さらし文学賞
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G: 心の闇

 メロスは激怒した。
 何事もなければ、死ぬまで平穏無事に暮らせるはずであった。しかし、ある日を境に、その望みは打ち砕かれた。
 あの時、あのボールを追いかけたのがそもそもの間違いだったのだ。いつものように、上田という主人のもとへ届けようとしたところ、その姿はなかった。最後に覚えているのは、上田が乗ったであろう車が走り去っていくところであった。

 メロスは犬である。名前はいまだにメロスと名乗っている。なぜ、こんな忌々しい名前を使っているのかは、自分でも不明である。
 メロスの食事は、主に繁華街で行われる。もちろん、人間のように店に入って注文するわけではない。メロスのお目当ては、店の裏に捨ててある残飯だった。大抵は野菜の切れ端や皮だったりするが、たまに切りそこなった肉とかが紛れていることがある。少し前に食べていたドックフードと比べると大変粗末な食事であったが、食べずに餓死するよりは幾分ましだ。今日も、店の裏にあるポリバケツに狙いを定め、顔を突っ込もうとする。その時だった。
「おい、見かけない顔だな」
 振り返ると、五頭ほどの犬の集団が接近してきた。
「なんだ、お前たちは」
「野良のはぐれ者がでかい口叩くんじゃねえ。まさか、ここがボルフ様の縄張りと知らずに入ってきたのか」
 ボルフと名乗った犬を取り囲んでいた残りの犬が、牙をむき出しにして歩み寄ってくる。単身で、戦いなれしている野良犬の群れに喧嘩を売るのは、ほとんど自殺行為だ。家の中で育ったものの、本来持ち合わせている危険予測能力が、戦ってはいけないと警告している。
 メロスは歯がみしながらも、まわれ右をしてとぼとぼと退散した。それを合図に、ボルフの群れは一目算に残飯に群がった。

 野良の世界で生きていくためには、群れを作ったほうが断然有利だ。しかし、他の犬との面識は、せいぜい近所で飼われていた犬ぐらい。野良の犬と関わったことなどない。こうなれば、頭を下げてでもどこかのグループに入れてもらうしかないが、相手側も簡単には受け入れてくれないだろう。
 孤独なまま町をさまよい、数日が経過したときだった。今日も残飯をあさろうと、公園のごみ箱に顔をつっこんでいると、背後に気配を感じた。そこには、メロスと似た顔立ちの犬が、二頭の家来を率いて立ちふさがっていた。メロスが同じ匂いを感じたのも無理はない。この犬は、メロスと同じ柴犬なのだ。
 相手側の目的は十分承知している。まして、戦っても勝ち目がないこともだ。メロスは人間でいうと、社会に出たばかりの青年だが、相手は長いキャリアのすえ社長に躍り出た名君の風格がある。仕方なく、メロスは早々に立ち去ろうとした。
「待ちな」
 ふいに呼びとめられたので、びくついて恐る恐るUターンする。
「この町に単身でいるということは、お前さん人間に飼われて捨てられたんだろ」
 図星だったメロスは飛び上がりそうになった。
「それがどうしたって言うんだ」
 態勢を低くして唸る。ケンカを売る気はないが、売られたケンカを買わないほど臆病者ではなかった。
 だが、相手側は、鼻で笑うと思いもよらぬことを口にした。
「実は、おれもお前と似た境遇でな。人間に捨てられて野良になったんだ。この世界では一匹じゃ生きていけないことは俺がよく知っている。どうだ、俺のグループに入る気はないか」
 そして、メロスの前にゴミ箱にあった鶏肉の骨を投げた。その骨には、わずかながら身が残っている。グループに入るかどうかの意思表示をしろということか。メロスに迷いはなかった。その骨をくわえ、堂々と見せつけた。
「そうか。なら、今日からともに生きよう。俺の名はセリヌンティウス。長いからセリヌと呼べばいい」
「僕の名はメロスだ」
 互いに破顔するや、一緒にゴミ箱をあさり始めた。最初に取り巻きで現れた二匹も、負けじとそれに加わる。
 セリヌの群れに加わったことで、メロスの生活は幾分楽になった。セリヌは数ある野良の群れの中でも、随一の実力を誇っているらしく、餌の取り合いになったときは、大抵相手のほうが折れて立ち去って行った。ケンカになったときでも、セリヌが敗北したのを見たことがなかった。

 こうして、三年の月日が流れた。その間に、メロスは群れを率いるボスとなっていた。もちろん、ケンカはセリヌの方が強い。しかし、セリヌには群れを率いて闊歩できるほどの体力がなくなってきていた。「もう少し若ければ」と口惜しそうに語る彼はやりきれない。
 食べ物を探しに公園を探索していたときのことだった。昼間で、いい天気だろうか。公園にはたくさんの人間が遊びに来ていた。それを物陰から観察するメロス一向。わざわざ隠れる必要があるかと疑問に思ったりしたが、セリヌいわく「先代からやってきたこと」だそうだ。その時のセリヌはなぜか歯がみしていた。
 その公園には広い芝生があり、そこでは人間と犬が戯れていた。とある人間がフリスビーを投げると、犬が追いかけジャンプしてそれをくわえる。そして、得意げに飼い主のところへ持っていくのだ。人間はおおげさなぐらいにその犬の体をなでている。
 そんな光景に、メロスはなぜかうらやましいと思った。その昔、自分もあんなふうに人間の手でなでられた覚えがある。人間と犬が触れ合うのを目にするたび、その思いでが蘇り、なんだか切なくなる。
「どうしたメロス。人間観察なんかしておもしろいか」
「セリヌ、聞きたいことがあるんだが」
 同じく飼い犬だったセリヌだったら、分かってくれるかもしれない。
「たまに、人間のぬくもりが恋しくなることってないか」
「ないな」
 即答されたのは意外だった。野良の中でも自分は異端なのではないかと、メロスは不安になった。
「どうやら人間への情が残っているようだから、ひとつ警告しておいてやる。これを見ろ」
 セリヌは首をふって、メロスを体の横まで誘導した。セリヌが伏せの態勢をとると、自然とその背中が目に入った。そして、メロスは絶句した。
 セリヌと長い付き合いだが、背中をまじまじと見たことはなかった。なので、はっきりと映る生々しい傷痕は、メロスを石像に変えるのに十分だった。
「こいつは、俺が人間に飼われていたころにつけられたものだ。俺の飼い主は、変態な思考の持ち主でな、むしゃくしゃすると動物をバットで殴っては気分を紛らわしていたんだ。そのまま絶命した動物も数多くいた。
 俺も何度も殴られた。けれども逃げなかったのは、野良で生きる覚悟がつかなかったからだ。しかし、このままここにいたら、そのうち人間に殺されるのは明白。ならば、少しでも生存の可能性がある方にかけた。
 いつものように飼い主が俺を殴りに来た時。俺は、数回殴られてから、死んだふりをしたんだ。動かない俺を見て飼い主はリードを持って俺を引きずって行って、家の裏に放置した。当然、この時俺は何にもつながれていない。飼い主がどこかへ行ったのを察するや、起きあがって一目散に逃げ出したのさ」
「そして、野良になった」
 セリヌもメロスと同じく捨てられたとはいえ、ここまで境遇が違うとは。メロスが描いていた上田の姿が歪んでいった。
「だから肝に銘じておけ。人間に媚びようとは思うな。痛い目を見るのは俺たちだ」
 その言葉は、メロスに追い打ちをかけた。メロスの心の一部が瓦解したようだった。そして、それがあることを決断させた。
「セリヌ。僕も人間に捨てられたときのみじめな気持ちは忘れたことがない。理不尽な思いをするのは僕たちだけ。おかしいとは思わないかい」
 セリヌは立ち上がり、メロスの顔を見据えた。
「お前がその気になるのをずっと待っていたんだ。俺はずっと人間に復讐したかった。先代は、人間の力を恐れて接触するのを避けたそうだが、俺はそんな逃げかくれはしたくない。
 そして、野良の経験を積んだ今のお前なら、人間とも戦えるはずだ。どうだ、おいぼれのわがままを聞いてくれないか」
 メロスは答えずに、ただ人間に厳しい視線を向けていた。メロスの毛が逆立っているのを見て、セリヌはゆっくりとうなずいた。その日からメロス一向は復讐鬼となった。

「助けて」
 人間が悲鳴を発しながら逃げていく。牙をちらつかせ、それを追いかける。しかし、深追いはしない。人間は憎いが、殺そうとまでは思ってはいない。唯一、人間が刃向ってきた場合は牙の餌食になってもらうしかない。
 実際に襲ってみると、人間とはなんと脆弱であろうか。先代が恐怖した理由が分からない。
 メロスたちが人間を襲うようになってから、新聞では連日その被害を報じていた。人々は町中をびくびくしながら歩くはめになった。これこそ、メロスが企んだ人間への報復なのだ。
 これに乗じたのか、他の野良犬のグループも人間への攻撃を開始した。いつしか、そのための同盟を結ぶものも現れた。メロスも例外ではなかった。
「メロスさんよ。人間たちは慌てふためいているみたいだ。この前、肉屋の男に対してうなったら、生肉をただでくれたぜ」
 得意そうに話すのは、かつて別のグループにいたボルフだった。セリヌがリーダーだったころはよく争っていたが、今回のプロジェクトに興味を持ったのか、今は大人しくメロスの傘下に入っている。
 もはや、その町の人間にとって、メロスたちは犯罪者よりも脅威だった。メロスの復讐劇は、このまま成功するかに思えた。

 しかし、人間たちもなんら対策を施さないわけがなかった。住民からの相次ぐ要望を受け、ついに保健所の職員が動き出した。
 そのことは、一早くメロスの耳にも入っていた。
「なにしろ、他のグループが相次いで人間に捕まっているらしい」
 セリヌが肩を落とす。
「どうやら、人間は妙な武器を持ち出したようだぜ」
 ボルフの情報だと、大きな音がする武器で、やられるとしばらく動けなくなるそうだ。そして、そのまま人間に拉致されて、二度と野良の世界には戻れなくなるという。
「ここまできたら、とことんやるしかない。その変な武器を持つ人間に真っ向勝負を挑もう」
 こうして、メロスとボルフの連合軍は、保健所職員との全面対決を決心した。

 保健所の集団と出会うのに苦労はなかった。適当に人間を襲い続けていたところ、向こうからメロスたちのもとへやってきた。正確には、襲われた人間が保健所に連絡していたのだが、それはメロスの知る範疇ではない。
 保健所の職員たちは、メロスたちに銃を突きつけた。これがうわさの武器かと、メロスたちはたじろぐ。大きな音がしたら最後。抵抗できないまま人間に連れ去られるというのだから、実に恐ろしい。
 しかし、その魔の兵器の脅威をくぐりぬけ、この集団に痛手をあわせることができたなら、メロスの復讐を止めるものはいなくなる。こいつらだけには、なんとしても勝たなくてはならない。それは、セリヌやボルフとて同じ気持ちだった。
 メロスは、中心で銃を突きつけている人間を見上げた。他の人間より一歩前に出ており、集団を指揮するリーダー的ポジションにいるのであろう。ならば、それを崩せば、一気に活路を見いだせる。
 だが、その顔を見た瞬間、メロスに衝撃が走った。同時に、あの時壊れたものが少しずつ修復されていった。
 その顔は、忘れたくても忘れられないものであった。まだ赤子であったメロスを引き取り、幼少時代をともに過ごした顔。今対峙しているのは、間違いなく元の飼い主の上田であった。
 上田の方も、メロスの存在に気づいていた。
「メロス、メロスなのか」
 銃を構えつつも呼びかける。メロスは人間の言葉を理解できない。しかし、上田は敵意を持っていないことは感じとれた。
 上田の同僚は、上田が挙動不審に陥っているのを不審に思い、
「上田さん、あの犬知ってるんですか」と尋ねた。
「ああ、まさかだと思うが、昔飼っていた犬だ。家のローンの支払いに困り、家内にあいつを飼い続けることを反対されたんだ。納得できなかったが、当時あいつを飼う余裕がなかったのも事実。俺はやむを得ずあいつを捨てる決心をしたんだ」
 上田はゆっくりと銃をおろした。メロスは、上田から敵意が去ったことを察知していた。もしかしたら、野良の世界から脱せるのではないか。そんな思いが侵入してきた。
「惑わされるな!」
 セリヌの一喝に、メロスは体をびくつかせる。
「一見敵意がなさそうだが、あれはまやかしに過ぎない。あの人間たちは俺達を殺したくてうずうずしているはずなんだぞ」
 それは、人間の心の闇を知るセリヌの渾身の一声だった。相手は、自分を訳の分からない世界に放り出し、みじめな経験をさせた張本人。この機に及んで態度を翻すなど、わな以外の何物でもない。
「決心するんだ、メロス。俺達の望みを忘れたのか」
 メロスの心で再構築されていたものが、再び音を立てて崩れた。
「行くぞ」
 その意を込めた遠吠えがきっかけだった。人間たちには、開戦を告げるほら笛に聞こえたかもしれない。

「やつら襲いかかってきましたよ」
 同僚がうろたえる。上田の手は鉛のように重かった。銃を再び構えたものの、引き金を引く指は自分のものとは思えなかった。
 その指は本当に自分のものか、上田は後に悩まされた。
 上田の銃声がきっかけだった。同僚も次々に引き金を引く。

 それは、戦争というにはあっけなさすぎる幕切れだった。先頭を走っていたメロスが、最初に放たれた銃弾に倒れたのが敗北の要因だった。群れの要を失った野良犬たちは、成すすべなく凶弾に倒れて行った。
 メロスは遠ざかる意識の中で、自分の死を覚悟した。人間が放ったのは麻酔銃なのだが、人間に連行されることそれ自体が死神の到来だった。
「言っただろう。人間の心は闇だと」
 それが意識を完全に失う前に聞いた最後の言葉であり、同時にセリヌの声を聞いたのもこれが最後だった。

 メロスは気がつくと、檻の中に入れられていた。かつての仲間も同じ檻にいるようだが、その数は明らかに減っていた。なにより、セリヌの姿がないのが、メロスの心をえぐっていた。
 メロスは二度と人間の手の中に落ちることはなかった。人間よりさしのばされた手をすべて払いのけたのだ。その手の中には上田もいた。

 やがてメロスは悟った。先代が人間を恐れた理由。変な武器を使っているからではない。先代はセリヌやメロスと同じく、人間の闇を感じ取っていたのだと

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F: 題材、太宰

 メロスは激怒した。

 シラクスの市にやってきたメロスは、王の暴虐振りを聞いて、それをやめさせなければならぬと決意した。こっそり短刀を仕込んで、城に乗り込んだ。あっと今にメロスは捕縛され、短刀を持っていたことから王の前に引き出された。
 この短刀で何をするつもりだったのか、と王に問い詰められ、メロスは簡単にこう答えた。
「市を王の暴虐から救うのだ」
 それを聞いた王は激怒して、メロスを磔にすると言った。しかし、メロスはひるまない。けれど、メロスにはひとつだけ心残りがあった。
「私の妹の結婚式だけは挙げさせてやりたいのです。三日経ったら、必ず帰ってきますから、猶予を下さい」
 王は、これを信じなかった。メロスは、嘘を吐いて逃げ、もうここへ戻ってはこないと思ったのだ。それを知ったメロスは、友人のセリヌンティウスを人質として差し出した。約束の三日後の日暮れまでに帰ってこなかったら、自分の代わりに友人を磔にするように、と。
 王はそれを認めた。即座に、セリヌンティウスが連れてこられた。
 久しぶりに会ったセリヌンティウスに、メロスは一切を話した。セリヌンティウスは詳しいことを聞かず、うなずいた。
「僕はね、キザのようですけど、死にたくて、仕様が無いんです。生れた時から、死ぬ事ばかり考えていたんだ。皆のためにも、死んだほうがいいんです。だから、僕は喜んで君の願いを引き受けましょう」
 親友が自分を信じてくれないことにメロスは絶望したが、とりあえずメロスはすぐに出かけた。

 村に帰り付いたのは翌日の昼だった。仕事をする妹をつかまえ、すぐに結婚式の準備をさせた。花婿は驚き、嫌がったが、それをなんとか説得して次の日の真昼に行われた。
 村の人々が結婚式に集まった。その途中に、大雨が降り始め、参加者たちは何か不吉なものを感じた。
 新郎新婦の神々への誓いが、行われようとしていた。花嫁が誓いの言葉を言い、次は花婿の番だ。花婿は、花嫁の耳元に口を近づけ、
「グッド・バイ」
と囁いた。その響きはいたわるような、あやまるような、優しい、哀調に似たものを帯びていた。花嫁の目に、涙が溢れた。
 会場は騒然となり、あちこちで騒ぎが起こり始めた。メロスは、気まずくていてもたってもいられなくなり、こっそりとその場を抜け出し走った。ただひたすらに。そして、自分の家に飛び込み、疲労と絶望で死んだように眠った。

 あくる日、起きるとすでに日が昇っていた。寝過ごしたかとあわてたが、いやまだ今から行けば間に合うと思い直し、またしてもこっそりと家を出て、村人に見つからぬように村を出て雨の中を走った。
 走りながら、メロスはこれから殺されるのだと思った。友人を助け、王の暴虐を打ち破るのだ。それを思うと、心が折れそうになった。けれども、自分を励ましながら走り続けた。
 だんだん故郷への未練が引いていき、切羽詰った気分も和らいだ頃、メロスの前には新たな問題が立ちはだかっていた。昨日からの豪雨で増水した川が、橋を押し流していた。向こう岸に渡してくれるような船もない。メロスは神に祈ったが、目の前の状況は変わらない。メロスは、その川を泳ぎきるほかないと覚悟した。そして、荒れ狂う川に飛び込んだ。

 なんとか川を泳ぎきったメロスは、疲れきった体に鞭打って走り出した。もう太陽は沈みかけていた。焦り急ぐメロスの前に、誰かが立ちはだかった。
「恥の多い生涯を送って来ました。自分には、人間の生活というものが、見当つかないのです」
 突然喋りだした男を、メロスは焦って見つめた。早くしないと、日が沈んでしまう。約束に時間に間に合わなくなってしまう。けれど、目の前にいる男は得体が知れなくて、手の出しようがない。
「道にでも迷ったのか、腹が減っているのか」
 そう訊いた。男は首を横に振る。
「お前は盗賊か、何か欲しいものでもあるのか」
 さらに訊いた。男は首を横に振る。
「では、何だ」
 メロスが絶望的な気分になってそう訊くと、男は変わらない調子で答えた。
「隣人の苦しみの性質、程度が、まるで見当つかないのです」
「では、私に付いて来ればいい」
 そう言うと、男はメロスの後に付いた。やっかいな者に見入られた、とメロスは悔やみながら、先を急いだ。

 疲労が襲ってきた。日は照り付けるし、後を来る男は全くの足手まといだ。もう一歩も走れない。これで諦めるのかと、友人をみすみす殺されるのかと、王に嘲笑われるのかと、メロスは情けなく、またもうどうでもいい気がした。全てを放り出し、しばしまどろんだ。
 ふと、さらさらという涼しげな音が聞こえる。見ると、泉が湧き出しているのだ。そこから一口、水を救って飲んだ。すると、霧が晴れたように頭の中がすっきりした。希望が湧いてきた。
 まだ日没までに間がある。まだ間に合う。親友を助け、王をくじき、その姿を見せれば、なんだかよく分からないこの男の望みも叶えることができるだろう。
 メロスは再び走り出した。遠くに、シラクスの市が見えてきた。

 と、どこからともなく金槌で釘を打つ音が、幽かに、トカトントンと聞こえてきた。それを聞いたメロスは憑きものから離れたように、きょろりとなり、なんともどうにも白々しい気持ちになり、立ち止まった。
 メロスは走りもせず、そこに立っていた。男も何も言わない。そうしているうちに、日は沈んでしまった。

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E: 三人称とかムリ。

 メロスは激怒した。
「セリヌンティウぅぅぅス!」
砂浜を歩いていたメロスから、セリヌンティウスは、後ろ手に持っていた雪見大福を奪い去ったのである。数秒かかってやっと、メロスは事態を把握する。何が起こったのかを知って激昂したメロスは、砂を力強く蹴り、駆け出す。

差を意識し始めたのはいつだったか。
兄のセリヌンティウスが補助輪なしで自転車に乗れるようになったのは六歳。自分も同じく六歳だった。自転車に乗れるようになって両親にほめられる兄を見、練習を始めた。乗れるようになったとき、両親が自分に向けた笑顔は、兄の時ほどのものではないような、そんな気がした。


メロス四十六歳独身、セリヌンティウス四十七歳既婚。追いかけっこをするには老いすぎている、のだが。二人の走りは、むしろ快活な青年を思わせた。

中学受験をして兄が進んだのは偏差値六十二の中学だったが、自分は五十九。その後迎えた大学受験では旧帝大の医学部に現役で受かった兄に対し、一浪して私大の商学部に進んだ自分。
兄との差は、少しずつながらも確実に開いていた。

加速し終えたセリヌンティウスを、メロスが追う。メロスに対するセリヌンティウスの速度は正、加速度は負。速度差は縮まりつつも、間隔は着実に開いていく。

兄は中学生のときに彼女ができた。高校、大学に入ってからも別の彼女がいた。その流れを汲むかのように、大学を卒業してすぐ、平然と結婚していった。大学を卒業してもなお、彼女いない暦=年齢の自分との差は、既に巻き返せないほどのものに思えた。

やがて二人のスピードは近似的に等しくなるが、既に開いた間隔は大きい。優勢を確信したセリヌンティウスは振り向き、嗤う。
「どうした?遅いぞ」
そして振り向いたことにより、気づく。

まあ、ここまではどうでもいい。別に大したことではないのだから。しかしただひとつ、雪見大福を奪ったことが許せない。雪見大福には独自の魅力がある。歯を一瞬貫く鋭利な冷たさと、弾性のある硬さとが、一転して刹那の間に口の中に甘みという名の甘美の花を咲かす。その変身の華やかさと鮮烈さはまるで、ツンデレ。しかしこの現象には、タイミングという重要な制約がつく。適切なタイミングで食さなければこのすばらしい変化は起こりえない。この変化がない雪見大福があったとして、言い換えるならば花を咲かせず球根を残すだけのチューリップがあったとして、それに魅力があろうか。雪見大福の魅力とはただその絶妙な甘さだけにあるのではないのだ。グリコシド結合が加水分解されることにのみ魅力を感じるのだとしたらむしろ蜂蜜でも舐めていればよい。転化糖がきっと甘さとは何かを教えてくれるだろう。だが自分が持っていたのは雪見大福だ。甘さだけではなく、デレ化による味の極限値を楽しむことのできる、食べ頃という大事な瞬間があるのだ。その至高の瞬間を逃がすつもりは、絶対にない。

目をつぶったメロスが全速力で追いかけてきていた。しかも雪見大福についての講釈をブツブツと垂れながら。
(ちょっ、シュールすぎるだろ)
セリヌンティウスの顔が引きつる。
一方メロスは、自らの劣勢を痛感していた。縮まらない差。ゼェゼェと切れる息。客観的に見れば諦めるには十分な要素に思える。しかし、メロスは全く諦めない。諦めてしまえば、雪見大福を、その大事な瞬間を、みすみす逃してしまう。そうしないために。力を振り絞り、メロスは咆哮する。
「雪見ぃぃぃぃっ!」
そして、ありったけの力を込め、メロスは放つ。砂浜に落ちていた貝殻を。風を切り裂き直線の軌跡を空中に描いた貝殻は、セリヌンティウスのふくらはぎに命中し、転ばせた。そこに隙ができた。短い時間で、一気に距離を詰める。
「アッーーー!」
目を血走らせたメロスが絶叫とともに飛びかかってくるのを見て、セリヌンティウスの顔が恐怖に歪められた。そんなことを気にとめることもなく、メロスは瞬く間に雪見大福を取り返す。それを頬張り、仁王のごとき形相から表情をダラリと弛緩させる。メロスはセリヌンティウスの上で恍惚の表情を浮かべていた。そして恍惚の表情を浮かべながら、メロスは拳を握りバキバキと音を鳴らす。セリヌンティウスの顔は急速に色を失っていく。そして再び、

メロスは激怒した。

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D: Why was he angry?

 メロスは激怒した。

「ねえ、メロスって何? 何そんなに怒ってんの?」
「バカ、『走れメロス』って一般常識でしょ? っていうか、授業聞いてなかったの?」
「授業なんて聞いてるわけないじゃん。ケータイ見てるよ」
「サイテー」
 あーあ、道理でメグミはバカな訳だ、とアユは溜め息を吐いた。失礼な、とあたしはふんと鼻を鳴らすけど、赤点のことで職員室に呼ばれたその帰りなので、アユの言い分は正当だ。だからと言って、バカと言われてムカつかない訳ではない。
「そんなバカと一緒の高校にいるアユは何なのよー」
 本命校の試験の日、アノ日だったのよねー、とアユは澄まして答える。その感じがおかしくて笑うと、アユも笑った。
「ま、テストなんてどーでもいいしー? メロスの気持ちなんて知らなくても生きていけるっつーの」
 アユはそう言って、カラオケでも行こーよと続けた。
「行っちゃいますかー。あ、その前にあたしマック寄りたい」
 ミスドの方がいいなーと答えながら、アユは立ち上がった。あたしはそれに付いて行こうとして、もう一回カバンから解答用紙を取り出し、傍線部①「メロスは激怒した」について、何故メロスは激怒したのですか、と問われた問題の解答欄に付けられた赤ペンのバツ印を眺めた。その答案は、それ以外の欄もほとんどバツ印だったけれど。
「メグミー、置いて行くよー」
「はいはいー」
 やっぱりバカらしいな、と答案をしまい直し、アユに続いて教室を出た。

 家に帰ると、即効でテレビをつける。途端にどーでもいいバラエティ番組がけたたましく流れ出す。テレビに前にどっかと座って、チャンネルを次々変えてみるが、大して面白い番組はやってない。最初のチャンネルに戻して、画面に見入った。
「愛美、帰ったならただいまくらい」
 台所にいたらしい母が、後ろから声を掛けてくる。ウザい。
「はいはい、ただいま」
 あたしのテキトーな返事に、母は口ごもる。でも結局何も言わずに台所に戻っていく気配がする。やがで、かすかに水音が聞こえ始める。

 もう、母はあたしを諦めている。もともと、他人に強く物を言えない母だ。ずるずると勉強が分からなくなり、中学ではおちこぼれで、何とか引っかかった底辺高校でもどん底の成績で、そんな風に転落していくあたしに母は何も言わない。テストを見せろとか、もっと勉強しろとか、塾に行けとか、それどころかあたしはここ最近母とまともな会話すら交わしていない。
 何か言われれば、それはそれですごくウザいだろうけど、おどおどと何か言いたそうにするくせに何も言わない母はウザい。でも、アユの親は相当教育熱心らしく、かなりハデに喧嘩しているらしいのを聞くと、まだマシかなーとも思ってしまう。
 母に対するムカつきが、もやもやと消えなくて、イライラする。ぼんやりテレビを見ながら、あたしはそのイライラを持て余している。
 唐突に、「メロスは激怒した」という文が、頭の中に浮かび上がった。

 その夜、あたしはケータイに飽きてベッドの中で目をつぶった後、久しぶりにまじまじと考えた。どうして、メロスは怒ったんだろう。何にそんなにメチャクチャにムカついたんだろう。
 あたしだって、毎日色んなものにムカついている。何か言いたそうに、でも何も言わない母。電車の中で近くにいるキモいオヤジ。水溜りを跳ね上げるトラック。奇声を上げて走りまわるガキ。何を言ってるのか分からない教師たち。友だちのアユにさえ、ムカつくことぐらいある。
 でも、とあたしは思う。でもそれは、大した怒りじゃない。声を上げてキレたりするほどのことじゃないと思うし、そのときはイライラするけどすぐに忘れてしまう。メロスの「激怒」に比べたら、バカみたいなもんだろう。それほどにムカつくことなんて、一体何なんだろう。
 そんなことを考えていると、どうしても気になってきてあたしは目を開いた。電気を点けて、机の引き出しに突っ込まれてる教科書を取り出す。ぱらぱらとめくって、目的のものを見つけた。
 太宰治、『走れメロス』。

 読むのに、何日もかかった。学校とか電車とかで読むの恥ずかしいし、アユに見つかったらバカにされる気がするしで、夜家で少しずつ読むしかなかった。それに、本を読むことなんて普段ないから、読んでいるとすぐに眠くなる。でも途中で放り出さずに読んだのは、あたし的に上出来だっただろう。
 でも、内容はなんかよく分からなかった。メロスが何に怒ってるのかよく分かんなかったし、王様もなんか偉そうなこと言ってるだけっぽいし、セレヌンティウスが可哀想過ぎるし、メロスは途中で言い訳始めるし、しかもラストはみんな仲良くなってめでたしめでたしなんてバカなんじゃないの? 太宰治とか有名らしいけど、全然面白くないじゃん。
 なんか、読む時間損した。

 昼休みだった。あたしとアユは、だらだらと菓子パン食べてた。これだけだとお腹空くけど、我慢。ここまではいつも通りだった。
 それは、ちょっとした事故だったのだ。手を伸ばしたあたしの制服の袖が、机の上のジュースの缶に引っかかった。あ、と声を上げる暇もなく、缶は倒れてまだ残っていたジュースが向かいに座っていたアユにかかってしまった。ぎゃあ、とアユは手を引っ込めたが、アユの制服の袖はジュースまみれになった。
「バカ、メグミ」
「今の事故だって! ごめん、いっぱいかかった?」
 あたしは缶をとりあえず元に戻し、アユにティッシュを渡して、こぼれたジュースを拭いた。
「そんなでもない。でもベタベタ。サイテー」
 ジュースだし、乾けばもっとベタベタになってしまうだろう。ブツブツ言うアユに、あたしは手を合わせながら言った。
「ごめんって。トイレ行ってさ、ちょっとあたし洗ってくる。ブレザー貸して」
 お詫びのつもりで、あたしはそう言った。でもアユは表情を一瞬硬くした。怒ってるかな、とあたしがさらに何か言おうとすると、アユはおどけたように言った。
「それくらい自分でできますー。トイレ行ってくるし、メグミはジュース買ってきてよ。オゴリね、それでチャラにしたげる」
「うん、本当、ごめん」
「いいっていいってー。はいはい、さっさと行く」
 そう言って、アユはすたすたと教室を出て行った。あたしは、アユが一瞬した表情が気になったけどアユに他に変なところはなかったので、とりあえずジュースを買いに、あたしも教室を出た。

 よく冷えたコーラを手に、あたしは教室へ戻ろうとしていた。けれど、アユがまだトイレにいるかもしれないので、覗いてみることにした。ひとりで先に教室に戻っていたら、アユの機嫌が悪くなるかもしれなかったし。
 教室から一番近いトイレをひょいと覗くと、アユがいた。声を掛けようとして、あたしは――固まってしまった。
 ブレザーにかかったジュースはかなり染み込んだらしく、アユはブレザーを脱いで、ブラウスの袖をまくっていた。濡れて、むき出しになったその腕は、最初アザでいっぱいのように見えた。でも、違う。あれは切り傷だ。肌の上で固まりかけた血が、まっすぐの傷口に沿って、いく筋もいく筋も、腕に並んでいるのだ。
 あたし、知らなかった。アユがリスカしてるなんて。

 あたしが呆然としていると、ジュースを流し終わったらしいアユが振り向いた。固まっているあたしが突っ立っているのを見て、アユはしまった、という顔をした。でもそれも一瞬のことで、すぐにいつも通りの顔になったアユは言った。
「だって、ムカつくし」
 昼休み中なのに、妙に静かな空気の中でアユは言った。だって、毎日イライラすると。偉そうでウザい家族も嫌い、勉強だって何のためにやってるのかよく分かんないし、勉強しろしろってうるさい教師も嫌い、今朝電車で隣に座った化粧するOLもウザいし嫌い、みんなムカつく、イライラする。切ると、何か楽になる、と。
 あたしは、ただ黙ってそれを聞いていた。心の中はグチャグチャだった。アユはみんな嫌いなら、あたしも嫌いなのか。毎日、あたしにもイライラしてたのか。あたしがアユをイラつかせるから、アユは腕を切るのか。なんであたしにそれを言ってくれないのか。って言うか、なんて腕なんか切るのか。そんな疑問がぐるぐるして、泣きたいくらいに悲しくなった。でも、それ以上に腹の底から何かがむらむら湧き上がってくる。あたしをかまわない母とか、キモいオヤジとかに対するのより、メチャクチャ強い、怒りの感情。
 あたしは、そのとき「激怒」していた。なりふり構わず、理屈も抜きで、王の悪政に苦しむ民の姿を見たメロスの抱いたような、「激怒」が噴き出した。
 そう意識したときには、あたしは空いていた右手でアユのほっぺたにビンタを食らわせていた。あっけにとられた顔をしたアユに向かって、あたしは感情に任せて喚き散らした。
「アユ、そんなの言ってくんなきゃ全然分かんない! あたしバカだから、『走れメロス』も知れなかったし、テストもほとんど赤点だし、だからアユをムカつかせるのかもしれないけど、ムカついてるの言ってくんなきゃ分かんない! 分かんないから直せなくて、それでアユムカつかせるなんてあたしサイテーじゃん! それになんで腕なんか切るの!? 腕なんか切ったら痛いし、血ぃ出るし、そんなことされたらあたし悲しいじゃん! アユはバカなあたしなんか嫌いかもしんないけど、あたしアユの友だちじゃないの!? 何も相談してくんないし、腕なんか切るし、あたし悲しいよぉ……」
 じぶんでも何を言ってるのかも分かんなかったし、気付くと私はぼろぼろに泣いていた。ほっぺを赤くしたアユは、毒気を抜かれたような顔をして、あたしを見つめていた。

 しばらくしてやっと我に返ったあたしは、かなり恥ずかしかった。泣き過ぎて顔とか多分ヤバいし、よく憶えてないけどかなり恥ずかしいことを言いまくった気がする。メチャクチャ気まずくてアユの方を窺うと、アユはうつむいて、小さく「ごめん」と言った。さらに小さい声で、ありがとうと聞こえたのは、空耳だったかもしれない。

 それから、あたしとアユは今まで通り下らない話したり、遊びに行ったりしてる。母とのイラつく関係は変わらないし、日常の些細なことにムカついたりしている。
 でも、アユ相手に「激怒」したあの日から、なんとなくあたしはすっきりした気分だ。もちろん、あれ以来あんなに盛大にキレたことはない。何となくだが、言いたいことが言ってるうちにはっきりしたし、それを全部言えてなんかすっきりしたのだ。途中から真っ裸で走って走って、自分の意志を貫いたメロスには負けるけど。
 だからと言って、メロスが激怒したのは何故ですか、と言うあの問題の答えが埋まる訳じゃない。『走れメロス』が面白く読めるわけになった訳でもないし、あれ以来やっぱり本読まないし、相変わらずあたしの成績は悪い。
 『走れメロス』はやっぱなー、最後にめでたしめでたしになるのがナットクいかない。メロスは、ただの単純バカで、なんかどうでもいいことで怒って、裸で突っ走って、最後にやっと自分が裸なことに気付いて赤面するくらいがちょうどいいような気がする。私も、自分があの時喚いたことを思い出すと、恥ずかしくて死にそうになる。
 ただ、何かに怒れるってことは、何かに真剣だってことのような気がする。でも、やっぱり、メロスが激怒する理由なんて知らなくても、生きていけるよねーと思う毎日なのだ。

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C: 走ったメロス

 メロスは激怒した。
「いいじゃないですか、そんなに責めなくたって。ちょっと考えてみてくださいよ、ぼかぁ親友を助けるために必死だったわけですし? マジ危なかったんですって、一回諦めてくらいなんスから。……っとすいません、口が滑りました。諦めてないっす。ホントっす。
 それに王様改心したんですから、ちょっとくらい見逃してくれてもいいと思いません? 今じゃああの王様、大臣とか民衆とかにデレデレなんでしょう。そうでしょう。え、それとこれとは話が別だ? だからぁ、見逃してくださいって言ってるじゃないですか! せっかくぼくもセリヌンティウスも助かったって言うのに、何でいきなり牢屋にぶちこまれなきゃならないんですか。法律だからって、あのですね、時には臨機応変に柔軟な行動をすることが大事なんですよ。それに、法律のこと言い出したら、王様、死刑どころじゃないでしょう、罪ない人いっぱい殺しているわけですし。ぼくだって殺されかけたんですって。え、殺されかけたのはセリヌンティウスだって? いや、まあ、そうですけど、本来なら刑に処されるのはぼくだったわけです。はい。ちょっと妹の結婚式に行ってまして。たいへんだったんですよぉ、時間ないから一晩で式の準備して、当日は雨がザーザー降ってきちゃって。でも、妹の花嫁姿最高でした。いやいやマジかわいいんですって、うちの妹。マジ見れてよかった。セリヌンティウスにはその点で、感謝してもしきれないです。いや、本当はぼく、あそこで死んだってよかったんですよ。いや、マジですって。本当ですって。だけど、妹がほらぁ、悲しむじゃないですか。『お兄ちゃんに花嫁姿、見てもらいたかったな……』って。ぼくのことはどうでもいいですよ。だけど、妹が悲しむのはねぇ。あなたも妹いないんですか? え、何、王様に殺された? ――あ、すいません……。で、でも、お兄さんだったならわかるでしょう、妹がどれだけかわいいか。そうでしょう、そうでしょう。妹さんについてはお悔やみ申し上げます。でも、こんなこと言うの失礼ですけどね、妹さんをあの王様に殺されたからこそですね、王様を改心させたぼくのこと、見逃してくれてもいいと思うんです。ね。ね?
 一瞬だったじゃないですか、一瞬。すぐ女の子が服持ってきてくれましたし。
 ちょ、マジで、妹に軽蔑されるのだけは本当に嫌なんで。死んじゃうんで、ぼく。
 だから猥褻物陳列罪で捕まえるのは、勘弁してもらえませんか」

 セリヌンティウスは首を振った。
「取材? 俺なんていいっすよ。メロスのこと、書いてやってください。俺なんて待ってただけなんで。
……いやまあ、仕方ないっすよ。あいつは昔からああいう男だし。俺とあいつは幼馴染なんすけど、ガキの頃から全然後先のこと考えないっていうか。無茶なことばっかり周りに宣言して、俺、よく付き合わされてました。あいつの友達やってんのは色々たいへんっすけど、ま、別に俺、ああいうまっすぐな男嫌いじゃないんで。でも、ま、まさか代わりにはりつけにされそうになるとは思ってなかったっすね。もう呆れるしかなかったっす。さすがにちょっと怖かったっすね。あの王様がどれだけ恐ろしいか、もちろんわかってますし。実際、俺はここで死ぬんだなって思いました。でもまあ、あいつには妹がいますけど、俺には親類とか両親とか全部死んでるんで。ここで殺されても悲しむ人いないし。そんな人生に期待してるわけじゃないんで。そうっすね、職人やってるけど別に才能あるわけじゃないし。あ、ありがとうございます。俺、そんな評判っすか? ん、自分の作品褒めてもらえると、やっぱり嬉しいです。はい。なんか、照れるな。あんまり褒められ慣れてないし。
 ま、とりあえず助かってよかったっすよ。あいつの友達? 別にやめないっすけど。根はいい奴なんで。
 メロス今どうしてます? え、捕まってんすか。……まあ確かに、ほぼ全裸で走ってたっすからね。周りの人、じろじろ見てましたもんね。子ども、親に『見ちゃいけません!』って言われてましたもんね。悪気は絶対ないんで、捕まえないで早く妹のもとに帰してやってください。それだけ頼んでいいっすか。俺は帰って寝ますわ。メロスのこと、かっこよく書いてやってください。じゃ」

 ディオニスは涙した。
「嗚呼、わしは、なんて罪深い。今、目が覚めた。わしは無垢な命を、数え切れぬほど奪った。嗚呼、償うこともできぬ。殺されても構わぬ。最後に、彼らのような素晴らしい人間と出会うことができ、彼らのような素晴らしい人間の仲間にしてもらった。もう、人生に悔いはない。わしを恨んでいる人間はたくさんいるのだろう。そいつらに一刺しずつしてもらうのはどうか。そのくらいの苦痛では足りぬか。嗚呼、わしはなんて恐ろしいことを。わしは狂っていたのだ。気がふれていたのだ。これは邪悪な人間の最後のたわごとだ、少し聞いてはくださらぬか。
 わしが王座についた後、妹は元々わしの部下だったある男と結婚した。お前も覚えているだろう。そうだ、わしが最初に殺した人間だ。彼は、いい人だった。わしの父は急に死んだだろう、そしてわしは急遽王となった。わしは不安だったのだ。民衆はわしを受け入れてくれるか。彼はわしを真摯に支えてくれた。相談に乗ってくれた。ああ、あの頃は幸せだった。全てうまくいくと思っていた。だが、あるとき、わしは聞いてしまった。彼が、わしを殺そうとしていることを。彼は、頭が良かった。彼はわしを信じさせ、自然と殺して、王になろうとしていた。父が死んだのも、あいつのせいだった。全ては周到に計画されていたことだったのだ。わしは、彼を殺した。わしは、死ぬのが怖かったのだ。娘婿が死ぬと、次にわしの、自分の息子が、わしを殺そうとした。わしは、自分の息子も殺した。怖かったのだ! ああ、死ねなかったのだ! それからわしは、誰も信じなくなった。あとは皆の知っている通りだ。しかしわしは、目が覚めた。あの二人の友情が、わしの目を覚ましてくれた。嗚呼、わしは死ぬのだろう。仕方ない。早くわしを殺してくれ。もう、生きているのが嫌になった。どうか、殺してくれ。わしはもう生きているのが辛い」


 フィロストラトスは悔しがった。
「なーんであのおっさん、間に合っちゃうかなぁ。おっさんが間に合わなかったら、先生処刑されてたのに、ねぇ? そしたら工房は僕のものだったのに。せっかくのチャンスだったのになぁ。惜しかった。僕、間に合わないからって言ったんだよ? めっちゃ言ったんだよ? 何回も。なのにあのおっさんさぁ、よくわかんないけど無駄に元気でさぁ、ついてこいとか言い出すんだよ。うざっ。わけわかんなくない? もう無理だっつってんのに。あーあ、惜しかったなぁ。もうちょっとで先生、死んでくれたのになぁ。ってか王様も王様だよ。僕だったらおっさんが走り出した次の日に先生殺しておいて、戻ってきて、おっさんの絶望した顔見てから、メロスのおっさんも殺すね。なんでそこまで頭回んないかなぁ。素直に三日間待ってるとか、意外といい人だよね、王様も。結局あの二人に感化されちゃうしさぁ。あんな人恐れてたなんて、バカみたい。
 あーあ。おうらみ申しあげます、メロス様」

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B: 平成十二年のメロス

 メロスは激怒した。

 『走れメロス』の冒頭で、誰もが知っている有名なフレーズ。田舎の牧人に過ぎないメロスが、人を信じるということを一国の王に身を呈して伝える物語。
 僕はこの物語が、嫌いだ。
 帰りの会が終わり、下校の鐘が鳴る。十一月にもなると、四時には日が暮れ始める。窓の外は夕焼けでオレンジ色に染まってまぶしい。
 僕は急いで教室から出ようとするが、ランドセルを背負って立ち上がったころには周りを囲まれていた。
「メロス、君は真っ裸じゃないか」
 クラスメートの一人、加賀が真剣な表情で言う。
「勇者は、赤面した」
 別の一人、山崎がそれに答える。どっと笑いが起こる。
「裸で走るなんていい度胸してるよなあ。露出狂、だっけ?」
 加賀が話しかけてくるが僕は無視した。
 今日の最後の授業は国語。『走れメロス』を読んだ。
 小学四年生の男子なんてまだまだ子供で、話の内容もあまり考えずに後半の全裸で走るシーンだけ騒ぎ立てていた。
「さて、勇者メロスよ、どんな気分だ?」
 最悪だ。それこそ何とか王みたいに人間不信になりそうだ。
 そう、僕の名前はメロス。宇佐見メロス。この名前に決めたのは父さん。何でも太宰治の作品が大好きだったからという理由らしい。
 正義感あふれる大人になってほしいとの願いが込められているとのことだが、こうやって『走れメロス』を学ぶ日のことを考えてほしかった。馬鹿にされるにきまってるからだ。
 加賀は僕が険悪な表情をしているのに気づいたのだろう、おお怖いと言って帰ってしまった。他の皆もある程度騒いで満足したのか、加賀に続いて教室を出て行く。
 今日はこれで済んだが、しばらくの間はからかわれ続けるのだろう。
 正直なところ人と話すのはあまり得意じゃないし、皆と騒ぐのも好きではない。休み時間も一人で読書していることが多い。当然友達も少ない。
 別に皆、僕をいじめようと思ってるわけじゃない。からかって笑って、それで満足だろう。でも、僕にとってはそうじゃない。一、二年生の頃にいじめられた記憶がよみがえってきて、気分が悪くなる。
 ふと時計を見ると、もう五時になっていた。早く帰ろう。
「宇佐見君、大丈夫?」
 クラスメートの三枝涼介が話しかけてきた。
 涼介は数少ない友人の一人で、同じ塾に通っているのがきっかけで仲良くなった。華奢な体型で気が弱く、六年生の姉いわく上級生の女子に、可愛いとひそかに人気があるらしい。
「ああ、別に気にしてないよ」
「でも、顔色が悪いよ……」
 加賀たちを止められなかったことを気にしているのだろうか。
「そう言えば涼介、ピーマン食べられるようになったか?」
 無理やり話題をそらしてみる。
「うう、まだ……」
「涼介もまだまだお子様だよなあ」
「宇佐見君だって梅干し食べられないじゃない」
 言い返されるとは思わなかった。思わなかったけれど。
「いや、そう言う涼介、お前も梅干しは食えなかったよな?」
 まだまだこっちの方が上手だ。
「どーせ僕は好き嫌いの多い子ども舌ですよ……」
 涼介はしゅんとしてしまった。その姿からはかまってもらえなかった子犬みたいな印象を受ける。なるほど、可愛いな。
 校舎から出ると、校門前に車が止まっているのが見えた。お母さんの車だ。
「お母さん、どうしてここにいるの?」
「今日はPTAの集まりがあったのよ。これからあなた達は塾だし、送って行こうと思って。涼介君も一緒にね」
「だってさ。涼介、乗ってくだろう?」
 後ろを振り返ると、涼介は小さくため息をついていた。呆れというよりはむしろ安堵に見える。
「涼介?」
 涼介はハッと我に返った。
「ごめん、少し考えごとしてたよ。乗せてもらえると助かります」
 僕はその涼介の態度が少し気になったが、深く考えようとは思わなかった。


 次の日は先生が集まって会議をする日だとかで、授業は午前中だけになった。
 四時間目は体育の時間。よりにもよって徒競争。
「二人一組で走ってタイムを計測する。名簿順に呼ぶから二列で並べ」
 さらに悪いことに僕の隣には加賀。「う」で始まる僕と「か」で始まる加賀が組むなんて本来はあり得ないのだが、間の三人のうち、榎本と小野は野球部の大会で、小田切は風邪で休んでいる。
 結果は僕の負け。サッカー部で四年生にしてFWでレギュラーの加賀にはどうしたって敵わない。
「どうしたメロス、そんなんじゃセリン……なんだっけ。そんなんじゃ友達を助けられないぞ」
 セリヌンティウスだ。名前すら覚えていない奴に言われたくは無い。
 僕は加賀を無視して、走り終わった人の待機場所へと向かう。
 三分ほどで、涼介の番も終わった。涼介のタイムは女子と比べても決して速いとは言えなかった。
「宇佐見君、速いね」
「加賀には負けたよ」
「加賀君は運動神経抜群だから。でも、宇佐見君だって、クラスで四番目だよ。僕は男子ビリだし……」
「気にしすぎだって。足の速さで人生は決まらないし」
 メロスはその足の速さに命(しかも友人の)がかかってたけれど、今の時代はあんなことは決して起こらないだろう。
「それよりも涼介、午後遊びに来ない? 新しいゲーム買ったんだけど」
 涼介は少し悩んだ後、行くといった。
 何で悩むんだろ? 今日は塾も何もないはずだけど。


 ゲームでは僕は涼介には敵わない。涼介は初めてのゲームでもすぐにコツをつかんで上達していく。今日はレーシングゲームだったが、結局一勝もできなかった。
「っと、もうこんな時間か」
 時計の針は六時を指している。外はもう薄暗くなっている。
「涼介、もう帰った方がいいだろ?」
 すると涼介は少し暗い顔になった。そしてためらいがちに聞いてきた。
「ねえ、ちょっと送って行ってくれないかな?」
「え?」
「ダメかな」
「いや、別にかまわないけど」
 涼介の家はここから歩いて二十分。近くは無いが、見送りの必要な距離ではないし、迷子になるような道でもない。
 夕方になると、ここらは人通りが少なくなる。僕と涼介の二人だけが遊歩道を歩いている。
 涼介は時折きょろきょろと周囲を見渡している。
「あれ、涼介はお化けとか苦手だっけ?」
「そんなことないけど……」
 遊歩道の途中にはいくつかの休憩所や公園がある。その中の一つで、僕たちがターザン公園と呼んでいる場所がある。
 そこのベンチに、何人かの中学生が座っているのが見えた。彼らは僕たちに気付くと、ぞろぞろと近づいてきた。
「よーう涼介、これからちょっといいか?」
「君、涼介君の友達?」
「俺たち、ちょっと涼介に用があんだけどさ、いいよな?」
 一人が涼介の肩に手を回す。これってまさか……。
「う、宇佐見君……」
 涼介が泣きそうな顔でこちらを見る。どう見てもこの中学生は涼介の友達なんかじゃない。
「あ、あの」
「あぁん?」
 中学生たちの中で一番体のでかいやつが睨みつけてきた。恐怖のあまりに腰がすくむ。
「何か文句でもある?」
 僕はいじめられていた時のことが次々と思い出し、急に襲ってきた吐き気とめまいで立っているのも辛かった。
「おいおい、大丈夫かよ」
 一人の中学生が伸ばしてきた手を振り払って、僕は踵を返した。
「そ、それじゃ涼介、俺はこれで」
「宇佐見君!」
 もう涼介の顔は見ていられなかった。一目散に逃げ出す。
「ははっ、だらしねぇな」
 アハハ、と中学生たちの笑い声が後ろから聞こえる。
 ひたすら走った。息が切れて心臓が爆発するちょっと前まで走った。それでもあのターザン公園からはそんなに離れてはいない。怖さで膝が震えて、スピードは無いに等しく、いたずらに体力を消費するだけだった。
 耳を澄ませば涼介や中学生たちの声が聞こえてきそうで怖かった。
 逃げてしまった。僕を信じて助けを求めてきた涼介を裏切った。いじめにあう怖さはよく知っているのに、同じ思いをしている涼介を護ってやれない。
 悔しくて悲しくて辛くて怖くて。
 今にも、泣き出してしまいそうで。
「おぉ、メロスじゃん、何してんの?」
 不意に後ろから声がかけられる。この声は加賀か。恐らく今まで部活だったのだろう。
 ただでさえ気分は最悪なのに、こいつにからかわれるなんて。
 泣き顔も見られたくないし、さっさと帰ろう。
「おい、無視かよメロス」
「ああ、もうメロスメロスうるさい! メロスなんて大っきらいだよ!」
 どうしてもイライラを抑えられず、叫んでしまった。
「何がメロスだ。何が勇者だ。自分の都合で友達を殺しかけた奴のどこがかっこいいんだ!」
 加賀はポカンとしている。突然理由もなく怒鳴られれば呆れもするだろう。
 その加賀の間抜け面を見て僕は少しだけ冷静になれた。そして気付いた。

「僕はメロス以下じゃんかよ……」

自分の身代りに友達を差し出したが、約束通りにしっかりと戻ってきたメロス。
友達の涼介を差し出して、自分だけ逃げだしたメロス(僕)。
僕にはメロスを批判する資格さえなかった。
 気付いてしまったらもう逃げられない。大嫌いなメロス以下なんてまっぴらごめんだ。
 僕は急いでターザン公園へ戻る。中学生に喧嘩で勝てるはずは無い。返り討ちにあうだけだ。でも、そんなことはどうでもいい。涼介を見捨てるなんてことはできない。
 公園にはまだ涼介たちがいた。だが中学生は何人か減って三人だけだ。涼介は泣いている。
 涼介の脇に立っている奴を思いっきり勢いをつけて後ろから蹴っ飛ばした。こないだテレビのプロレスで外人の選手が使っていた。ドロップキックという名前らしい。
 蹴飛ばした中学生は漫画みたいに転がっていった。そいつの持っていた財布は涼介のだ。宙に浮いたそれをキャッチして、涼介を立ち上がらせる。
「とっとと逃げる!」
 涼介は突然の出来事に戸惑っている。
「え、な、何!」
「俺だよ宇佐見だ! いいから早く行けっての!」
 涼介は頷いて、自分の家の方へ逃げて行った。
 これで涼介は大丈夫。後は僕が逃げるだけなんだけれど。
「何してやがる!」
 当然、他の中学生に殴られる。僕は急いで立ち上がって逃げようとするが、二人に挟まれる。
「お前、ただで済むと思うなよ!」
 一人が胸倉をつかみ、再び殴ろうとするが。
「クラスメイトに何しやがる!」
 その手を後ろから加賀が掴んでいる。
「おらあっ!」
 加賀は掴んだその手を思いっきり引っ張った。腕があるまじき方向にねじれて、中学生は痛みの余り僕から手を放した。
 さらに、加賀は残った一人にも強烈な蹴りをかました。サッカー部の蹴りが、金的に。相手は声にならない悲鳴を挙げて蹲った。
「ほら、行くぞ!」
 僕と加賀は急いで涼介の家まで逃げる。そこが一番近かったからだ。
「加賀、何でここに?」
「いきなり叫んで半泣きで走り去って行ったら、誰でも何かあるかと気になるだろうが。まああんな状況は思ってもみなかったが」
 その後は大変だった。涼介とそのお母さんは泣きながら僕と加賀にお礼を言ってきて恥ずかしかった。
 涼介のお父さんが帰ってくると、僕と加賀を家まで送ってくれた。ここでもお礼を言われた。
 次の日、涼介と僕の両親はあの生徒たちがいる中学校に怒鳴りこみに行った。証人としてついて行った涼介によると、正直あの中学生たちよりも怖かったらしい。
 クラスでは、いつの間にかどういうわけか、僕と加賀の武勇伝が広がっており、加賀は皆の前で何度もその場面を熱演して見せた。
 僕も当然付き合わされたわけだが、以前ほど注目を浴びるのは嫌ではなかった。
 

 放課後も加賀に掴まって、ショーをする羽目になった。いつのまにやら加賀は中学生を五人も倒し、僕は僕で涼介を護りながら四人の中学生と互角に戦ったことになっている。
 根も葉もなければ花も咲かず、種すら巻かれてない話。まあ、小学四年生なんてこんなものだ。
 
そして。

「宇佐見君、最近明るくなったよね。それで私、その、宇佐見君のこと、好きになったみたいで」

 勇者は、赤面した。

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A: 二年目の冬のこと


「メロスは激怒した」
「う~ん、なんか違うよぉ、なんか。もっとこうさぁ、込み上げてくるものがさぁ」
「メロスは激怒した」
「もっと表情をつけてみればいいんでないっかな。あとアクション、そう足りないのはアクションだよ!」
 今年度三回目の雪がグラウンドをうっすらと白く染め始めた二学期最終日の放課後の教室でのこと。
 石油ストーブ付近の机と椅子を占領した私たちは机上に置かれた一冊の本を取り囲むように着席していた。
「メロスは、メロスは激怒したのさっ!!!」
 唐突に立ち上がり人類滅亡を予言するかのようなポージングで私と同じ(?)台詞を放ったなっちゃん。椅子の飛距離1.5mの迫真の演技。
「はぁ、それだと文章が変わっちゃってるじゃない。それに、ここはそんなに情感たっぷりに読むところではないと思うのだけれど」
「満月ぃ~、ここは『な、なんだってー!』って突っ込むべきところじゃないっかな!?」
「それだと話の内容まで変わっちゃうような気がするのだけれど」
 左方向からのあーちゃんの指摘を右方向に受け流して一瞬の沈黙が訪れた教室を見る。
 大掃除後の普段より少し綺麗になった黒板に整然と並んだ机と椅子、空になったロッカー。
 私たち四人が下校すればここ2Aの教室も冬休みを迎えられる状態だ。
 時計の針が示す時刻によると本来ならば五時間目。だが鳴らないチャイムのおかげで終了したはずの昼休みは絶賛継続中。
 校内にはもう生徒が残っていないからか、それとも深々と降り続く雪のせいか。いつも以上に話し声が反響しているように感じられる中、居残りトークタイムの発端はなっちゃんの鞄から発見され現在机上でご開帳されている一冊の本にある。
「しかしまぁ、懐かしいものだな。たった二、三年前のことだと言うのに」
 その一冊の本とは中学国語の教科書、開かれたのは178頁『走れメロス』。
「そうだね。でもなっちゃんも同じ教科書を使っていたんだね」
「ふむ、まぁこの会社の教科書は占有率の六割を占めていたはずだからな、被るのも当然だ」
「はいは~い! 私もこの教科書だったよ。でもまさかこんなとこで再びお目にかかることになるとはね~。夏樹の鞄は四次元ポケットかっ!?」
「なははは。いやぁ~昨日部屋の大掃除してたらさぁ、部屋の隅から出てきたもんで懐かしくなって見てたらいつの間にか、ねぇ」
「ふむ、その『いつの間にか』の過程が気になるがまぁ瑣末な問題か。その様子だと大掃除のつもりが逆に部屋を散らかして今日に至るって感じだな」
「いやぁ~それほどのことでもないよぉ。普段より少しばかり足の踏み場がなくなっただけさぁ」
「はぁ、相変わらず散漫な部屋に元通りなのね。この前ちょっと片付けたばかりじゃない」
「満月は激怒したッ!!!!!」
「必ず、かの無智蒙昧の王女(なつき)を改心させねばならぬと決意した」
「その決意はいつでもできているのだけれど、如何せん本人がアレじゃ、ね」
「うぅ、なんかすごく失礼な会話が聞こえてくるよぉ。あたしはいつでもあたしなんだからいいじゃないかぁ」
「はぁ、開き直ってどうするのよ。期末の成績が上々だったからって油断しているとまた痛い目見るよ」
「なははは。まぁいいことあったら素直に喜ばないと、万歳、万歳」
 前回の中間で赤点オンパレードを再びやってのけたなっちゃんだったが今回の期末ではなんとか赤点ゼロ、平均点の底上げにも成功したのだ。まぁテスト前はいつもの三倍増しで大変だったけれど。
「ふん、その程度で歓喜喝采とは夏樹も落ちたもんだね~、いや、落ちてたのは最初から、かな?」
 挑発の色を全面的に押し出した声と目線で不敵に微笑むあーちゃん。いつものことだけどまた始まった。
「いやいやぁ~、朝美の方こそ今回は微妙だったらしいねぇ。いつでもこっち側に来ていいんだよぉ?」
 一ミリも笑っていない笑顔で虚勢を張るなっちゃん。負け惜しみにしか聞こえない。
「はいはい、またどうでもいいことで張り合わない」
「ふむ。前略、中略、以下略、よって夏樹の負けは明らか、証明終了」
「うぅ、誰にでも苦手なことはあるんだよぉ。そんなことより、今度は皐月が読んでみてよぉ」
「あぁ、そう言えばそういう主旨だったか。だが教科書の朗読大会などとは相変わらず面白い発想をするものだ」
「なははは。中学ん時に流行ってたんだよぉ。それをついっと思い出してさぁ」
「私んとこじゃそんなのはなかったっさね。教科書の朗読なんてどっちかって言うと罰ゲームだったよ!」
「ふむ、そんな朝美には105頁いってみよう」
「あはっ。『枕草子』ね~、これは暗記させられたの覚えてるよ~!」
「では清少納言の物まね仕様ではりきってどうぞ」
「ちょっ!? 皐月ぃ~、ハードル上げてくるね~! 高すぎて思わずくぐり抜けてしまうレベルじゃないっか!」
「はぁ、あくまで朗読なのだから余計な演技はいらないでしょ」
「満月、甘いよぉ、甘い。そんなんじゃぁ面白くないじゃないかぁ!」
「あとさっきから気になってたのだけれど。あそこに置いてあるラジカセは何?」
 教卓の横に据えられた本来ならばこの教室の備品ではない不審物。嫌な予感の結晶。
「なははは、いいところに気付いたねぇ。そう、ただ読むだけじゃぁ国語の授業。この朗読大会の真の面白さはラジカセで録音して再生することにあるのさぁ!」
「「な、なんだってー!」」
 背景に稲妻が走ったポージングで驚愕するさっちゃんとあーちゃん。あーちゃんはこの通りだけれどクールな見た目の割りにノリが良すぎるさっちゃん、意外な一面。
「はぁ、それこそただの罰ゲームじゃないの。私は嫌だからね、そんな恥ずかしいこと」
「だからこその朗読大会というわけか。強制参加、みんなでやれば怖くない」
「あはっ。これじゃ逃げられないね、満月! 大人しく録音されちゃいなよっ!」
 こういう時に限って異常な結束力を発揮するこの三人。さっちゃんはこっち側だと思っていたのに最大の強敵になるとは。
「はぁ、とにかく大会と称するからには勝てば何か出るんでしょうね? まずはそれをはっきりさせないと」
「おぉ、満月がついに本気モードか!?」
「そうさねぇ~、じゃぁ負けた人にはあたしの部屋の掃除をやってもらおうかなぁ」
「ふんふん、それは負けらんないね~」
「ふむ、負けられないな」
「はぁ、勝っても何も得しないけれど、負けられないか」
 何かとなっちゃんのやりたい放題でことが進んでいるが今更突っ込まないことにしておく。
「よ~し、それじゃぁ誰からいこうかなぁ。お題はやっぱり『走れメロス』でいこうかぁ!」
「そうだな、さっきも読みかけていたことだし、満月からでいいのでは?」
「ガンバッ! 満月! 夏樹なんかに負けるなー!」
「ちょッ!!! 勝手に決めないでよ! ま、まだ心の準備が」
「さぁさぁ満月ぃ~、いつでもいいんだよぉ~。さぁ、さぁ!」
 ガラガラガラッ。
「お、お前ら。まだ残ってたのか」
 いよいよ本番五秒前、のところで教室に闖入してきたのは我らが担任江雛先生。
「ラジカセなんか囲んで何やってんだ? って言うかソレ何処から持ってきたんだ? もう下校時間とっくに過ぎてんだから早く帰らないと学年主任にどやされるぞ」
 心の底からため息一つ。よかった……助かった。
「そ……そうですね。すいません、ほら、早く帰るよ」
「ちょ、ちょぉっと~、満月ぃ~」
「逃げたな」
「あはっ。天は満月に味方したみたいさね」
「? 何をやっていたか知らんが、雪はこれから本降りになるらしいし早いとこ帰りな。ストーブとラジカセは俺が片付けとくから」
「ありがとうございます、先生。また三学期に」
「あ、満月ぃ~、待ってよぉ~」
「では先生、良いお年をお迎えください」
「先生~、まった来年!」
「あぁ、よいお年を。気いつけて帰れよ」

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