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さらし文学賞
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Dancing with light

 男が左、女が右に座っている。
「これから語る話は全部本当です。」


「おい、ヒカル。」
 俺の名前は光太郎という、しかし友達は皆面倒がってヒカルと俺のことを呼ぶ。
「おい、ヒカル……、あのコウイチ君。」
「おい、俺の名前は光太郎だ。なんだ、コウイチ君って。」
俺は憮然とした顔で呼びかける声のほうを向いた。
「いや、お前はコウイチだし。あと呼びかけてるのにそっぽ向くな」
 呼びかけているのは、幼馴染の薫だ。ちなみに、俺は明日から高校に入学する。だから、コウイチだ。なるほど。
 薫が大きく溜息をついた。
「わかった、お前が俺にどう呼ばれたいのか、いや、よくわからないが。とりあえず手を動かしてくれ。」
 目の前の机の上には真新しい教科書が並んでいる。数学、日本史、国語に道徳。
「あぁ、面倒だな。なんでこんなことしなきゃいけないんだか。」
「仕方がないだろ、締め切り一週間前にようやくネームを仕上げたお前が悪い。」
 薫は口を動かしながら、手も動かす。
「ほら、さっさと手を動かす。そこのベタを塗る。」
 薫の太い指先が俺の手元を差す
「なんで、俺がこんなことやらなきゃならないんだよ。お前一人でやれよ。」
 無精ひげの生えた冴えない男の顔を視覚に捉えながら、俺は文句を言った。
「俺だけで一週間で、こんな量仕上げられると思ってのかよ。いいから、黙ってやれ!」
 薫は怒声を上げると、唾が俺の顔に少しかかった。また大きく溜息をついた。


「ところでさ、光善次郎って男、知ってるか?」
 俺がそういうと薫がこちらを睨んできた。
「大丈夫、大丈夫、ちゃんと手は動かしてるからさ。」
 ところでを英語にすると、“by the way”になる。道に沿ってという意味だ。
「そこ、線がはみ出てるぞ。ちゃんと見ろよ。」
 だから、俺の発話は話の道筋に沿ったものなのだ。
「彼は俺の先祖なんだけどさ。大分アホな人だったんだよ。」
 薫はあきれた様子で、こちら見ずに手を動かすことを続けた。
「そう、光を捕まえてみようと思ったんだよ。」
「どうやって?」
 薫は少し食いついてきた。しかし、まだ顔は怒っている。
「合わせ鏡さ、知ってるか?」
「知ってるさ、こう鏡と鏡を向かい合わせにするやつだろ。」
 まだ怒っているようだが、あまり気にせずに俺は話を続けた。
「そう、その合わせ鏡の中に光を閉じ込めたんだ。あぁ、合わせ鏡っていってもな双方向ではなくて……、四方八方、全部鏡で囲んだ空間を作って、その中に光を閉じ込めようとしたんだ。」
 薫はあきれたような顔して、俺を馬鹿にした目で俺を見ている。
「で、光善次郎はどうにかこうにかして、光を閉じ込めることに成功した。」
 俺はもうすでに話すことに夢中になっていまい、手はお留守になっている。しかし、話を続ける。
「で?」
「しかし、よくよく考えてみたら四方八方を鏡で塞いでるから、善次郎は中の光を見ることができない。」
「だから、彼は鏡の中に入ろうとした。」
 諦めた様子で薫は手を動かしながら、俺の話を聞き流している。
「ゆっくりと彼は鏡の一部を開いた。しかし、その隙間から光が逃げ出してしまった。」
 俺が口を閉じると、薫のペンが動く音だけが部屋の中で響く。
「それで?」
「それだけ。」
「また、嘘か。」
 嘘がなんだというのだ。


「ところでさ、合わせ鏡って知ってるか?」
薫の爛々とした瞳がじろりと俺のほうを向いた。。
「さっきもその話しただろ……。」
 この話も話の流れに従ったものである。
「でさ、俺も、この前合わせ鏡をやってみたんだよ。合わせ鏡。」
「お前なぁ……。」
 薫は飽きれたような顔して、続ける。
「その虚言癖、どうにかならんのか?」
 薫は手を動かすのやめ、じっと真面目な顔で俺のほうを見てくる。
「いや、前からそうだったけど、最近お前酷いぜ。なんか片っ端から嘘しか言ってないじゃねぇか。」
「ところでさ、合わせ鏡で悪魔を捕まえるって話、知ってるか?」
 話の筋は通っている。全部本当の話だ。
「いや、確かにお前の嘘でも面白い話だってあるけどな。でも、それにも限度ってもんがあるだろ。」
 薫の顔はよく見ると、いや端的に言って、整った顔立ちだ。
「悪魔ってさ、合わせ鏡の間にいれてやると逃げられなくなるんだぜ。知ってたか?」
「もう、お前は三十路だぞ。こうやって、俺はどうにかこうにか細々とくだらない仕事をしながら、こうやって趣味で漫画を描いて暮らしているけどな。」
 彼女は何を言ってるのだ。
「そうか。ところでさ……。」
「お前はどうするんだ、定職にも就かずにフラフラとしてさ。」
 唾が飛ぶほど、大きく口を開くことも無く薫は怒声を上げる。
「合わせ鏡で悪魔を捕まえたんだよ。」
「いいか、お前が何を言ったって現実が変わるわけじゃないんだよ。」
 薫が強く机を叩きつける。机の上に載っていたあわれもない女の姿の書かれた紙切れが宙に舞う。
「だから、悪魔に頼んだよ。全部本当になるようにって。」
 宙に舞っていた薄い教科書が机の上に再び載った。俺は彼女の長い黒髪の先っぽを撫で上げた。

「ここまでの話、全部、嘘。」
女が左、男が右に座っている。

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第十三回さらし文学賞 | trackback(0) | comment(0) |


冷めた紅茶の

「ねえ、ヒカリはどこ?」
 その日はあいにくの雨降りで、遠くの方で低く雷鳴がうなり、絶え間ない水音が跳ね、部屋の中は少し冷えて、そして薄暗かった。
 今まで机に向かって静かに本を読んでいたミレイユが、ふと顔を上げ、こちらを見ている。正確には、床にぺたんと座ってぼうっとしている、ナサニエルの背後にある鏡を、だが。
「今日は、まだ外にいるんじゃないかな」
「まあ、雨の中遊んでいたら風邪を引いてしまうわ。見てこようかしら」
 気の無い返事をするナサニエルとは対照的に、ミレイユは熱心そうに呟いた。しかし、その口調とは裏腹に、開いたまま手に持った本を放そうともしないし、立ち上がろうともしない。
 ヒカリを外に探しに行っても、それが無駄に終わることは、彼女が一番良く知っているからだ。
 結局、本に目を再び落としたミレイユを、しばらくナサニエルは眺め、ふう、と溜息を漏らしながら、鏡を見た。疲れたような顔をした自分の顔と、後ろに本を読むミレイユ、それと暗がりに沈んだ部屋が映っている。
 なんとなく、鏡に見入るナサニエルの後ろから、鏡の中のミレイユが顔を上げ、こう言った。
「ナサニエル、鏡は左右逆に映ったりしないのよ」
 ミレイユの脈絡のない発言に、ナサニエルはうんざりしながら答えた。
「どういうことさ。ミレイユの泣きぼくろ、こうやっていつもとは逆に左にあるじゃないか」
 ナサニエルは、鏡を見つめたまま、鏡像のミレイユに向けて左手を上げてみる。しかし、ミレイユは続ける。
「嫌ね、ナサニエル。私のほくろは、いつもと同じに右目の下にあるわ。だってあなた、あなたの怪我した足はどっち?」
 ミレイユの言い草にむっときながら、ナサニエルは自分の細い足に目を落とした。短い丈のズボンから覗く膝小僧に、かさぶたができている。それは昨日、転んで作ったもので、右足にある。
 鏡の中の自分を、ナサニエルは見つめた。鏡の中の自分の足の傷は、左足にある、ように見える。けれど、やっぱりナサニエルの作った擦り傷は、右足のものなのだ。
「だって、そう見えるんだから仕方ないよ」
 しぶしぶ、と言った体で彼が答えると、ミレイユは笑った。
「鏡で逆に映っているのは、むしろ、前後なのよ」
「よく、分からない」
 ふふっ、とミレイユは笑い声をもらし、本に視線を戻した。
「でもアリスは、左右反対の鏡の国へ行ったのね。そんな鏡の国は、どこにあるのかしら」
 ミレイユの言うことは、いつもちんぷんかんぷんだ。どうやら、読んだ本の事をたいてい言ってるらしいのだが、ナサニエルには分からない。
 かたん、と音がする。ミレイユが、嬉しそうな声をあげた。
「少なくとも、ヒカリはその鏡の国の住人だわ」
 音がしたのは、ナサニエルの背中のずっと向こうにある台所の勝手口の足元にある、小動物用のくぐり戸だ。目を凝らすと、戸が、今さっき何かが通ったようにゆらゆら揺れている。しかし、この家に今、あの戸を潜り抜けるような動物はいない。それに、音はしたし、気配もしたものの、そこには何もいない。
 しかし、とた、とた、とかすかな足音がする。
「ヒカリ、濡れたまま上がってこないで」
 ミレイユの笑いを含んだ声がすると、勝手口においてあるマットが、何か小さな動物が身体をこすり付けたかのように、くしゃりとよじれて丸まった。しかし、そこには何もいない。
 とた、とた、と足音が近づいてくる。その足音に、かちゃかちゃ、と言う爪音が混じっているのも聞こえる。しかし、そこには何もいない。
 毛足の長いじゅうたんが、ぱた、ぱた、と踏まれる。そこには、何もいないのに。
「ヒカリは、こっちにはいない。でも、あっちにはいるの」
 ミレイユの声が聞こえる。しかし部屋は暗くて、もう何も、良く見えない。
「きっと、あっちには左目の下にほくろがある私と、左足に怪我をしたナサニエルがいるのよ」
 部屋の中が暗い。とた、とた。床についた手の先に、何か湿ったものが触れた。

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太陽と月の間

 日が沈んだ後に外に出たことなんてなかったから、遠足にでも行くような気持ちだった。ずっと忘れてた、心が弾むような。まだ日没前なのに森の中は暗くて、段々急ぎ足になってくる。八時に家に帰ればいいから、後三時間ある。何度目か、ポケットから出した白い懐中時計を確かめた。
軋んだ音を立てて、扉が開く。微かに花の香りがした。その柔らかな空気が外に漏れてしまうのが何だか勿体無くて、慌てて中に入る。もう一度呼びかけると、暗い部屋の奥から物音がして、ランプに明かりが点った。その後ろから、薄青い瞳が二つ、僕をじっと見つめている。
「久し振り、なのかな。僕、弟のハリだよ。あの、母さんが脚を痛めちゃって、当分僕が姉さんの食事を運ぶ事に」
「……覚えてる」
緊張の挨拶に、途中で静かな声が挟まった。でも、僕が口を閉じても、姉さんもそれ以上言わなかった。
「実は僕、あんまり姉さんの事覚えてなくて……ここには二回くらい来たんだってね」
姉さんはテーブルに置かれたランプに暫くの間目を落としてから、顔を上げた。
「二回、来た。二回とも、まだずっと小さかった」
考えるように少しずつ話すその言葉で、姉さんが僕の事を思い出しているんだと分かって、少し嬉しかった。それに少し、安心もした。僕は歓迎されないんじゃないかと思ってたから。
「まだ、光るものが好き?」
渡した籠の中身をテーブルの上へ取り出しながら、不意に姉さんが尋ねた。
「え?」
僕は真意を掴みかねて、素っ頓狂な返事をしてしまったけれど、姉さんは気にする様子もなく、階段を上っていった。ランプがゆらゆらと照らす部屋の中を、一人残された僕は改めて眺めた。変わったものは特にない、というか、それ以前に物自体が殆どない部屋。一階が居間で、二階は寝室。だから二階には窓はないんだって母さんが言ってた。生活の匂いのしないここで、姉さんは長い夜をどうやって過ごすんだろう。思いを馳せる前に、姉さんが戻ってきた。
「前に来たとき、ハリが気に入ったから一つあげた」
そっと開かれた手に、淡く青く透き通った小さな水晶。鋭く伸びた柱が、炎を反射してきらきらと光った。もしかして――どうやって手に入れたか分からなかった薄青い水晶、僕の持ってる鉱石の箱の一番右上、一番初めに入ってる水晶を、思い出した。
「今も、今も好きだよ。そうか、姉さんにもらったんだ。あの水晶のお陰で、僕、鉱石が好きで。色々集めてるんだ」
ひどく興奮してまくし立てた僕の話に小さく頷くと、姉さんは僕の右手首を掴んだ。掌を開かせると、そこへ持っていた水晶を落とした。
「あげる」
「! いいの?」
青い水晶なんて、売ってるのも誰かが持ってるのも見たことない。きっと珍しいものだし、ずっと取ってあったんなら姉さんにとって大切なものなんじゃないか。そんな僕の思いとは裏腹に、姉さんはもう一度頷いた。
「ハリがもう一回来たら、渡そうと思ってた」
「……ありがとう」
急に涙が出そうになって、俯きながら僕は言った。もっと早く会いに行けば良かった。それでも今、会えて良かった。
帰る時間になって、僕は椅子から立ち上がった。
「送ってく」
姉さんも一緒に立って、僕らは家を出た。道すがら、姉さんは森の木や草や花の名前を教えてくれた。植物が好きなんだと思う。暗い中で姉さんの顔はよく見えなかったけど、声は心なしか弾んでた。明日は花屋へ寄ろうかな。
「また、明日」
静まり返った街の中で、姉さんの声がした。足を止めて振り返る。ゆっくりと昇る月の、青い光の中に白い姉さんがいて、幻のように綺麗なその姿に、不覚にも僕は目と心とを奪われてしまった。ああ、それは全く儚い幻で、
「また明日」
上の空で手を振る僕の前から忽然と消え失せた。
もしかして、月の光を浴びた所為で僕は狂ってしまったのかも知れない。短い時間だから大丈夫なはずだけど。自分に言い聞かせても、心臓はまだ大きく波打ってた。

「これが瑪瑙、こっちが翡翠で……」
ちりちりと燃える灯りの下、開いた木製の箱の中に小さな色の欠片が並んで、僕はその一つ一つを手に取っては姉さんに見せていった。
「これは?」
白く細い指が、鳥の爪に似た鋭い群青を摘み上げる。
「それは、瑠璃だよ」
「私と、同じ名前……」
「そう、こっちは水晶。昔は玻璃って呼ばれてたんだ」
透明な水晶を、不思議そうに瑠璃を見る目の前に掲げてみせると、姉さんは目を細めた。
「ルリ、と、ハリ」
右手と左手にそれぞれを持って、姉さんが呟く。そっと両手を合わせて、もう一度。
「姉さん……」
僕は思わず、手を伸ばした。白くて冷たい頬に指が触れて、姉さんは驚いたように顔を背けた。音を立てて、二つの欠片が落ちる。
「ごめん!」
何でそんな事をしてしまったのか、僕は混乱してとにかく姉さんに謝った。
「……触らない方がいい」
でも姉さんは首を横に振って、その言い方があんまり悲しそうだったから、
「どうして?」
自然と言葉は出ていた。姉さんはもう一度石を手に載せて、ぎゅっと握り締めて、口を開いた。
「私は、普通じゃないから」
「そんな事、」
言いかけた僕を制して、姉さんは話を続けた。
「月の光をずっと浴びてるから、陽の光を浴びてないから、壊れてる」
がらんとした部屋で、肩を落とす姉さんはひどく小さく見えた。独りのとき姉さんはそんな事を考えていたんだろうか。何だかとても淋しくて、僕は立ち上がって姉さんの肩を抱いた。
「姉さんは壊れてなんかない」
姉さんの体は小さく震えてた。僕もきっと、震えてる。
どれくらい、そうしてたのか、不意に姉さんが顔を上げた。
「もう、帰らないと」
 僕は我に返って、慌てて姉さんから手をどけた。姉さんは何事もなかったように席を立って、持っていた鉱石を箱に仕舞おうとした。
「そうだ、その瑠璃と水晶は姉さんにあげる。僕はもう一つ持ってるから」
照れ隠しに明るく言って、にいっと笑顔を作ると、姉さんはちょっとだけ目を見開いた。
「いい、の?」
「うん。姉さんに持ってて欲しいんだ」
僕がいない間も、少しでも僕の事を思い出してくれたら、なんて考えて、顔が熱くなった。
「ありがとう」
言って姉さんは二つの石を大切そうに、そっと撫でた。顔どころか耳まで熱くなって、僕は手の甲を頬に当てた。

昨日は鉱石の話ばっかりだったから、今日は植物の話をしよう。そう思って、図書室で借りてきた図鑑を食べ物と一緒に持ってきた。でも、扉は固く閉ざされていて、何度叩いても、呼んでも、開く事はなかった。どうしてだか、分からなくて、悲しかった。嫌われてしまったんだろうか。あんな事をしたから。

十日が経って、一日も姉さんに会えなくて、僕はとうとう、計画を実行に移す事にした。置いていったものはなくなっているから、必ず姉さんは外に出るはずで、だから夜の間待っていれば、きっと会える。なるべく月の光を浴びないように、木の陰に隠れて僕はずっと、赤から黒に変わっていく屋根の色を見ていた。何だか、少し目眩がする。
扉の開く軋んだ音で、僕は漸くここが何処で、どうしてここにいるのかを思い出した。姉さんは家を出て、町とは反対の方へ向かっていた。僕は姉さんを追いかけたけど、夢の中にいるように頭に霞がかかって走れなくてもどかしかった。
やっと追いついた。姉さんは泉の淵に立って、丸い月の浮かぶ水面を覗き込んでいた。風に揺れる自分の姿を見ている姉さんを、呼ぼうとしたけど声が上手く出なくて、近くに行こうとしたら見付かった。
「! ハリ?」
振り向いた姉さんは、両手で顔の左側を隠した。指の隙間から、白い布が見える。何を隠してるんだろう。思ったときにはもう、僕の手は姉さんの手を引き剥がしていた。
「駄目」
姉さんの声が遠くに聞こえた。白い布が落ちて、その下に現れた赤い顔に、僕は後退った。爛れて、真っ赤な顔の右半分で、青白い顔が苦しげに歪んだ。
「見ないで」
言って逃げる姉さんの姿が、泉に消えた。消えた?
「姉さん!」
水に飛び込む。体中が冷たくて、僕は月の夢から覚めた。飛沫を上げてもがいている腕を掴んで、重たい足を動かして、無我夢中で気付いたら姉さんと二人、草原に大の字で息を切らしてた。
「どうして、こんな時間に、」
「会いたかった、から」
ぜえぜえと、呼吸の合間の会話は苦しいけど、姉さんと話せるのは嬉しかった。
「……もう、会えない」
 暫くして、ポツリと姉さんが言った。
「どうして?」
何を言われたか理解出来なくて、したくもなくて、聞き返した僕に姉さんはつっかえつっかえ話した。
「光を、浴びた。太陽の。ハリと、一緒になりたかった。でも、駄目だったから。だから、もう会えない」
つまり、それって、
「姉さんは……姉さんも、僕に会いたいって思ってくれてたってこと、なの?」
 自分がこんなに単純だなんて思わなかった。さっきまで動ける気がしなかったのに、姉さんの言葉に僕は飛び起きた。
「それは、でも、もう……」
「僕は姉さんに会いたいよ」
「え?」
 姉さんは戸惑ったように目を伏せた。やっぱり僕の事、嫌、なのかな。自信がなくなってきた。
「会っちゃ、いけない?」
「私は、ハリとは違う、普通とは違うから」
 そんなの、
「そんなの、気にする事ないよ」
いい考えがあるんだ。そう言って、
太陽も月も見てないときを、僕らの時間にすればいいんだよ。それなら、僕も姉さんも一緒なんだから。
僕は小さく耳打ちして、姉さんは少し、笑ってくれた気がした。

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鏡売りは語る

 Ⅰ

 暗い路地裏でその男の露店に目を留めたのは、その売り物が他でもない鏡だったからであろう。地べたに敷いた布の上に並んだ鏡は光を反射させ、思わず目が引かれる。露店の主人は、私が足を止めたところに、すかさず話しかけてきた。
「……どうぞ、手にとってご覧ください」
 不思議と、喧騒の中、囁くように小さな声は私の耳にはっきりと聞こえた。まるで耳元で囁かれたように。
 私は男に勧められるまま手鏡を手にとって眺めた。奇妙な店であった。汚く粗末な露店なのに、そこに並んだ鏡は、確かによいものだったのだ。曇りも歪みもない。
「いくらだね」私は訊いた。
 男が告げた値段は、法外に安かった。安ければ買ってもよいと思っていたが、逆に、あまりの安さに買うのを躊躇ってしまった。
「……あなた様が、鏡は綺麗に映ればよいと思われるのでしたら、このお値段でお買い上げくださったでしょう。しかし、あなた様は、それ以外のことを、気になさるお方のようです。……ならば私は、その鏡について語らなければなりません」
 私は、鏡を覗き込んだ。そこには私の顔が映っている。
「その鏡には、いわくがあるのでございますよ」
 男がそう言ったとき、鏡に、私以外の顔が浮かび上がった。

 Ⅱ

 若き貴族の令嬢は、張り詰めた表情で鏡を見つめていた。薔薇の頬をした、愛らしい顔立ちの彼女は、しかし、あまり晴れやかな顔をしていなかった。鏡を睨み、そしてため息をつく。
「駄目だわ」
 彼女はそう呟いた。
 明日は、彼女の家で舞踏会が開かれる日だった。
父も母も彼女を大層自慢にしていた。明日は名門貴族の家の娘として皆に紹介されるのだろう。華やかなドレスを着て、皆の前に出て、そして、考えるのも恐ろしいことに、殿方と踊るように言われるのだ!
「駄目だわ、そんなの」
 そうしたら、姿を大勢の人間に見られる。更にワルツを踊るとなれば、間近でに違いない。こんな――不細工な私を!
 ここ最近、彼女は様々に努力をした。まず、これ以上ないほど美しいドレスを作らせた。春の花畑のようなそれは大変美しかった。次に、白粉や紅を用意させ、様々な化粧を試した。髪飾りなども素晴らしいものを取り寄せた。何とか、恥ずかしくない格好になるよう、必死であった。
 父や母、また周りの侍女たちは、そんな彼女を可愛らしく思っていたが、本人の心中はまったく穏やかではなかった。
 まるで駄目よ――やはり私はどうあがいても、可愛くなんてならないんだわ。こんな姿を人目にはさらすなんて! どんなに着飾っても、かえって、不恰好になってしまったくらいじゃないかしら? ひどいわ!
 実際、彼女が醜かったかといえば、そんなことはなかった。むしろ、誰からも美しいと言われる。権力者の娘であるからお世辞も入っていたかもしれないが、それを差し引いても、彼女は十分に美しい娘だった。
 しかし、どんなに周りが誉めそやしても、一人で鏡を見ると彼女は落ち込んだ。
 綺麗なドレスにアクセサリー。また、輝くシャンデリアや素晴らしい調度品に囲まれた光溢れる部屋。その中で、自分だけが、ひどく不似合いな醜いものであると感じるのだ。
 この鏡もそうだ。これは、少し前、父から贈られた品であった。細かな細工の施された、曇りも歪みもない、また素晴らしい鏡であった。だが、その鏡は容赦なく彼女の姿を映す。
 彼女は、もう何度目か分からないため息をつく。
「私は、何て不細工なの。何で不細工なの」
「そんなことはありません」
 返ってきた声に、彼女は驚いた。
 誰かに醜態を見られたかと、慌てて周りを見回した。
 謎の声は、繰り返した。
「あなたは、世界で一番美しい」
「……ここから?」
 ひどく弱々しい、くぐもった声は男の声に聞こえた。そしてその声は、鏡に映った自分から、聞こえるようにも思えるのだ。
「鏡が……?」
「あなたは、世界で一番美しい」
 彼女は、言葉を失った。



彼は、国一番と言われるほど腕の確かな鏡の職人だった。ある日、彼の元に、有名な貴族からの注文が来た。
娘の部屋に素晴らしい姿見の鏡が欲しい。どんなに金がかかってもいいから最高のものを作れとの注文だった。こんなに大きな仕事を受けたのは初めてだった。腕に自負のあった彼は、何としても最高の仕事をしようと決意した。
彼は考えた。どのような意匠がよいだろうか。部屋に馴染む装飾がいい。取り付ける壁の色、部屋の家具、それらと調和するようなものに。
しかし考えれば考えるほど、これというイメージが浮かばなかった。彼はとうとう、一度その部屋を見なければならない、そうでなければ最高の鏡は作れないと思い立った。
だが、卑しい身分の職人がそんな理由で、貴族の屋敷になど入れるはずもない。彼は夜、こっそりと屋敷に近付いた。広い庭には閉口したが、その広さゆえに何とか忍び込むことができた。それに彼は盗人ではない。少し部屋を見るだけでよいのだ。
彼は、窓から部屋を覗き込み、品のよい絢爛豪華な部屋を見た。シャンデリアに煌々と照らされたその部屋は彼にとって違う世界だった。
彼が部屋を観察していると、部屋の主が戻ってきた。身を隠す瞬間、彼はお嬢様の姿を見た。
美しかった。

その日から、彼は工房から出てこなくなった。美しいお嬢様のことを考えながら、ひたすら鏡を作った。鏡作りに魂を削る様は、鬼気迫るものだった。そして彼は苦悩していた。彼は完全にお嬢様の虜だった。
 だが身分が違いすぎた。そして彼の想いはただ一方的であった。愛するなど大それたことは望めない。ただその姿をもう一度、見られさえすればいい。いや、またあの麗しい姿を見れば、きっと目を離せなくなるに違いない。
彼女を見たい。想いは徐々に歪んでいった。
 彼の顔に狂気が浮かんだ。彼は、作り上げた普通の鏡を、粉々に砕いた。

彼は鏡と工具を抱えて、貴族の屋敷を訪れた。
「多少時間がかかりましたが、最高のものを作ることができました。いえ、お嬢様の部屋に鏡を取り付けるのも、私が致します。はい、万が一にも鏡がぐらつくことがあってはなりませんので、取り付けもしっかりと。ですから、多少お時間いただけますか」
当然ながら、作業の間、お嬢様は外に出ていた。しかし、彼はそれで構わなかった。
彼は姿見を取り付ける壁に、姿見より少し小さく、やや深い穴を開けた。次に彼は鏡をその穴の上にすっぽりと被せるようにはめこみ、縁の一辺だけを固定した。鏡はまるで扉のように取り付けられた。そして彼は、鏡の周りを綺麗に片付けた後、その穴の中に入り込み、そして、内側から鏡を固定してしまった。ほとんど身動きの取れない、暗く狭い鏡の裏側で、彼はぞくぞくと歓喜に震えた。
しばらくして、様子を身に来た使用人は、鏡を見てため息をついた。
「これはまた、素晴らしい鏡ですこと」
 口をあけて鏡に見入るその顔を、鏡職人は鏡ごしに、間近で見ていた。
この鏡はハーフミラーと呼ばれるものであった。暗い側からは明るい側をガラスのように透かして見ることができるが、逆からは反射して鏡のようになる。光に溢れたお嬢様の部屋からは、暗く陰湿な鏡職人の側を見ることはできない。そして、彼の望みはこれで叶うのだった!
幸福にとろけるような思いで、彼はお嬢様の姿を眺めることができた。お嬢様は部屋にいる間は頻繁に鏡を眺めていてくれたのだ。
しかし、お嬢様の顔が憂いていることに気が付いた。そして、自分が醜いと思い込んでいるのだと知った。
あなたはこんなにも美しいのに。
「あなたは、世界で一番美しい」
彼は、朦朧とした意識で、乾いた唇から、その言葉だけを繰り返した。その姿に見とれながら、彼はただ囁いた。



 薔薇の頬をしたお嬢様は鏡を見つめて問うた。
「ねえ、私はきれいかしら?」
 傍の女中は答える。
「今日もお美しゅうございます、お嬢様」
 お嬢様は、艶然と微笑む。しかし彼女は、本当は鏡の囁きを聞いていた。
 ……あなたは世界一美しい。

 鏡が喋った。その事実を認めるより、自分がおかしいのだと判断する程度に、お嬢様は聡かった。その程度にしか、考えることができなかった。
 これは、私の耳がおかしいのだわ。
 彼女は困惑した。これは幻聴なのか。しかも、自分が美しいなどという、自惚れたそれを。
 食い入るように、彼女は鏡を、自分自身を見つめた。
 この醜い私は、けれど本当は、醜いがゆえに、美しくなりたいと願っているのかしら。
 彼女は、無理に鏡の前で笑顔になろうとした。愛らしい顔だがその笑みはぎこちない。そして、また声がした。
「そうです、あなたは、美しい」
「私は、美しくなりたい……」
 思えば、誰もが彼女を可愛らしいと誉めそやした。だが、その言葉にお世辞が含まれていると悟った彼女は、その言葉を、逆さの意味で捉えるようになったのだ。
 だが、鏡の声は、真に美しくありたいという自分の本心の声なのだ。
 そして彼女は、鏡に問いかけるようになる。
「私は、世界で一番美しいかしら」
はい。あなたは、世界で一番美しい。

妙齢の婦人が、鏡の前に一人、佇んでいた。黒いドレスを着た彼女を、蝋燭の光だけが妖しく照らしている。妖艶で美しいその女性は、鏡に語りかけた。
「私は、世界で一番美しいかしら」
鏡の声は答えた。
いいえ。この世で一番美しいのは、あなたではありません。
鏡は、別の若い娘の名前を告げた。婦人が、目障りだと思っていた女の名であった。
彼女は鏡を睨んだ。そこには、美しく、険しい顔の女が映っている。
「私は美しくないというの!」
 叫んだ瞬間、鏡に映った女の顔が、醜い化け物の顔に歪んだ。彼女は悲鳴を上げ、傍にあった宝石箱を鏡に投げつけた。

 Ⅴ

ハーフミラー、またの名をマジックミラーという。これは妄執が生んだ、魔法の鏡。その欠片だという。
私の顔に重なって見えたのは、透けて見えた鏡売りの男の顔であった。
「しかし、納得がいかない。なぜ鏡は、鏡職人は他の女の名を美しいと挙げたのだ」
「……ろくに光も入らない鏡の向こう側に閉じこもれば、すぐに干からびて死ぬでしょう」
 彼女は、鏡から聞こえる彼の声を自らの心の声だと思い込んだ。しかし、その強い思い込みは、やがて逆転する。自らの心の声を、鏡の発する声だと強く錯覚した。
「本当に鏡が喋ったのは、ほんの短い間でしょうな」
「それでは……鏡に映った化け物は」
 手の中の鏡は、角度によって、男の顔と私の顔を交互に映し出した。二つの顔は混ざり合い、奇妙な様相を見せる。
「おそらく、歳をとった彼女は、美しさにこだわるゆえに、自らを見るときは敢えて暗い部屋で見るようにしたのでしょう。ゆえに、鏡は向こう側、男の無残な骸を映した」
もしくは、暗く光を失ったのは、若い美しさに嫉妬する彼女の精神なのかもしれませんな。
「……で、どうなさいます?」
 言われるまでもなく、私は鏡を戻し、その場を立ち去ろうと歩き出した。全身が、総毛立っていた。
「……我々は見えるものしか見ることができないのに、その目の何と不確かな事か……特に、自分自身は自分が最もよく見ているようで、逆に、本当は最も見えていない。実のところ、見ているのは鏡なのですから」
 男の声を振り払うように、私は歩き続けた。
 暗い路地裏を抜け、広い道に出た。暮れかけた陽が、目に眩しかった。

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ハンバーグ・パン・ハンバーグ

 男は、自らの身体から湧き上がる力に歓喜した。
その力を得るため男が乗り越えた幾多の苦難についてここで語る事はしない。しかし、男はこの力のために己の人生全てを賭けた。そして今、望みは果たされたのだ。
男が得た力とは、あるものを「逆転」させる能力。そしてその「あるもの」とは、ハンバーガーだった。
「さあ、この力で俺は世界を手に入れてみせる」
 男が手をひと振りすると、その瞬間パン・ハンバーグ・パンで構成されていた世界中のハンバーガーはハンバーグ・パン・ハンバーグに変わってしまった。肉が増えて得じゃないかと思う読者諸兄は一度よく考えて頂きたい。世の中には包装紙で包まれていないハンバーガーも存在すれば、包装紙を全て剥ぎ取って裸のハンバーガーを直接食べる人間も存在するのだ。
 阿鼻叫喚の渦と化した世界(主に北アメリカ)を横目に、男は自らの計画を速やかに実行へと移す。男の能力はただハンバーガーのパンとハンバーグを入れ替えるだけではない。男が力を使用したその時、世界中の人間は一人の例外もなく「ハンバーガーとは、二枚のハンバーグでパンをはさんだ食べ物」だと思い込まされてしまった。人々は皆、何故自分がこんな食べにくい物を嬉々として食べていたのか不思議に思いつつ、手にじっとりとこびりついた肉汁に顔をしかめた。
 ハンバーガーはあっという間にファーストフードの帝王の座を転がり落ち、星の数程あったチェーン店も軒並み潰れていった。
 そこに突如として現れた、ハンバーグをパンではさむという「画期的な」ハンバーガーを提供するファーストフード店。言うまでも無く、男の所有する店舗である。安価で美味しく、しかも食べやすいハンバーガーに人々は飛び付いた。男の店は瞬く間にチェーン店を増やし、男は「凋落したハンバーガー業界に舞い降りた希望の光」「パンでハンバーグをはさむという未曾有の発想を実現した英雄」と評され、一躍時代の寵児となった。
 男が自身の店舗を開設してから一年と経たないうちに世界は男のハンバーガーチェーンで埋め尽くされ、あの世界的に有名なハンバーガーショップすら男のチェーン傘下に入る事が決定した。
北米に建造した豪邸でブランデーグラスを傾けながら、男は全てが自分のシナリオ通りに進んだことに笑いが止まらなかった。
「俺の計画は完璧だった。見ろ、この世界を! 星の数程に散らばる俺のハンバーガーチェーンを! 俺はあの時の言葉通り、この能力で世界を手に入れた!」

だが、滅びは突然訪れた。
 発端は、どうせ一部の愛好者が食べるだけだろうと考えて無視していたライスバーガーの売り上げが爆発的に上昇したことだった。男はチェーン店を増やそうとするあまり、新商品の開発を怠っていた。世界中至るところに男のハンバーガーチェーンが開店し、日常的に男の店のハンバーガーを食べていた人々は、普通のハンバーガーには飽きてしまったのだった。
 怒り狂った男は自らの能力でライスバーガーをも逆転させようとしたが、不可能だった。男の能力はあくまでパン・肉・パンの組み合わせだけに使用できるものであり、ごはん・きんぴら・ごはんの組み合わせは男の能力の干渉を受けるものではなかったのだった。結局、その能力によって世界中のハンバーガーチェーンを一手に収められたのは、フィレオフィッシュが不人気なために販売中止になっていたという幸運のためだと男は気付くことになる。
 ヘルシー・日本食ブームの後押しを受け、ライスバーガーはハンバーガーに勝るとも劣らないファーストフード業界の主力商品となり、ライスバーガーを扱う店も世界中でオープンしていった。そのあおりを受ける形で男のハンバーガーショップの売り上げは減少の一途を辿る。腹心からは何度も「我が社もライスバーガーを売り出すべき」という意見が出たが、男は絶対に首を縦に振らなかった。
「世界を手にした俺が、何故他人の尻馬に乗るような真似をせねばならんのだ! ライスバーガーそのものを潰してくれる!」
 業を煮やした男は、遂に強硬策に打って出た。かねてから懇意にしていた政治家に、ライスバーガーを売る店舗を強制的に閉店させる法案の提出を要求したのだった。そんな馬鹿げた法案など提出できないと、一度は突っぱねた政治家だったが、結局は男のチェーンが支払っている巨額の企業献金の前に、男の要求を飲むこととなった。
 これで万事安泰、とほくそ笑む男だったが、現実に事はそう上手く運ばなかった。男が法案提出の要求をしていた政治家が汚職で逮捕され、更には男が全幅の信頼を置き、自らの能力の事まで話していた腹心の一人が男を告発したのだ。
 時代の寵児だ英雄だと男をもてはやしていたメディアは男の能力とこれまでの行いを知るや一転、「全人類を騙した過去最低の詐欺師」と男を糾弾した。
 自らの置かれている状況を知り、身を隠そうとした男だったが、金をトランクに詰めている間に、男の屋敷は暴徒と化したアメリカンによって取り囲まれていた。アメリカンの身体の半分はハンバーガーとコーク(あと半分はフライドチキンとポテト)によって構成されているという。そんな彼等が男に対して強い怒りと憎しみを向けるのは、至極当然であった。
 しかし塀を破り、窓を割って侵入してくる大勢のアメリカンに取り囲まれた男は、不敵に笑った。
「最悪のシナリオだが、まだシナリオの内だ」
 そして男は、雪崩を打った人の波に消えていった。

 この事件で、男の死が正式に公表された。しかし死を悼む者はほとんどなく、警察でさえ「容疑者多数につき犯人の断定は不可能」として暴徒と化した者達を数日留置する程度で済ませてしまった。
 「ハンバーガーの王」は「世界最悪の詐欺師」として人々の記憶に刻まれ、やがて忘れられていく――はずだった。
「最初は、見間違いだと思った。だって彼は、殺されたんだろ?」
 目撃者達は、口々にそんな事を言った。事件のショックがあまりに大き過ぎたために起こった一種の集団ヒステリーではないかと考えられた。
 が、その範囲が大きくなっていくにつれて、看過出来るレベルの問題ではなくなっていった。
 多くの人々が、死んだはずの男を見たと言う。しかも、目撃者は世界中にいるのだ。

 目撃された中の一人、日本にいた男は、警察の任意同行にも応じ、指紋の採取を要求されても嫌な顔一つしなかったという。彼は始終ニヤニヤと笑いながら、
「早く釈放してくれよ、『ハンバーガーの王』は死んだはずだろ?」
 そう繰り返した。
 警察は、この男の処遇に頭を抱えた。容姿も指紋も、あろうことか彼が名乗った名前さえ、死んだはずの男とまったく同じなのだ。
 そしてこれと同じようなケースが、やはり世界中で頻発した。彼等は全てにおいて件の男と完全に一致する。しかし、男は既に「死んで」いるはずなのだ。
 ある国で、困惑した一人の警部が男に向かって「お前は何だ。クローンか何かだとでもいうのか?」そう投げやりに問いただした。
 すると男は、さも当然のように「そうだ」と答えた。
 そして男は、嬉々として事の真相を語り出した。それは、まともな頭を持った人間なら失笑するような内容であった。
 世界中のハンバーガーショップを自らの傘下に置いた男は、ある時自分の能力はハンバーガーだけでなく、パン・肉・パンで構成されているあらゆるものにたいして行使出来るという事実に気付いた。そして彼は、自らの肉体をパンではさみ、能力を使用した。次の瞬間、上下に重なった全く同じ容姿の男が二人と、その腹に上下から抑えつけられて苦しそうに潰れている一枚のパンが現れたのだった。
「それから俺――と言っていいのか分からないが――は能力をひたすら使って自分のクローンを作りまくり、世界のあちこちに送った。『自分自身』がたくさんいれば、何が起こっても安心だろうと思ってな。まあ、信じるかどうかはアンタ次第だ」
 話し終えた男は、すっと立ち上がると取調べ室のノブに手をかけた。傍らに立っていた若い刑事が男に掴みかかろうとしたが、警部は「いい。行かせろ」と制止した。
「じゃあ、帰らせてもらうよ」
 立ち去ろうとする男に、警部は「最後に一つ、聞かせてくれ」と声をかけた。
「……お前自身は、そのフザケた能力を使えるのか?」
 男は、軽い調子で答えた。
「いいや。だから多分、俺はクローンの方なんだろうな」
 去りゆく男の背中を睨みながら、警部は深く嘆息した。

各国の警察組織はその男の証言を全面的に正しいと考え――と言うより、他に事態を説明出来る仮説が存在しなかったため――男は完全に死んだものとし、本件についての捜査は全て打ち切られた。中には男のオリジナルを捕まえればいいという意見もあったが、下手に刺激して更にクローンの数を増やされてはどうしようもない――何せ、相手はパンが二枚あればクローンを作れてしまうのだから――と、その意見が採択される事はなかった。
 そうして、ゆっくりと男の名は人々の記憶から消えていった。

 そんな、世界を震撼させた事件から十年が経った。
 アメリカのとある片田舎。そこに建つ小さなサンドイッチ屋に、一人の老人が立ち寄った。
 山高帽を目深に被った老人は、ハムサンドとコーヒーを注文すると、窓際の席にゆっくりと腰を下ろした。
 老人はずっと、窓の外を見ていた。傍からはそのように見えた。しかし実際は、ガラスにうっすらと映る自分自身を見ていたのだった。窓の外に見える地平線の先まで続く平原など、老人にとって何の興味もなかった。老人はただ、鏡の代わりとしてガラスを見つめていたに過ぎなかった。
 若い店主が、コーヒーとサンドイッチの乗ったトレイをテーブルに置いた。他に客もなく暇だったのだろう、黙って食べ始める老人に向けて、店主は「どうだい? 旨いだろ、うちのサンドイッチは」と話しかけた。
 老人は何も答えなかったが、帽子に半ば隠れている両の瞳は、大きく見開かれていた。老人はじっと店主の顔を見つめていた。その顔は、十年前にハンバーガーで世界をこの手に掴み、やがて消えていったあの男そのものだった。
 店主は更に言葉を続けた。
「このサンドイッチで、俺はいつか世界を掴むつもりさ」
 豪快に笑いを上げながら店の奥へと戻る店主。誰もいなくなった店内で老人は独り、静かに呟いた。
「世界を掴もうと思うなら、まがいものは絶対に作らないことだ。まがいものをつくれば、いつか手痛い仕打ちが自らに帰ってくる」
 店の奥でサンドイッチの仕込みを終えた店主が再び店内に戻ってくると、もう老人はいなかった。
テーブルの上には飲みかけのコーヒーと、何枚ものハムにはさまれた一切れのパンが残されていた。

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鏡の前のアクトレス

 現実なんてつまらない。だから私は夢に生きる。

 ぱちり、と目を開ければいつも通り鏡の前。
 そこに映っているのは、ごってごてに着飾ったワタシ。今をときめくスゥパァスタア、月光きらり。
 スポットライトを受けてキラキラ光るアイドル。ゼンマイ仕掛けのお人形より、手間はかからないけどお金はかかる、でもでも可愛いから許してね、てへっ。いつも通りの前口上でつかみはバッチリ、さぁ舞おう。みんな、イっくよ~!
 ……熱の冷めやらぬ会場を抜けて、一人きり鏡の前に座ると訪れる虚脱感。鏡に映る自分の非現実感。月明かりのワタシは、スポットライトの下にしか存在しない。今ここにいるワタシはだぁれ?
「現実なんてつまらない。だからワタシは夢に生きる」
 光を浴びていないワタシは歌を歌わない普通の人。だからいつもの歌詞を抑揚もなく普通に言ってしまう。大丈夫、歌の後は鍵をかけてるから。ドアにも、心にも。うわ、詩的な表現は素のワタシには似合わない。
 いつものワタシはあまりに何も持ってなくて、夢を売るワタシはあまりにキラキラ輝いていて、同じワタシには思えない。目の前の鏡に手を伸ばしてワタシに触ろうとしても、鏡の厚さの分だけ届かない。かつんとした感触は現実と夢の境界のよう。苛立ちに爪を立てて、嫌な音に慌てて耳を塞ぐ。
 ああやっぱり、現実なんてつまらない。だからワタシは夢に生きる。といっても人から与えられた役割じゃない。もっと静かな、自由な夢。
 カツン、カツンとマネージャーの靴の音。ワタシを虚飾まみれの現実へ引きずり込む先触れ。
 アンコールの時間が来る前に、誰もワタシを求めない世界すら思い浮かべて、目を閉じる。

 ぱちり、と目を開ければいつも通り鏡の前。
 そこに映っているのは、どてら姿、ボサボサ頭の私。担当以外とは誰とも会わない謎の売れっ子作家、胡蝶夢丸。
 見回せば、鏡台を改造した作業机には、鏡と原稿用紙、万年筆が置かれている。他のものは、無い。
 編集部からは何度も原稿のデジタル化を打診されているが、作家・胡蝶夢丸は手書き原稿で字に魂を籠める……ということにしている。まあ、私はワープロだのパソコンだのを使えないのだ。クウェーティー配列? 意味がわからん。全てのキーボードが日本語のパソコンが出来たらその時は使うことにしようと思いつつ、そんな日は来ないと思って万年筆を走らせる。いつでも書き出しは同じ。他の言葉はともかく、この言葉だけは本当に魂を籠める。
「現実なんてつまらない。だから私は夢に生きる」
 すぅっと息を吸い、ペン先から夢の世界へと飛び込む。私のソウゾウの世界、すぐそこにある、手の届かない世界へ。少しでも近づきたくて、肉体を捨てるように目を閉じる。
 思い浮かべる。私なんかとは違う、輝く存在。あざとすぎる程の偶像。彼女の物語へと、滑り込んでいく……。

 目を開ければいつも鏡の前。
 現実と夢、逆転することもなく続く合わせ鏡。
 どこまでも続き、いつまでも届かない。

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『白高愛歌』

 ダンダンダンダン…………
     ダンダンダンダン…………


 時は平成、世は太平。猛暑終えぬ真夏の昼下。処(ところ)は県下、白虎高校。校舎屋上金網(フェンス)を背にし、語らう乙女の影二つ。
「古典の補講はげに(マジ)むつかし(タル)いなり。文語文法意味不明(イミフー)なり。なんぞ古の言葉を学びてわが人生に意味あらん。夏休の暇(いとま)を奪いし先公、死なばよいのに、許すまじ」
 電子文書(メエル)の着信音(着メロ)響きて携帯電話(ケータイ)、開きて鳴らすは舌打ち一つ。怒涛の指技(タッチ)で返信打ちつつ、「死なばよい(シット)」と再び言霊もらす。
 対し聞き手の片割れ乙女。相槌打ちても気はそぞろ。小型化粧箱(コンパクト)見つめる真摯な瞳で、時折拳をぐいとしめる。
 注ぐ視線は鏡を頼りて、校庭隔てた背後に向かう。近くも遠き校内野球遊戯場(グランド)に、めでたし殿の武者姿ぁぁ。


 かの地若武者佇むは、戦禍(しあい)最中の打者四角陣(バッターボックス)。
 宿敵赤竜高校と、雌雄を賭した大一番。九回裏にて点差は一つ。四球で歩きし走者(ランナー)一人。二死一塁で追い詰められし、命運託すは彼(か)の大太刀(バット)のみ。
 日焼けし肌に映える汗の玉。闘気滾らせ投手(ピッチャア)を睨む。されど対手は涼しげな笑み、こちたし構えで体を捻り、しなやかな肢体で球を放つ。
「的を違えぬ剛球見事なり(ストライク)!」
 捕手の手甲(キャッチャーミット)の破音に続けて、野太き声が轟かん。
 やあや待たれよ待たれよ判者(審判)! 下方に沈みし球道逸れし一投(ボール)なるぞ!
 いぶせし白高審議にかこつか! 弱い犬ほどよく吠える!
 両陣あさましく罵り合うも、彼の若武者、掌を開きて、止めよと自陣の荒武者(チームメイト)をいさめる。彼の球確かに、我が胸元を抉る一矢(ストライク)。まさに名を馳す強弓よ。猛き一騎に圧されも圧され、我陣未だに快音なし(ノーヒット)。
 ……されど我が身はただ人なれど、白軍率いる総大将(エースで四番)。
 なんぞ無下に朽ち果てようか。唇結びて愛刀掲げ、眼差し強めていざ尋常に勝負(カモーン)と吠える。
 兜(メット)を伝いし汗の雫は、酷暑においても冷ややかなりぃぃ。


「あいなし奉公先の主(バイトの店長)からなり。彼の者むつかし形相なれど、ひとえにうら若き女子を(おにゃのこ)好きならん。駱駝と蛙によく似し面にて、涎を垂らして口説かりければ、これまことにいとほしけれ。富はあれども形心悪しくば、銭をやろうと(お小遣い欲しい?)言われしも、いちづに不興な(キショい)極みなり。あぁまことに(マジ)いまいまし(キモ)中老(オヤジ)、死なばよい(ゲロファック)」
 語られし一方音は聞こえど、言葉の筋は心に届かず。ただひたすらに戦況見つめ、一心に殿に祈りを送る。
 あぁ殿、覚えておるでしょうか。思い返すは出会いしあの朝。麦の練焼(トースト)咥えて、あぁ初日に遅るるはいとやさし(きゃあ遅刻遅刻)と走りし折、角でぶつかりしその瞬間。我が心いとときめ(胸キュンとなり)ければ、慕うておりますその日から。
 胸に抱くは人には語らぬ、陰より忍ぶ秘めたる恋慕。
 鏡に映りし殿に向けるは、打てよ勝たれよ切なる願いぃぃ。


 対し対峙し二人の若武者、赤白竜虎の火花を散らす。一塁走者(ランナー)身を乗り出す(リードをかける)も、双騎四眸に映る由もなし。轆轤のごとく(トルネードにて)投手が構え、放つ球が炎を纏う。迎えし打者(バッター)体を絞りて、乾坤一擲一刀放つ。
「げに空を断つがごとき一振り天晴れなれど、無念ながらもか(ストライ)すりもせず(ク)!」
 古の武将(川上哲治)の言葉において、わが眼において飛矢は止まりし候(ボールが止まって見えた)とあれど、実践するのはいと難し(んなことできるわけがねぇ)。
 赤軍意気揚々と猛りて、白軍切歯扼腕す。
 行末残り僅かなれば、打ち手の双肩にかかりし責、語るに尽くせぬ重(おもる)なり。
 やあ、信頼せしは鍛練の日々。朝夕続けし素振りの数。勝ちて一献上げようぞ。負ければ腹を召す覚悟。
 我が身命のすべてを賭けし、最後の一刀受けてみよ!
 佳境を迎えし折において、息呑み両軍括目すぅぅ。


「彼の駱駝蛙(キモオヤジ)ねむごろならず、端的に言わばもの狂い(変態)なり。やあ我打てよ(ぶってぶって)と急かみして、求み応(いら)へば銭を出す。平手(ビンタ)一発金弐阡(二千円)。股間(○○○)を蹴上げば金伍阡(五千円)。あれよと言う間に富は得られど、心はひとえに荒ぶなり。乙女の純心惑わす物の怪、世のため我のため死なばよい。あぁ、死なばよい」
 「死なばよい(この白豚が)」と文を綴り(メェルを打ち)て傍らに語るも、聞き手乙女は反応なし(ガンスルー)。
 さもあり隣の片割れ乙女、鏡を頼りて見るにあかず、金網(フェンス)に張り付き眼(まなこ)を開きて、一心に殿を見守りけり。
 あぁ力無き我が身が歯痒し。力になれぬ我が身が悼(いたま)し。だに我も玉緒賭けます。殿が負くれば、かの柵越えて、身を投げ自害する所存。
 天地神明に祈りまするぞ。
 どうか殿の歩みし道に、一筋導きの光明を……


 ……乙女の祈りが天に通ずか、起こりし小さき奇跡が一つ。ひときわ強き陽光照り射し、手にした鏡に向けられん。浴びせし光は鏡に呑まれ、光矢となりて放たれる。煌めく一閃の行く末は、かの地戦場野球場(グランド)へぇ……


 かくて一方聖地野球場(グランド)。赤軍投手(ピッチャァ)息の根止めんと斬首一投振りかぶる。さる時天駆ける飛矢が一筋。光を纏いし乙女の祈りが、投手眼(まなこ)に突き刺さる! 不意の鏡光、瞳に食らいて、あぁと呻きて球を放つも、急速緩みた一投なれば、若武者愛刀の格好の餌食。芯を見抜かれし硬球は、打ち返されて宙を舞うぅぅ!
 どこまでも……どこまでも……
 どこまでも……どこまでもぉぉぉ!
「かくまでよく耐えてこようぞ。かの境地にて起死回生の一振り、(ホーム)まことに天晴れ、あぁ天晴れなり。痛みに耐えてよく頑張った!(ラン) 感動した!」
 あぁ、華麗なる逆転劇。彼の大将勝鬨上げて、拳を掲げて戦場(ダイヤ)を駆ける。思わず零るる男の涙。白軍総立ちてまた吠ゆる!
 ……されど得心いかぬは赤軍総隊。やんややんやと喚くなり。
 やあや待たれよ待たれよ判者(審判)! ……我は見たぞ。お主は見たか?
 我も見たぞ。げに見たぞ。
 校舎屋上(敵城)より射られし光矢、まさに伏兵忍ばす一業よ。
 おのれ白軍卑怯なれば、かの一騎打ちは無効なり!
 再審じゃぁ!
 再審(ものいい)じゃぁ!
 さりと言われて白軍引けぬ。顔を赤らめ怒りて返す。
 いぶせし赤高審議にかこつか! 数多の侮辱許すまじ。先の言の葉、撤回されよ。弱い犬ほどよく吠える!
 おのれ白高さらぬ面にて、己の所業をくらぬ所存か! ……さあれば我らが取る手は一つ。
 なにするものぞ?
 覚悟はよいか?
 受けて立とうぞ。
 討ちて取ろうぞ。
 合戦じゃぁ!
 合戦(乱闘)じゃぁ!


 仰天せしは屋上乙女。逆転一打に心を奪われ、天にも昇る心地でおれば、地にて起こるは凄惨極まる、戦乱至りし血祭一戦。恋し若武者戦禍に呑まれ、あれよという間に満身創痍(フルボッコ)。
 あぁいたわしきや殿の御身。慕うております心から。さらば我が身を打ち棄つ所存。姫、只今身元に参ります! 胸紐(タイ)を解きて額に結び、せきて金網(フェンス)をよじ登る!
 やぁ、あれを見よ! 上じゃ、上じゃ。
 ほうほ至極いつくし(メチャかわいい)娘なり。
 おのれ曲者生かしておけぬ、者共さぁさ出会えい出会えい!
 この機を逃してなるものか。男子の本懐遂げようぞ!
 ひっ捕らえい!
 ひっ捕らえ(口説いたれ)い!
「去夜(こぞ)も務め(バイト)の終わりし後より、高下駄(ヒール)を渡されそで我を踏めよ(ふんでふんで♪)と申す故、頼み応へば心行顔(イッた面)にて、かける言葉が篤姫様(女王様)。なんぞ若き身空において、責たむ者(SM嬢)を真似ぶらん。貰いし踏み代(小遣い)弐萬なれど、心中ひたすら荒ぶのみ。あぁ死なばよい、死なばよい。世の者全て、死なばよい……………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………加勢しようぞ」


 袴裾(スカァト)押さえて天(屋上)より舞い(飛び)降り、戦地へ赴く二人の戦姫。殿の御身を救うため、秘奥義西来腕撃(ウェスタンラリアート)が地を分かつぅぅぅ!
 拳で吟じ、血で血を洗う、白高愛歌ここにありぃぃぃ!


 ダンダンダンダン…………
     ダンダンダンダン…………


                     ――――(了)

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シガレット

 ――カラン。
 溶けた氷が、バランスを崩してグラスの中で音をたてる。ぼんやりと考え事をしていたのだが、意外と時間が経っていたようだ。安物のウイスキーも、薄まってもう何の魅力も感じさせない。重低音が響く薄暗いボックスの底で、俺は新しい煙草に火をつける。煙が肺を焼く感覚も、もう感じることはない。
 繁華街を少し離れた交差点。街と街とを繋ぐそのパイプの片隅の、小さなビルの地下の入口。薄汚れた、新参者を拒むかのような扉の先に。眠らない小さなハコがある。それは狭いフロアと、隅にバーカウンターがあるだけの簡素な空間で。その壁際にはわずかな椅子が並べてある。
ここに集うのは、面識はあれどもその名を知らない若者たち。愛称を呼び合う彼らは眠ることを知らず朝まで踊る。DJは絶えず音を繋ぎ、ミラーボールが時折彼らの顔を照らす。踊り疲れた者は壁際で酒をあおり、またある者は女性を口説いている。そんな姿を、専用シートから眺める。
 俺は所謂暇な大学生というやつで、なんとなく大学まで進んだものの、バイトに明け暮れている。近所のスーパーで楽なナイトをこなし、徹夜明けの身体で講義に出ては寝るだけ。バイトがなくてもどうせ夜は寝られないから、こうしてまたここへ来る。それでも成績を崩さずにやっていけているのは、よき友人に囲まれているからだろう。恵まれた状況である。見事に昼夜逆転した生活を送っているのだが、直す気はさらさらない。金を貯めるのも、それなりに理由があるからしているのだ。

 ここへ来るようになってから、もう二年になる。部活にも所属せず、毎日をただ過ごしていたころ。文化祭の中夜祭の出し物で元気よく踊る彼女の姿に、一目惚れした。最初は誰だかわからなかった。他の観客もそうだったらしい。でも後で、それが誰だかわかった。いつもクラスのことには一切関わることのない、どこか人を寄せ付けないオーラをもったクラスメードだった。だから他の皆も、関わりたくてもうまくいかなくて。教室の最後尾、廊下側に座る彼女は。文化祭からいくらか日が経っても、いつものように放課後になると足早に帰っていった。
 そんなある夏の日。休日に街をブラついていると、道の向こうから歩いてくる彼女と目が合った。短針が午後十時をまわり、多くの人が家路を辿ろうとする時間に。
「……やあ、こんばんは。こんな時間からどこかへお出かけ?」
 少々驚きつつも、平静を装い話しかける。
「うん、ちょっと、これから踊りに……ね」
 返事が来ないことも考えた上での質問だっただけに、答えてくれただけで内心小躍りをしていた。我ながら、大胆に言葉を続けたものだと思う。感嘆符をわざとらしくつけてみる。
「へー! また文化祭のときみたいに踊るの?」
「ううん、そうじゃなくて……ただ踊るだけみたいな。仲間うちで楽しく朝まで踊るの」
「へぇ……ねえ、それってさ、俺もついていってもいいのかな」
「え」
 あからさまに彼女の表情が固まった。困惑より、思考が停止していたんだと思う。視線を外して彼女の言葉が止まる。やってしまったか。失敗したか、俺。
「ゴ、ゴメン、俺みたいな部外者がいきなり行ったらやっぱマズいよね……はは、冗談です」
「ううん、……じゃあ、来てみる?」
「え」
 そんな沈黙を破ろうと発した言葉への返答は、期待以上のものだった。勇気というか、無謀というか。元気だったな。

 それ以上どう言葉を続けていいのかわからなくて。時折目を合わせながら、彼女の後についていった。着いた先は少し怖さを感じるような街外れで、ペースを変えずに進む後姿についていくだけで結構精一杯になっていた。彼女はどうやら顔なじみらしく、スムーズに俺の分まで手続きを済ませ扉に手をかけた。俺のことをなんて言ったのだろうなんて考えていたら、不意打ちで横からすさまじい質量の重低音に叩かれた。会話も何も聞こえない、暗闇のように感じる小さな世界。全身を涼しい風が包み、煙草の光があちこちで点滅していた。手を引かれて中に入ると、ミラーボールだけがやけに明るくて。その下に薄暗く踊る人たちが見えた。彼女は一言、俺に「踊ってくるね」と告げて、その輪の中に入っていった。興味だけでついてきて、踊れもしない俺ができたことは。適当に頼んだウイスキーの、強さに驚くことだけだったとさ。
 飲みなれないグラスを傾け、ぼんやりと彼女を眺めてしばらく経ったころ。少し踊り疲れたのか、俺の方へと歩みよってきた。あんなに重圧に感じた音楽も、耳がようやく慣れたらしい。そういえば薄暗さにも目が慣れてきていた。音量が大きいことは変わらないが、なんとか会話くらいはできている。口を相手の耳もとへ近付ける必要はあるけれど。
「よく来るの?」
「うん。……ごめんね、やっぱり退屈だったかな」
 額に少し汗を浮かべて、彼女は答えた。この空間のせいかはわからないけど、制服姿よりずっと、魅力的だった。
「そうでもないよ、ただこうして眺めているのも悪くない」
「そっか、ならよかった。ここはお酒も煙草も大丈夫だから、のんびりしていってよ」
「ああ、そうさせてもらうよ」
 そう言って、ほとんど減ってないグラスを見せる。本当は、煙草もまだ吸えないのだけど。持っているだけで。退屈でないのは正直な気持ちだった。彼女の踊る姿を眺めているだけで、なぜか十分に楽しかった。彼女の表情が、場所のせいかずっと柔らかい笑顔をしていたからなのかもしれない。
 彼女も甘いカクテルを頼み、それに軽く口をつけ一息すると。また輪の中へ帰っていった。会話はここまで届かないけど、ただ、楽しそうだった。周りの真似をして、煙草に火をつける。やっぱり途中で咳きこんで、とてもうまく吸えなかった。

 それから、しばらく。徹夜にも慣れ、煙草とウイスキーの旨さを知り。俺の愛称ができて、いつも使う椅子にはネームプレートが置かれていた。知らない誰かともよく話をするようになっていた。相変わらず踊ることはなかったけど、彼女を眺める以外に、自分なりの楽しみ方を見つけていた。初めのうちは悪さをする後ろめたさを感じていたけれど、次第に親もたまにのことだと大目に見るようになっていた。
 平日は学校へ通い、土曜は朝まで過ごし。日曜で体内リズムを元に戻す。意外とうまくやっていたのか、学校生活もうまくこなすようになっていた。そんな、冬の日だった。推薦でなんとなく進学先を決めた俺とは対照的に、彼女は留学するのだと。それを、人づてに聞いた。俺がそれを知ったころには授業はもう終わっていて、彼女はいつもの場所に現れなくなっていた。そういえば、連絡先も知らなかった。何のために。いつ出発するのか。結局話しかけることもできなくて、ただのクラスメートに戻ったまま、卒業式を迎えた。
 向うへ行く前に、何か一言話をしたくて。近くへ行こうとしたけれど、その周りには以前とは違い、女生徒の輪ができるようになっていて……。別れを惜しむ彼女らの中を、とても割って入っていけるような状況じゃなかった。去り際に目が合ったような気がしたけれど、もう帰ることしかできなかった。
そして時間は過ぎていき。ひょっとしたら、またあそこへ行けば。今度は彼女も来ているかもしれない。確かにそうも思っていた。だけど、朝まで待ち続けたとして、もしも彼女が姿を見せなかったら。閉まった店を後にして、訪れた朝日を一人で眺めるのが辛くて……とても行く気にはなれなかった。結局見送ることもできないまま、彼女は海の向うへ行ってしまった。

 それから半年後が、今。大学に入ってからはまたハコを訪れるようになっていた。俺の席もまだ残っていて、以前からの居場所で週に一度はあの場所で過ごすようになった。
……そして。情けない話なのだが。実は大学に入ってから初めてココを訪れたある日のこと。粘着力を失い、俺のネームプレートは床に転がっていた。で、その裏には、小さな封筒が雑に貼ってあって。そこに記してあったのは走り書きの住所と連絡先と、俺宛ての文章。
『突然だけど。私ね、本気で踊りを勉強したいから、留学することにしたの。親にもまだ言ってないけど、なんとか納得させるつもり。ダメなら勝手に行くよ。君がこれを見つけるのはいつになるかな、卒業には間に合うといいんだけど。間に合わなかったら、……どうしようかな、考えたくないけど。そしたら、うーん……そうだ。一度くらい、私の踊りを見に来てほしいかな? そのときに舞台に立ててるかわからないけど、君を客席に見つけるのを楽しみに頑張るよ! 気持ちが揺れるのが怖いから、君に直接言えなくて。こんな大事なこと……ごめんね』
……はい。

 そんなわけで、現状に至るのです。正直、見つけたときは結構へこんだ。グダグダ言って何をしていたんだろうね、俺は……って。だからって、黙っていたって何かが変わるわけじゃないし。人づてに彼女の初舞台がとある場所で行われることは聞いていた。もちろんまだまだ駆け出しだから、ごくわずかな時間しか出られないそうだけど、そんなことは関係ない。
だから、そういうわけで。半年間、せっせとお金を貯めることになったわけだ。目的というのはこういうことである。はてさて、今さらのこのこ向かったところで、彼女に何を話せるだろう。そもそも無事に辿りつけるのだろうか。会ってくれるのかな、てか、俺のこと忘れてないかな……。そんな思案を巡らせつつ、俺はまた新しい煙草に火をつける。軽く一度吸いこんで、山になった灰皿に押しこむ。深呼吸をして、旅支度を終えたトランクを引っ張って、店を後にする。先行き不安な旅のお供には、ネームプレートと手紙がお似合いだろう。

第十三回さらし文学賞 | trackback(0) | comment(0) |


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