、ミサキに作詞担当してもらうってことで、みんないいかな?」
「うん、俺はいいよ」
「頑張ってね! ミサキちゃん!」
 ハルキの問いかけに他の二人が快く賛同する。私は胸の前で拳をぐっぐっと握って、頑張ります! と笑顔を滲ませながら意気込んでみせた。次の瞬間には、無意識のうちに頭の中で歌詞となりそうな言葉を探している自分がいた。
「はい、これデモ音源だから、ライブ一週間前くらいまでには完成できるようによろしく」
 うん、わかった、と私はハルキからCDを受け取る。ライブ一週間前までということはあと二週間ちょいは時間がある。それだけあれば十分作詞は出来る。でもボーカルであるシュウが歌詞を覚えるためには、出来上がるのが早ければ早いだけ良いだろう。帰ったら早速CDを聴いて、パパッとかっちょいい歌詞を仕上げてやろうじゃないか。
 そんなやる気満々だった私だが、次にハルキから発せられた言葉に思わず固まってしまった。
「あ、中二病っぽくならないようによろしくね」
 ――え?
 ハルキはにやにやしながらサラッと言った。私は、不意に後ろから殴られたような感覚に陥った。その全く意識していなかった言葉に。
「そうそう。俺もなんか恥ずかしい感じになっちゃうと思うから、あんまり歌詞書きたくなかったんだよね。みんなの前で歌うわけだしさあ」
 シュウの台詞が私にさらに追い討ちをかける。
 ――ああ。
 私は何もわかっていなかったのだと、この時初めて気がついた。顔から血の気がスーッと引く。心臓が別の意味で、鼓動をさらに速くする。前髪で隠した額に嫌な汗がジワリと吹き出すのを感じた。


  2
 オリジナル曲の作詞を行うということは、自分の書いた歌詞がみんなの目に晒されるということだ。つまり、自らの美意識、ナルシシズム、ロマンチシズムの吐露。何が、私の詞が日の目を見る、だ。晒し上げられる、の間違いじゃないか。なんでもっと早く気付かなかったんだろう。
 そんなことを、私は自分の部屋のベッドに伏せながら悩んでいた。
 自分から言い出したため、やっぱり辞退するとは言えず、結局私が作詞担当のまま今日は解散になった。帰り道では、スタジオでハルキの曲を聴いたときの高揚が嘘のように立ち消え、不安で胸がいっぱいになり、背負ったベースがいつもよりも重く感じた。
 中二病。その言葉は聞いたことがあったし意味も何となく知っていたけど、あまり自分と結び付けて意識したことはなかった。特に――都合よく――作詞を行っているときには。
 デスクの引き出しから、シンプルなピンクのA5のノートを取り出してみる。私が今までずっと詞を書き溜めてきたノートだ。ページを開き、そこに書かれている詞を他人に見せることを想像してみる。
 うわあ。
 次の瞬間顔が熱くなり、急に恥ずかしくなってきて思わずノートを閉じた。他人の目を気にした途端に、こんなとても直視できないような代物になるなんて。所詮は自己陶酔だったということなのか。
 もう一度、目を逸らしたい気持ちを我慢してノートの中の詞に目を通す。これは、本当に酷いかもしれない。特に、自分がネガティブに陥って気持ちが荒れていたのであろう日に書いたものは酷かった。
 ふと、頭の中にハルキのにやにやした顔が浮かぶ。ハルキはいつも冷めていて、俗な恋愛話や熱血ドラマなどはくだらないと切り捨てる性格だ。カッコつけて少しでも寒い台詞を吐く者は進んで嘲笑う。音楽の話をするときは、いつもJポップの歌詞を馬鹿にしていた。私はその性格に関して、嫌いだとか好きだとかは思わなかったけど、ただ、ひねくれてるなとだけ思った。
 ここにある詞をハルキに見せたらどうなるだろう。きっと陰で私のことを中二病だなんだと言って笑うに違いない。シュウの言うとおり、歌詞を書くのは恥ずかしいことなのかもしれない。
 しかし作詞担当に決まってしまったことには、なんらかのモノを仕上げていかなければならない。とりあえずハルキに渡されたデモ音源CDを、枕元のコンポにセットして再生してみることにした。
 リードギターだけで何度か高音のリフを弾いた後、一気にドラムとベースとリズムギターがなだれ込む。そしてそのまま、いきなりサビに入る。サビのメロディーラインは、同じメロディーが何度も繰り返される、キャッチ―なものだ。演奏だけ聴くと疾走感のある爽やかギターロックだが、歌メロは少しノスタルジックな雰囲気を纏っているということに、何度かリピート再生して気付く。
 まずサビのメロディーを覚えて口ずさむ。そして口ずさんだまま、いつも詞を書くときと同じように椅子に座って足を組み、ペンを持ってノートに対峙してみた。そうすれば、案外何かうまく書けるのではないかと期待して。
 しかし、何も書き出せない。いつもならスラスラと言葉がノートに綴られていくのに、今は手が空中で固まってしまっている。いくつかフレーズが頭の中に浮かんだが、どれも中二病臭い気がして、アウトプットされる前に却下された。
 だめだ。書けない。私ってこんなもんだっけ。
 椅子を引き、机の上で腕を交差させて、そこに頭を突っ伏した。なんだか頭が重い。私が作ってきたのはただの恥ずかしい詞だった。作詞の才能なんてなかったんだ。今までアーティスト達に憧れてせっせと詞を書いてきたことが全くの無駄なことだったように思えて、無性に悲しくなってきた。何かがこみあげてきて目頭のあたりが熱い。
 一度大きくため息をついて顔を上げたが、滲んだ視界に机の上の作詞ノートが飛び込んできて、私はそれを引っ掴んで振り返り、デスク側とは逆にあるベッド側の壁に投げつけた。ノートは無様にベッドのサイドフレームにぶつかり、壁とベッドの隙間から床に落ちた。
 とりあえず、今日は詞について考えるのはやめよう。


  3
 期末テストやらバンド練習やらで忙しく、二週間ちょっとなんて本当に驚く程あっという間に過ぎた。
 勉強はあまり普段からコツコツできるタイプではないため、いつもテスト前の時期にぎっしり詰め込み勉強をするのだが、今回はそこにバンド練習もかぶってしまったため、十分に勉強時間が取れなかった。それでも頑張って勉強したので、成績は中の上から中の中に下がったくらいで済むだろうと思う。
 バンドの方も、勉強時間を削って練習した甲斐があって、ほぼ完成といえるくらいまでの演奏レベルに達した。ベースラインのよく動く曲が多くて個人的にも苦戦したが、何とかミスを減らし、他のメンバーとリズムを合わせることが出来るようになった。
 しかし、一つだけ問題点があった。言うまでもなく私の作詞である。
 あれから何度か作詞に挑戦してみたが、やはり思いついたどんな言葉も何だかイタかったりサブかったりするように感じて、どうにも中二病臭い。全部ボツだ。何が中二病で、何が中二病じゃないか分からなくなってくる。作詞という行為自体が中二病なのではないかとさえ思える。
 もう完全に自信を無くしてしまった。作詞できずに落ち込んではベースや勉強に没頭して気を紛らわしていたが、それも最初のうちだけで、だんだん自分の無力さから目を逸らすため、作詞という行為自体を自分から遠ざけていった。
 この前行ったバンド練習で、それとなく「やっぱり詞、無理かも……」みたいなことを言ってみたが、ハルキに「まあ、頑張ってよ」とへらへら言われただけで終わった。
 オリジナル曲をバンドで合わせて練習するときは、シュウがフフーン、だとかラララー、だとか適当な言葉でメロディーを歌うのに合わせて演奏する。演奏はもうみんなほぼ完璧にこなせるから、完全に作詞担当の私が足を引っ張っている状態だ。
 デッドラインはもう三日過ぎて、ライブまではあと四日しかない。三日前も練習があったのだが、締切日にもかかわらず詞が出来ていないという状態で会うのが怖くて休んだ。私はバンドメンバーの誰とも同じクラスでないから、うまくやれば一日顔を合わせなくて済むのだ。メンバーには『もうちょっとで出来ます』とメールしておいた。
 でも、困ったことに今日もこの後練習がある。さすがに、この時期に二回連続で練習を休むわけにはいかない。胃がきりきり痛む。どうしよう、本当にバックれてしまいたい。
 悪あがきだが、放課後の教室に残り、自分の席に座ってまっさらなルーズリーフと再び対面してみる。長いこと悩んでみるが、やはり良いフレーズが考え付かない。スラスラと詞を書いていた時のことが随分懐かしく思える。
 このままでは埒が明かないので、とりあえずなんとなく使えそうな単語をいくつか書き出すことにした。風の温度、星空、君の横顔、白い息……。書き出した言葉たちを見ていると、やはり恥ずかしくなってくる。
 その時、教室の前側のドアがガラガラと勢いよく開いて、明るい声が静かな教室に飛び込んできた。
「ミサキちゃーん! 一緒にスタジオ行こ!」
 カナちゃんだ。私は慌ててルーズリーフをくしゃくしゃに丸める。しまった、もうそんな時間だったか。丸めたルーズリーフを適当にスクールバッグに突っ込んで、支度を整える。しかし、いつの間にか私の机の前にいるカナちゃんが、目ざとくそれに気づいた。
「ん? ミサキちゃん何してたの?」
「あ、いや」一瞬何を言うか逡巡する。「数学の問題が全っ然分かんなくてさあ」
 へらへらしながら、咄嗟に嘘をついた。
「ふうん。ミサキちゃんでも分かんない問題あるんだね」
「そりゃもう、分かんないことだらけだよう」
 またまたあ、とカナちゃんは笑って言った。何とかごまかせたみたいだ。私はベースケースを背負ってスクールバッグを肩にかけ、カナちゃんと一緒に教室を出た。
 カナちゃんは、体は小柄だがバンドでドラマーをやっている。目はパッチリしていて声も可愛く、抜けているところもあるが、あっけらかんとした性格なのでみんなから好かれている。勉強の成績は芳しくないようで、中の上程度の私のこともやたら秀才扱いする。
「詞の方はどう? 完成した?」
 ぐむっ。いきなり一番されたくない質問をされた。
「いやあ、もうちょっとで出来そうなんだけどねえ」
「ふふ、それ前も言ってたじゃん。でも楽しみだなあ、ミサキちゃんの詞」
 ぐさり。その言葉に心が痛む。カナちゃんは曇りなくいつものように笑っているので、あくまで悪気はないようだ。ごめんね、カナちゃん。本当は一言も出来てません、出来そうにありません。
 私は一つ、心配している事を話してみた。
「ねえ、ハルキ怒らないかな?」
「どうだろうねえ。もうライブまで一週間切ってるし、バンドに関してはストイックだからなあ」
 カナちゃんは顔を少し険しくし、声を低くして言った。私が今日練習に行きたくない最大の理由が、そのハルキのことだった。
「だよなあ。どうしよ、ひたすら謝るしかないかな?」
「うん、そうだね。ハルキもちゃんと謝ればわかってくれるよ」
 そうだろうか。でも友達にそう言われると、本当にそうであるような気がして安心する。
「だよね。よし、じゃあ謝ろ。謝り倒そう!」
「ふふふ。あ、今日は練習終わったら二人でミスド行こうよ。半額券あるんだ」
「おお、いいねえ」
 カナちゃんに話したら何となく気持ちが楽になった。とりあえずちゃんと謝って練習乗り切って、それが終わったら楽しくカナちゃんとお喋りしよう。ドーナッツ半額なんてラッキーだ。

 いつもの小さな練習スタジオに入ると、まずはコピーの曲を四曲、何度か練習した。そのあいだ詞の件については何も訊かれなかったが、一通りコピー曲の練習が終わり、みんなの体が十分に温まってきたころ、ハルキが言った。
「じゃ次、オリジナル曲練習するけど、ミサキ、歌詞出来た?」
 ついに来たか。ここはしっかり謝らねば。と思ったのだが、口を開くと何故か、へらへらした謝罪が出てきた。
「あ、ごめん。もうちょっとなんだけど出来てないんだわ。本当ごめん」
 ――あれ? 
 口元がにやついてしまっているのに自分でも驚いた。真顔でしっかり謝ろうと思ったのに。友達に対してそのようにすることが殆どないからだろうか、いつもの「友達だから許してね」な謝罪になってしまった。
 気付くとハルキは冷たい目線をこちらに向けている。やらかした。私はそこでやっと口元を引き締め、もう一度、今度は頭を下げて謝った。
「本当にごめん!」
「もういいよ」
 予想外の言葉に、そっと顔を上げてハルキを見たが、目はどう考えても「もういい」と言っていない。どう考えても私を許していない。
「もうちょっとで出来るならさ、その出来たところだけでいいから見せてよ」
「いや、それはちょっと見せられない……」
「は⁈

 急に音量を上げたその刺々しい一声に驚いて、シュウもカナちゃんも各々の楽器をいじるのをやめてこちらを見る。沈黙。空気の重みがぐっと増す。何かがハウリングして、止んだ。
 おそらく、もうちょっとで詞が出来るなんてハッタリだとハルキは見抜いていて、敢えてそんなことを言ったのだろう。そうやって戦略的にネチネチと相手を責め立てるところがハルキらしい。
 ハルキのいつもより見開かれた眼には怒りの色が満ちていて、思わず私は泣き出したくなる。私はどうしたらいいのか分からない。謝るということしか思いつかない。
「歌詞無いでどうやってライブすんの、練習すんの?」
「うん、ごめん」
「ごめんじゃなくて、どうやってライブすんだよ」
「ごめん……」
 ハルキは特に声を荒げるでもなく淡々と問い詰めたが、おそらく誰が聞いても容易に攻撃的な響きを感じ取ることが出来ただろう。その静かな怒りがじわじわと私の精神を痛めつける。いっそのこと思い切り怒鳴りつけてくれればいいのに。目頭が熱くなり、視界がぼやけ始めた。
「まあまあ、無いもんは無いんだし、とりあえず今は歌詞無しで合わせようぜ! スタジオ代ももったいないし」
 私たちのやり取りを見かねたのか、慌ててシュウが言った。その笑顔は無理して作っているように見えるが、頑張って空気を和らげようとしてくれているのだろう。ハルキがキッとシュウを睨んだが、シュウは怯むことなく笑顔を保った。
 ハルキは表情を変えることなく、仕方ないといった風に息をついて、イントロのギターリフを弾き始めた。その時舌打ちが聞こえた気がするけど、気のせいかもしれない。
 いきなり始まったので私たちは慌てて演奏の準備をした。タイミングを間違えないように拍をとって入る。私はべそをかきながら必死こいてベースを弾いた。シュウがいつものようにラララー、と歌いだす。その歌と演奏が耳に入ってきても、私は初めてデモ音源を聴いた時みたいにかっこいいとは思えなかった。
 二番の前のサビの途中から、キンキン鳴っていたリードギターの音が急に消えた。まだまだリードギターのなくなるタイミングではない。ずっと凝視していたベースの指板から目を離して、ハルキの方を見る。
 ハルキは勝手にギターストラップを肩から外し、アンプのつまみをゼロまで下げてギターの片付けを始めていた。それから十秒ほど三人で演奏は続いたが、シュウやカナちゃんもハルキの様子に気づいて、曲は消え入るように中断させられた。中途半端に止められた音たちの残響が、互いに調和せずに漂う。
「おい、ハルキ」
「帰るわ。歌詞ねえのにやっても意味ないし」
「おい!」
 あっという間に帰る準備を整えたハルキは、シュウが呼び止めるのも聞かずにスタスタとギターアンプの横の防音扉から出て行った。少しの間、取り残された私たちは呆然として扉の方を見つめていたが、我に返ったようにシュウが乱暴にギターを片付け始めて、
「ちょっと追いかけてくるわ。でもたぶん戻ってこないから、悪いけどお金払っといて」
と口早に言うと、ギターケースとバッグを引っ掴んでスタジオを飛び出していった。
 さっきまであんなに狭かったスタジオが急にガランとして、二人分のスペースが生まれる。今更になって、独特の埃っぽい臭いがツンと来た。二時間予約したスタジオは、結局一時間も使われなかった。
 私のせいだ。私が詞を作ってこなかったばっかりにこんな。ライブ前だというのにバンドの状態は最悪だ。全部私のせいだ。やりきれなさと申し訳なさと情けなさと、その他諸々のよく分からない感情がごちゃごちゃになって、溢れ出した。いつの間にか顔が歪んで、大粒の涙がいくつも流れている。私は手で顔を覆い、その場にしゃがみ込んで嗚咽を漏らした。なんで私はこんなんなんだろう。
「大丈夫、大丈夫だよ」
 カナちゃんがとんとん、と肩を叩いて慰めてくれる。カナちゃんはいつだって優しい。
「歌詞出来ないなら、一緒に考えよ? ね?」
「カナちゃ……私、歌詞……全然……」
 喉がつかえてうまく喋れない。駄目だ、カナちゃんを困らせている。
「うん、大丈夫大丈夫。困ってたのに助けてあげられなくてごめんね」
 ううん、カナちゃんは何にも謝ることないのに。普段は聞かないその柔らかな声に、何故だかますます涙が溢れて出てしまう。
 その後しばらく私は泣き続け、カナちゃんは黙って私を慰めてくれていたが、私が少し落ち着いてくるのを見ると、カナちゃんはニッコリして口を開いた。
「ドーナッツ、食べよっか」


  4
 あの後私とカナちゃんに、シュウから『ハルキ捕まえられたから、ちょっと二人で話し合うわ。やっぱり戻れなさそうだけど、お金大丈夫?』とメールが来た。私たち二人とも余分にお金を持ってきていたので『了解。大丈夫です!』とカナちゃんが返信して、二人でスタジオ代を払った。
 そして今、スタジオからすぐ近くのミスドの、この隅っこの席に至る。店内に入るとき、ハルキ達がいたら嫌だな、と思ったがいなかった。午後三時半、おやつどきではあるが平日であるということもあって、店内に客は四、五人しかいない。私の目の前、カナちゃんの後ろにある大きなガラスから見える空はまだまだ薄青いが、本当に向こうの方は夕暮れに差し掛かっていた。
「実は私さ、全く歌詞出来てないんだよね」
 そう正直に告白する。かみ過ぎた鼻がヒリヒリする。おそらく真っ赤になっているだろう。
「ふふ、なんとなくそんな気がしてた」
 カナちゃんはそう言って微笑んだ。なんということだ。のほほんとしているようで実は全部見抜かれていたのか。
 それから私は思い切って、作詞に挑戦したこと、そして挫折したこと、その経緯などを要領悪くも打ち明け、相談した。カナちゃんはそれを真剣に聞いてくれた。
「で、どんな歌詞書いてもどうにも中二病っぽくなっちゃってさ、もう何が中二病で何がそうじゃないんだか分かんなくなっちゃったんだよね」
 とりあえず言いたいことを一通り言うと、カナちゃんは気難しい顔をして、うーん、と唸ってから言った。
「ごめん、中二病って何?」
 なんということだ(二回目)。カナちゃんは中二病という言葉を知らなかった。これは相談する相手を間違えたかもな、と思いつつも言葉の意味を説明する。しかし、言葉にしようとすると難しく、なかなかうまくいかない。
「何というかこう、中学生とかが急に恥ずかしいポエムとか書き始めて、自己陶酔に浸っちゃったりとか、後から見たらなんか黒歴史みたいになるやつ」
「恥ずかしいポエム?」
 駄目だ。やっぱりカナちゃんでは私の悩みが分からないみたいだ。
「なんか、かっこよさげなこと言おうとしたり、ロマンチックなこと書き綴ってみたり、意味深ぽい言い回しとか考え方とか前面に押し出してるようなさあ」
 あああ。過去の自分のことを言っているようで恥ずかしくなってくる。
 これだけ説明したが、カナちゃんはまだ質問してきた。
「じゃあ、プロのアーティスト達も中二病ってこと?」
「え」
 いや、それは、たぶん、違うと思う。というか、そんなこと考えたこともなかった。
「だってさあ、かっこよさげなこととか、ロマンチックなこととかさ、意味深ぽい言い回しとか考え方も、よく歌詞になってるよ?」
 カナちゃんは不思議そうな顔で訊く。
 私は固まってしまった。頭の中で思考の整理を急いでいるが追いつかない。たしかに、そうなのか? いやいや、でもあの人たちの歌詞はもっと違う、はずだよな? そういえば最近は、練習曲をベースラインを辿りながら流し聴きするくらいで、まともに曲の歌詞を聴いていなかった。
「ち、ちょっと待って」
 私は目の前に友人がいるのにもかかわらず、バッグからイヤホンを取り出して耳に突っ込んだ。そうせずにはいられなかった。何か大事な事を忘れていた気がした。
 音楽プレイヤーはいつもシャッフルモードにしている。画面もろくに見ずに適当に曲を繰ってから再生ボタンを押すと、有名なバンドの、馴染みのある曲が――歌詞が――流れ込んできた。しばらくのあいだ私はそれに耳を傾ける。
 改めて聴いてみると何だかこっ恥ずかしくなる部分も、あった。しかしそれは、今まで幾度となく私の胸を打ってきた詞だし、今も確かに私の心を強く震わせている。目の前、カナちゃんの後ろには見事に夕焼け空が広がっていたが、それを綺麗だと思う心を殺したくはないと思った。
 バラバラだったパズルのピースが、音を立ててはめ込まれていく。私はイヤホンを外す。
「カナちゃん、私、今までしょうもないことで悩んでたかも」
 カナちゃんは、私に何が起こったかよく分からないのか、しばらくキョトンとして私を見つめていたが、ふとそっと微笑みを浮かべて「そっか」と言った。
「素敵な詞を最初から書ける人なんていないし、何度も書けるように練習するうちに、いくつもの失敗作を作るかもしれない。でも、プロの人だって誰だってそういう道を通るし、黒歴史がどうとか気にしてたら何にも出来ないよね」
 私は今思った通りのことをそのまま吐き出した。カナちゃんは相変わらず微笑んだまま頷いた。
「うん。伝えたいことや気持ちを、まっすぐ伝えればいいと思うよ」
 憑き物が落ちたように、心の中がすっと軽くなっていた。視界は澄み渡っている。


  5
 翌日の朝、高校へ向かう電車の中で、私はぼんやりとオリジナル曲の歌詞を考えていた。昨日中にでも作詞作業を再開するつもりだったが、泣き疲れていたのか、家に帰ってご飯を食べると昨日はすぐに眠ってしまった。
 もちろん、そんなに簡単には詞は出てこない。しかし、もう今までのように、そこに焦りは生まれない。むしろこれからどんな詞を作り出そうかと、わくわくしてくる。久しぶりの感覚かもしれない。
 昨日のカナちゃんの言葉を思い出す。伝えたいことや気持ちをまっすぐ伝えればいい、か。私の伝えたいことや気持ちって何だろう?
 その時、ケータイが震え出してメールの着信を知らせた。誰からだろう? と思ってケータイを取り出して見ると、シュウの名前が表示されていた。
『ハルキのことで話したいことがある。やっぱり、このままじゃいいライブ出来ないと思うしさ。俺、今日は予備校の冬期講習が入ってるから夜になっちゃうんだけど、いい? 飯でも食いながら話そうぜ!』
 シュウといえば、昨日私がハルキに責め立てられているときに助け船を出してくれたな、とまず思った。会ったらお礼を言おう。
 しかし、何故夜なのだろう。高校は今日は終業式しかないので、終業式後から予備校に行く前の時間にちょっと話せば済むのではないか。とも思ったが、おそらくそんな短時間に済む話ではないのだろう、と自己解決した。
 見通しが立ってきたとはいえ、まだ詞が出来ていない状態でいきなりハルキと会うのは気が引ける。しかし、遅かれ早かれハルキとの溝は埋めなければならないと思っていたので、こうやってシュウが私たちの仲介役をしてくれるのはありがたいことだった。
 私は了解の意のメールを送って、窓の外の景色を眺めた。空には雲一つなく、どこまでも迷いのない蒼が広がっている。降り注ぐ陽ざしに目を細め、変わりゆく街並みを見ていたら歌詞を考えるのを忘れてしまい、いつの間にか高校の最寄り駅についてしまった。

「まあなんというかさ、確かにまだ歌詞が出来てないのも問題だったけど、あのハルキの行動も問題だったよな」
 ハルキ自身もそう反省してたよ、と付け加えてシュウは言った。
 私たちは高校の最寄り駅付近にあるファミレスの中にいた。シュウの通っている予備校はこの辺りにあり、シュウは私とは逆方面の電車に乗って家に帰るため、このファミレスで話をすることになった。
 私は学校が終わってから一度家に帰って、お昼を食べた後にベースの練習をすると、また眠ってしまった。目を覚ますともう家を出る時間で、ここ二週間ほどでよっぽど疲れが溜まっていたんだな、と思った。いつもどこかで作詞に関しての不安が頭をもたげていて、気が休まる時がなかった気がする。
 私は私服、シュウは制服で、ドリアとハンバーグとライスとドリンクを挟んで向かい合う。
「本当はハルキも呼んだんだけど、あいつ用事あって来れないってさ」
「え」
 その言葉に一瞬耳を疑った。
「いや、そこは呼ぶなよ。私、超気まずいじゃん」
「えー、そうかな?」
「そうだよ! ああ、ハルキ来れなくて良かった」
 微妙に垂れ下がった穏やかな目のシュウは、いつも気を利かせてくれてはいるが、たまにこういう空気の読めないところがある。まあ、結果オーライということで今日は許しておくか。
「そういえば昨日、私がハルキに責められてるとき、止めてくれてありがと」
「んん? ああ、いやいや。気にすんなって」
 シュウはハンバーグを口に入れた状態で、手で口を押えてもがもがしながらそう言った。本当にそのくらいのことは何とも思っていないみたいだった。
「いや、でも本当に助かったよ。あのまま責められてたら、私泣いちゃってたもん。たぶん」
「ははは」
 その後実際に泣いたことは言わなかった。シュウは愛想よく笑うと、口の中のものを飲み込んで言った。
「まあ作詞をミサキに丸投げしたって形になっちゃってさ、俺たちにも責任があったと思うよ。ミサキだけが悪いっていう風にメンバーが責めちゃダメでしょ」
 自分から立候補しといて仕事を全うできなかったのだから、どう考えても私だけが悪いのだが、気を利かせてそう言ってくれるシュウはやはり良い人だ。
 その後はハルキが「せっかく作った自身の曲が台無しになる気がして怒ってしまった」、「自分ばっかりが真剣にバンドのことを想っているように感じた」などと言っていたことを聞かされた。そして、「まだ詞が出来ていないことに対して怒ったのは、間違っていたとは思わない」と言っていたことも。
「まあ俺も、正直歌詞が出来るのが遅すぎると、覚えるの大変だしね」
 シュウが苦笑しながらそう言って、私はやんわりと非難された。ただただ、申し訳ないと思った。会話の中で、私は何度もへこへこと謝り、その度にシュウは「いや、もういいって」と笑って言った。
 私が正直にまだ全く歌詞が出来ていないことを言うと、シュウは「そんなとこだろうな、と思ったよ」とまた笑った。
「でもはっきりと自信持てなくてさ、言ってくれれば手伝ったんだけどね。歌詞は、どう? 出来そうなの?」
「うん。出来そう」
 私は顔に自信を浮かべてそう言ったが、「本当かよ」とからかわれた。
「今度は本当だよ!」と私が語気を強めて言うと、シュウは少し怯んで、独り言のようにボソッと言った。「じゃ、余計なお世話だったかな……」
 え、何? と私は訊き返したが、いや何でもない、と言ってシュウは首を振るだけだった。ふわふわの茶髪が揺れる。
 ハルキについての話は一時間ほどで終わった。もうご飯も食べ終えてしまったが、ドリンクバーでおかわりしながら、さらに一時間以上他愛もない雑談をした。他のバンドの友達の話、テストの話、思い出話、最近のアーティストがどうのこうのという話、その他諸々。
 シュウと二人でこんなに話すのは久しぶりだった。バンドで行動するときはシュウはハルキと話していることが多いし、私はカナちゃんと話していることが多かったのだ。
 しかし、シュウとは軽音楽部に入って初めて組んだバンドで同じメンバーだったし、一年生の時は同じクラスだったため、あまり異性と関わることが得意でない私でも気兼ねなく話すことが出来た。シュウは最近は、ハルキの影響でいろんなジャンルの音楽を聴いているようだが、初めは私と趣味が合っていて、よく好きなアーティストの話をしたものだ。
 気付くと時刻は九時四十五分を回っていて、もうそろそろ帰る? と私は言った。
「あ」とシュウは一瞬戸惑っていたが、すぐに立ち上がった。「まあとりあえず店出ますか」
 その言い回しに若干の違和感を覚えながらも、会計を済ませ外に出ると、たちまち冷気に全身を包まれた。店内で吸収した熱がスーッと空気中に逃げていくのが分かった。私はいつのまにかコートを着込んでいる、何故だか落ち着きのない様子のシュウに別れを告げる。
「気遣ってくれてありがとね。楽しかったよ。じゃ、また……」
「ちょっと待って」
 おっと。なんだろう。
「部室行って、セッションしない?」
「はあ?」
「鍵は持ってきてるから」
 いったい何を言っているのだろう? 今何時だと思っているのか。そもそも私たちは高校から楽器を始めた身で、セッションの心得など全くない。
 不自然な笑みを浮かべて部室の鍵を顔の前で揺らしてみせる彼から、私は少なからず下心を感じ取らずにはいられなかった。うっすらと嫌悪感が芽生える。訝しんで、低い声で抑揚なく問う。
「何でセッション?」
「いや、まあ、暇つぶしにというか……」
「暇じゃないんですけど。歌詞作んないと」
「えと、ちょっとでいいんだけど」
「帰る」
 ビンゴだ。明らかに狼狽えている彼を見て一気に醒める。見損なった。シュウはそういう人じゃないと思ったのに。いつも優しい良い友達だったのに。ちょっとかっこいいと思ってたのに。さっきまでの楽しい気分が台無しになってしまい、悲しくなった。足早に去ろうとしたところ、グッと手首を掴まれた。
「待ってよ!」
「放して!」
 振りほどこうとするが、なかなか手を放してもらえない。店の前で大きな声出して、私は何をしているんだろう。何だかまた泣けてきた。最近私は泣いてばかりだ。馬鹿みたいだ。力が抜けてきて、腕を振り回すのをやめた。
「放してよ……」
「ごめん、本当はセッションはどうでもいい。嘘ついた」
 何だそれ。言い訳になってない。
「誘い方が悪かったかな。いや、本当はサプライズにしたかったんだけどさ」
「は?」
「星、見よ。こぐま座流星群」
「星?」
 どういうことを言われているのかよく分からない。星と聞いて空を見上げてみると、何で今まで気づかなかったのかと思うくらい夜空いっぱいに星が輝いていた。
「今日流星群見れるってたまたま知ってさ、作詞の手助けになるかなって。どうせ見るなら一緒に見たいじゃん?」
 どういうこと? こみ上げていたものがスッと引いた。つまり単なる私の勘違い? 目の前では困った顔をしながらシュウが笑っている。私は現状がうまく飲み込めず、怒ることも笑うことも出来なかった。
「十一時過ぎないと見れないらしいから、それまでどう時間潰そうかなって思ってたんだけど」
「じゃあファミレスにいればよかったじゃん……」
 間の抜けた声でこぼれた言葉は正論を述べていた。

 一度出たファミレスにもう一度入りなおすのはどうかと思い、私たちはオンボロ部室のオンボロ楽器で、本当にセッションをした。セッションといっても各々が適当なフレーズを弾くだけのとてもお粗末な代物で、すぐに飽きてしまった私たちは、今までコピーした曲を一緒に演奏して懐かしがったりした。アンプには繋いでないからしょぼいものになったけど。
 最初はシュウと一緒に部室に入るのを躊躇したが、よく考えたらシュウが私に変なことをするわけがなく、さっきの自分の思い込みを馬鹿馬鹿しく思った。
 校舎から少し離れた一階建ての部室棟にある部室は、暖房もない寒い部屋だったが、楽器を弾いていると体が温まったので問題はなかった。ここは私の入学当時からアンプが壊れていてノイズを発するので、ほとんど使われることがない。
 十一時を回ると、私たちは部室棟脇に何故かいつも備え付けられている梯子を使って部室棟の屋根に上り、並んで座った。
「ミサキ、バスドラの中に詰めてあった毛布、要る?」
「何それ、汚いから要らない」
 私が苦笑して拒否すると、じゃあこっち貸すよ、といってシュウは着ていたコートを渡してくれた。礼を言って、それを毛布のように羽織る。
 さっきより周りに明かりが少ないせいか、ますます綺麗に夜空が見えた。大きい星から小さい星、明るい星や暗い星まで。不規則に散りばめられた星たちはちかちかと瞬き、それはまるで自分がそこに存在するということを一生懸命証明しようとしているみたいだ。
「綺麗だね」
「ベタな風に言うと、この景色を君に見せたかったんだ、って感じ?」
「あはは、何それ」
 私たちは静かに笑い合った。声は澄んだ冬の空気に吸い込まれていく。周りには物音一つなく、しんとしている。
 星空を眺めていると、落ち着くような興奮するような、不思議な気持ちになった。いつまでもこうしていたいと思った。こうやって何も考えずに星を眺めて、そこにあるすべての感覚――光や闇、静寂、におい、空気、白い吐息、隣から伝わる熱――をただ感じていたい。私たちはしばらく何も言わずに空を見上げていた。
「あ」
 ふいに、空の低いところで光がよぎった。
「見た?」
「うん」シュウは空を見上げたまま微笑む。「ほら、あそこにも」
「え、どこどこ⁈

「もう消えちゃった」
「ああ、見逃した!」
 私は子供みたいにはしゃいだ。そういえば流れ星を見るなんて、幼稚園か小学校低学年の時以来の気がする。真夜中、訳も分からずに母に起こされて連れて行かれた近所の土手。その時も今みたいにはしゃいだっけ。
「シュウは、よく星見るの?」
「うん。俺、結構星見るの好きなんよね。流星群の時はいつもチェックする」
「へえ、意外と可愛い趣味してるね」
 私がからかうと、う、うるせえ! とシュウはこっちを見て声を上げた。
「でもいいね、星」
「いいだろ?」
 私たちは再び空に目を移す。その時、高いところでとびきり明るい光が大きな、緩やかな弧を描いて消えた。私たちは思わず息をのんでその残像を見つめた。今の映像を、私は記憶に焼きつけるように何度も何度も頭の中でリピートした。
「すげえ……」隣でシュウが声を漏らす。「今のは今まで見た中で一番かも」
「ねえ、シュウ」
「何?」
 私は大きく息を吸って、吐いた。その白い息が立ち消えるのを見ながら言う。
「ありがとう」
「うん」
 その後、私たちはさらにいくつか流れ星を見てから別れた。あんまり長いことそこにいたつもりは無かったが、乗った電車はもう終電の三本前だった。
 電車の中でさっきまでの出来事を反芻する。シュウと見たあの大きな流れ星。希望とか、そういうプラスのものを思いっきり詰め込んだ光が命を燃やして空を駆け抜け、儚く消える美しさ。
 私の頭の中で、あるメロディーが再生される。これは何のメロディーだっけ。いつも聴いているどんなアーティストの曲とも違うが、確かに私の記憶にある。そうだ。ハルキの作った曲だ。
 私は、私たちがライブでその曲を演奏しているところを想像する。シュウがギターを掻き鳴らしながら歌っている。何て歌っている? 
――あ。歌詞出来る。
 私の伝えたいことは、伝えたい気持ちはこれだ。
 頭の中でメロディーに言葉を当てはめる。その作業は驚く程スムーズに行われた。そして、家に帰ると真っ先に自分の部屋に向かい、真っ白なルーズリーフにそれを書き綴った。


  6
 クリスマスライブ二日前。いつもの小さな練習スタジオに入ると、もうみんな揃っていて、練習を始める準備をしていた。
 ハルキと目が合った。私は真面目な顔で言う。
「遅くなってごめん。歌詞、出来た」
 ベースケースのポケットから昨日のルーズリーフを取り出し、ハルキに差し出す。ハルキはそれを受け取り、眉間にしわを寄せ、目を細めて眺めた。シュウがハルキの横から覗き込む。
「中二……いや、でも……」ハルキはボソッと呟いてから横を向いて言った。「シュウはどう思う?」
 シュウはじっとルーズリーフを眺めている。こんな詩を歌うのは恥ずかしいだろうか。嫌だろうか。私は少し不安になってくる。ドキドキしながらシュウを見つめた。
 そしてシュウは、ゆっくりと口を開いて、言った。
「俺、この歌詞歌いたい」
 一瞬、その場の音が全て聞こえなくなって、その言葉だけが頭の中に響いた。
 シュウはこちらに目を移し、ニッコリして続けた。
「この歌詞、結構好きかも」
「どれどれ⁈ 私にも見せて!」
 カナちゃんがドラムセットから小走りで出てくる。
 何だろう。ホッとしたのに、まだ心臓がドキドキしている。いや寧ろさっきよりも鼓動が早くなっている。顔が熱くて、赤くなっているのが自分でも分かった。
「すごい。ミサキちゃん作詞の才能あるよ!」
「いやいや、それはないよ」
 カナちゃんに褒められて、やっと言葉が出た。才能なんて本当にないと思う。ただ書きたいことを書いただけだ。そして、書きたいことを何にも考えずに書けるようにしてくれたのは、自覚はないかもしれないがカナちゃんだ。
「じゃあ、この歌詞でいこう」ハルキが口元に笑みを浮かべて言う。「俺もこの歌詞、悪くないと思う。ちょっと中二病っぽいけど」
「ありがとう」
 私は素直に礼を言った。みんなに褒められて、照れくさくて笑ってしまう。
「本当、遅くなっちゃってごめんね」
「いや、その分良い歌詞が出来たじゃん。俺もちょっとこの前の態度は悪かった。ごめん。問題はシュウが明後日までに覚えられるかだけど……」
「俺は大丈夫だよ。だって俺、この歌詞好きだもん」
 シュウは私の歌詞で、ハルキの曲を小さく口ずさんだ。
「うん、いける。今日はこの曲から練習しようぜ」
 シュウの言葉にみんなが賛成し、各々が楽器を鳴らして準備を始めた。私も急いでチューニングをし、ベースをアンプにつなぐ。未完成だった曲に、もうすぐ最後のピースがはまる。私の心臓はいまだに大きな音を立てていた。
 じゃ、始めよう、と譜面台の前に立ったシュウが言う。みんなが頷き、一拍おいてハルキがそれを弾き始める。
 タイトルは「流星のメロディー」。


  *
「あった、あった。……あ痛て!」
 埃っぽい床を這いずり、上から洩れるわずかな光でそれを見つける。這い出るとき、上に頭をぶつけた。あ痛たた、と頭をさすりながらそれを眺める。
 シンプルなピンクのA5のノート。私はそれを開いて目を通す。未熟な詞たちが並んでいて照れ臭くなるが、恥ずかしくなったり、目を逸らしたくなるということは、もう無い。
 そこにあるのは確かに、いつかの私のまっすぐな気持ちだった。

第二十五回さらし文学賞 | trackback(0) | comment(0) |


ライティング・ガールの夕晴れ

 忘れ物をしたから取りに行くだけだった。そうしなかったらあの子にはずっと会えないままだったと思う。
 あの日、教室まで戻って扉を開けると、そこには思いもよらない出来事が、なんてのは大げさだけど、でも驚いたのは事実だったんだ。
 窓から入る夕日の光が教室を濃いオレンジ色に覆う中、あたしはそこにいた長い黒髪のその人から目が離せなかった。
教室の真ん中の椅子に一人の女子が座っていた。色白なキレイ系のお姉さんで、パッと見年上にも見えるけど、あたしは既に三年生だし年上なんてことはないはず。
一応廊下のクラス札を確認する。やっぱここはあたしの教室だよなあ、クラスメイトでない人がこんな時間に何をしているのだろう。まさかのことと相手の見た目もあって、うわ、なんか緊張してきたし。
 その女子も急に教室の扉を開けたあたしにびっくりしていたみたいだけど、すぐに目を細め、表情をゆるめると、
「こんにちは」
 などと、やわらかな言い回しで声をかけてきた。声もそれっぽく、なんてゆーか、エレガントな雰囲気を醸し出している。
「あっ、どーも」
 一方あたしはカルいなノリが。他の言い方にすんのも変だけどさ。
「何か用ですか?」
「ええと、わすれものを少々……」
「忘れ物?」
「う、うん、ほら、給食袋みたいな」
 って違う! 高校生になってまで給食当番じゃないんだし、何言ってんだあたしは! 
「この高校、給食ありませんよ?」
 ほら、なんかマジに返されちゃったじゃん!
「そ、そうだったかなぁ。あーそうだったのかも、しれないですよねぇ……いやぁ夕焼けがキレイなんでどーしんにかえってみたくなったのかなぁ」
 これもうイミフじゃないの! どうすんの!
 などと思っていたら、
「面白い人ですね」
 別の意味で驚くことになる。
 口元を押さえて両目を細める美人さん。けれど全然イヤミでなくて、といか丁寧な言葉づかいもあるから、いちいち動きが様になっている。優雅な人っていうのはこういう人なんだな。テンパっているのはあたし一人か。
「は、ははは……そう、ならよかった」
 なにが良いか悪いかは誰も知らないけど、すっかり力が抜けてしまった。
 窓からは夕日の光だけでなくグラウンドにいるだろう運動部の声も入ってくる。そろそろ上がりにすっぞー、うぃーっす、なんてのが雑音交じりに。ああ、もうそんな時間か、時計でも最終下校時間の五分前を指している。
 ちょっと気にはなったものの忘れ物(給食袋じゃなくて、ケータイ)を取って、教室から帰ろうとする。
「あの、何をやっているんですか?」
 けれどヤジウマ根性が働いてしまいつい聞いてしまった。
 その人の机には開かれたノート、右手のシャーペンはさっきまで開いたページとくっついていた。こんな所で何を書いていたのだろう。
 でもその人はシャーペンを置いて、ノートを閉じてしまう。
 そうして立ち上がり黒髪を揺らすと、あたしが教室に入った時見せたのと同じ笑顔で、夕日をバックに答える。
「秘密です」


「それ美剣さんよ、D組の」
 次の日というか今日なんだけど、謎の美人さんの正体はすぐに分かった。
「メイ、知ってるの?」
「一年のころ同じクラスだったし、目立つ人よ、マカはそういうのに興味ないだろうけど」
 午前の授業が終わり昼休み、いつもの教室にちらほらと別クラスの生徒も混じる中、あたしら三人はいつもの場所でいつものようにご飯を食べる。毎日違うのは話題くらいだけど、昨日の今日であたしが持ち出した話題はメイにヒットしたようだ。昨日は名前すら聞く前にさっさと帰ってしまったあたしに代わり、メイがそのミツルギさんの事を教えてくれる。
 D組と言えば進学クラスだがその中でも成績は上から数えた方が早い位置にある。おまけにあの容姿はやはり目を引かれるそうで、仕草やしゃべり方も相まって強い個性となっている。性格は大人しめで、ちょっと天然入っていて男関係とかそういう話は無縁。よくもまあそこまで、って聞いたのはあたしか。
「昨日木曜じゃん、ってマカ知らなかったの? ここの教室、木曜の放課後はほら、古典の特別教室やってんのよ。進学希望の人向けの。レベル高めの授業だから、マカには縁遠いのか」
「でも、先生いないのに放課後ひとり残っていたんだけど」
「そこまでは知らんて」
 言ってサンドイッチをかじるメイ、これ以上はさすがに自分で考えろという事か。
見えたのはノートとシャーペン、教科書も参考書も黒板の書き込みだってない。じゃあ、頭の中にエア赤本とか?
「学校誌じゃない?」
 うーんやっぱりD組ともなると頭の作りが違う……ん?
「そろそろ締め切りの時期だし」
「うわぁあんた、あんなのよく読んでるね」
「勝也がなんか、言ってた覚えあるの」
 シズカの元カレの名前が出てきて、場がちょっとシュンとなる。それに気付いたシズカがテンション上げて話すもんだから、いつもの感じにすぐ戻ったけど。こうなるともう元の話には戻れない。けど、学校誌がどうしたのだろう。
話のネタは移り変わり、ミツルギさんの名前は出なかった。


 六時間目の授業の先生はこのクラスの担任だったから、授業終わりはホームルームになって、連絡がいくつか終わると、あたしたちはすぐに帰宅時間に突入する。
「マカー、カラオケ行こー」
「んー、今日はいいー」
 メイ達に手を振り自分の席に座ったままでいる。週末だから皆の足は早くて、すぐに教室はあたしだけになった。
 そのままぼーっとしたり、ケータイをチェックしてたら、気付けば一時間が経っていた。あれから教室に誰か来た、なんてことはなく、一人でずっと暇していたってことになる。
 今日は来る日じゃないのか。メイは木曜日って言ってたし当然か。でも、他に出会う方法をあたしは知らない。
 午後の休み時間に何度かD組を覗いたら、確かにいた。昨日の美人さんが、ミツルギさんと呼ばれていた。ただ予想していたことだけど、ミツルギさんの周りにはミツルギさんのグループが出来ている。あたしの知り合いもいないし、入り込める雰囲気じゃなかった。
 やる事も無いからふと外を見る。まだ高いけど、太陽がオレンジに徐々に色づき出す。それを見ながら思い出す、黒髪、やわらかい笑顔、別れ際の言葉。「秘密」って言われると、更に気になるのがあたしの性格だ。このまま帰る気分にもなれないし。
 思い立ってロッカーの中に入れっぱなしだったそれを取り出す。ホコリを払い、ページを開いて中に目を通す。
あたしの高校では年に一回学校が本を出している。先生のカタい話の他、生徒が書くのは読書感想文や、修学旅行の感想文だったりしたはず。シズカは何でこれを思い出したんだ?
ちゃんと見てみると後ろの方に自由創作ってコーナーがあって、そこは生徒たちの趣味のこととか、学校のこぼれ話とか、あとは小説とか詩とかがのっている。
「……あ」
 パラパラと見ていたけど、あるところでページに触れる指に力を入れる。
 自由創作のところを見たら、昨日合ったあの人の名前があるではないか。
 取り出したのが二年前の物だったから、フルネームと一緒に当時のクラスが書いてあって、一年の頃のメイと同じクラスだ。さっきの話と一致する。苗字こう書くんだ、そんで名前かわいいんだな。
 どうしようかと思ったけど、他にどうしろということもない。クラスと名前の続きを、あたしは書いてあるその中身を目で追っていた。
バーッとまず見渡して、どうやら小説らしい事がわかる。五ページという事も確認して、もう一度最初に戻って文字を追う。それでも普段本を読み慣れないあたしにとっては中々に辛い。黒い文字だけがひたすら続くから、時々どこまで読んだか自分でもごっちゃになる。一文読んでもう一回上に戻って、しばらく読んでさっき読んだとこだと気が付いて次に進む。そんなことの繰り返しだから思ったより時間がかかってしまう。それでも難しい言葉が無かったのは助かる。舞台も普通の学校みたいで、これならあたしの頭でも何とか分かりそう。
三十分くらいで読み終わり、本を閉じたと同時に溜息をつく。ふう、つかれるな。
 正直よくわかんない。今まで読んだものが読んだものだから。でも羅生門やセメント樽の話よりは、面白いと思う。小説として面白いかって言われたら、それはあたしに聞かれても知らないけど。
 ここはそこそこレベルは高い高校だけど、それと皆が皆、頭いい事をしているかは別問題。東大生が皆ノーベル賞を取ることがないみたいに。
 小説なんて、あたしの中ではインテリってイメージ。現文の授業でなきゃ読む事なんてない。読むのだって中々しないあたしには、小説を書くなんて考えに挙がった事も無い。
 でも美剣さんは書いていた。「秘密」なんて言いながら、こうして本になるようなものを自分の手で。
そしてあの時もひょっとしたら、ずっと書いていたのだろうか。誰もいない教室の真ん中で、夕日も沈もうとしている中、あたしが来るまでノートからシャーペンを離さなかった。何でそんな、わかんない、美剣さんの名前を知ってもやっぱ謎だ。
 なんとなくまたパラパラとめくってみる。気になるのは項目『自由創作』。自由に創作、ねぇ。
 これをキッカケにすれば、近付けるだろうか。話を読んで、それでなんなんだろう。よくわかんないけどあたしは面白かった。なんて言ったところでどうだっていうんだろう。
 こんなにも気になっていて、今のままでは何もわかんないし変わらないなら、何か行動を起こすべきだ。
 形から入るため、カバンからノートを一冊取り出す。こんなこともあろうかと中身真っ白だ(テストとかめんどい)。シャーペンも準備して、よし!
「……ええい、ままよ!」
 やった事などない、動かし方も知らない。それでも書こう、とにかく書こう。大丈夫、日はまだ高いとこにある。


 結局木曜日までかかってしまったのは、かえって良かったのかもしれない。
 時間になるまでは図書室(はじめて使ったかもしれない……)で時間をつぶした。そしてこの前と同じ時間に自分の教室へと向かう。やや力んで前扉を開ける。すぐに声をかけられる。
「また会いましたね」
 美剣さんはそこにいた。オレンジ色の教室の中、きれいな黒髪が会釈といっしょに軽く垂れる。
 まず一安心、よかった、美剣さんはこの前と同じ席に座っていた。D組にいる時とちがって一人である。チャンス。
「今日は何を忘れたんですか」
「え……りこーだー?」
 そのシリーズはいいって!
「音楽、一年の時ですよね」
「いやあたしは書道選択だったんで……いやいやっ! あ、そうじゃなくて」
 ついいつものグループのノリで対応してしまったけど、今日は、ちがう。
 教室の中に入り、まっすぐ美剣さんが座る席の前まで来て止まる。自然見下ろす形になってしまった。そしてこの距離から見てパーツの一つ一つがくっきりしているのがわかり、やっぱり美人だと思う。でも、今はひとまず置いといて。
「この日に来ればまた、会えると思って……」
 カバンからそれを探しながら声をかける。
「あなた、美剣さんに用があって来たん、です」
 緊張して途切れがちになる言葉、でもこのために来たんだ。
「私にですか?」
 笑顔はそのままに、でも不思議がる様子は隠しきれていない。同じ立場ならあたしもそんなリアクションを取る。でもあたしと美剣さんが同じ所になんて、今ぐらいじゃないと立てない。
「読んでみて、ください」
 ノートを、あたしが書いた物語を渡す。勢いに押されてか、ゆっくりと手に取ってくれた美剣さん。
 何度も、あたしとノートを交互に見て、十回は越えたところでようやく、ノートを開く。そこに書かれた文字を目で追ってくれる。
ノートの三〇ページ分使った物語。普段使わない頭を使って書き切った小説。作った事もないし作り方もわかんないけど、美剣さんに見てもらうために書いた話。
 女の子が妖精と友だちになる話。
 一緒に遊んで、妖精の力で空飛んだりして、でも最後には二人は離れることになっちゃう、っていう、まあそんな話。
 だいたいはそんな感じだけど、実際はもっとひどい。だってあたしが書いた話だ。
見せて何がどうなるのか、まるでムボウだ、けど書かずには、見せずにはいられなかった。だって。
「中二病」
 と、ゆっくり吐き出された声はぞっとするほど温度が低い。
「え?」
「こんなの、中二病じゃない」
 けどそれは気のせいでもなく、今ここにはあたしと美剣さんしかいなかった。
ノートが机に雑に置かれる。置き所が悪かったのかわざとかは知らないけど、そのまま床に落ちていく。黒い文字が一端浮かんで、落ちる頃には背表紙が見えた。
椅子を引き立ち上がる美剣さん、背の高かった彼女は一度こちらを見る。先ほどとはちがいこちらが見下ろされる、見下される、なのかもしれない。
待って、とは言えなかった。言おうか言うまいか迷っていたら、既に帰る支度がすんで、カバンをか肩にけた美剣さんが教室から出るところだった。
 ガラガラバタン、と閉じられる扉。閉ざされた教室には、あたししかいない。
 怒られた、のか。ただ作ってきた話を見せただけで? それでも、投げつけることなんてないんじゃないの。ひどい。
それは、美剣さんを見なかったらそう思えていた。教室から帰ろうとすれちがった時に見えた、ぎっと歯を噛みしめた表情は何かを我慢しているようにも見えた。
 段々影が濃くなっていく中、あたしはノートを拾う。投げ出された物語を。面白いとも、つまらないともちがう感想。期待は大きく外された。
 ねぇ、なんなのそれ。チューニビョウってのも、美剣さんのことも、何も、わかんないままじゃん。


 次の日は一日ぼんやりと過ごしていた。美剣さんのこともチューニビョウのことも考えようとして、元々そんな頭なんてないから痛くなってやめて、また考えてをぐるぐると繰り返して。
 だから放課後、やめておけと言われた時、なんの事だか最初、意味不明だった。
「おまえだろ、詮索してんの」
 ましてやあまりしゃべった事のない他クラスの男子だったから。待って今思い出す。あ、シズカの元カレだっけ。
「何か」
 鞄を肩にかけたまま返事をする。正直そんなに話したい相手ではない、今日は誘われたカラオケに行くのだし、メイやシズカはともかく、他グループの子達は時間にウルサイし。
「美剣になんかしたんだろ? やめとけやめとけ」
 頭の中、うずまきがカチッと止まり、反射的にこの男子へ首を向けてしまっていた。
 金曜日の教室はすぐに人がいなくなり、今はあたしとこいつだけ。相手は教室の真ん中の机に座って話を続ける。
「オレとあいつおんなじ中学だったんだけどさ、あいつ中々にひどかったぜ、今のあのキャラ信じられねぇんだよな」
 しみじみと言う男子。名前は聞いていたが思い出せない、まあいいか。
「中二病真っ盛りでよ。魔法が使える妖精が見えるだの信じてたんだよ、自分で呪文とか魔法の薬の配合法とか考えてさ、そういうのを書いてまとめていたんだよ。自分は記録者で、後世に世界終末の時代がやってくるから、導き伝える必要があるからって。それがさ、あらら、クラスにばれちゃったんだよ、それで朗読会。楽しかったんだけどなぁ」
 またチューニビョウか。そこでつっかえるあたしを気にせずげへと卑しく笑う男子、今のあたしの表情は見えていないようだ。すでに飽きてきた。お前が思ってるほど笑い話じゃない。
「あれうけたのになー、もっとねぇのって言ったら学校しばらく来なくなっちゃってさ。学級会で何があったかの大騒ぎだぜ。そんでも美剣の親が出なかったのはラッキーだったな。まあかったい頭じゃああいう趣味を子どもが好きって認めたくねぇんだろうな。そうそう、あいつ頭は今みたいに良かったからもっと上の高校狙ってたんだけどさ、そこらへんで一度不安定になったんだと。勉強したけど初め狙っていた高校には届きそうになくて、親と妥協案話し合ってここに決めたらしいぜ」
 いちいち得意顔になってあたしを見ても知らないし。あと、誰もいないのをいいことに、しゃべり過ぎではないか。
「今はなんか新しいキャラ作ってうまくやってるだろうからさ、何だ、小説とか設定とか昔の記憶掘り出してやんなや、ってことを伝えたかったんだわ。昔のよしみでな」
 話し終わっても相手のニヤニヤ笑いが消えない。わかっている。これは親しみをこめたものだ。同じ対象を狙う仲間に向けて。誰がだ。
 当時の事はあたしが知りようもない。それがどれだけのもので、当時の彼女の同級生がどのように美剣さんを扱ったか。
 少なくとも、美剣さんに非があると言えるほど、あたしは頭がよくもないが、バカはバカでもまだましな方だと思える。
「ねぇ」
 チューニビョウって何、と聞こうと思ってやめた。それより他にやる事がある。
 カバンを肩に掛け直し、急いでここから出よう。
「美剣によ」ウゼェよ、こっちはカラオケ行くんだよ。


 正直、もう会うべきでないとも考えた。あたしがまた行くだけで彼女の触れてほしくないところに踏み込んでしまうなら。
「また、来たんですか」
 それでもまたあたしは木曜の同じ時間に前扉を開けていた。そこにいると信じた人がいたから、あたしは夕日に染まる教室へと進むことができる。
「中学の事、聞いたよ」
 美剣さんの左目がピキッと動いた。怒り、ではない、ただ警戒しているだけ。
「そう、なら」
「あいつの事なら心配ないよ。何かしようとか思えなくしたし」
 そしてあいつ関連の現状を言ったら驚いた顔をされてしまった。美剣さんのグループではあまり出ない話なのかもしれない。
 金曜日、カラオケには他クラスの女子も混じって参加していた。そこでヤツの話をした。話した内容はしゃべっていない。そんな事しなくても、態度とか口の悪さとか言う事はいくらでもある。シズカには悪いと思ったけど彼女も「実は今まで言えなかったけど……」と口コミしてくれた。特別仲良くはしていない他のグループも、こうした話は興味をもって言い回す。
 多少盛って話はしたが、他の子の話しぶりを見るとその必要もなかったのかもしれない。気付くと、今週で彼の評判はどん底に落ちた。大抵の女子は無視し、今でも悪口に尾ひれがつく事は止められない。止める気も無いな。同じとは言わない。けど、人から苦しめられる事を知っておけ。
「友だちって多いに越したことはないよ」
 ただ彼女には出来る限り優しく、傷つけないように言いたい。
「だから」ってわけでもないけど。
「友だちに、なるのもいいんじゃ、なんて」
 近付くあたしがよっぽど意気込んでいたのか、美剣さんも立ち上がりこちらに手を向ける。
「待って、待ってってば。あなたなんなの」
「三年C組、真壁幸」
「聞いてないわよ、何がしたいのよ、目的はなんなの」
 目的はだから、さっきから言っているのに。
「中学のこと、聞いたんでしょう?」
「そう」
「引かないの?」
「給食とか言い出す人を面白いって言ってくれたじゃん」
 答えになっているのかな。いいか。そんなはっきりとした言葉はいらない。
「そういう言い方、できないから。何考えてんだろうなーって思った。書いていることが気になったのも、ちょっとでも何を考えているかわかるように、だったかもしんない」
 何を考えているのかなんて聞かなきゃわかんなくて、でも聞く事も出来なくて、だから同じ事をしてみた。小説なんて普段読まないし、書くなんて事もまるで想像できない。想像できないなら、実際にやるしかないじゃないか。そこに感じ取れる何かがあれば、それは美剣さんと共有できるかもしれない。
「美剣さんは、何か嫌なの?」
 責めるような言い方はしていないつもりだったが、美剣さんは黙ってしまう。互いに目も合わせられず、グラウンドの声が入ってくる。ラスト五周ー、ういーっすー。
「……最後の、ハルが、自分と重なったの」
 何分かの間の後に、美剣さんは下を向いてぼそりと呟く。
 聞き覚えのある名前。あたしが作った話だと、すぐ思い出す。
 女の子のハルは妖精のフーと出会い友だちになる。
フーに頼んで空を飛べるようになったり、頭が良くなったりする。それが楽しくなってハルは会う度会う度無茶を言うようになり、フーも最初は応えていたけど、でも最後。
『ハルちゃん、わたしもうつかれたよ。おうちに帰るね』
 フーは妖精の国へ帰ってしまった。空を飛ぶ翼も、頭が良くなる果物も一緒に持って帰る。そしてハルは知る。自分が何も出来ない人間だったという事に。
「あれは、とってつけたようなオチで」
「そうかもしれない。でも妙に現実的なの。それまでが都合の良い夢物語だったのにあそこだけ現実的で。唐突かもしれないけどその落差が印象に残るから、普通によくできていた」
 このタイミングでようやく聞けた話の感想。ビミョーにほめられてる? けど聞き返す暇もなく、呟くように話し続ける。
「昔の自分も、何か出来ると思っていた。……いいえ、何か出来る自分でありたかった。そうしたお話の中みたいなことをすれば、何かが変わるって。でも、無理だった」
 美剣さんの場合、しかも無理だと気付くだけではない。
 心無い輩がいた。バカは自分がいつまでもバカと知らずにバカをやって、そのくせ誰かを否定する。美剣さんはそれの犠牲者だった。逃げ出した先でも親まで認めてくれないなんて、そんなんじゃあ、美剣さん自身が美剣さんを嫌いになってしまうじゃあないか。
「今の自分だって、考えとか、キャラとかそんな風に見せているけど、結局うまく出来ているようで、でも、この前みたいに簡単にくずれるし。やっぱり何もないんじゃないかって」
「そういう事じゃない」
「分かっている、あなたがそういうことを考えて書いたわけじゃないんだって」
「そうじゃないって」
 美剣さんにあるもの、美剣さんが自分で選んだ自分の者がある。誰もいない教室の机に広げたノートが何よりの証明だろう。
「残ってるじゃん。書けるんじゃん」
 捨てがたいものだと、今のあたしなら言える。
「あたしもやってみたけどむずかしかった。言葉とかどう使っていいかわかんなかったし、オチとかもつまんねぇって思ってもほかに思いつかなかったし。でも」
 それだけじゃない。書く事はそれだけじゃあない。
「書いていてすごい気になったの。ハルはどうしてフーにそんなこと言ったのかなって。きっと、自分のためだけじゃないの。もっと簡単な事なの。ただ、なんて書いていいのかわかんないとこもあって」
 小説に、書く事にこんなにこだわるなんて。でも、それは美剣さんも同じかもしれない。
それが原因で馬鹿にされた。逃げた先に張本人がいても尚、その道を選んだ。そして今も続けている。
書くことはやめなかった。中傷されても、それだけは好きだったから。そうじゃないのかな。
「どんな風に書いているのか知りたいし、どんなこと考えているか知りたい。そんな美剣さんのこと好きだよ。でも、今の美剣さんのこと、あたしは何も知らないんだよ?」
 もっと言えば過去の美剣さんもだ。あの男の偏った見方で、この人の事は測れない、だから。
「あたし、知りたいのもっと」
 両手を机につき美剣さんを見下ろすあたし。声に力が入らなかった。それでも気持ちに手加減なんてしていない。ただ、いくらあたしが言っても、当の美剣さんが無反応なら、仕方ない。
 そこにいる美剣さんは、今までここで見たどの雰囲気とも違う。柔らかさも、強がった様子もない。覆っていたものがはがれ、小さくなったみたいだ。けれど、黒髪に隠れてうまく顔も見えない。それだと、わかんないか。
「……そんだけ。そんじゃね」
 もう何も言う事が無くなってしまって、帰るだけになってしまった。肩から抜けた力をもう一度入れ、背中を向ける。
 帰れなかったのは後ろから、立ち上がる音とともに聞こえたからだ。
「サチ」
 そんなあたしの、メイやシズカ達ですら呼ばない名前を呼んでくれる人がいた。
 その場で立ち止まり、振り返る。夕日が差し込む閉じた教室、そこにいるのはあたしと彼女だけで。
「その、なんて呼んでいいのか、分からなくて」
 視線をそらし、両手を組んでもぞもぞとしながら呟くその人は、なんだ、可愛いじゃないか。
 落ちていく夕日、オレンジから火みたいな赤色へと変わっていく風景。彼女の顔もそんな色に染まっていく。
 それはただ彼女だけではない。照れるのは、彼女だけではないのだ。やばい、ほほがピクピクしてきた。
だから嬉しさとかにやつきとか温かさとか、そーいうのを全部伝えたくて、あたしは美剣さんの腕に自分の腕をからませて、
「いーよ、ヒナコ」
 美剣さん――日奈子に笑って見せる。
 目を大きく見開いた彼女は、それでもあたしの腕を振りほどかない。
 窓から入る赤光が、一つになった影を作り出す。

 
「ねぇ、チューニビョウって何?」
「それはだから、秘密」
「いじわるー」
 あなたの口から聞きたいから、それなら聞き続ける。
 教えてくれるまで、ずっといつまでも。

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