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さらし文学賞
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ほしむすび

 冬の澄んだ冷気が頬を刺す。
 吐く息が、きっと白くなっている。
 扉を閉める硬い音が背後で響いた。私たちは、どこか屋外に出たらしい。風が一段と冷たい。靴の裏に固いコンクリートの感触がある。この場所に、しーちゃんの秘密があるのだろうか?
 疑問が問い掛けになる前に、私の手を引くしーちゃんの足が止まった。しーちゃんの細くて冷たい手が、一瞬だけ強く私の手を握った。言葉が来る予感。声が続く。
「着いたよ、ゆーちゃん」
 言葉が珍しく震えているのは寒さのためか。それともこれから秘密を明かすから?
 その言葉を合図に、しーちゃんの手が離れ、隙間を冷たい風が埋める。
 心細さに目隠しを外そうとしたら、技を掛けられた。容赦ない速度、文句なしの大外刈り。一瞬でバランスを奪われて、私は固いコンクリートへ叩きつけられ……、と思ったら柔らかい感触に体が沈みこむ。
「うひゃあっ!」
 コンマ遅れで情けない声が漏れてしまう。心臓が慌てて騒ぎ出す。死ぬかと思った。
「ごめん、説明するより見てもらった方が早いと思って」
 申し訳なさそうなしーちゃんの声が、今更なタイミングで上から降ってくる。……あれ、私ってば押し倒されてないかな、コレ。目隠しされた上で手を引かれるままに辿り着いた見知らぬ屋外でいきなり押し倒されるのって、どうなんだろう。ちょっと刺激的過ぎる気がしないでもない。えっちぃなぁ、私。というか、いつから剣道から柔道に乗り換えたのかな……。油断した。
「じゃあ、見てもらうね。オレの秘密。今、目隠しを外すから」
 遠慮がちな言葉の後に、目隠しにしていた制服のネクタイが目の前から外されて、しーちゃんの身体が視界から遠ざかる。一瞬で広がった視界には、

 ――星空。

 遮るもの一つない夜空に、今まで目にしたことのないような一面の星が瞬いている。名も知らぬ星たちが踊るように輝きを競う。満天の星空。満点の夜空。
 体中に、寒気ではなく震えが駆け抜ける。
 闇に慣れた目が、普段は気付きもしない微かな輝きも捉えている。
「うわぁ……」
 言葉にならない。言葉にできない。
 星、星、星。
 数え切れないほどの星空を見るなんて、初めてのことだ。幼い頃から、空を見上げることより、本を読んでいる時間の方が長かったから。
 辛うじて、三ツ星を抱く星座の名が浮かぶ。弓を構えるオリオン。それ以外は、わからない。この押し潰されそうな迫力の星空は、そうだ、
「……まるで、京沢賢治の『銀河鉄道の昼』で主人公が急行から無賃乗車で深夜特急に乗り換えるときみたい! 本当に星で空が埋まることってあるのね!」
 上半身を起こしながら興奮気味に叫ぶと、しーちゃんがいつもの優しげな笑顔で私の隣に腰掛けている。二人きりで腰掛ける柔らかな感触は、どうやら大人二人が余裕で入れるほどに大きな寝袋みたいだった。
「ごめんね、今まで黙ってて。こんなに喜んでくれるなら、早く連れてくるんだったな」
 そうだ、忘れかけてたけど、今はしーちゃんが秘密をカミングアウトするんだった。その為の舞台として「どうしても一緒に来て欲しい場所」に呼ばれていたんだ。
「そうだよ、こんなに凄い星空初めて! 早く教えてくれればよかったのに。でも、ここってどこなの? 途中はお姫様抱っことか、何回かその場で回ったりとかで、今どこにいるかさっぱり分からないんだけど……」
 しーちゃんが笑顔を少し強張らせる。嫌な予感。声が続く。
「聞いても後悔しない?」
 じわじわと、嫌な予感が私に警報を投げ掛けてくる。あ、ヤバイ。空としーちゃん以外には意識を向けていなかったけど、私たちをぐるりと取り囲んでいるのは、鉄製の……柵。
「ここはね、オレたちの通う学園の、屋上。その中でも天文部だけに使用が許された一番高い塔の屋上、地上五十メートルの星観台だよ」
 瞬間、全身の毛が粟立つ。脳裏に甦るのは重なり合う悲鳴。押さえ付けられた身体に、上方向にかかる逆重力。血が上り、目の前が一瞬でブラックアウトまで沸騰していく……、
 と、視界を遮るように抱き締められた。暖かくて柔らかいダウンジャケットに顔が埋まる。お互いに寒さ対策には余念がない格好をしているけど、それだけではなくて、人肌の温かさがある。その奥に、いつもより早い心音が聞こえる気がする。
「ごめん、こうなるのが心配だった。やっぱり止した方が良かった。ゆーちゃんは『高所禁断症』だもの。今すぐ降ろすよ」
 しーちゃんの焦った声が聞こえる。私は高いところが苦手だ。高所に己の位置を認識すると、混乱と共に全身の機能が著しく低下して失神、悪い時は一気にかなり危険な状態までいってしまうトラウマ持ち(談:主治医)。それが私が事件で抱いた爆弾。
 視界が塞がった事としーちゃんの秘密に幾分かの意識が向いていたことで、私の身体は気を失わずに留まった。もっとも、気を抜くと一瞬で意識は急降下だ。が、
「ごめん、……」
 声と一緒にしーちゃんが一瞬身を離そうとする。中途半端に離れた身体に身をすくめ、意識を掴みなおそうとするが、声に出して「もう少し離さないでいて」と言う前に口が何かで塞がれた。
 弾力が魅力の某ゼリーのような感触が、冬の空気で冷え切っている。よしもとみかんの『台所』で幼な妻が夫に作った創作料理の感触がこういう感じかなぁ。頭をよぎる。時間にして、数秒。頭の中から、さっきまでの恐怖が零れ落ちていく。まっさらになる。強張った身体の力が抜けていく。何故だろう。予感がある。秘密の持つ甘くて切ない、予感が。

  ☆

 星が好き。
 有美が好き。
 本を読む有美が好き。
 出会いは他愛もなかった。オレが図書室に返却した『銀河鉄道の昼』のタイトルに目をつけて、有美は初対面でいきなり聞いてきた。
「あなたもその本が好きなの?」
 世の本好きが皆そうなのかは分からないけれど、彼女は自分が好きな本を読む人は皆良い人だと思い込むらしかった。そのおかげで、彼女に話しかける人は多く、図書室の云わば、名物だった。後に、彼女と仲良くなったオレも本好きだと思われたのか、話そうとしてくる男連中がかなりいたが、すべて目線で断った。中には図書室以外でも声を掛けてきたり、下駄箱に手紙を入れたり、放課後に闘技場裏に呼び出されることもあったが、大抵は竹刀を持って睨みつけるように出向いたら強張った笑顔で挨拶されただけで済んだ。
 それらのエピソードを有美はことごとく引用を用いた比喩で茶化した。比喩の内容を完全に飲み込めたことは数えるほども無いが、そんなやり取りも好きだった。
 ニ、三年生で同じクラスだったこともあり、オレたちは本をきっかけに気軽に話す友だちになっていった。それもかなり仲が良い友だちに。
 剣道部に所属するオレは毎日練習に打ち込んだが、放課後に図書室で有美のお気に入りの本を借りて帰るのが日課になっていた。感想を語り合うことと家の方向が同じことを言い訳に、週の半分は図書委員の仕事を終えた有美と一緒に帰った。天文部にも籍を置いていたが、その理由は自由に星観台を使い放題になるという一点で、有美のトラウマを知ってからは一つ目の秘密になった。
 二つ目の秘密を抱くまでに、時間は掛からない。むしろ自分の感情に気づくことに時間が掛かっていた。オレは有美のことが好きになった。友だち以上に。誰よりも。
 告白せずに秘密にしたのは、彼女との関係を壊したくなかったことと、オレたちがあまりにも違う世界に生きているからだった。一週間後の卒業式を過ぎれば、オレは大学へ進み、彼女は結婚式を挙げる。
 財閥の令嬢でもあった彼女にはオレと知り合う前にはもう許婚がいて、実際彼女はその許婚のことが好きらしく、事あるごとに彼と会っているらしかった。何でも、『事件』後にずっと看病してくれたのが当時許婚候補だった幼馴染のその男だったとか。話が出来すぎているが割り込みようがない。
 トラウマや許婚、彼女の仕草の癖や、読書の傾向に独特な比喩感覚。それら一連のことを知る頃には最初の出会いから大体一年が経過していて、オレの気持ちはいよいよ膨れ上がる一方だった。同時に秘密を抱き締めて離すまいという決意はますます固まった。
 それでも堪えようがない鬱憤を晴らす必要はある。オレは祖父に頼んで柔道の投げ技をいくつか教わった。祖父には「大事な人を守るため」と言ったが、正確には「(好きな人の)大事な人を(憂さ晴らしに)投げるため」だった。あまりにも身体に染み込んでいて手加減が利かないので、剣道の技を使うと命を獲ってしまいかねない。
 決行は彼女が結婚式の招待状をオレに渡した日に即、決定された。はにかむ様に招待状を渡す有美は綺麗で、夫になる男を投げずにはいられない気分を最高に盛り上げた。迷い無く実行に移す。
 有美との付き合いで許婚の事はすでにかなり知れていた。知りたくも無いことまで知っているといってもいい。好きな人が語る惚気話がどれだけの殺傷力を持っているか、オレは図らずも知ってしまった。有美ならばきっと「まるで、あだち欠の『バトン』で双子の片割れがもう一人のふりをして好きな娘に会いに行ったが為に、二度と立ち直れなくなる時みたいね……」と悲しそうに言いそうな気がする。まさかそのまま引き篭もってしまって兄が代わりに甲子園を目指すなんて、ね。野球部全員を誘惑する北ちゃんは未だに魔性の女の最高峰とされているらしい。
 夜道。バイト帰りの許婚に容赦なく後ろから不意打ち。そのまま投げる。と、信じられないことに、黒帯まで取ったオレの投げを耐えた。苛立たしげな声で男は言う、
「おいおい、そんなアタック掛けられても困るぜ。俺には生憎、プリティな許婚がいる」
 無言で金的を蹴り上げてやった。いい気味だ。約三分間ほど苦しむ男を観察して鬱憤を晴らす。標的の情けなさに……涙が少し、零れた。
 存分に観察し、ビデオカメラでもキチンと醜態を録画し、オレはその場を去った。あとは適当な動画サイトに流せばいい。少しは気が晴れるかもしれない。声だけが、こちらの背を追ってきた。苛立たしげな、低い声。
「おい、お前、逃げるなよ!」
「逃げるさ、バカじゃないんだ」オレは振り向かずに言う。
 もはや数十メートルは離れていたが、数泊置いて声はまだ続いていた。
「本当のバカがいるじゃねぇか、俺の目の前に! 自分の気持ちを隠して逃げるなと俺は言ったんだ!」
 反射的に振り返る。未だ恥ずかしい姿勢で腰を叩いている男が、見上げもせず見下げもせず真っ直ぐにオレの目を見ていた。
――オレのことを、知っている。オレの、気持ちまでも。
 知らず、歯軋りをしていた。自分が相手を知っているくらい、相手は自分を知っている。その事実に胸が軋む。有美はオレのことを、何と言って話すのだろう。
 もちろん、『友だち』だ。
「はっ! 闇討ち結構。上等だ! だがな、こちとらタダでやられるつもりは毛頭ない。好きでもない女の相手なら願い下げだが、惚れた女のオトモダチ相手なら付き合ってやるぜ。折角いろいろと習ってるしな」
 溜め息一つ、肩の力を抜いて呆れ顔で男を見やる。名は確か――凪・虎矢。カーム・カンパニーの三男。一言で評するならば、時代遅れの熱血バカ。ただ、『惚れた女』というのが本気らしいのは目でわかった。オレでは敵わないということも。長物を使えば勝てそうだが、命の保障ができないので自重する。
「ん?」
 無言で彼の前まで近づき、聞く。
「一晩、有美と二人きりで星を観たい」
 虎矢はニヤリと笑って、
「お前も『銀河鉄道の昼』が好きなのか?」
 有美と同じように瞳を輝かせて聞いてきたので、
「オレは有美が好きなんだよ」
 まともに目を見て言ってやった。虎矢は一つ頷くと、落とした鞄を拾いながら答えた。まだ腰に片手を当てている。……ごめん、いい気味だ。
「一晩だけ、それも俺は遠くから見てるからな。夜に二人きりだと危ないし。泣かせたらタダじゃ置かないぞ?」
 オレは何も言わずに立ち去る。虎矢のことは、悔しいことに、嫌いにはなれなかった。
 そして今夜――星観台。
 有美を抱き締めたところで頭が真っ白になった。早く有美を降ろさないといけない。ともすると、初めての病院送りが有美になってしまいかねない。今まで抱えていた気持ちと混ざり合って、頭の中は支離滅裂になっていく。
 とりあえず、彼女の頭から「高い場所にいる」という事実を忘れさせるだけの衝撃を与えたらどうだろうか。脳の中での確認やその他諸々の検証をすっ飛ばして、オレの身体は勝手に動く。
 キスは、初めてだった。
 女であるオレが、女の子に恋したことも。

  ★

 忍と有美が交わした口付けはほんの数瞬のものだったが、有美の頭から恐怖を消すのにも、忍の秘密を打ち明けるのにも有効だった。
 有美の頭の中は、忍に対して掛けるべき言葉や疑問、それに今まで読んできたありとあらゆる物語のキスシーンで埋め尽くされたし、一方で忍の頭の中もまた有美に対しての言葉を探してオーバーヒートしていた。
 唇を離してからも、二人の間で実に多くのものが無言でやり取りされ続ける。お互いの心拍、震え、呼吸。気持ちまでもが白く吐息になって見えるかのように錯覚し、互いに目を凝らす。
 少女は二人身を寄せ合って、お互いの気持ちがどこかに書かれているのではないかと見詰め合っていた。星の海の底で、溺れそうなほどに息苦しく。灯台と呼べる道標もここにはない。
 忍が先に動いた。そっと確かめるように有美の頬に手を当てる。冷たく細い指先が柔らかい頬を撫ぜる。有美が、困ったような微笑みを浮かべて、そっと二度目のキスを交わしたが、紛れも無く親愛のキスであることにお互いが気づいていた。
 お互いに笑い合う。
「ねぇ、今、私がどんな気分だと思う?」
 有美が問う。
「冬目漱石の『おっちゃん』で主人公が突然に生徒のストーカーになろうと決意するところを読んだ時みたいな、裏切られた気分じゃない?」
 忍が照れ隠しに有美の真似をして答えたので、有美はくすくすと笑った。
「違うよ。頭田栄一郎の『TWO PIECE 2』で主人公がずっと鍵を探していた宝箱を敵が壊して開けちゃった時の気分」
 ……それってどんな気分なのだろう?
 忍の疑問がはっきりと顔に出たが、すぐに有美の言葉が続いた。
「嬉しいけれど、切なくて、喜んでいいのかすぐには分からなくて。でも、胸の中はとても暖かいの。もっともっと、言葉にしたいんだけど、溢れては消えていくみたい。たくさんの本を読んだのに、今この瞬間の気持ちはどんな本にも書いてなかった」
 だから、ね?
 疑問符を伴う誘い方で、有美は忍と二人で寝袋の中に入った。
 隣り合う体温が妙に熱く感じられる。目の前には星が、無数の星々が瞬く。
「ねぇ、しーちゃんはいつから星のことが好きだったの?」
 星のことを問われるのは意外だったが、今まで話した事がなかったので、答える。
「たぶん、母さんが死んだ時からかな。お祖母ちゃんがオレに、『強く生きなきゃ駄目よ、忍。メソメソしてたらお母さんが流れ星になって叱りに来るからね』なんて言って励ますんだ。そんなバカなって思ったけど、それ以来星を見上げることは多くなった。いつの間にか好きになった。その頃からかな、剣道も、自分のことをオレって呼ぶのも」
 有美の手が寝袋の中で忍の手を握ってきたので、それだけで今の打ち明け話を今まで話した事が無かった理由も伝わったのだと分かる。
「オレも、ゆーちゃんのこと聞いていい?」
 星を見上げたまま、手を握り合ったままで忍が問う。
「『事件』はね、よくある誘拐事件なの」
 今まで一度も聞けないままにいた事を、問うまでもなく語りだす。きっとこの事が、有美にとっての秘密なのだ。
「私と虎矢を遊園地で誘拐して、身代金の要求。犯人が子ども二人を人質にパニックになりながら最後に逃げ込んだ先が観覧車で、長い長い三十分を掛けて観覧車が地上に戻ればそこで逮捕。わずか六十分の逃亡劇は終幕。恐怖に縛られたままジェットコースターとか観覧車に乗らされた子どもには、二度と消えないトラウマを残して、ね」
 握られた手の痛いほどの強さに、有美の消えることの無い痛みが滲む。忍は、有美が修学旅行先の大阪でもアトラクションがたくさんあるテーマパークに行くのに反対したのを覚えている。デートでも一度も遊園地の話はない。有美はもう二度と、楽しく絶叫マシーンに乗ることはできない。本当の恐怖を知っているから。
「あまり、しーちゃんには心配してほしくなかったから、ね」
 握り締めた手を少し緩めて、有美がそっと言ったので、
「オレも、ゆーちゃんを悩ませたくなかったんだ。それに、傍で話したりしているのが一番楽しかった」
 忍も続いてそう言った。
 二人にはそれだけで充分だった。
「虎矢に奇襲を掛けたのって、本当?」
 しばらくして有美がそう尋ねたので、忍は内心で悪態をつきながら正直に答えた。
「親友の許婚を試しただけだよ。あと、今夜の許しを、ね」
 有美もニヤリとして忍の言葉を聞く。
「虎矢がね、『うちの護衛に雇えないかな、友人割引で』って割と本気で言ってたの。私もそうなったらいいなって思うけど、しーちゃんはまだ隠している事あるでしょ?」
 色恋沙汰には疎いのに、こういうところは鋭い。ゆーちゃんにはもう何を隠しても無駄だね、そう軽口を叩きながら、告げる。
「旅に出るよ。明日には発つ。とりあえずは南十字星を観に、オーストラリア。そこからは、気の向くままに。大学が始まるまでの一ヶ月は帰ってこない。もしかしたらそのまま当分向こうかも」
 静かに吐息が聞こえる。計画は、この星観を決めた時点で決まっていた。有美の結婚式はおろか、卒業式も待たずに日本を出る。自分の中の整理をつけるために。新しくもっと世界を知るために。
「きっと、帰ってきてね」
 止められはしなかった。胸に静かな痛みがあるが、それ以上にキスで交わした温もりが今も忍の胸を包み込んでいる。だから、
「うん、きっと。お土産を持って遊びに行くよ。新婚生活を邪魔しに」
 軽く言うことができる。親友として。
 それからはしばらく他愛もない会話が続いた。有美が、忍はモテモテなのに全く男の子の気持ちに気づかないのは少々将来のことが心配である、と重々しく述べた。忍はお返しに、有美の比喩表現が、恐らくは同じくらい本好きなのであろう虎矢を除いて、常人には半分も理解できない暗号のようであると指摘した。お互いに膨れたり笑いあったりする優しい時間を、輝き廻る星々と遠く一組の瞳が見つめていた。
 話しても話しても、話題が尽きることはない。時には心地よい沈黙をも楽しみながら、二人きりの秘めやかな星観は徐々に更けていく。
「しーちゃんは、何で星に名前があって星座があって、神話や物語があるのだと思う?」
 静かな声で有美がそう聞く。有美は星の名前には詳しくなくとも、星座にまつわる神話や物語には詳しい。忍はその逆。星の名や星座の形には詳しいが、物語はおぼろげにしか把握していない。
「理由なんて、考えたことも無かったな。オレには、星はそういう名で、そういう星座でそこに在るものだったから。今も、見えている星の間に見えない繋がりが見えて、星座が浮かび上がるし」
 うらやましぃ~、と呟きながらも、有美は恥ずかしそうに言葉を紡ぐ。
「私はね、最初に星に名付けた人は寂しがり屋だと思ったの。寂しくて名付け、その名を呼び、物語を与えて、星たちが寂しく無いように繋いで星座にしたの」
 熱に浮かされたような言葉。ギュッと手が握られ、すぐ真横から見つめられる。
「人もきっと同じ。寂しくて名を呼び、手を繋ぎあって物語を紡ぐの」
 だから、
「私はしーちゃんが好き。虎矢と結婚するけど、ずっとずっと忍のことが好きだよ。そのことだけは、忘れないでね」
「オレも、有美のことが好き。ずっとずっと」
 遠く、夜明けの気配が星を追いかけてくる。無言で交わした三度目は、約束と別れのキスだった。
 安らかな寝息を立てる有美を寝袋に包んだまま抱え上げて、忍は地上に降り立つ。太陽はまだ地平線から顔を出したばかりで、冷気が辺りを静寂に包んでいる。寒さに震えてダウンジャケットのポケットに思わず手を突っ込むと、有美のネクタイが入ったままになっていて思わず顔がにやける。取り出して、口付けを一つ。と、欠伸交じりの虎矢がどこからか現れて、目元に隈を作りながらもベンチに横たえていた蛹のような有美を無言で引き取る。思わず顔が赤面するが、虎矢に気にした様子はない。
「三回はやりすぎだろう、三回は。俺が何度オアズケされていると思ってるんだ……!」
 不機嫌気味にぐちぐちと言うので忍はしれっと無視して、ネクタイをポケットにねじ込む。
「『泣かせたらタダじゃ置かないぞ?』」
 一言だけ言うと、忍は返事も聞かずに帰路を急いで駆け出す。
 パスポートも取ってあるし、チケットも押さえた。担任には『見聞を広げる為の武者修行の一環』と言いくるめて卒業式不参加の許可をとってある。有美以外の友だちには絵葉書で向こうから侘びを入れよう。荷物はそんなに必要ない。何とでもなる。
 だが、愛猫のボウの預け先だけはまだ決まってなかった。近所のおばちゃんにまたお願いするかな、と思うが期限が曖昧だと迷惑だろう。根性が座っているので、意外と何も無くとも生き残れるかもしれないが、そんな無責任なことをするつもりはない。今日まで、誰にも告げられない想いを聴いて慰めてくれたのはボウなのだ。伊達にいつも日向でボゥっとしてはいない。感謝の印に今日のご飯は奮発してもいい。
 だいぶ離れた後ろから虎矢が目一杯何かを叫ぶのが聞こえたが、聞くまでもない内容だとはもうわかっている。
 惚気に付き合う気は毛頭無い。
 朝日が眩しく街中を照らし出した。一瞬見上げる空にはもう、星はその姿を隠している。辛うじて目に映る三ツ星。弓を構えるオリオン。立ち止まろうとした時にはもう見えない。思い違いかもしれなかった。
 走りながら、忍は思う。
 ――ずっとずっと、この夜の星観を忘れることはないだろう。でも、有美に抱いた淡く儚くそれでいて激しくて確かな強い気持ちを、いつかの自分が思い出すことが出来るだろうか。
何故か涙が一筋、零れた。嬉し涙なのか悲しみの涙なのかも分からずに、忍は冬の澄んだ青空の下、明け方の街をひた走る。
 きっと、星が廻るように、人もまた廻って巡り会う。有美が言ったこともそういうことではないだろうかと、そう思う。
 物語が幾度も人々に読まれてはその度に新しい命を吹き込まれるように、人は巡り会う度に新たな物語を紡ぐ。きっと必ず、次に出会った時は、泣くことのない物語を紡げる。
 そのことがとても切ないことに気づいて、忍は足を止めて空を見上げた。
 あれほど溢れていた星はもう、一つも見当たらない。そこには、太陽が輝きを増すばかりの青空がある。
 冷たい風が駆け抜けて、忍の長い髪が踊る。有美に梳かしてもらった記憶を反芻してから、今日の予定に美容院を加える。旅では邪魔になるし、長い髪を褒めてくれる人も遠い。
 あぁ、そうだ。もう一つあった。
 あの日、忍は有美に「星がすごく綺麗だったから、好き」と即答したが、実のところ最後まで読めてはいなかった。読み始める前に返却期限が来て、有美の手前もう一度借りることも出来ずに今まで過ごしてしまった。旅のお供に、文庫本が一冊あってもいい。その本が感傷だとしても、それくらいの失恋の余韻には浸ってもいい。本屋に寄ることも予定に加える。
 銀河無き昼を走る銀河鉄道なんてナンセンスな話を読む気になるのは、後にも先にもきっと今だけだ。妙な確信があって、思わず笑みが零れた。

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第十回さらし文学賞 | trackback(0) | comment(0) |


父曰く、諦めろ。

 やあ、俺は高岡忍。全国で一、二を争う強豪校・三田高校剣道部の二年生エースで、自分で言うのもアレだけどモテる。殆んどの女子学生と一部の男子学生、教員が俺をミーハーに或いは真剣に狙い、声を掛ければ皆嬉しそうに返してくれる。
「やあ、元気かい」
 本を読んでいる女の子だって、俺が声をかければほらこのように
「うるさい。帆立にでもなってろ」
 ……ま、まあ、どんなことにでも例外っていうものはあって、その筆頭がこの高岡有美だ。苗字が同じことからわかるかもしれないが、双子の妹なのだが、俺を敬う言動を見せたことが一度もない。
「ア、アワビじゃダメかな。俺、アワビの方が好きなんだけど」
 有美は読んでいた本を閉じてメガネを外すと、深いため息をついた。
「脳筋男の忍、磯の鮑の片思いという言葉を知らないの? アワビは二枚貝じゃないの。ふさわしくないわ、木瓜茄子」
 そういえば、つい最近「私は、貝になりたい」とかいう映画を見に行ったんだっけ。貝の名前がいきなり出てきてわからなかったけど、貝みたいに引きこもって黙ってろということを言いたかったのかあ。……わかりにくい。
「……わざわざ部活終わりに迎えに来た兄に少しは優しくしようと思えないかなあ」
「別に頼んでいないもの。大体、私の図書委員の活動と自分の部活がほぼ同じ時間に終わるから教室で鉢合わせるだけでしょう? それを恩着せがましく言う人なんて、兄であろうはずがないわ。きっと弟ね」
 いや、一応兄なんだけど……という暇も与えてくれず有美は鞄に本とメガネをしまって教室を出ていこうとする。着替え自体は部室で終わってるので、俺もカバンを肩に引っ掛ける。
「まあまあ、一緒に帰ろうぜ。どうせ帰る家は同じなんだしさー」
「母さんが他の若い男と新しい絵を探してたわね」
「マジかよ!?」
「というイベントがあると同じ家じゃなくて済むわね、というたとえ話よ」
 一見冗談かどうかわからないたとえ話を持ってくるのはやめてほしい。
「ああ、そういえば忍。あなたは私より数瞬早く生まれたことで兄面をしようとしているようだけど、昔の人々は双子は後から生まれた方を兄もしくは姉としていたのよ」
「マジかよ!?」
「これはマジよ。ということで、敬虔なクリスチャンが主を思うように私を崇めなさい」
「双子の姉ってそんなに偉いのか!? っていうか宗教的なものはわからねえよ!」

 その晩。一緒に風呂に入っていると、親父があまりに俺がしょげているので何があったのかと聞いてきた。今日のことを説明。
「というようなことがあったんだけど、父さん。どうにか兄の威厳的なものをあの妹に教えられないかな」
「いや、お前剣道やってるんだから腕力で勝てるだろう」
「それは男として以前に武道をする者として、さらに言うなら人としてどうだよ」
 そもそも腕力でも負けそうな悪寒な予感はあるんだけど黙っておこう。
「うむ……なら、私の机の上から二番目の引き出しの中にある青い金庫の中にある緑の封筒を持っていくといい。金庫の暗証番号は父さんと母さんが付き合い始めた日だ」
「覚えきれない上にそんな日知らないよ父さん……」
「ああ、私たちの結婚記念日だ」
「即日で結婚!?」
「若いっていいよな。ああ、ただ、使うともはや取り返しのつかない事態になるかもしれないから、覚悟を決めるように」
「爽やかに怖いんだけど?」
「気のせい気のせい」
 なんだろう、肩の荷が下りたように晴れやかな笑みを浮かべる父さんがなんとなくムカついたので全身を湯船に沈めておいた。
 爽やかに風呂の蓋をした俺はバスタオル巻いただけの姿で父さんの部屋に駆け入り、封筒とやらを見てみた。
「な、なんだってー!」
 封筒を持って風呂場に戻り、風呂の中でかくれんぼをしていた親父を引きずり出す。
「殺す気か!?」
「これは本当か!?」
「息子よ、まずは私の話を聞け」
「違う。さて父親よ、俺の質問に答えろ」
「本当だ」
 爽やかに足払いをして親父を風呂にもう一度沈めると、俺は有美の部屋へと。

「パジャマ持って行き忘れたの? 温泉ラブコメにありがちな恰好だけど」
「お前にしてはわかりやすい喩えをありがとう! パジャマは着るよりも大事な用事があったので後回しにしただけさ!」
 ドン! という効果音がしそうな勢いで、例の封筒を有美の目の前につきつける。
「俺は、俺とお前の秘密を手に入れた!」
 はあ、と関心なさげな有美に対して、封筒の中身を出してつきつける!
「見てのとおり、これは戸籍謄本だ! ここを見ろっ!」
「子 高岡 有美、子 高岡 忍……あら、私が先に載ってる」
「ふふふ、驚いただろう。実は俺たちが生まれたとき、姉がいて大変な思いをした父さんは、俺たちの生まれた順番を逆にするように医者と拳で語り合ったんだ」
 結果として互いに妥協することとなり、役所への届けは本来のものにしたが、母子手帳に始まる全てを俺が兄であることにして作り上げた。
「後に高岡家の雷事件と呼ばれたらしいこの事件のお陰で、俺はお前より先に取り上げられたことになっていた! しかし、実際にはお前が先だったんだ!」
 びしいっ! と人差し指でさす!
「つまり、古の決め方によれば、やはり俺は兄なんだぁっ!」
 ガラガラガラッ! と有美に雷が落ちた気がした。……そして、閉じ切った室内に吹き荒れる嵐。何故だろう、俺がとてもピンチに感じるのは。
「熱帯魚を飼ってたり、どうにも女々しいところがあると思ったら、やっぱり弟だったのね」
 え、熱帯魚飼うのって女々しい? あと、女々しいことと弟との関連ってどこ? いや、何よりもっ
「有美、さっき確かに昔は双子は後から生まれた方が兄姉だって」
「忍、あなたは昔を生きてるの? いいえ違うわ、あなたが生きてるのは今よ。さあ、太陽を神と崇めた人々のように私を崇めなさい」
「原始女性はまっこと太陽であった……って、今は昔と違うんだろ!? てか、こうなんかとっても理不尽なものを感じずにはいられない17歳の俺!」
「姉の部屋にバスタオル姿で侵入したい年齢ね。青春の迸り? いいわ、あなたの歪んだ欲望を叶えてあげましょう」
 そういうと、姉を自称する有美はなぜか鞭的な何かをベッドの下から取り出す。というか、鞭。ロウソクとかもあるのかな。
「ええと、なんで持ってるのかという疑問もあるけど、それを何に使うのかなーという質問と、あと、有美ほど歪んだ欲望は持ってないという主張をぶつけて俺は逃げる!」
 Uターンして部屋を出ようとする俺の足首を簡単に引っ掛けてうつぶせの俺を踏みつける姉様。
「疑問への答え、質問への答え、主張に対する反論、全部まとめてするわね。あなたと私の立場の正しいあり方を教えるのよ。歪んでないわよ、ふふふ」

 一晩の徹底的なちょうky……平和的話し合いにより、俺は有美を有美姉さんと呼ぶことになりました。姉は本当は姉さんだけで呼ばせたかったようですが、今までのくせで有美という言葉が口をついて出てしまうのです。
「おっはよう、高岡きょーだい」
「今日も妹にいじめられてるの、忍くん?」
「ああ、いつもどねりちゃぎっ!」
 足の甲に鋭利な鈍器で刺されたような鋭い鈍痛が!(混乱中)
「どうしたの、忍。まるでハイヒールで思いっきり踏まれた中年男性のような反応をして」
 中年部分は永遠の謎だけど、痛みは確かにそんな感じだったかも! けど、なんでスニーカーで踏んであんなダメージがくるのさ! そのへんを教えてよ有美姉さんっ!
「ええっと、忍くん、大丈夫?」
「大丈夫よ、弟は丈夫だもの」
「……弟?」
「ええ、弟。本当は私が姉で忍が弟なんですって。戸籍謄本で確認済み」
 ざわざわがらがらっと教室中に衝撃が土石流のように走る!
 ああ、剣道部のエースというツワモノでありながら妹には苛められるというギャップ萌えはもう崩壊してしまった! 俺の人気も昨日までのものとなったのだ。
「ああ、やっぱり!」
「うん、忍くんは弟キャラだよね!」
「保護欲をかきたてられるというか」
「嗜虐心をそそるというか」
 あれー? むしろ前よりも人気がありそうな気配ですよ? ていうか、嗜虐心って! 弟をなんだと思ってるのチミ達!
「大丈夫よ、忍」
 有美姉さんは笑顔で一言。
「私が一番苛めてあげるから」
 父さん、あの言葉を無かったことにできませんでしょうか?

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天岩戸を開く者

 空腹を感じて、私は浅い眠りから覚める。あのドアから外に出なくなってどれくらいの時間が経っただろう。
 周りが心配しているのはわかっているのに、私はあのドアを開けずにいる。外には見たくないものが多いから。
 さながらここは天岩戸。となれば私はアマテラス。太陽になったつもりはないのだが。
「有美、ご飯はここに置いておくから」
 遠慮がちな母の声が、ドアの向こうから聞こえた。母は私に食事を持ってきてくれている。父は昨日は帰ってこなかったようだが、帰ってきたら何と言うのだろう?
 いや、言う前にアメノタヂカラオのようにドアを無理に開けるのだろうか。
 せめて、アメノウズメが舞うまでは待ってほしいものだけれど。
「ユミ、ユミ。デテオイデヨ!」
 ふと高音に呼ばれ、私はびくりと自分が震えたのを感じた。
「有美、開けてくれないか」
 続けて低めの声が聞こえて、私は歯がまともに合わせられないほどに動揺する。
 スサノオノミコトが、一番会いたくない相手が来ている!
「い、や」
 からからの喉から声を振り絞る。
「お母さんも心配している。せめてご飯を食べないか」
「いい、か、ら、帰って!」
 なんとか言いきって、逃げるようにドアから離れる。
 ドアの向こうからは「そうか」と言う声が聞こえて、足音がドアから離れていく。
 ああ、去ったのだわと安心した刹那、強烈な踏み込みの音とともに、ドアが無理やり破られた。
「すまない、壊した」
 頼りない天岩戸は、スサノオノミコトが振るうアメノムラクモによって破壊されてしまったのだ。
「ベンショー、ベンショー」
「わかっている。黙れ」
 壊れた木刀を壁に立てかけ、肩に止まるインコを忍は諌めた。
「有美、元気か?」
 は、こいつは、なにを、言っているのか。一日以上食事せず、眠りも足らず、元気なわけがない。
「帰って、忍」
「そうもいかない。お母さんにも頼まれたし、第一私は有美に学校に来て欲しい。有美が来てくれると約束してくれたら、帰ってもいい」
 それまでは梃子でも動かない、という気配が立ち姿から察せられた。
「どうしても行きたくないの。だって、私は」
「昨日自殺未遂した生徒のいじめに関わりそうだった」
 私の言葉は途中から忍が言っていた。
「あんな衝撃的なことがあって、いきなり学校を休む人間が出れば、関係があると私でもさすがにわかるよ。気になったから、周りに聞いて調べた」
 昨日、とある生徒が自殺した。原因ははっきりしていないが、私は自殺ではないかと思っている。彼女が苛められていたのは一部の生徒には知られていて、私もそのグループに引き込まれそうだったが、なんとか逃げた。逃げた、だけだ。
「気休めだろうけど、責任を感じることじゃない。有美一人じゃ止められなかったし、有美は参加してないだろう? 大体、彼女の動機がいじめが原因かさえ、まだわかってはいないんだ」
 確かに忍の言うことは正論だ。けど、私が逃げるのはそれからだけではないことに、忍は気づいていないだろう。
「私は、有美に学校に来ていてほしい。趣味が読書で、それがきっかけで図書委員にもなって、喩え話がわかりにくくて、そうやって私の人生に潤いを与えてほしい」
 ぎり、と歯が鳴ったのがわかる。
「私は、」
 睨みつける。
「私はそれに耐えられないのよ!」
 強く、自分に出来る限界であろうほど強く、床に手を叩きつける。
「貴方は私に『わかりにくい喩え』を使うというプレッシャーを与える! 憧れの貴方がいうそれに私が答えられなければ、あの人たちは今度は私を要らないモノとして見る! 私は言葉に異様に気をつけねばならない! 自分を取り囲む状況を日本神話に喩える陳腐なことくらいしか、私にはできないのに!」
 それで足りなかったのなら、私はヒルコのように、要らないものとして見られてしまうのではないだろうか。それは、とても怖くて、私の腕は、脚は、体は震えるのだ。
「ねえ、貴方に私の気持ちがわかる? スサノオの行いはアマテラスを天岩戸に閉じ込めるのよ!」
 アマテラスも私も、現実逃避でしかないのだろう。それを、原因であるスサノオノミコトがすべて悪いことにする。
 忍は数瞬ののち、肩のインコを下ろし、壊れた木刀を両手で支えるように持つと、振りおろした。自分の頭を、木刀へ。
「何を」
「……すまない、どうやったら謝れるかすら、私にはわからなかった。だから、こうやって頭に上った血を追い出して、私の思うことを言いたいと思った」
 忍は額から血を流しながら、木刀を捨てて私に歩み寄る。
「まずは、ごめん。有美にプレッシャーをかけたかったわけじゃなかったんだ。私は有美をただ褒めているつもりだった」
 私だって、貴方にそんなことをしてほしかったわけじゃない、という声が出ない。なんて私は情けないのだろう。これじゃあ、要らないと思われて当然だ。
「要らないモノになんて、有美はならない。なぜなら、私はいつも有美を求めるから」
 震える私の肩に、忍が触れる。まるで私の心が分かっていたような言葉に少しだけ嬉しいと思う反面、暗さが私を襲う。
「けど、きっと私は苛められる。貴方が周りに色々聞いたのなら尚更、私は陰ながら何かされる」
 力強く、忍は首を振る。
「苛められることもない。私の剣を有美に捧げるから。四六時中、永劫に有美を守るから」
 知らず流れていた私の涙を、忍が拭い去る。喜びたいのに、私は受け入れられない。
「そんな資格無い。私は、貴方の望むように生きられない。わかりにくい喩えなんて常に出すことはできない」
 今だって、何を言えばいいのか探り探りだというのに。それが私を奈落へと落とそうというのに。
「それも大丈夫。これは有美には隠していたことなんだけれども」
 うずくまる私に相対するように姿勢を落とし、恥ずかしそうに忍は言う。
「私はとても頭が悪いんだ。時々話すのをこいつに頼るほどに。だから、有美が日本神話で喩えるなんて高度なことをしてくれれば、それは私にとって『わかりにくい喩え』なんだよ」
 「アタマワルイ、アタマワルイ」といつの間にか忍の肩に乗り直していたインコが喋り、軽く小突かれた。その様子がおかしくて、少し笑ってしまう。
「そんなこと、知っていたわよ、おばかさん」
 忍は顔を赤くして反らした。その顔を、可愛いと思ってしまう。
「じゃ、じゃあ、これは知っていたか、私は、お前のことを」
 言い終わる前に、ぎゅっと抱きしめてしまっていた。
「それも知っていたわ」
「そうか、有美には敵わないな」
 顔を合わせていないから、どちらがどれだけ顔を赤くしているかはわからない。
「いいえ、私こそ貴方には敵わないわ。だって、貴方はスサノオノミコトだもの」
「……やっぱりわかりにくい」
 首をかしげて、けれど笑った気配。つられて笑う私。もう、この部屋に居続けたいと思えなかった。
 ああ、やはり。天岩戸は喜と楽によって真に開かれるのだ。

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大会前日

 高校生が車に撥ねられ、重症を負う事故が発生した。その生徒は、翌日に剣道の大会を控えていたが、当然出場は取りやめとなった。目撃者によると、その高校生は、車に轢かれそうになった子供を助けようと路上に飛び出したのだというが、しかし、子供の姿はどこにもなかった――。


「凄いぜ忍! まさか勝つなんて」
「剣道部の大会進出は10年ぶりなんでしょ?」
教室に入ると、俺はクラスメイトに囲まれた。
「お……おぅ、まあな!」
きゃあと歓声があがる。こんなの初めてだ。
「校内紙にも載ってるぜ。えー、『竹刀の高松、予選優勝――剣道部の高松忍くんは先日行われた地区予選で』」
「竹刀の高松?」
それ俺のキャッチコピー? いや、竹刀は当たり前だろ?
梅園高校は、進学校でなければ部活も強くない、田舎の高校だ。俺のいる剣道部も、昔は結構強かったらしいが、今は団体戦がやっとの弱小部だ。
 先週の地区予選で、俺は個人戦で優勝した。当然、大会進出だ。
「で、大会いつよ?」
「再来週の土曜」
よし、応援行くか! と声があがったのは、マジで嬉しかった。


「有美、忙しいんじゃないの?」
「図書整理は委員の仕事だよ。でもいつも司書の先生にやって頂いてしまっていて……だから。恵理こそ、忙しいんじゃないの?」
私たちは、返却された本を棚に戻す作業をしていました。とはいえ、図書委員は私だけです。恵理は、踏み台に乗っている私に、本を渡してくれていました。
「忙しいわよ。なんたって我が梅高の剣道部エースが大会出場するんだもの。いい記事書くわよ!」
恵理は新聞部です。
「もう超カッコよかった、あの試合!」
「と、図書室は本を読むところだよ。本を読む時は静かでなくちゃ……だから」
「え? ああ、声大きかった?」
周りがこちらを見ているし、色々と恥ずかしいです。でも恵理はニヤリとこっちを見て笑っていました。


「高松くん、手伝ってほしいことがあるんだけどいい?」
昼休み、俺は担任に声をかけられた。
「はい?」
「この授業の資料を返しておいて欲しいの。図書室に持ってくだけでいいから」
これよ、と指差す先には大量の本。しかも大判だ。
「や、すみません……俺、来週の大会の、ミーティングなんで」
「ちょっと寄ってくるだけじゃない。じゃいいよ、別の人に頼むから」
 すみません、と言って俺は教室を出た。そのまま、部室の方に歩き出すしかない。実は、ミーティングなんて嘘だった。俺は、あの人のいる図書室に行きたくなかった。
 ……俺、最低じゃね?
 仕方なく流れで部室に来てしまった。しかし、いつも独特な臭いの部屋だが、今日は更に埃っぽい。
「お、高松」
「部長、一人で何してるんすか」
 どうやら、部屋を整理していたらしかった。
「お前、ちょうどいいとこに来たな。これ見ろ。で、大会でいい成績を残して、そして今度こそ全国に行けるように気合入れろ」
「ハンパないプレッシャー……」
 部長は俺に古い写真を見せた。胴着を来た高校生が、照れた様子で、賞状を持って立っている。今よりずっと多い数の部員が、嬉しそうな顔で、一緒に写っていた。
「10年前の写真だ」
 部長が言った。小さくてわかりにくかったが、写真の中の顔を、よく見た。
「ただ、この時は惜しいことに、事故か何かで大会には出なかったらしいがな」

 自分に必死に言い聞かせ、ドアの取っ手を持つ手に力を込める。
 放課後。オレンジ色の光が、窓から平行四辺形型に差している。俺は「図書室」のプレートがかかったドアを、音がしないくらいそっと開けてみた。
 ドアは開いた。まだ中に人がいる。図書室のカウンターには、誰もいなかった。息をつめて、本棚の間を見回した。
 彼女はいた。一人で本を戻していた。
「……さ、」
 桜井有美さん。
 喉に引っかかって、うまく声がかけられない。
 彼女は棚の上の方に本を戻そうと、踏み台に乗ろうとした。そこでやっと、慌てて声を出すことができた。
「……手伝います!」
「えっ?」
 彼女は驚いていた。俺に気が付いていなかったらしい。
 俺は勢いで、桜井さんの持っていた本を奪って棚に入れた。俺は背が高いから踏み台はいらない。
「? ……あの、ありがとう」
「いえ、や、」
 俺はお礼を言う桜井さんの顔を見られず、本の背表紙を見ていたりしていた。
「本、戻すの手伝います」
「え? でも、図書委員じゃないですよね……?」
「いえ俺」
 慌てて、そこに積み上げられていた本を取った。偶然、昼休みに返してこいって言われた本だった。
「いや俺この本、図書室に返すよう言われたんすけど、その、俺行けなくて、で、えっと、俺仕事しなかったから、その代わり本を棚に戻す手伝いなんか、できたらなと」
「…………そう? ありがとう。助かります」
 彼女は頷いた。
「ごめんなさい、私だと台に乗らないと上の棚まで届かなくて、やっぱり大変だったので」
 俺は、何と言っていいか分からず、黙って頷くしかなかった。何がやっぱり大変なのか、深く考えることができなかったから。
「……図書委員の人とか、他にいないんすか」
「今、部活が忙しい時期ですから」
 校庭から、運動部の掛け声が聞こえてくる。
 俺は本を戻し終わって、桜井さんはゆっくり歩いてカウンターに戻った。
「もうすぐ閉館なので、本を借りるなら早めにお願いします」
「え、」
 いや、図書室は本を借りる所なのだから、桜井さんがそう言うのは当たり前なんだけど。
「いや、俺は……」
 本を借りに来たんじゃない。けれど、本当の事を言う勇気も出なかった。
「あー、……これ借ります」
 一番近くにあった、適当な本を出した。
「クラスと名前は?」
「2のA、高松忍です」
 俺は、一体何しに来たんだ?
 俺は、桜井さんに、話をしに来たのに。


 夕方、私と恵理の影が、夕日の赤い光に長く伸びていました。
「いよいよ今週の土曜日かあ……」
 恵理はうきうきしているようでした。私はそんな恵理につい尋ねてしまいます。
「剣道大会……そんなに楽しみ?」
「楽しみっていうかさ……わくわくする! 知ってる人が出るんだし」
 しかも期待のホープだよ、と恵理はいいます。言葉の重複です。
「もし、全国大会まで行ったらさ、取材とか関係なしでアタシ観に行くよ」
 笑って冗談っぽく言っていましたが、でも恵理は本気みたいでした。
「だって、剣道の事は分からないんだけどさ、すごいカッコいいんだもん」
「でもさ」
 私はちょっと笑って言いました。
「全国まで行ったら、会場は東京だよ?」
「うわ、どんぐらいかかるんだ!?」
 二人で、思い切り笑いました。


 大会まで、あと三日。俺は放課後の練習の後、図書室に寄る事を毎日続けていた。
 いつも、桜井さんは図書室に一人でいた。本の整理をしていることもあれば、本を読んでいることもあった。
「こんにちは」
「……こんにちは」
 俺が入ると、桜井さんは顔を上げて、慣れた様子で本の返却手続きをしてくれた。この前成り行きで借りた本は、結局まったく読まないまま返した。返す時に、桜井さんに話しかける口実ができるんじゃないか、なんて思惑は、まあ、数秒で断念。
「あの……何か用ですか?」
「へ……?」
「返却手続きは終わりました。高松くんは別の本を持ってきてもいませんから……だから」
 言われて、馬鹿みたいにカウンターの前に突っ立っていたことに気が付いた。
「や、や、別に特に用はないっす」
 しかも自ら話す機会を逃した。気まずいのは俺だけか。
 俺は桜井さんと話そうと思ってここに来た。来たはずなのに、いざとなると、その勇気が出ない。
 10年前の事故、逃げ出した子供のこと――。
 カタン、と音を立て彼女は椅子から立ち上がった。片手に本を何冊か抱えたので、本棚に本を戻すのだと分かった。
「俺、やりますよ」
「高松くんは委員じゃないですから、別にいいですよ」
「いえ、俺戻しますから」
 桜井さんは、そんな顔しなくていいのに、すまなさそうに俺に本を渡した。
「じゃあ……戻す場所は、私でないと分からないでしょうから」
 彼女が、ゆっくりとカウンターの外側に回り、迷わず本棚の間を歩いていくのに、俺も静かについていった。
「いつも、ありがとう」
「別に、大したことじゃ……」
「部活帰り?」
「はい」
 桜井さんは机の上に放り出してある俺の荷物を振り返った。
「剣道部ですか」
「……はい」
 剣道部のことに触れられて、急に喉の奥が渇いてくるのが分かった。本を持つ手が汗ばむ。
「毎日、竹刀持って帰ってますが、家で練習を?」
「まあ……」
 ぐらりと、足元が崩れ落ちるような感覚が襲う。必死で耐え、本を戻すことだけに集中した。
「ありがとう」
 お礼を言われて、全部本を戻し終わったことを知った。
「いえ……」
 必死に答えたけれど、その声が聞こえたかどうかは、わからなかった。
 耐えられなくて、今日はもう図書室を出た。逃げるように校舎を出る。そこで、いきなり肩を叩かれた。
「よっす、剣道部エース!」
 声も出なかった。というか全然気付かなかった。本当に周りが見えていなかったらしい。
「何だ、柴田か」
「何だって何だ。こんな時間までお前何してんの?」
「……別に」色々な意味で説明できない。「柴田こそ何して」
 柴田はけろっと言った。
「図書委員の当番」
「嘘つけ!」
「嘘だ。で、何で忍がそれ知ってる?」
 ……俺は柴田を睨んだ。
「忍は不器用だからな。なあ、お前、今が人生最大のモテ期だぜ」
「勝手に最盛期を決めるな」
「だってお前、スター扱いだぜ。生徒はほとんどお前を知ってるんだ、今ならカノジョできるぜ。しかしお前、年上が趣味だったかあ――」
 ……? 聞き流しているうちに、変な事言われた気が。
「桜井さんか……まあ、確かにクラスの女よりか美人だな……」
「な、馬鹿!」
「照れるなよ」
 みんな帰ったのか、周りには誰もいなくてよかった。
「違う、そんなんじゃねえよ……」
 柴田はニヤリと笑った。
「じゃあ何だよ?」
 俺は柴田を無視しようとしたが、……ふと思い至る。
 桜井さんから見たら、俺の行動はどう見えてるんだ?
 俺は、桜井さんに、言っていないことを話そうとしているのに。


「――有美、有美っ」
 私ははっとして顔を上げました。
「もう、さっきから呼んでるのに」
「ごめん」
 読んでいた本を閉じて、恵理に謝りました。
「本に集中してた? それとも」
「えっ……」
「やっぱり最近の有美、ぼーっとしてるね」
「……そうかな」
 確かに、自分でも落ち着かないのを感じていました。理由はすぐ思い当たります。分かってもどうにもならないものです……だから、こんな時こそ本を読もうと思ったのですが、内容は私から滑り落ちていってしまうのでした。
「こんなの……初めて」
「ん?」
 呟きは、恵理には聞こえなかったようでした。


 大会は、明後日に迫っていた。
「今日はもう、帰ったらどうだ?」
 部長の言葉が頭の中で何度も繰り返された。
「も……もう一回お願いします!」
「剣の動きが鈍いぞ。いつもと全然違う」
 自主練の、試合形式の手合わせで、俺はあっさりと部長に負けた。竹刀が床に、転がっている。
「まあ……正直、高松には予想以上にプレッシャーがかかってると思う」
 まさか、剣道の大会の為に応援団が結成されるとはなあ……今まで聞いたことがない、と部長は頭をかいた。
「そ、そうなんすか」
「知らなかったのか? ……ともかく、お前に今必要なのは、精神を落ち着けることだ」
 だから、帰って早く休め――と。
 まだ自主練をするという部長を残して――先輩たちは、もう最後の試合も終わって、引退なのに――俺は剣道場を出た。そして俺は、今日も、図書室の前に来てしまっている。
 ……ずっと、図書室を、彼女を避けて過ごしていた。その彼女と会うことが、俺を揺さぶっているのは間違いない。
 今向き合わなくてはいけないのに、俺は、そう、臆病だ。
 図書室のドアを、開けようかどうか、迷っていた、そんな時だった。
 コツ……コツ……
 廊下の向こうから、音がした。放課後の静かな廊下に、その音はよく聞こえて、桜井さんだとすぐ分かった。
「やっぱり今日も来たんですね。ごめんなさい、開いてないでしょう」
「……」
「最近、高松くんが来るから、図書室も開け甲斐があるんです」
 まさか。
 桜井さんは、俺が図書室に来るからとわざわざ来たのか?
「すみません、俺……」
「いいの、仕事だから」
 でも、俺は本を読みに来たんじゃない。話をしに来ていた。そのはずだったけど。
 今の俺の行動は、桜井さんに迷惑をかけているだけなのだと、強く思った。その勢いで、声を振り絞った。
「俺、」
 声は廊下に響いた。彼女の歩く音が止まった。
「俺、明後日、剣道部の大会なんです」
 強い西日が、目を刺した。桜井さんが、首を傾げるのが見えた。
「……高松くんのことだったんだ、話は聞いてたんですが」
「……」
 桜井さんはちょっと笑う。「頑張ってね――」
「俺は!」
 喉の奥がつんと痛く、熱くなる。声が、潰れる。
「おれは……」
 剣道は、中学の時から続けていた。毎日、練習していた。地区予選で優勝した時、俺は嬉しかった。大会に出られるのが嬉しかった。だけど、だからこそ、もしその大会に出る機会を潰されたら。
 その選手は……きっと、それを許さないだろうから。
 膝が震えて、言葉が続かない。桜井さんはじっとそんな俺を見ていた。
「あの……どうしたんですか?」
 答えようとした。
 けれど、言葉は滑って、何一つ出てこない。何か言おうと焦った俺を、桜井さんの澄んだ声が遮った。
「時間が経てば、少し冷静に考えられます。後から冷静に考えた時の方が、もっといい方法……言葉を選ぶことができます……だから」
「え……?」
「明日も、図書室は開いていますから」
 そう言い残して図書室に入り、動けない俺の前で扉は閉まった。
 頭を冷やせと言われたらしいと、気付いた。

 小学生の時から、犬の散歩は俺の仕事だった。
「ハリー、散歩行くぞ」
 ハリーは俺がリードを持って近付くと尻尾を振って寄ってきた。犬の年齢でいえば、もう随分よぼよぼだけれど、それでも散歩は楽しいらしい。
 脚を一本上げて、ひょこひょこと歩くハリーとの散歩は、普通の散歩よりだいぶゆっくりだ。もともとこういう歩き方なのに、最近は歳のせいでもっと歩くのが遅くなった。こうしていると、どうしても、俺は思い出せずにはいられない――桜井有美さんの事を、あの事故を。
「明日、逃げたら、明後日は大会でさ。多分そしたら俺は駄目だと思う」
 試合も、これからのことも。
 ハリーに聞かせるように、独り言を吐き出した。ハリーは休むように座った。
 俺が彼女に、言っていない事。
 桜井さんが10年前の事故に遭った時、俺がそこにいたという事実。
 10年前のあの日見たものを、ずっと忘れようとした。でも、あれは本当にあったことなのだと、ハリーは俺に教えていた。
「俺、明日、話すよ」
 ハリーは、くうん、と鳴いた。
「本当のことは……明らかにしないとな」


 大会前日。
 私は、校門のところで恵理を待っていました。恵理は私を見つけ、意外そうな顔をしました。
「有美、用事あるんじゃないの?」
「思ったより早く終わって」
 私たちはいつものように一緒に帰りました。いつもの私なら、恵理とのお喋りに夢中だったでしょうが、その時私は、ぼんやりしていたのです。
 だからこそ、その声に気付けたのでしょう。
「ハリー!」
 叫び声に、私は振り返りました。


 大会前日。
 明日の集合時刻を確認して、部活は早めに終わった。すぐ下校するふりをして、俺は図書室に向かった。不思議な事に、いつもより図書室のドアは軽かった。
「こんにちは、高松くん」
「こんにちは」
 ……有美さん。
 図書室は今日も他に人がいなくて、彼女は本を読んでいた。その本に学校の蔵書を表わすマークがついているのを見て、この人は本が好きなんだということが伝わってきて、変におかしかった。
「俺、明日、剣道部の大会なんです」
「ええ」
「……俺、あなたに言ってないことがあるんです」
「え……?」
「本当は、剣道大会の事なんかなくても、会って話すべきだったんです……」
 彼女は、黙って俺を見た。埒のあかない話を、まとめて聞いてくれるらしい。
「俺は、10年前、あなたに助けてもらって、あなたの大会出場を駄目にした、あの時の子供なんです」


 10年前、俺は小学生で、犬の散歩はその時から俺の仕事だった。学校の帰り、俺はまだ子犬のハリーを連れて走っていた。
「ハリー、待て、ハリー」
 最初はふざけていたけれど、いくら子犬でも走ればハリーの方が速くって、ハリーは俺を振りきってどんどん駆けていった。
「ハリー!」
 田舎の道路は車なんかほとんど来ないからと、俺はハリーを何とか捕まえようと、思い切り飛び出した。
 リードをつかみかけた、その瞬間だった。俺は思い切り後ろからぶつかられ、前に投げ出された。アスファルトに転んで、肘を打つ。どん、と大きな音がした――。
振り返った。
 すぐ後ろで、車が停まっていた。車の前に、ハリーと、それから、白い服と紺色のスカート、高校生のお姉さんが倒れて動かなかった。
 黒い地面に、赤いものがみるみる流れ出していた。
「ユミ! ユミ!」
 同じ高校生のお姉さんが、駆け寄り、何度も名前を呼んだ。
 悲鳴が聞こえた。ユミ! 早く救急車! ユミと呼ばれた人を、誰かが抱え上げた。ユミ! 誰か電話! ねえユミ! 見えた顔は、真っ白だった。
 俺は。
 俺は、動かないハリーを抱えて逃げだした。


「きみが、あの時の……」
 コトリ、という音を立てて、桜井さんは、杖をついて立ち上がり、俺の顔を見た。そうすると、俺にも、彼女の顔がよく見えた。あれから、彼女の顔は脳裏に焼き付き離れなかった。
「桜井さんが、司書に来た時、俺、すぐ名前を確かめました」
 名前は有美――ユミだった。
 だから俺は図書室を避けた。有美さんに会うのが、怖かった。
「偶然、あなたが剣道部の先輩だって知って……、あなたは大会まで進出していたのに、けれど大会に出場できなかったって聞いて……なのに、俺は明日……」
 まるで、俺が、有美さんの持っているはずのものを奪ったみたいだった。それを知った俺は、耐えられなくなった。
「それは違います」
「え……」
「運だけで勝負なんて勝てません。実力をつけるのは鍛錬だけ……だから。高松くんは、毎日竹刀を持って帰っていたでしょう?  私はそれが印象的だった」
 俺は、今も背負っていた竹刀を、見た。
「高松くんの実力は、大会の成績が証明している。自分を上達させられるのは自分だけ……だから。高松くんが頑張ったから、それ以外の理由はないんです」
 有美さんの声は、静かだった。
「でも、俺のせいで、」
「高松くんは、私の怪我を自分のせいだと思いました。私から言えば、高松くんのせいじゃないです。……私達は、それぞれの目でものを見ています。ものの見え方は人によって違う……だから、物事は、因果関係も何も、一つじゃないんです。だから……だから高松くんが心配するようなことは、ないんです」
 そして、俺には信じられないことに、有美さんは恥ずかしそうに笑った。
「でも!」
「確かに、偶然というだけでは、片付けられないものを、感じてしまうかもしれないです。でも、今まで、私と高松くんはお互いに関わりがありません。だから……私の大会のことと、今の高松くんの大会には、本当に、何の関係もないんです」
 有美さんの言葉は、とても曖昧な事を言っていて、けれどそれは言葉にできないものを真っ直ぐに伝えようとしているからで。ずっと胸を締め付けていた何かが、もちろん、完全にではないけれど……ゆっくりほどけていくのを感じた。
 静かな図書室の、空白を埋めるように、桜井さんは口を開いた。夕焼けの光が、彼女の後ろから差し込んで、きらきら光る。
「明日は頑張ってね」
「明日……」

 ああ、そうか、明日は。
「……はい」
 大会の日だ。

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ビタースイートに溶かされて

 気がついてみれば、空はすっかり夕焼けに染まっていた。冬の訪れからしばらくの時が経った今日日において、それは一日の終わりが近いことを意味していた。
「もうこんな時間か、急がないと」
 練習に熱中していたため、すっかり時間を忘れてしまっていた。自主練をしていたとは言っても、おそらく彼女は許してはくれないだろう。着替えを済ませ、道場に鍵をかけると校舎へ向かう。鍵を返してから足早に図書室へ赴く。図書室の扉の前には文庫本を手にした女子中学生が一人、扉に寄りかかるようにして立っていた。
「今日は早かったんだな、有美」
 声をかけるも返事は無い。数秒後、有美はいかにもわざとらしい口調で一言
「そういう忍先輩は随分と遅くまで頑張っていらしたんですね」
と返した。
「今日は顧問の先生がお休みで部活も休みだから早く帰れるとおっしゃっていたように思うのですが、いったいどこで何をなさっていらしたのでしょうね」
「遅れたことは誤るよ、ごめん。でも練習試合が近いから、それまでに腕がなまらないように練習しとかなきゃって思って……」
 有美がこちらを見る。その顔は不自然なくらいにまで作られた笑顔だった。これまでの自分の経験上、彼女は本当に不機嫌なときはいかにもわざとらしい笑顔を浮かべる。つまり、彼女がこうした表情を作るときは大体、嵐の前兆であるわけで……。
「これでもう三冊目なんですけど」
 そう言って、持っている文庫本をひらひらと俺に見せつける。有美は速読家だ。物にもよるが、あの程度のサイズの本なら一冊読むのに一時間程しか掛からないだろう。今日は図書委員の仕事があると聞いていたので少しは時間があると思ったのだが、それ以上に長いこと練習をしていたということになる。
「だからごめんって。今度なんでも言うこと聞くからさ……」
 両手を合わせ、今にも土下座でもせんばかりの勢いで平謝りをする。そもそも約束を破ったのは俺の方だったのだ。それにこういうときは早めに自分の非を認めておいた方が良い。いつものパターンならおそらくこの後の展開は想定内だ。
「チョコパフェ三回分、それで手を打ってあげる」
 明らかにさっきまでとは違い、不機嫌そうな顔でこちらを見ている。有美との待ち合わせは今日に始まったことではないが、俺が遅刻するたびにこうやってお菓子を請求される。この前は五分遅れただけでプリン五個を要求された。有美曰く「眼には眼を刃には刃を、謝罪にはお菓子を」らしい。言葉の誤用のような気がするのだが、生憎の所、それを言及できる立場ではない。
「大体いつもいつも人を待たせているって言う自覚が無いからこんなことになるの。分かってる?」
「以後善処します」
「善処?」
 今日はいつに無くしつこい。
「分かった。もう次からは絶対に待たせたりしない。神に誓って絶対に」
「絶対ってこの前も言ってたよね……。まあ、いいや」
 若干呆れ顔になったが、身支度を整え終わる頃には怒気は消え、いつもの彼女に戻っていた。こういう気持ちの切替が早いところは彼女の長所である。
「もうこんなに暗くなっちゃったし、早く帰らなきゃ。お母さんもジョンもきっと寂しがってるよ」
 そう言うと彼女は今度こそ本物の笑顔を作りながら俺を促した。
 あらかじめ言っておくが、ジョンとは最近家で飼い始めた犬の名前。そして今俺の隣にいる少女、有美は俺の彼女というわけではなく、俺の『妹』である。

 漆黒の空の下、俺たちは身を切るような寒さに体を震わせ、吐息を白に変えながらお互いが体験した今日の出来事について話し合う。こうした二人揃っての帰宅がここ数年続いている。暗い夜道を女の子一人で帰らせるわけにはいかない、という至極真っ当な理由ではあるのだが、兄としては若干複雑に感じている。確かに不審者が出た場合、男が傍にいたほうが世間的にも安心だとは思うのだが、俺とばかり一緒では女友達と一緒に帰ることは出来ない。もっとも、有美に彼氏ができれば俺がいる必要もなくなるのだろうが、それはそれでどこか寂しさを感じてしまう。
 一方、有美はといえば気楽なものだ。以前この状況をどう思っているのかそれとなく聞いてみたが、その返事といえば、
「そんな事言ったって友達とは学校で一緒なんだから一緒に帰らなかったからってどうなるってものでも無いって。それにお兄ちゃんと帰るのが一番安全だし」
といったものだった。兄として妹に頼りにされるのは悪い気がしない。自慢ではないが俺は剣道の有段者だ。それに剣道ほどではないが、他にも柔道や合気道など思いつく限りの武道のたしなみはある。幸いにも今まで不審者に遭ったことは無いが、実際に遭遇しても対処にはそう困らないだろう。しかし、いつまでも兄妹でベッタリというのはいかがなものかとも思ってしまう。
とはいえ、俺から言って始めたことでもあるし、有美も嬉しそうにしているので止めるに止められなくなっているのだが。
「そういえば明日ってバレンタインデーだよね」
 有美が不意にそんなことを口にした。
「そっか、そう言えばそうだったな」
 口ではわざとそう言っているものの、覚えていないわけが無い。むしろ忘れたままでいろと言うのが無理な相談なのだ、あの状況では。脳裏に数時間前の教室での様子が思い出される。

 二月十三日。偉人が生まれたり死んだりもしたわけでもないごくありふれた一日。おそらく世界的に見てもたいして盛り上がるための要素を持たない一日ではあるのだが、なぜかうちのクラスは盛り上がっていた。いや、ひょっとすると俺が世間一般を知らないだけなのかも知れないのだが……。
 授業が無い時間はほとんど明日のバレンタインの話題で持ちきりだった。女子は誰にチョコをあげるか、どういったものを作るかといった話題で色めき立ち、男子も誰からチョコをもらいたいかを話し合い、挙句の果てには貰ってもいないうちから皮算用を始めていた。そんな中で、俺はといえば専ら静観を決め込もうとして……残念ながらそういうわけにはいかないらしい。
「よう、忍。どうだ、今年は記録の更新狙えそうか」
 悪友の一人が声をかけてくる。聞こえないふり聞こえないふり……。しまった、回り込まれたか。
「なあ、どうなんだよ。いけそうか?ってゆうかいけるだろ、お前。今年は後輩もいるしよぅ。うらやましいぞ、この色男が」
 確か去年もこんなやり取りをした気がする。あのときは確かどちらの方がより多くチョコをもらえるかを勝負した挙句、こいつがあえなく完敗していたように記憶している。
「そんなに欲しいなら、いっそ自分で買ったらいいんじゃないか」
「馬鹿を言うな、それじゃあ意味が無いだろう。大体お前はいい気なもんだな。知ってるぞ、お前去年机の引き出しとか下駄箱とかすごいことになってただろう。このオレの目をごまかせると思うなよ」
 こいつの言うことはあながち間違いではない。相当な脚色が加えられているが、何個か貰ったことは事実である。当然のごとく義理であったのだが。
「いや、でもあれ全部知り合いからだったし、そういうのとはちょっと違うような気がするんだが……」
「何を言うか。たとえそれが義理だとしても、貰えたという事実に揺ぎは無いのだ。それにな」
 一呼吸おいて
「それすらもらえない奴だっているんだぞ」
「……ご愁傷様」
「ああ、何たる敗北感」
 我が悪友はわずかに天を仰いだ後、再び話を続けた。悪友のどうでもいい話は休み時間中続いた。無駄に長い話の要点だけをかいつまんでみると、
「チョコが欲しいです。少しばかりお恵みください」
とのこと。面倒だったので了解すると小躍りして帰っていった。明日は家の戸棚に合ったチロルチョコでも包んであいつにくれてやろう。
 俺は周りに話を合わせていたものの、正直なところこの行事自体にそこまで特別な思い入れは無い。もちろん、貰えるのであればそれに越したことは無い。でもそれは数の問題ではない気がする。むしろ、そこにどれだけの想いが懸けられているかの方が重要ではないだろうか。いずれにせよ今日はバレンタインデーではないのだ。今日からそんなことに気にしても仕方がない。浮かれているクラスメイト達を尻目に、俺は今度の練習試合の事を考えていた。今度の相手はうちのライバル校だった。団体戦で初めての大将を任された俺は試合運びについての脳内シミュレーションを続けていた。そちらの方が俺にとっては重要だったのだ。だというのに……。

「ここに来てまたその話か」
 俺が嘆息交じりに呟くと、有美が話を続ける。
「だって大きなイベントじゃない。ただでさえ今の時期って他に楽しいイベントがあるわけでもないし、上級生は受験の時期でしょ。どうしたって雰囲気暗くなるよ。お兄ちゃん知ってる?ウサギさんって寂しくなると死んじゃうんだって。だからね、だからこそ必要なんだよ。一種の必要悪って奴。お兄ちゃんだって興味くらいあるでしょ」
「そりゃあまあ、無いわけではないけど……」
 いい加減そういった話題は勘弁願いたいのが本音なわけで。
「それにさ、今日聞いたんだけどお兄ちゃんって意外と人気あるみたいじゃん。何か去年もいっぱい貰ってたんだって。先輩から聞いたよ。それに私の周りでもお兄ちゃんにあげようかなって人いたし。妹としては少し鼻が高いよ。もう、天狗にでも勝負挑めそうなくらい」
「そういうもんかな」
「そうだよ。それだけ皆から好かれてるって事でしょ。自分の好きな人が周りから良く思われてるのを嫌だって思う人、ほとんどいないと思うよ」
 そう言ってこちらに笑いかける。こうした顔を見るにつけ、やっぱり妹には笑顔が似合うと思ってしまうのはやはり、「兄バカ」というやつなのだろうか。それから有美は目線をそらせて呟いた。
「でも妬けちゃうなあ。私だけのお兄ちゃんだったのがいつかは誰か別の人のものになっちゃうんだよね」
「だからって流石に今のままじゃいられないよ。この間だって有美のこと彼女だって勘違いされたしさ。それにやっぱり……」
 有美の為にも別々に帰る方が良いのかもしれない。
「そっか。そうだよね。お兄ちゃんだってもう高校生なんだし、いつまでも私と一緒じゃ嫌だよね。ごめんね、我侭言って」
 そう言うと有美は少し寂しそうに笑った。お互いに考えることは同じなのだろう。相手のことを思えば、過度に接することは避けておきたい。ただ、今まで共有してきた楽しい時間があまりに多い分、少しでも離れてしまうことに不安を感じずにはいられないのだ。そうして互いに一歩を踏み出せぬまま今日にまで至っている。


 本当の事を言えば有美は俺の妹ではない。有美はまだ物心がつかないうちに家にもらわれてきた。だから俺にとっては義理の妹ということになる。事の発端は十年前の事件にある。
 もともと有美の家は父子家庭だった。母親は有美を生んでから間も無くして亡くなったらしい。そこで学生時代から有美の家のおじさんと親交が深かった俺の両親は、おじさんによく、俺の家に来るように勧めたらしい。そのせいもあって、おじさんはよく有美を連れて家に来ていた。決して楽な生活をしていたわけではないのだが、どんなに辛くても明るく振舞える、そんな素敵な人だった。おじさんは朝の間に有美を俺の家に預け、夕方仕事から帰るときにまた俺の家に寄り、夕飯を一緒に食べてから有美と一緒に帰るという生活を繰り返していた。おじさんは俺のことを本当の息子のように構ってくれた。俺もそんなおじさんのことが大好きだった。また、当時の俺にとって有美はいきなりできた妹のような存在だった。今まで一人っ子だった身にとって、自分よりも年の小さい子が家にいるというのは不思議な気分だった。最初は恐る恐る近づいていたが、次第に一緒に遊べるくらいまでの仲になった。加えて幸いだったのは、有美が俺によく懐いてくれていたことだ。おかげで手を焼かされることもあまり無かった。
 俺が小学校に上がり、有美が保育園に行くようになってからも、特に予定が無いときは二人で遊ぶことが多かった。そうした状況を知ってか、おじさんはよく俺に有美の面倒を任せた。
「忍君に任せておけば安心だな。有美のことよろしく頼むぞ」
 おじさんにそう言われるのが無性に嬉しかった。
 その日は珍しくおじさんが俺を映画に連れて行ってくれた。その日有美は風邪をひいてしまい外出できなかった。本人は不満そうだったが、俺の両親に止められてしまい、しぶしぶ家に残っていた。有美には悪いと思いながらも、おじさんと一緒に外出できると思うと嬉しかった。
 映画館でお目当ての映画を見終えた後の事。映画の余韻に浸りながら帰途につこうと駅の方へ向かったときに、悲劇は起きた。俺達が横断歩道を渡ろうとすると青信号が点滅していた。急いで歩道を渡ろうとして、俺はおじさんの静止も聞かずに駆け出した。ちょうど歩道の真ん中に差し掛かったとき、一台の乗用車が猛スピードで歩道に突っ込んできた。
 次の瞬間、俺は訳も分からぬままに歩道の反対側に投げ出されていた。振り返ってみるとおじさんの姿が見当たらなかった。しかし、探してみるとすぐに見つかった。車が走り去った後、おじさんは道路に倒れていた。その瞬間に何が起こったのかを理解した。おじさんは俺を庇って車に轢かれた。そしてその車はおじさんを助けることなく行ってしまったのだ、と。俺は慌てて救急車を呼んで助けを求めたが、救急車が到着する頃には既に亡くなっていた。その日、有美は本当の両親を失った。
 ひき逃げ犯はそれから間も無くして逮捕された。大量のアルコールを摂取した上での飲酒運転だったそうだ。周りの人は皆、俺のことを同情してくれた。俺は自分のせいでおじさんが死んだという事を誰にも打ち明けられないまま、ずっと自責の念に駆られ続けた。あの時おじさんの言う事を聞いていればこんなことにはならなかったのに、と。それから暫くは悪夢にうなされることになった。
 身寄りが無くなってしまった有美を俺の両親は迎え入れることにした。もともと有美は俺の家で育てられたようなものだったので、新しい境遇に溶け込むのにそこまでの時間は要さなかった。それからというもの、有美は俺達のことを本当の自分の家族として接するようになり、俺たちも彼女を自分たち家族の一員として扱った。
 おじさんの葬式が行われたとき、俺の両親や有美は悲しみに涙した。しかし、俺は泣けなかった。自分にはそうする資格が無いように思えた。もとはと言えば、俺がおじさんを殺してしまったようなものだ。両親は俺の様子を心配して、いつも慰めてくれた。俺は悪くなかったのだと。ただ、それでも俺が有美からたった一人の父親を奪ってしまったことには変わりが無かった。ところが、有美は俺を恨んだりはしなかった。おじさんが死んでから数日は流石に有美も泣き続けていたが、葬式を境に泣く事は無くなった。そして笑えるようにまでなったのだ。そしていつまでも沈んでばかりいる情けない俺に言った。「私、もうお兄ちゃんが苦しんでるとこ見たくないよ」と。そうしていつも俺に笑いかけてくるようになった。本当に辛いのは有美の方だった筈だ。それなのに俺の方が慰められるなんて、なんて情けないんだろう。それからは俺も徐々に笑えるようになっていった。
 有美が本当の家族の一員に変わってから、俺達はますます同じ時間を共有してきた。嬉しい時も、悲しい時も、俺達はずっと一緒だった。小さいときから有美はいつだって俺のことを見ていてくれた。心配してくれた。それはもしかすると一般的な妹が兄を思う気持ちより遥かに強いものだったのかもしれない。そうした有美の姿を見るたびに、妹のことをとても愛しく感じた。そして、いつかは彼女の事を守ってあげられるくらいに強くなりたいと思った。
 何故剣道だったのか?特に理由は無かったように思う。強いてあげるとするなら、おじさんの形見に竹刀があったことぐらいだろうか。その竹刀はおじさんが昔使っていたものらしかったが、手入れがしっかりしていたので何不自由なく使うことが出来た。その竹刀は現在俺が手入れをしながら使っている。他にもいろいろなものを試してみたが、結局のところ現在まで続いているのは剣道だけだ。ひたすらに剣道に取り組む日々がしばらく続いた。練習を重ねることで上達し、現在では大会に出れば必ず入賞すると言われるまでの腕を身につけた。
 当然の事ながら有美と接していられる時間も段々と減っていった。それまで俺にべったりだった有美は、始めのうちこそ応援してくれていたものの、俺の興味の対象が剣道へと移っていくのを感じ取ると少し寂しそうな顔を見せるようになった。その時は少し心苦しい気もしたが、そのうち有美も諦めてくれたのか、俺とよりも同い年の女の子同士で遊ぶようになっていった。正直なところ少し寂しくもあったが、俺達の通う学校は中高一貫校であるために、高校生である俺が中学生である有美に会いに行くことは難しいことではない。だからといって俺が有美に甘え続けるわけにはいかない。兄として、逆に俺が強くなって有美を安心させられるようにならなきゃいけない。有美が辛いときに支えてやれるように強くならなければと決意した。   
 ただ、今から振り返ると少々やり過ぎだったのかもしれない。お互いを思いやることで、却ってお互いに依存し過ぎてしまったのではないか。今は有美のことはもちろん大事だが、同時に早く妹離れをしなければならないとも思っている。


「……ちゃん、お兄ちゃんってば」
 不意に意識を現実へと引き戻される。いつのまにか自宅まで眼と鼻の先のところにまで歩いてきていた。
「もうお兄ちゃんってば、私の話聞いてるの」
「えっと、何話してたんだっけ」
 妹は大げさにため息をつく。
「だからさ、明日はバレンタインだよねって話。お兄ちゃん、もうフライングで誰かに貰ってたりしないよね」
「そりゃあまあ、一応まだ前日だし」
「よかった。それじゃあ私が一番乗りしちゃうから」
 そう言って鞄の中から綺麗にラッピングされたチョコレートを取り出す。
「はい、これ私からの分。頑張って作ったんだよ」
「気が早いな。明日でも構わないじゃないか。それに家に着いてからでも」
「駄目だよ、お兄ちゃん人気者なんだから。少しフライングするくらいじゃないと一番は取れないんだもん。それにね、」
一呼吸した後
「いつかは変わっちゃうかもしれないけど、今はまだ、私が一番にチョコを渡したいのはお兄ちゃんなんだからね」
 途端に俺の顔が熱くなるのを感じた。妹相手に何か期待してしまう自分が情けない。
 一方の有美も顔を赤くして
「そ、そんなに深い意味じゃなくてね。お兄ちゃんってまだ彼女さんとかはいないわけじゃない。だからそれまでの間は私がお兄ちゃんの一番になれたらなあって思っただけでその……」
と言って精一杯の弁解をしてみるものの、その後の言葉に詰まり、黙り込んでしまった。
「………ありがとな」
「えっ」
「その…、誰かに特別に思われるってやっぱりうれしいことだし、それに有美が作ってくれるチョコが一番美味いから」
 自分でも何を言っているんだろうかと思わず苦笑してしまう。確かに妹に好かれるってことは兄としては嬉しい。けどいつまでも有美の好意に甘えているわけにもいかない。いつかはお互いに別々の道を歩いていかなければならないのだ。でも、だからこそ今はまだお互いのことを一番に思っていたい。有美のことを守っていてやりたい。我侭と言われるのは承知の上だが、今は心からそう思う。せめて、俺なんかが必要にならなくなる日までは……。
「それとさ、有美」
「何?」
「俺もお前のことさ、その…………好き、だからな」
お互いの顔がこれ以上無いくらいに真っ赤になる。言ってしまってから後悔した。妹を相手に何でこんなに緊張してしまうのだろうか。こんなことでは妹離れなんていつまでたっても出来ないような気がする。
 結局、その後は双方ともに沈黙したまま、家の前にまで辿り着いた。門の前では俺達の帰りを感知したジョンが既に出迎えに来ていた。そして眼の前で顔を真っ赤にして俯いている主人二人を不思議そうに眺めていた。

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リ・ライト/エンド

 視界に広がるのは、ぺったりとした青い空と、赤い色。身体が痺れて、なんだか眠たい。
 そうだ忍はどうしただろう。首をめぐらせると、酷くゆっくりと視界が動いていく。赤が垂れて来る。
 忍は、少し離れた横断歩道の手前に立ち尽くしていた。取り乱す様子もなく、こちらへ駆け寄って来るでもなく、ただ私の方を見ている。その目は、やけに冷めていて、悲しい。
 何故、そんな目で私を見るの……?
 血を流し硬い道路に倒れたまま、有美の意識は、遠のいて行った。

「忍、ごめんね」
「良いよ、そんなに待ってない。練習、さっき終わったとこなの」
 重い図書倉庫の扉を全身で押しながら開け、明るい館内に戻ると、ソファに座って待っていてくれた有美の元に駆け寄る。有美は、立ち上がってスカートの裾を整えた。
「でも、拾い読みしてたでしょ」
 有美には全部お見通しらしい。小学校からの付き合いだから、もう十年くらい一緒にいることになる。行動パターンはお互い分かりきっているというものだ。
「砂漠にオアシスがあったら寄らざるを得ない訳で……」
「分かった分かった。じゃあ行こう。本返すのにうちに寄ってもらわなきゃいけないしね」
「忍が持ってくるの忘れたのがいけないんじゃない」
「はいはい、ごめんなさいね……あれ、有美、カバンは?」
 そう忍に言われて、手に何も持っていないことに気付いた。少し記憶をたどる…までもなく、図書倉庫の中だ。
「ごめん、中に忘れた。待ってて」
 さっきから謝ってばかりだな、と思いながら身を翻す。後ろで、忍が呆れたようにソファに座り直した気配がした。

 カバンはすぐに見つかった。埃臭く、薄暗い倉庫は落ち着く。整然と並んだ背表紙になんとなく目をやると、気になるタイトルがいくつも目についたが、これ以上有美を待たせる訳にもいかないと思い直してドアを開ける。
 倉庫の扉は金属製の分厚いもので、全身の力で押さないと開かない。
 扉を押し開けると、戸の隙間から有美の姿が見えた。有美がこちらに気付いたので、笑いかける。
「有美!」
 開いた扉の隙間から無理矢理身体をくぐらせ、倉庫を抜け出した。
「お待たせ。行こうか」
 声をかけても、有美は立ち上がろうとしない。私を、じっと黙って見つめているだけだ。
 ……その目。ときおり、有美が見せるまなざし。ぞっとするほど冷めていて、乾いた目。
 何度も、その目を見てきた。その理由を、未だに訊けないでいる。その目をするのはほんの短い間で、すぐにいつもの有美に戻るのだけれど。
「有美……?」
「ごめん、ぼーっとしてた。いこいこ」
 何事もなかったかのように、歩き出す有美。私も、なるべく気にしないように後を追った。

 にゃーん、と出迎えるように猫が鳴いた。玄関の定位置にどっしりと構える忍の家の猫、三太である。
 私の記憶の忍の家の風景には、必ず三太がいる。初めて見たときから既に子猫でなかったということは、かなりの高齢のはずだ。ぽってりとして、かなり貫禄がある。まるで、家の主のようである。
「三太はいつまでも元気でいい子だね」
 本を取りに行った忍を待つ間、三太と戯れる。その体型が原因か、高齢が原因か、じゃらしたりアクティブな遊びはできないが、なでてやるだけで三太は満足そうだ。
 そんなことをやっているうちに、ばたばたと有美が戻ってくる。
「はいこれ。面白かったよ」
「忍は本貸してもそればっかり。全く、剣道一筋のスポ根少女なんだから」
「あ、それは差別発言だと思う」
「ごめんごめん。じゃ、お邪魔しました」
 軽口を叩きつつ、もう時間も遅いのでお暇することにする。見送ってくれる有美は、いつもの笑顔だった。

「……ただいま」
 返事はない。とっぷりと日が暮れた今、家の中は真っ暗だ。そのこと自体にはもう慣れてはいるのだが、怖い、と感じることは未だに直らない。冷凍睡眠から目覚めたら人類が滅亡していた、なんてがあったら感じるであろう、孤独と絶望、に似たものを感じることは。
 家の中には誰もいない。私を出迎えてくれる、温かな家庭などない。だって、みんな、死んでしまったから。
 去年のあの朝、私以外の家族が夜のうちに押し入り強盗に殺されていたあの朝、私が味わった地獄は、私にとっては比喩でなく人類滅亡と大差なかった。生まれてから二十年弱、一つ屋根の下で私ともっとも長く一緒に生きてきた人間が皆殺しにされたのは、いわば私の世界の崩壊だった。私はしばらく、生前の様子も想像できない状態にされた家族の死体を見て、放心していた。それ以外に何もできなかったのだ。
 警察が来て私の世界をさらになにやら引っ掻き回していって、お葬式があって、骨になった家族と私とで家にたったひとりになって、ニュースが流れて、見知らぬ人たちがさらにさらに私の世界を引っ掻き回していって、そのときの記憶はあまりない。
 もう、良く覚えてはいないが、私の以前までの日常は見事なまでに崩壊した。何故私だけ生き残ったのか、もう死んでしまったらどうか、真剣に考えるまでに。
 けれど、一応私はつぎはぎだらけの世界を再構築し、なんとか今日も生きている。近くの親戚の家に頼ったり、忍の家を頼らせてもらったりで、何とか生きている。
 忍には死ぬほど心配をかけた。だから、もう心配をかけないように、「人生を楽しく」と心に言い聞かせ、生きている。でも、弱気にならないかといえば、嘘なのだ。けれど、「人生を楽しく」!
 私は真っ暗な家に、手探りで明かりを点けた。
 三太がいなくなった、と有美からメールが届いたのは、翌日だった。

 * * *

 有美にも手伝ってもらって、あらゆる場所を探し、色々な人に聞いてみたけれど、三太は見つからなかった。三太はかなりの高齢だったし、玄関の定位置から動くことなどなかなかなかったのだが、それでも見つからなかった。
「動物って死期を悟ると、一匹で静かに死ねる場所に行くんだって。寿命だったのかもしれないね」
 有美にはそう諭された。有美なりに気を遣ってくれたのだろう。その心遣いが嬉しかった。
 その日の練習には集中できなかった。とぼとぼとひとり、夜道を帰る。男子部員の何人かは思い遣りという名の下心が見え見えで、遅いから送ると言ってくれたが丁重に断った。諦めきれず、無理だと分かっていながら、三太を探したかったのだ。たとえ、それが死体でも。
 死体さえ見つかれば、何とかなるかもしれない――私がそう考える根拠はある。
 私の、有美にさえも言えない秘密――いわば、死の運命の書き換え、である。

 私にも、何故そんなことが起こるのか分からないが、幼い頃から目にした死をなかったことにすることができた。
 死を目にすると、くらりと視界が揺れる。私はそれを直視したまま、意識して深くまぶたを閉じる。ぱちり、と目を開けると、さっきまで死んでいたはずのものが何事もなかったかのようにしている。そんなことが、いくどもあった。
 私が一度目撃した死の光景がそもそも幻覚なのか、それとも本当に私がまばたきしたことによってそのしがなかったことになっているのか、詳しいことは分からない。けれど、そうやって私は今まで死をなかったことにしてきた。
 猫にやられたらしい鳩。大怪我をした友達。……そして、押し入り強盗に殺された有美。
 そのとき私は、朝のニュースを見ていた。速報で、有美の家の事件が流れた。一家全員死亡を確認。私は、確かにそのテロップを見た。何度も確認したけれど、映像は見慣れた有美の家、テロップの名前は間違いなく有美とその家族の名前だった。
 ぐらり、と視界が揺れた。気持ちの悪さからくるものだと思った。しばらく目を閉じたままいて、ゆっくりと目を開けるとテロップの家族の名前の並びから、有美の名前だけが消えていた。
 何故有美だけの運命が書き換えられたのか、全く分からない。直接現場を見たわけでもないのに死の書き換えが起こった理由が分からない。ないない尽くしだが、私は有美を失う事を免れた。
 その書き換えによって、有美が生き残った罪悪感から苦しむのは辛かった。けれど有美は立ち直ってくれた。それによって、有美の運命を書き換えてしまったという罪悪感から、私は少し逃れることができた。
 その自分勝手な罪悪感から逃れるため、有美とそれから一緒にいる時間が長くなったせいか、以来何度も有美の死を書き換えてきた。つい最近では昨日、図書倉庫のドアから出ようとして、勢い良く閉まった重いドアに胴を挟まれ死んだ有美の死を書き換えた。
 私がいなければ一回で死んでしまう死の運命は、想像以上の頻度で有美に襲いかかり、それを書き換えるたびに、やはり死の光景は私の見る幻覚なのかもしれない、と思った。

 死体で良いから、三太が見つかれば死の書き換えができる。道路で車に轢かれぺったんこになったときも、病気で苦しみながら死んだときも、私は三太の死を書き換えた。
 しかし、いくら死を書き換えても永遠に生きる生き物などいない。ここまで長生きしてくれたとは言え、やはりいつか必ず三太は死ぬ。それは良く分かっている。けれど三太を失うのは、怖い。
 手元も良く見えないような状態で、私は三太を探し回った。けれど、三太は見つからなかった。
 その死を確認できなかったからと言って、二度と会えなくてもどこかで生きているなんて陳腐なごまかしで自分を納得させることはできなかった。
 死を確認さえすれば、それはなかったことになったのに。
「三太……」
 暗がりに向かって囁きかけるが、それに答える鳴き声は聞こえてこなかった。

 * * *

 三太がいなくなってしまって、忍はすっかり落ち込んでしまった。長くそばにいた三太がいないということは、忍にとっての人類滅亡に近しいものなのかもしれないと思った。
 それならなおさら、私が忍を助けてあげなければいけない。人類滅亡気分の私にとって、一番の救いになったのは忍の存在だったから。恩返しなんて押し付けがましいものではなく、心の底から忍に少しでも笑って欲しかった。
 私のモットーは、「人生を楽しく」!
 具合が悪いらしく、部活を休んだ忍を、駅前の喫茶店に誘った。我ながら思考が単純だが、女の子には甘いものである。疲れには睡眠と同じくらいの鉄則だと信じる。
 さすがに口数の少ない忍に無理をさせない程度、雰囲気を保つために歩きながらのお喋りを欠かさない。道のり半ばの横断歩道で、車側の信号が赤になり、歩道側の信号が青になるまでの少しの間に何の気なしに歩を進めた。
 そして、何がなんだか分からぬうちに、突っ込んできた車に、私は跳ね飛ばされた。

 * * *

 高々と跳ね上げられた有美の身体は、鈍い音を立てて道路に叩きつけられた。その身体の下からじわじわと広がっていく血に、あおざめて虚空を向いた顔に、それでも私は冷静だった。
 ――ゆっくりとまぶたを閉じ、そして開ける。
 けれど、目の前の光景は変わらない。倒れた有美。命に関わりそうにしか見えない、酷い怪我を負った有美。
 おかしい……私は、騒ぎ出す周りの反応を無視して目を閉じる。今度は、必死に祈りながら目を閉じた。

 まぶたの裏は暗く――(女の子が轢かれた!)――焦りばかりが募り――(誰か! 救急車だ!)――もう見たくない――(しっかり!)――目を開きたくない――(そう言えば、この子の連れは?)――でも目を開かなければ。
 有美が、死んでしまう。一度目を閉じて、開かなければ、死の書き換えはできない。
 有美が死んでしまう? 有美が死んでしまう?


 目を開いた、けれど、世界はは変わらなかった。
 虚ろな有美の目が、私の、おそらく無慈悲な目と、交差した。

 ――ごめんなさい。

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奇妙な関係

 ボクがその子と出会ったのは学校の図書室だった。
 それはけっして甘くはない恋の始まりだった。
 
 校内で変な噂を耳にしたのはある日のことだ。その噂によると、毎週、木曜の放課後の図書室に女子生徒の亡霊が出るという。亡霊のようなうつろな目をした三つ編みの女子生徒がフワリフワリと危なげな足取りで図書室に入ってくると、気配もなく本を読んで、時間が来ると、音もなく立ち去るのだそうだ。あまりにも生気がなくて、儚げなので、いつからか亡霊と図書委員から呼ばれるようになったという。いかにも、何処の学校にもありそうなつまらない怪談の類だ。だが、生徒は嬉々として、何処から仕入れてきたのか知れない胡散臭い情報を披露しあいながら、その子が嘘か真か推理するのに夢中になっていた。ハがつく女の子の作ったSとか言う団体が出没しているのではないか、というラノベの読みすぎのような事を言う奴もいれば、あそこで昔首吊りが出たんだよと言って周りから失笑を買う奴もいた。そんなでたらめを話す誰も彼もの中に実際に亡霊を見たやつはいなかった。
 とにかくそんな話題で学校中が持ちきりの頃、ボクは噂が本当かどうか確かめようと図書室に潜入した。もちろん亡霊を発見するためにだ。思えば学校に入学してもう二年近く経つのに、一度もこの空間と縁がなかった。
 初めて入ったその部屋は、息遣いをするのもはばかられるような静けさが支配する空間だった。三つの教室をくっつけたくらいにこじんまりとしていて、薄く埃が膜を張った古びた本の並んだ書棚が忘れられた遺跡のように沈黙を守っていた。部屋の中の人間はみんな自分で持ち込んできた本を読んでるか、さもなくば自習室代わりにして勉強なんぞをやっている。
 噂に聞く幽霊少女は見当たらなかったが、そこにいる人たちはみんな生気がなかった。これではまるで、彼らこそが……
「その通りよ」
立ち込める沈黙の霧を打ち払う一声。一斉にボクを睨みつける周りの人々。振り返るとボクの背後に声の主はいた。
「アナタはここに来たのは今日が初めて? ここ図書室はこの世の場所じゃないわ。ワタシタチはここに囚われ、そして永遠に出られずに彷徨っている」
アルトっぽい声の主は頬を赤らめながらそんな事を言う。
「てっかウソだろ?」
「ウソよ」
同い年くらいの、黒髪の三つ編みに丸縁眼鏡をかけ、一寸の狂いもなく制服を着こなしている。すなわち……典型的な文学少女。昨今絶滅寸前の種族だ。
「なんのためにウソをついたんだ?」
「楽しむために決まってるじゃない」
前言撤回。こんな奴は文学少女ではない。ボクのイメージではもっとこう……違うなんかが。
「アナタのイメージが壊れたくらいでワタシに八つ当たりしないでほしいわ」
ちょっと待ってほしい。こいつはボクの心を今読んだのか。いやいや違うよな。単なるはったりに決まってる。
「なぜ、心が読めるのかしらね。それはアナタよりもワタシの方が優れた人間だからよ!」
「よくもそんな言葉を~。しかもまた心を読みやがって!」
その時、二人は何処からともなく現われた屈強な大男、否男子生徒につかまれ、そのまま併設されている委員会室に引きずられていった。女は知り合いらしく、覇王よせとかワタシを誰だと思ってるとわめき散らしたが、覇王(と呼ばれた男子生徒)は全く意に介さない様子で、委員会室の中に連れ込むとはじに放り出された。
 委員長は奥の椅子にふんぞり返って座り、目を細めながら、ワタシタチを睨んだ。
「そんな大したことじゃないんだから。目くじら立てないで。
ほらほら」
こいつはどうして空気を読まない。ほうら、怒ってるじゃないか、この人。
「黙れ、貴様。いつになったら図書室は静かにしなきゃならんという基本ルールを理解するんだー貴様らの根性を一から叩き込んでやる……と言いたいところだが、今日は免じてやる。俺も暇じゃないんだ。だから二度とあんな真似するんじゃねーぞ。わかったら、とっとと散れ」
男はそう言うと、驚くほどファンシーで繊細な字で「この春におすすめのときめき恋愛特集!」というポップをごつい手で書く作業に取り掛かり始めた。
「アナタ」
気付くと、もう女は元気を取り戻したらしく、ボクに話しかける。
「運いいわね。いつもだったら委員長オリジナル地獄送りとか酷い罰をくらうのに」
何なんだ、その危険な香りのする技は。
「そういえば……自己紹介もまだだったわね。ワタシの名前は門崎有美。ここの図書委員であいつの右腕。まあわかりやすく言うと、お笑い番組でバックに挿入される笑い声みたいな役回りかな」
全然わかりやすくないよ。しかも図書委員なのにあんな風に騒いでいたのか?
「ところでさー、アナタって誰? ワタシに紹介させといて、自分は逃げようたってそうはいかないわよ」
「田中と呼びなさい」
「ウソでしょ? ありふれた苗字を言うことで私に何か求めているのね。ええ、わかります。きっとアナタの苗字はおそらく何か違うもので……」
なぜ変な方向に取るんだ! なぜ自分の苗字を名乗ることに笑いを求める。
「それは日本人として当然のことをしたまでよ。ああ、でも田中という苗字なのね。つまらない。ああつまらない。毎日つけてきたストーカーがその日だけいないつまらなさと同じね」
「人の苗字をつまらないと断ずるな! だいたい……」
とここまで言いかけたところで、それ以上はボクの中から出てくることはなかった。委員長が怒りの拳を振り下ろしてきたからである。ボクはそれをかわしつつ、その部屋から出て行った。
その背後から怒号が聞こえてくる。
「エエ加減にしないか~。門崎は仕事をしろっ、それからお前はとっととここから出て行け!」

翌日、図書室で見聞きしたある意味不思議な光景についてクラスの友人に話すと、驚いたことに門崎ならクラスメイトじゃないかと言われた。
「へぇ~もうこのクラスになってから、二年も経つのに、そんな子がいるなんて全然気付かなかったぞ」
ボクが、周りに気を遣いながら、驚きの声を上げると、そいつは、
「あいつはクラスのはじで一人ずっと本を読んでるから気付かないんだよ」
と応じた。確かにクラスを探すと、一人本を読んでる文学少女がいた。
「じゃあ、なんでお前は気付いてんだ? もしかして幼なじみとかか!」
すると、そいつはボクにそっと耳打ちした。
「アイツは人気があんだよ。コアなマニアからはな。門崎忍ファンクラブは校内最大の闇組織だぞ。それからアイツは剣道の達人だよ。他にもな……」
「ちょっ、待て待て、お前にそんな趣味があるなんて知らなかったぞ。この学校はいったいどうなってるんだ。それにな、オレの言っているのは門崎有美だ。門崎忍じゃない。苗字が同じ別人だな」
「門崎有美? そんな奴この学校にはいないぞ」
このとき、ボクは門崎の秘密に足を踏み入れたのかもしれない。まあ、大げさな表現かもしれないけど。

 突然、話したこともないクラスメートから電話がかかってきて、明日の放課後理科室で待ってるなんて言われたりしたら、なんて思うだろうか? やっぱり怪しむだろうな……
 あっ、来た。忍はちゃんとやって来た。よく見ると、有美とかなり似ている。まるで双子のように。だが三つ編みメガネだった有美とは違って、メガネもかけてないし、髪は下ろしている。思っていたよりも美人だ。しかし、見た目とは裏腹にこちらはおとなしそうな……
 ボランティア精神で来てやったぜという顔をしている忍を待たせとくのもなんなので、話しかけてみる。
「アナタが門崎忍ですよね?」
「私は……名前が無きもの。君の……呼びたいように、呼べば、いい」
何だ! このキャラは? おとなしそうというより、有美とは違う意味でぶっとんでるぞ。
「なら、忍さん。門崎有美って人は知ってますか? アナタによく似ている方で、」
「ゆみみんは知らないな!」
ゆみみんってなんだ? あだなか! めちゃくちゃ知ってそうじゃないか。
「実は知ってる」
そうならそうと早く言えばいいものを。まさか今隠そうとした?
「有美さんとは、どういう関係なんです?」
「双子の妹。時々、片想いの相手」
「はっ?」
見ると忍は頬を赤らめ、もじもじしている。双子なのは似ているからわかるけど、片想いってのは何だ?
「ゆみみんはワタシの憧れなのだ」
「はあ……」
へぇー本当にそんなことってあるもんなんだな……って事は男には興味がないのか?
「当たり前ではないか。ワタシの愛は清純な形でしか捧げることができないのだ。男など、全く汚らわしい」
男の一人として何か弁護するべきなのだろうが、何も言う事ができないのが情けないなー
「同義的な問題とかはないのか? ほら双子の妹ってことは血がつながってるんだろ」
「ワタシの愛は血縁など関係ない。でも……ゆみみんはなかなかOKを出してくれないのだ」
有美がOKと言わないことにほっとするな……それを見たのか、
急に忍が本題に入った。
「で、ゆみみんにお近づきになりたいのか?」
ところでなぜボクは有美の事を知ろうとしているんだ? あんなにぶっとんだキャラの奴の事を知って、どうにかなるのか?
「いや……ボクにはわからないけど。つまりはあいつを知らなきゃいけない、そんな気がするんだ。避けちゃダメな気が」
自分でも驚くような言葉が口から出た。忍はそれを聞くと、口の周りの筋肉を引きつらせた。どうやら笑っているらしい。有美と似た顔立ちなのに何だかなー
「とりあえず……案内する」
この言葉の先にあるのは何か。まだボクは何も知らない。

「いったいどこに連れて行ってくれるんだい?」
「……有美を知る者のところへ」
忍はそれを言ったきり、黙り校内を歩いていく。ボクも遅れずついていく……しばらくして同じ場所に戻ってきた。また別のルートをたどり、校内を一周して戻ってくる。そしてもう一回別のルートをたどろうとして、ボクは止めた。
「もしかして……迷ったのか」
 忍は静かにこくり……ボクはうなだれた。
忍から場所を聞いたボクはものの三分で目的地にやってきた。図書室だ。てかさ、図書委員なんだから場所くらい覚えとけよな……
「前、図書室で騒いで委員長に追い出されたんだけど……」
「それなら……心配ない。今日は閉室日だから」
そう言って、忍はドアを開けた。部屋には既に先客が一人いた。
 そこにいたのは、筋骨隆々の男子生徒だ。高校生離れしたその肉体はまさしく図書室の番人にふさわしい……ご存知、図書委員長だ。
「やっぱり貴様か。田中と言ったか。この前はなかなか痛快な事をしてくれたじゃないか」
「この前はどうも」
「まあ、この前の事はもういい」
「本当ですか!」
「りゅうちゃんは……本当は心優しきキャラなのだよ」
「その通りだ。図書室を守るためには鬼になるがな」
 確かに敵に回したくないタイプだ。
「ところで、早速本題なんですけど……有美さんはご存知ですよね?」
「あわっ……アイツに惚れちまったのか?」
「……ゆみみんは男になんか興味なしなのだ」
「待て待てい!なぜそこで盛り上がる。有美の事が気になったんだ。恋愛的な意味じゃなくて」
「そっか……で、何が聞きたいんだ」
「有美はいったい何なのです?」
「それは……自分で考えることだろ。とりあえず、来週に一回来い。全てはそれからだ」

 次の週の木曜日、放課後になるとボクと忍は再び図書室の前に立った。もう一回有美に会うためである。
「忍、頭痛そうだな。どうしたんだ?」
「大、丈夫だ……それより、有美にどうしてそんなにこだわるんだ?」
忍は左のこめかみを押さえながら、つらそうにしている。本当は、保健室に行った方がいいんじゃないか。頭痛持ちだとは言っていたが……しかし有美にこだわる理由か。
「この前も言ったと思うけど、有美はあんなにぶっとんだキャラだけど。何かこちらに訴えているような気がするんだよね。あくまでもそんな気がするだけなんだけど……」
忍はこめかみを押さえながら、静かに話を聞いている。
「別にみんなの言うように、気があるのかどうかはわからないけどさ。何ていうか、放っておけない」
「へえ~、放っておけないってどういうこと? アナタはそれで口説いてるつもりかもしれないけど、ワタシは全然ときめかないわよ。もっと上手いこと言えないのかしら。あなたの言葉はおでんに大根がないのと一緒なのよ!」
「ひょっ!」
なんでなんで有美が隣にいるんだよ! 今、隣にいるのは忍だったろ? いったいなにがあったんだ……三つ編みじゃないし、眼鏡もかけてないけど、見た目は忍だけど、彼女はまぎれもなく彼女だった。
「ねえ、アナタってさ、バカでしょ?」
「バカだと~なんでお前はボクの前に現われるたびにそんなこと言うんだよー」
ふんと有美は鼻で笑いやがった。鼻でだ。
「全く馬鹿にしやがって……だいたい忍はどこに行ったんだよ?」
すると、有美は突然ボクの肩に両手を置いて、ものすごい顔で睨んだ。
「忍がどこにいるかって?……ワ・タ・シよ。あの子はワタシ。ワタシはあの子なのよ」
「えっ、どういうこと?」
ボクが素っ頓狂な声を挙げると、有美はくすっと笑って、覇王、どうせそこにいるんでしょ、いるんだったら早くこっちに出てきなさいよと廊下の人気のない場所に向かって叫んだ。そしたらすぐに、叫んだ方向とは反対側から委員長が出てきた。
「あっら、そんなとこに隠れていたの。じゃあ、覇王。こいつにさ、ワタシタチの秘密について教えて。ワタシはそこらへんで油売ってるからさ」
「ダメだ。お前もここで聞いてろ。これはお前たちの問題なんだからな」
それを聞くと、有美はぶつぶつと忍に言いつけるわよとか何とか呟いていたが、近くでちゃんとボクたちの話を聞いていた。
 覇王の話はこうだった。忍と有美は双子ではない。そもそも彼らは一人の人間だ。いわゆる二重人格というやつで、門崎忍の中に、門崎有美は存在している。忍は中学校の頃に図書室で教師から暴行を受け、そのトラウマから自分を防御するために、心を閉ざした本来の自分である忍という人格とその記憶を所有し、攻撃的な性格を持つ有美という人格の二つが分離した。そして、今に至るまで、事件のあった木曜の放課後になると、忍はその記憶を思い出さないために、有美が現れるのだそうだ。それだから、忍も有美もお互いの記憶を共有していない。そういえば、図書室の亡霊というのは有美のことで、有美の存在を隠すためにあえて変な情報を流したんだとか。だが、思った以上に噂は広まり、それを確認しようとする人々でいっぱいになってしまったとか。
「なるほど、それで……忍がいるときには有美がいて、有美がでてくると忍がいるわけだ」
「やっとわかったのね~。本当に気付かなかったの? 全くアナタは深海のアンコウみたいな目をしているのね」
覇王はどこか寂しそうに、
「このキャラも作られたものだ。俺は家が近くでな。事件に会う前の忍もそれ以降の忍も両方とも誰よりも知っている。俺はな。あのとき忍を守ってやれなかった。だから、これからは一生あいつを守ってやるんだ」
有美は穏やかに微笑んで、今回ばかりは茶化さなかった。
「覇王は変わらないわね……でも忍は男になんか興味ないからね。世の中って複雑だわ」
ボクは気になることを聞いてみることにしてみた。
「忍はさ、有美はワタシの片想いの恋人だと言ってたけど?」
「あの子の気持ちはわかってるけど……どうしたものかしら」
有美は目を閉じ、何かを考えているようだった。
「アンタはどうなのよ」
「へっ?」
「これ以上言わせたいの? もう一回チャンスを与えるっていう意味よ」
頬を赤らめた有美の顔は、やはり忍のそれとそっくりだった。
眼鏡をかけていない目の奥からは挑戦的な光がボクに向けられている。
「ボクは……」
「ああ、もういいわ。遅い、ぬるい、あまい。アナタはやっぱりアンコウだわ。そんなアナタの話なんか来週まで聞いてやらないんだから」
もたつくボクを叱責して、有美はどこかに走り去ってしまった。

 その日以来、覇王とボクと有美、それから忍の奇妙な関係が始まる。人生に終わりがないように、この物語にも終わりはない。

第十回さらし文学賞 | trackback(0) | comment(0) |


とある戦隊モノの舞台裏

こんにちは。僕は鍵崎忍と言います。
 高校生です。地元の公立高校に通っています。
 特技は剣道です。剣道部に所属しています。一応は三段の腕前ですが、練習するより仲間とわいわい騒ぐ方が好きです。母親ゆずりの童顔の所為もあって、部員からは「シノブちゃん」とか「シノちゃん」とか「しーちゃん」とか呼ばれています。不本意ですが……もう諦めました。
 ペットがいます。白イタチです。いわゆるオコジョです。名前はコタローといいます。風魔小太郎からとりました。ええ、僕が「忍」だからです。名前に恥じなく、短い足を精一杯動かしてすばしこく駆け回ります。可愛いです。癒されます。
 最近の悩みは……三角関数というのが全く理解できないことくらいです。サイン・コサイン・タンジェント……悪魔とか呼べそうですよね?
 あ、そうそう。学校には秘密ですが、副業をしています。
 今春から僕、秘密結社の首領をしています、まる。



 いよいよ秋も過ぎて上着の手放せない今日この頃、暖房の効いた図書室という場所は天国のようです……。
 僕は隅の席に座って、机にうつ伏し心地好いまどろみを味わっていた。他に僅かながらも勉学に勤しむ殊勝な文化人たちもいるから、一応申し訳程度に机上に参考書など開いてみてはいるけれど……サイン・コサイン・タンジェント、サイン・コサイン・タンジェント……ああ、羊数えるより効くわ、これ。サイン・コサイン・オヤスミナサイ……。
 そして僕が夢の世界に旅立とうという瞬間――
 ――すぱぁん。
 それを妨げるように、小気味いいけれども妙に間抜けな音が清閑な図書室に響き渡った。同時、僕の頭に軽い衝撃が走る。
「こら忍、図書室は居眠り禁止。ちなみに居眠りの居は座っているの意だから、どうしても眠りたいというなら立って眠りなさい」
 頭の上から降ってくる声。その出所を見遣れば、そこには鬼の図書委員長、あるいは図書室番長こと九条有美が丸めた新聞紙を片手に悠然と、悪戯ッぽい笑みを浮かべて屹立していた。それはそうと、若干後頭部が痛む気がするが……ただ紙を丸めただけの筒にこれほどの威力を持たせるとはやはり流石。
「その格好、また練習抜け出して来たの?」
 僕の隣りに腰を落ち着けながら、彼女は呆れた風に笑う。ちなみに、白い道着に紺の袴、それが今の僕の格好だ。
「ん、まあね」
「いい加減サボってばかりいるとレギュラー外されるよ。そうしたらさ、忍は勉強に関してはほら、当社比ニワトリ七羽半分くらいの頭脳しかないから、何も残らないよ」
 妙に具体的な癖に曖昧な数字は何だ。それにその上から目線は何様だと言いたい。
 ……まあ、いわゆる幼馴染み様な訳だが。
 思えば僕の隣りに有美がいなかった時などなかった気がするが、だからと言って僕も有美も互いに恋愛感情を抱いている訳でもない。どちらかと言えば、気の置けない親友……友達以上恋人未満とかいうヤツ?
「大丈夫大丈夫、何とか成るさ」
「根拠は?」
「……美形だから?」
「ああ、馬鹿なのね。ごめん、知っていたわ」
 こういう掛け合いも慣れたものだ。馬鹿な友人達は「もう付きあえよ」と囃したてるが、むしろこの微温湯のような距離感こそが僕には心地好いのだ。
「ま、確かに忍は黙っていれば、そこそこ格好いいけどね」
 そう言って、有美は突然席を外して図書室の奥へと消えたと思ったら、一掴みくらいの紙束を持って戻って来た。
「本当、黙っていれば当社比、光源氏五人分くらいモテるのだから」
 手渡されたそれらは全て、いわゆるラブレターという奴だった。大体がピンクやスカイブルーの封筒に可愛らしいシールの封をして、「鍵崎センパイへ」とか「忍くんへ」とか妙に丸っこい字が書かれている。
「でも困ったものよ。皆、ここを忍用のポストだとでも思っているのかしら? まあ、けれど利用率が上がって予算も増えそうだから悪くも無いのだけれどね。当社比、アザラシ二頭半分くらいの集客効果はあるかな?」
 ニヤリと悪代官のような悪い笑みを浮かべる有美。流石と言う他無い。
 しかし、これがただの彼女彼氏という関係だったら、有美はやはりこの状況に怒るのだろうか? そう思うと、なおさらこの関係は良い。気兼ねも駆け引きもなく、ふざけあい笑いあえるのだから。
 けれども、ただ一つ。僕には彼女に対して後ろめたいと言うか、気まずいと言うか、その……とにかく秘密にしておきたい事があった。
 それは、僕が今年の春から父の跡を継ぎ、秘密結社の首領をしているという事。
 なぜなら――
「そうそう、忍。それはそうとね、これ見てよ」
 つい忘れていた、と先ほどの新聞を広げて見せた。
『対秘密結社法案、衆院通過』……近年拡大の一途を辿る秘密結社被害を深刻視した衆議院は昨日、対秘密結社法案を可決。この法案は対秘密結社専門の実力行使組織を防衛省の一部所として新しく……。……また最近は変身型怪人を社会に溶け込ませ、情報操作や洗脳、人質にするなどの手口も増加しており、政府は特に公共機関に対して専門家による抜き打ち査定を行なうなど……。
「やっと国も分かったのよ。あいつらがいかに凶悪か、いかに劣悪か。……世界征服だか世界転覆だか知らないけれど、そんなツマラナイ目的のために人を傷つける卑劣、たとえ天が許しても私が許さないわ!」
 高らかに宣言し、鬼の図書委員長はバンと机を叩いた。その意気たるや、もしこれが漫画だったら昂ぶる闘気が見えた事だろう。何人かの生徒が本越しにチラチラとこちらの様子を覗っていた。
「もし、九条サン。つかぬ事をお伺いしますが……たとえばの話、秘密結社の構成員が生徒に化けて、この学校に紛れていたらどうする?」
「勿論、見つけ次第に誅殺よ!」
 ――これだ。
 小さい頃、それこそやっと平仮名が書けるようになったくらいの頃、有美は家族旅行の最中にとある秘密結社に誘拐された事があった。幸い、警察や特殊組織の迅速な対応もあって同日中に保護されたのだが、何があったのか、彼女は「秘密結社」というものに対して絶大な憎悪とトラウマを背負ってしまっていた。
 だからだ。だから、彼女には僕が秘密結社の首領だという事は絶対に秘密なのだ。
 もしバレるような事があれば、間違いなくこの関係は失われてしまうだろう。僕はそれが怖かった。
 …………。
「そうそう、秘密結社と言えばさ、有美は現代社会のレポートどう? ほら、木賀崎サンの『近現代の秘密結社史』てヤツ……」
「ん? ……あー、そうか。確か提出期限は来週の月曜だったか。もしかしないでも、終わっていないのだね、忍クン? ……見せて欲しいかね?」
「はい、是非! お助け下さい、お代官様!」
「今週の土曜、ショッピングに行くのだけどさ、部活終わったら当社比執事十人分くらい仕えてくれるかな?」
「んー……いいとも」
「よし。交渉成立ね」
 僕と有美は時代劇に出てくる悪徳商人と悪代官よろしく、ニヤニヤと笑いながら手をとった。
 しかし、うまい具合に話を反らせたようだ。そっと胸を撫で下ろすと気が緩み、ついクスクスと笑い声がもれてしまった。すると、有美も同じようにクスクスと笑いだした。他の生徒たちが何事かと迷惑そうにこちらを覗っているのは気づいているが、関係ない。僕たちは一応は声を殺しながら、少しの間クスクス笑いあっていた。
 しかし。
「はいはい、夫婦漫才は程々にねー。ここ一応図書室だから、私語厳禁だよー」
 妙に間延びした声が、僕たちの笑い声を遮った。図書委員会の顧問をしている国語科の葛城先生だ。ちなみに、まだ二十代前半くらいの比較的若い先生だからか、それとも国語科なのに常に白衣を着ているという愛すべき変人だからか、一般生徒からの人気が高い。
 相変わらず洒脱というのか、有美曰く「当社比キジバトニ十羽分くらいのお気楽」な、平和そうな笑顔をうかべながら、葛城先生は時計を指し示した。
「九条サン、もうすぐ委員長会議の時間だよー。ほら、生徒会顧問の木賀崎先生、時間に厳しいからさー、遅刻すると小言うるさくなるよー?」
「え、あ……もう四時半! あ、すみません、行って来ます!」
 時計を確認するや、有美は顔色を変えて駆けて行ってしまった。その勢いといったら……本当に図書委員か? あの新聞紙の威力といい、「趣味は読書です」……嘘だろ。
「ははは、相変わらず元気だねー、彼女」
 葛城先生は笑いながら僕の向かいの席に腰を落ち着けて、ヒソヒソと声をひそめて話し掛けてきた。
「そして君も相変わらず。また凄い量だねー。やった、モテモテだー」
「何の用ですか、葛城センセイ?」
「嫌だなー。用が無ければ先生は生徒との会話を楽しむ事も許されないのかい? 首領?」
 朗らかな笑顔から一転して、葛城先生……もとい秘密結社『スクラッチ・スクラッチ』参謀アインヴォルトは皮肉気に笑った。
「それにしても、悪の秘密結社の首領が女子高生に色惚けですかー。青春だなー。羨ましいなー」
「まさか、茶化しに来ただけですか?」
「いや、そのまさかですよー? 別に近々大規模な作戦がある訳でもなければ、緊急事態が発生した訳でもないですからねー。組織の運営状況も非常に良好ですよー?」
 亡き父から組織を継ぎ、早半年が経ったけれども、やはりアインヴォルトはどうも苦手だ。いい人には違いないのだが、いつもふざけばかりいて、何を考えているのかわからない。下手をするとボケているのかもしれない。見た目は若作りでも、父と一緒に組織を創設した人物、五十はとうに過ぎているだろうから。
「別にいいですけれどね、これ知っていますか」
 僕は有美が置き忘れていった新聞を、彼の目の前に広げて見せた。
「ふざけてばかりいると、バレてしまいますよ。葛城センセイ?」
 軽い冗談と、皮肉をこめて笑いかけると、アインヴォルトは「それはマズイねー」と途端に困ったような顔をした。ただ、それは度を越して芝居かかった、つまりは嘘偽りの顔だった。
「それは気をつけないとイケナイですねー……鍵崎クンも?」
「は?」
「いや、九条サンですよー。彼女、勘鋭いですから気づかれませんかねー? ……あ、そうだ。彼女にも仲間になってもらえばいいかー。よし、そうと決まれば先ずは僕らの正体を明かしますかー」
 暢気そうにそう言うが……、それはつまり……。
「ああ?」
 知らず、凄みのきいた声がもれた。
 それを聞いたアインヴォルトは、ピクリと一瞬笑みを硬直させて、それから益々大きな笑みを浮かべた。
「ふふふ、冗談ですよ、冗談。これでも首領の女房役ですからねー、ボクは。首領の気持ちは察しているつもりですよー? 今週末のショッピングもどうぞお楽しみ下さい。そろそろハロウィンだからねー、街も賑わってきっと楽しいですよー」
「……何か、企みを感じる。妙に嬉しそうだけど、どうかした?」
「人聞きが悪いですなー。ただ、先代に似てきたなー、と思いましてね。ふふふふ。……ああ、それはそうとそろそろ首領も部活に戻った方がいいですよー? ああ、このラブレターはボクが処分しておきますからー」
 言われてみれば、もう五時近い。
「良きハロウィンをー。トリック・オア・トリート」
「ふん、使い方間違っているよ。トリック・オア・トリート」
 僕は釈然としないまま、ニタニタ笑いのアインヴォルトを残して図書室を後にした。



「キャハハハ。ショッピングモールの皆さん、トリック・オア・トリート!」
 突如響いた甲高い笑い声に、モールを歩く人々の視線が一所に集まった。
 モールの中央に位置する広場、その象徴となっているギリシャ神殿の柱のようなモニュメントの上に、ジャック・オー・ランタンに黒いマント、さらに黒いシルクハットというハロウィンにはありがちな出で立ちをした男が立っていた。はじめは皆、何かのイベントかと思っていたが、すぐにそれと違うとわかる。
 風にマントが翻った瞬間、その舌には中学生くらいの少年がつかまっているのが覗いたのだ。しかもその少年の細い首には、冗談みたいに巨大な鋏の刃先が当てられていた。
 誰のものか、モールに甲高い叫び声が響いた。
「どうぞ、ご静粛に願えますかな。ご夫人? 折角の名乗り上げが聞こえないと締まらないでしょう?」
 男の声にあわせて笑顔の形に刳り抜かれたカボチャの面が、ニタリと眼を細めた。
 怪人だった。
 次々と叫び声があがり、モールは騒然としたがそれも一瞬。
「騒ぐな! 動くな! 全員静かに伏せていろ!」
 怪人の怒号にあわせて突如鬨の声が轟いたかと思えば、柱の裏からサバイナルナイフを装備した怪人の部下らしき男たちがワラワラと現われた。男たちは全員、真白い鮫みたいな面、肌にピタリとあう黒いシャツに灰色の迷彩柄のボトムスと格好を統一している。秘密結社の下級戦闘員というヤツだろう。その姿は滑稽でもあるが、やはり恐ろしかった。人々は口を閉ざして姿勢を低くすると、そのまま怪人たちから距離をとるため我先に後ずさって、広場をドーナツ状にぐるりと囲った。モールは張り詰めた沈黙に鎖された。
 その様子を見た怪人は満足そうに笑むと、胸を反らして声を張った。
「そうそう、命が惜しかったらご静粛にね。……ゴホン、俺サマは『スクラッチ・スクラッチ』の幹部、ドライフクス様だ! さあ店員の皆さん、このガキ殺されたくなきゃ、金を出せ(トリック・オア・トリート)!」
 その掛け声を合図に戦闘員たちは四散して、次々とモールに連なる商店を襲いだした。

 ……あの悪戯もの(アインヴォルト)め。
 僕と有美がこの日、この場所に遊びに来る事は知っているはずなのに……間違い無くわざとだ。
 僕は音をたてぬように心内、憎々しげに舌打ちした。
 しかし、少しの辛抱だ。基本的に『スクラッチ・スクラッチ』の作戦は迅速を一とし、目的を完了次第速やかに撤退する。そして、誰かを傷つける事もない。少しの間、耐えればいいのだ。
 そう、少しの間耐えれば良かったのだが……やはり鬼の図書委員長には、それが耐えられなかったようだ。
「待ちなさい! この小悪党!」
 声を張り上げて広場の中央に踊り出ると、噴水のモニュメントの上に立つ怪人ドライフクスを挑発的に睨み上げた。広場一帯から一斉にサアッと血の気のひく音がする。誰もが無言ながら止めてと心内に絶叫するが、それが有美に届く事はなく、彼女はドライフクスを指さし怒鳴り続ける。
「人質をとって自分は高みの見物? 卑怯にも程があるわ! そのカボチャ粉々に砕いて鳩の餌にしてやるから、さっさと人質を放して降りてきなさい!」
 予想外の闖入という事もあるが、有美のあまりの剣幕にドライフクスは言葉を失っている。常に笑っているような顔をしているからわかりにくいが、あれは間違い無く動揺している。仕方ない。ドライフクス……宇賀神さんは実は家庭菜園を何より愛する心優しい人なのだ。
「お、お前。何を言っている! この人質が見えないのか! ほほ本当に刺すぞ!」
 ああ、もうしどろもどろだ。
「いいわ、勝手になさい。怪人にむざむざ捕まるような当社比、坊や五人分くらいの軟弱者などどうなろうと知ったことか! その代わり覚悟なさい! もし刺したなら、この世の地獄を……いえ、地獄が極楽に思えるほど、当社比、アイアンメイデン二万基分くらいの痛苦を味わってもらうわ!」
 ああ、人質助ける気ないのか。……まあ、実のところ人質の彼も組織の一員だから、実際刺される事は絶対にないのだが。それでも彼は「ええっ」と頓狂声をあげて、ガタガタと震えていた。ちなみに彼は宇賀神さんの長男、宇賀神圭くんだ。
 人質をとってオロオロとするパンプキンヘッドの怪人と、それを徒手空拳ながら圧倒する一般人。それは実におかしな構図だった。
 ドライフクスはこの状況に歯噛みしながら、けれど打開策も浮かばず、ただ途方に暮れていた。本当なら実力行使が一番いい方法かもしれない。どうしようと一般人が怪人に敵う道理はないのだから。しかし、ドライフクスにそれは出来ない。なぜなら彼は『スクラッチ・スクラッチ』の一員だった。
 科学の発達にあわせて近現代に台頭し始めた秘密結社業界には大小様々な秘密結社があるが、その数は知られている限りでも三百は下らない。となれば、それを構成する怪人や戦闘員の数はもはや数千数万、あるいはそれ以上ある。その全てが殺戮を好み、暴力を愛する悪とは当然限らない。中には無理矢理誘拐された挙げ句に望まぬ改造をされ、それでも良心を失わず、悪事を嫌って組織から逃亡する者もいるのだ。彼らはしかし、もはや帰るところがない。悪魔の改造をなされ、怪人と化した者を誰が受け入れようか。
 それを受け入れたのが、僕の父、先代首領とその友人のアインヴォルトが設立した『スクラッチ・スクラッチ(出来損ないの寄せ集め)』だ。勢力を広げる事も知名度を上げる事もしない、小さな小さな、惨めと言っても過言ではない弱小組織だが、はぐれ者たちにとっては愛すべき家だった。
 僕らは主に窃盗によって生計を立てている。悪事を嫌って逃亡した怪人たちの組織だとはいえ、まともな仕事に就けない以上、仕方の無いことだ。だから僕らは、秘密結社による被害は国がある程度は補償してくれるという制度を盾にして罪悪感を誤魔化しながら、秘密結社を続けている。
 そのためのルールは一つ。人を傷つけない。
 ゆえに『スクラッチ・スクラッチ』は迅速に金品を回収し、誰を傷つける事もなく迅速に撤退する事を信条としている。だから、ドライフクスは有美に手を出せないのだ。
 だが、有美はドライフクスに手が出せた。
 いつまでも動かないドライフクスに業を煮やした有美は一瞬のうちに柱を駆け上がり、ドライフススの懐をとるや否や、大鋏を握る手を蹴り上げて得物を叩き落とした。
「え……、あ……ギャア!」
 その余りの速さに状況を見失ったドライフクスの顎に有美の掌底が打ち込まれる。ガキリときまった衝撃に体勢を崩した彼に、息を吐く間も許さず次々と追撃が迫る。鳩尾に堅い肘先が刺さり、そのまま拳を撥ね上げて放たれた凶悪な裏拳が、くの字に折れた体にあわせて落ちてきた顎をとらえる。たまらずモニュメントから転がり落ちる彼に、有美は駄目押しとばかり、ためを作った正拳突きを叩きいれた。
 その間、わずか一秒足らずの出来事だった。
 あまりの立ち回りに、ドライフクスをはじめ、戦闘員や観衆もただポカンと口を開けていた。もはや何が何だかわからない状況に、とうとう誰かがおかしくなった。
「こ、このォ……かかれ!」
 戦闘員の一人が怒号をあげて有美に襲い掛かったのだ。
 それを皮切りに、二十人ほどの戦闘員が一斉に有美へと押し寄せる。また誰かが叫び声をあげた。
 だが、有美は鬼神のごとき強さを発揮した。怒涛のごとく襲い掛かる戦闘員たちを蹴り、殴り、打ち、払い、投げ、薙ぎ、突き、一歩も退かずにむしろ押し返していた。
 しかし、所詮は一般人。いつかはボロが出る。ある戦闘員の後ろ回し蹴りをかわした時に、一瞬バランスを崩したのだ。その瞬間、戦闘員の握ったサバイナルナイフが有美に迫る。もはや正気を失っている彼の刃は、彼自身さえ止める事が出来ない。
 気づけば僕はその間にわってはいり、竹刀を袋から抜くこともなく、そのまま彼の眉間に叩き込んでいた。
 ああ、しまった。何をしているのだ、僕。
「……忍! 助かったわ!」
 礼もそこそこ「背中は任したわ!」と叫び、彼女は戦闘を再開する。
 彼女の言葉もあって、正気を失った戦闘員たちは首領の僕にまで襲い掛かってきた。
 ええい、ままよ!
 僕は覚悟を決めて竹刀を抜き、混乱極める戦場に身を投げ込むのだった。

 しばし経ち、いつの間にか観衆に過ぎなかった人々も加わって戦闘はいよいよ訳の分からないものと化していた。何が何だか、まさしく右も左もわからない状況だった。
 その中、なにがあったか冷静を取り戻したドライフクスと眼があった。
「あ、貴方は何をなさっているのですか! 首りょ――」
「――ヤァァァア!」
 危うく秘密をバラしかけたドライフクスの喉に突きをさす。
「ガッ、……ゲホッゲホッ、何をなさるのですか! 首――」
「――成敗!」
 重ねて喉を突く。
 許せ、ドライフクス。有美にバレたら僕の命が無い。僕だってまだ死にたくないのだ。
「さあ、怪人め! まだ闘うか! さっさと逃げ帰るがいい!」
 僕はドライフクスに竹刀を突きつけながら、ウィンクして合図を送った。それは確かに伝わったらしく、彼はよろよろと立ち上がると「撤退だ!」と声高に叫ぶと、そそくさと逃げ去った。それが戦闘終了の合図だった。
 どこからか歓声が沸きあがった。
「あ、待ちなさい! 誰が逃がすものですか!」
 だというのに、有美は一人その後をなお追おうとする。
 放っておけば、本拠地まで着いていきそうだ。それは困る。
 仕方なく僕は、有美の手をとった。そしてそのまま強く手をひき、力強くしっかりと抱きしめた。
「有美、良かった」
「……し、忍?」
「有美が無事で、本当に良かった。離さないよ、……有美」
 なぜか、広場に拍手と歓声があがった。
 その喧騒を他人事のように聞きつつ、僕はアインヴォルトへの復讐を考え、そしてこれからも有美に正体を隠しつづける苦労を思い、ただただ静かに、誰にも気づかれぬよう心内に溜め息を吐くのだった。
 顔には笑みを浮かべながら。



 しかし、まったく有美もアインヴォルトも楽し過ぎる。
 日常も非日常も、表も裏も、世界は実に素晴らしい。

 ・・・・・・征服されたくなかったら、退屈させるな(トリック・オア・トリート)。

第十回さらし文学賞 | trackback(0) | comment(0) |


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