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さらし文学賞
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夢実

夢実
 
 私は自分のことをごく平凡なサラリーマンだと思っている。親に言われたとおりに大学に進み、それなりの中小企業に就職したのが八年前、それから三年経って、同僚の女性に恋をし、交際を始めた。それから約一年後に結婚をして、すぐに子どももできた。男の子だ。
 もうすぐで五歳の誕生日を迎える頃だ。プレゼントには何かおもちゃと、弟か妹も作ってあげられたらいいな、と考えている。
 どこにでもいそうな一般的な家庭だ。特別なことはないが、それなりに幸福な人生を歩んでいる。
 そう思っていた。あの夢を見るまでは―――――――


「向井さん、起きてください」
「うーーん?」
「もうすぐで起きる駅ですよ」
「ああ、そうか。ありがとう」
 どうやら帰りの電車で居眠りをしてしまっていたらしい。
「最近、疲れ気味ですね」
「あまり寝付けなくてね。疲れが取れないんだ」
「そうなんですか?」
「それに夜の方もちょっとあってな。そろそろ二人目を作ろうかと」
「それは羨ましい限りで。でも、体調管理はきちんとしてくださいよ。向井さんが倒れたら、僕の仕事が増えてしまいますから」
「それには気をつけてるよ。無理はしないようにはしているし」
 そこで到着のアナウンスが流れる。
「じゃあ、降りるか」
 扉が開く前に席をたち、降りる準備をする。そして。開くと同時に他の乗客に揉まれながら降りる。改札口あたりまでこんな感じだ。働き始めた当時は帰りでも混雑することにいらいらしていたが今ではこなれたものだ。
「今日も相変わらず混んでいましたね」
「そうだな」
「そういえばさっきのことなんですけど、いい薬局紹介しましょうか? 僕も寝付けない時があったんで、睡眠薬を探していたんですが、そのときにいいとこ見つけたんですよ。薬剤師一人で経営してるんですけど、そこの薬は良く眠れたんですよ。どうです?」
「個人って、大丈夫なのか?」
「まぁちょっと変な人でしたけど、大丈夫だと思いますよ。現に僕が平気なんですから」
「それもそうだな。それじゃ、教えてもらえるかな」
「じゃあ、後で細かいことも含めてメールしておきますね」
「そうしてもらうと助かる」
「分かりました」
 改札からしばらく歩いて、交差点に差し掛かる。ここで私はまっすぐ、彼は左手の道へ別々の帰路につく。
「それじゃ、僕はこっちで。お疲れ様です」
「お疲れ様」
 前の信号が青になったので歩き出す。後、五分もすれば家族が待つ我が家である。
 少し外装のペンキが禿げていたり、きれいとは言い難い三階建てのアパートだが、そこまで不便ではない。自分の身の丈には合っている。そのうちはマイホームを持ちたいという希望はあるが、いつのことになるかは分からない。それよりは今は子供のことを頑張りたい。
 部屋のある三階まで疲れた重い足をのっそりのっそりと一段ずつあがる。まだ三十代にも到達していないのに体力に衰えを感じる。それとも単なる疲れか。どちらにしても健康は大事なので何か運動でも始めようか。
 階段を上がりきり、ようやく部屋の前までたどり着く。上着のポケットから鍵を取り出し、ドアを開ける。
「ただいま」
 そう声をかけると息子の悠太が玄関まで駆けてくる。
「おかえりなさーい。ねぇはやくあそぼ、あそぼ」
 子供は疲れた私に気づくはずものなく、無邪気に笑顔を見せて、遊びをせがんでくる。
「お父さん、今日疲れたるんだけどな」
「ええー、あそぼうよ」
「そのくらいにしなさい。お父さんも大変なんだから」
 そう言って、エプロンで手を拭きながら妻の百合恵が奥から出てくる。どうやら料理の途中だったようだ。
「おかえりなさい。ご飯まだできてないから、先にお風呂でも入っていて」
「分かった」
「ゆうもはいる!」
「そうね。一緒に入りなさい」
「うん」
 どうやら風呂でゆっくりすることも難しそうだ。


夕食を終え、悠太も遊んで九時を短針が過ぎる頃にようやく悠太が床についた。
「はぁ疲れた」
「お疲れ様です」
 そうお茶を一杯コップについでくれた。
 冷たい麦茶が体に行き渡る。
「ビールでも飲みたいんだけどな」
「ダメよ。アルコール入れたら、すぐ寝ちゃうでしょ。これからなんだから」
 どうやら今日も早くに寝かせてはくれないようだ。
「今日は疲れてるんだけどな」
「でも、そろそろ排卵日だし、今を逃すとまた先送りになっちゃうけど。もうちょっとだから頑張ってお父さん」
「わかったよ。だけど、もう少し休ませてくれ」
「はいはい」
 正直、悠太の相手をするよりも体力を使うのだ。
 ふと携帯を見ると、メールが届いていた。後輩の三田からだった。先ほどの睡眠薬のことだろう。メールを開くと、薬局の場所と名前が書かれていた。
 〇〇区〇〇町〇〇―〇〇 野原薬局
 携帯の地図で調べると、意外と会社から近いことが分かった。明日の帰りにでもよってみよう。
「そろそろいいかしら?」
 体力が残っていれば……


 昨日は早めに切り上げてもらったのだが、やはり疲れが残っている。それなのによく眠ることができない。
 なので、さっそく教えてもらった薬局に足を運んでみた。
 外観は至って普通の薬局で、看板は少し古臭く、局の文字がかすれてしまっている。
 扉を手前に引いてドアを開ける。それに合わせて鈴がからんころんと鳴る。
「いらっしゃい」
 奥の方から若い男性の声が聞こえてくる。そして、人がのっそり出てきた。
 白衣を着ていて、背は高いのだろうが、猫背のせいで背が低く感じる。髪もぼさぼさで科学者のみたいだ。それもマッドとつきそうな。年も自分と変わらない、あるいは年下かもしれない。
 中は少しだけ変わっている。というのもほとんど薬が店に並べられていないだけなのだが。
「本日はなんのご要件で?」
「睡眠薬を欲しくて。最近よく眠れないので」
「そうですか。うちはお客様一人一人に合わせて薬を調合していますので、少々お時間をいただきますがよろしいですか?」
「どのくらいですか?」
「三十分もあればできると思いますが」
「それぐらいなら構いません。お願いします」
「では、いくつか質問をさせていただきます。いつから寝付けないですかな?」
「ええと……」
 そのあとも体調管理の仕方や食生活などのことを聞かれた。病院で診察を受けている気分だ。
「分かりました。では最後に一つだけ。最近夢は見ましたか?」
「夢ですか。ほとんど見てないと思います。見たとしても夢って忘れてしまうものでしょう?」
「そうかもしれませんね。ただ、夢っていうのも一日の情報を整理してる時なのでできるだけ見ている方がいいのですが。それに夢にはその人の本質が出てくるものなのです」
「本質ですか?」
「そうです。フロイトの夢分析みたいな感じです」
「それが薬作りに関係あるんですか」
「あるといえばありますが、ほとんどは僕の興味・関心です。人の夢の話を聞くことは楽しいので。
 それに目を背けていることと向き合う機会にもなりますよ」
 この時、少し気味悪い笑顔を浮かべる。何か企らんでいるかのような、だがすぐに先程までの営業スマイルに戻る。
「では、作業に取り掛かりますね。外で適当に時間でも潰していてください」
 そう言い残し、裏の方へ姿を消してしまった。
 店の中にいても仕方がないので一旦外に出ることにする。近くに本屋があったのでそこで時間を潰すことにした。
 新刊のミステリーを立ち読みしていたら、あっという間に時間が過ぎてしまった。続きも気になるので買っていくことにした。
 レジで会計を済ませ、野原薬局に向かう。
 からんころんと扉を開けると、すでに裏から出てきていた。
「お待ちしていましたよ」
「ありがとうございます。いくらですか?」
「千円に税を含んで千八十円です」
 財布から千円札と百円玉を取り出し、手渡す。
「では二十円のお返しです。一週間分です。こちらの薬ですが、何か副作用があるかもしれません。体質的に合わなかったり、私がミスを犯してしまった可能性もあります。なので、体調を崩されたら、すぐに来てくださいね」
「分かりました」
 薬が入った袋を受け取り、カバンにしまう。
「では、よい夢を」
 そうにへらと笑って言った。


 今夜さっそく使ってみることにした。今日は妻の体調がすぐれないということで夜の営みはなしになった。
 紙袋から取り出すとビニールで小分けされた袋が七つ出てきた。白い粉末ぱっと見、危ない薬に見えないこともない。
 一つを残して、他の袋を戻す。台所から水を一杯汲む。袋を開けて、口の中へ入れ、一気に水で飲み流す。
 そのまま百合恵の寝るベッドに向かう。布団に入り、小さい明かりだけを付け、夕方に買った本を読むことにする。だが、一ページもめくることなく、睡魔に襲われ、そのまま意識がすうっと落ちていった。


「起きて、あなた」
 気がつくと、もう朝だった。いつもの朝と違いすっきりしている。薬のおかげだろうか。
「おはよう」
「おはようございます。それと電気がつけっぱなしでしたよ」
「ああ、ごめん。本に夢中になってたよ。ほら、これ」
 布団の上に開いて置いてあった。少し折り目がついてしまっていた。
「気をつけてくださいよ。電気代も馬鹿にならないんですから」
「気をつけるよ」
 なんだか夢を見ていたような気もするが忘れてしまった。
 まぁともかくこの薬はいいかもしれないな。今日三田にお礼でも言っておこう。
「朝ご飯もできてますから早く支度してくださいね」
「分かったよ」
 妻が寝室から去り、私も着替えを始める。
 さてと今日も家族のために頑張りますか。


 薬を服用し始めて三日目ある異変が起きた。異変とうことでもないのかもしれないが、とても不吉な夢を見た。日が経つたびにはっきりしていくのだ。毎日同じような夢をみているのだと思う。記憶に残っているのは一面が真っ赤に染まっている部屋だ。それも私の部屋だ。
 ただの夢なのにひどく心に引っ掛かりを残す。何か大事なことを忘れているような。
 でも、それだけだ。体調の方は何にも問題はない。むしろ快調なほどだ。疲れも取れ、仕事にも成長ができている。
 私の過剰な心配だろう。そう自分に言い聞かし、今日も職場に向かう。


 服用四日目、夢の情報が加わった。赤い赤い部屋の中に人のような…いや、人だ。人が倒れている。赤いのは血なのだろう。
 あれは誰なんだろうか。
もしかして私なのだろうか。
それとも私の近くにいる誰なのか。
予知夢などというものを信じる気は毛頭ないのだが、心をざわつかせる夢だ。
薬のせいなのか。これも副作用に内にはいるのだろうか。
今日の帰りにでもあの薬局に寄っていこう。
 しかし、あの薬局をいくら探しても見つからないのだ。それどころか三田からのメールさえ残っていない。受信履歴をいくら探しても見つからない。
 三田本人に電話もしてみたが、残業に集中しているのか分からないが繋がらない。
頭は混乱していくばかりだ。近くにあった本屋は存在している。でも、薬局は見つからない。建物そのものが存在していない。
これが狐に化かされたとでも言うのか、自分の記憶を疑わざるを得ない。
どうもあの日から何かが狂い始めている。
痛い頭を抱えながら、帰宅する。
「おかえりーーー」
「お帰りなさい、あなた」
 家は何にも変わりない。いつもごく普通のそこそこ幸せな家庭だ。安心な我が家だ。
 でも、不安は払拭されはしない。家には薬が存在しているのだ。
「なぁ百合恵」
「なぁに? 早くお風呂に入ってきたら」
「ああ、すぐに入るよ。この薬なんだけど、俺なんか言ってたか?」
 すると、一瞬何を言っているのだろうという顔を浮かべた後、口を開く。
「同僚に勧められた薬局でもらった睡眠薬だって言ってたわよ」
「そうだよな」
「大丈夫? 疲れてるのかもしれないわ。今日は早く休みましょう」
「大丈夫だよ。ちょっと勘違いしていただけだから」
 心配そうな表情を浮かべるが、それ以上は何も言わずに台所に戻っていった。
「ねぇ、おとうさん」
 いつまにか悠太が足元にいた。
「いっしょにおふろはいろう!」
 そう言ってズボンを引っ張る。
「そうだな。入るか」
「やったー。 ゆうさきにはいってるねー」
 そう言って、さっさと洗面所に向かってしまった。子供は悩みがなさそうで羨ましいなどと考えながら、スーツをハンガーにかけて、自分も風呂に入る準備をする。
 浴室に入ると湯気がぶわっと顔にかかる。私は最初に体を洗ってから浴槽に浸かるので、椅子に座り、体を洗い始める。
 悠太は湯に浸かりながら、おもちゃで遊んでいる。
 その後は悠太の体も洗ってやる。二人の体がきれいになったところで、ゆっくりに湯に浸かる。疲れも癒される至福の時だ。
「ねぇおとうさん」
「何だ?」
 悠太が話しかけてくる。
「ゆうね、きょうこわいゆめみたの」
 一瞬だけ頭に今朝の夢の景色がよぎる。悠太の言葉は続く。
「おとうさんにおこられるゆめ」
「お父さんだって、悠太が悪いことしたら怒るぞ」
「ゆうなんにもしてないもん。それにすごいたたいたりしてきたの」
「大丈夫だよ。お父さんは悠太が良い子にしてたら怒らないよ」
「ほんとう?」
「本当だよ」
「ぶったりしない?」
「しないよ」
「………だ」
 小さくて聞き取れない。
「…そ……だ」
「何だ? 聞こえないぞ」

「―――――うそだ」

 はっきりとそう言った。今まで聞いたことない。悠太の低い声だった。本当に悠太の口から発せられたのかと思うほどに。
「う、嘘じゃないぞ」
「嘘だ嘘だ」
「だから嘘じゃ…
「うそだ! 嘘だうそだ。嘘だ。うそ! う・そ・だ!!」
 何が起こっているのか、全く分からない。そりゃ悠太はまだまだ幼い癇癪を起こすこともあるけど、これは子供が起こすものではない。こんなことはなかった。
目の前のこれは誰だ。本当に私の息子の悠太なのか。そう自分を疑う。悠太の皮をかぶった別の何かと言われても信じてしまいそうだ。
「お父さん、やめてって言ってもゆうを叩いた。やめてって言ったのに蹴った、殴った、投げた、投げつけた、刺した、手で足で椅子でペンで包丁で顔をお腹を背中を腕を足を全身を。痛いって言ったのにやめてくれなかった!」
 低い声で叫ぶ。
 顔は憎悪で歪み、目は虚ろ。以前の悠太の面影などどこにもない。
「な、何を言ってるんだ。お父さんそんなことをーーー
「うるさいうるさいうるさーーーい!」
嘘つき      うそつき    ウソつき  嘘吐き
  うそつき嘘つき   ウソつき    ウソツキ  嘘
 ウソつき   嘘つき  嘘つきウソつき嘘吐きウソつき嘘吐きウソつきウソつきウソつきうそつきうそつきうそつk

―――――――人殺し―――――――








「ああああああああああああああああああああああああああ」
 私は跳ね起きた。呼吸は荒く、心臓はばくばくと落ち着くことはなく、血は全身を駆け巡っている。同時に汗もびっしょりで、寝巻きをが体に引っ付いて、気持ち悪い。
 だけど、先ほどまでの浴槽ではない。寝室のベッドの上だ。当然悠太もいない。部屋の明かりは付いていなくて、真っ暗だ。カーテンの隙間から漏れる月明かりでうっすらと見える程度だ。
 
 バンッ!

突然ドアが開く。
体が音に反射してびくっとなる。そして、明かりがつく。明るさに目がなれず、眩しい。誰かが部屋に入ってくるのは分かるが、誰かが見えない。
そこに声がかけられる。
「大丈夫!」
 百合恵だった。
「今大きな声が聞こえたけど、どうかした?」
「なんでここに?」
「あなた覚えてないの。お風呂でのぼせたのよ。お父さんが寝ちゃったって、悠太が教えに来てくれたのよ。見に行ったらぐったりしているし。大丈夫? 私の言うことちゃんと理解できてる?」
「大丈夫。大丈夫だ。頭は動いてる」
「本当に? 気をつけてくださいよ」
「ああ、そうだ」
 いつから夢を見ていたのだろう。どこから夢を。
 そうだ。悠太は。
「悠太はなんともないか」
「大丈夫よ。今はぐっすり寝てるわ。もう十一時ですもの。あなたの心配してのよ」
「そうか。他に何か変わったことはないのか?」
「何かって?」
「その何だ。突然喚いいたりとか、人が変わったようになるとか」
「そんなことはないわよ。やっぱりまだ寝てた方がいいんじゃないの?」
 やっぱりあれは夢なのか、あの悠太は。
 最近の夢はどこかおかしい。あの薬を飲み始めてからだ。少し服用をやめよう。特に寝つきが悪いことはないんだし、一旦やめよう。
「ああ、でも」
「でも、何だ」
「ええとね、そういえばあったわよ

―――――――あなたが私たちを殺したことよ

 えっ
 首が自分でももげるかと思うほど、百合恵の方に顔を向ける。
 そこにはさっきまでの優しい百合恵の面影はどこにもなかった。表情は歪み、というか頭がひしゃげている。鈍器で殴られたように凹んでいる。顔は血で真っ赤に染まり、今もなおその血は固まることなく、ぽたぽたと床にたれ続けている。
「何を驚いているの? あなたが殺ったんじゃない」
「私は何も」
 私はまだ夢を見ているのか。こんな悪夢早く覚めてくれないか。これは何なんだ。何故こんな夢を見る。
「なぜって、少しでも私たちに後ろめたいことがあるからじゃないの?」
「そんなことはない」
「じゃあこれはなんだと思うの?」
「し、知らない。僕は何も」
「うそつき」
 入口に立っている百合恵の横にいつのまにか悠太がいた。
「うそつき」
「そうね。嘘吐きね。私たちにあんなに酷いことをしたのに」
「酷い、ことって」
「悠太に教えてもらわなかった? 暴力を散々私たちに向けたあと、殺したのよ」
 そう赤い笑顔を浮かべる。
「違う違うこれは夢だ。夢のはずなんだ。お前らは誰だ! 百合恵と悠太は! これは夢なんだろ!!」
「そうね。これは夢かしらね」
「そうだろ夢だろ。あれだって―――――――

あれ

「って、何かしら?」
 全身に鳥肌が立った。
すごく冷え切った声音だった。
心臓が止まるかと思った。
「おとうさん、あれって、なに? ねぇなに?」
「違うあれは夢なはずだ。あんなこと僕はしてない。してないんだ!」
「だから質問に答えて
「あれって
「「何?」」
 一歩ずつ詰め寄ってくる。血まみれの無表情で。砕けている足で、ひしゃげた腕を垂らしながら、血を滴らせながら。僕の方を一心に見つめながら、光彩のない目で近づいてくる。
 記憶には存在している。でも、あれは夢だ。悪い夢だ。そうなはずなのに。僕はどうしてこんなにも追い詰められている。
 だけど、夢だと思い込もうするにつれて、頭の映像はだんだん鮮明になっていく。同時に手にもそのときの感触が思い出されていく。
 違う違う。あれは夢なはずだ。最近見始めた悪い夢だ。これも何か悪い夢だ。目を覚ませば、いつもの幸せな家族が存在しているんだ。
「どこに幸せななんてものがあったの。あの地獄のような日々のどこにそんなものがあったの?」
「それなりに幸せだったはずだ。お前がいて、悠太がいて、どこにでもいる平凡な家族だったけど、稼ぎも多いとは言えないけど、面倒かけてばかりだったけど、うまくやっていてじゃないか」
「あなたの記憶ではそうかもね」
「何が違う」
「さぁ? あなた自身で思い出してみて」
「違う。これは夢なんだから。目を覚ませば…」
「あなたはさっきからそればかりね。それじゃ夢から覚めてみなさい」
 その言葉と同時に意識が一瞬遠くなった。

 目を覚ますと寝室だった。携帯には午前六時と表示されている。何も普段と変わらない。
 悪い夢を見た。
僕が百合恵と悠太を殺す?
 そんなことあるはずない。現に横で百合恵は寝ているんだから。
 頭が冴えてしまって、二度寝する気は起きない。とりあえず、寝起きのコーヒーを飲もうと静かに台所へ向かう。
 給湯器に水を入れ、スイッチをいれる。コーヒーの粉をを取ろうと棚に手を伸ばしたところに。
「おとうさん」
「わっ」
 突然声を掛けられた。
 驚いて振り向くと悠太が眠そうに目を擦りながら、立っていた。
「びっくりしたな。どうしたこんな朝早くに」
「あのねこわいゆめをみたの」
「どんな夢だ?」
「あのねあのね。おとうさんがね」
「うん」
「ゆうのことをころしちゃうゆめ」
「えっ」
 今なんて言った。これもまだ夢の続きなのか。一体にいつになったら解放されるんだ。
「大丈夫だよ。お父さんはそんなことをしないよ」
「またうそをつくんだね」
 途端に悠太の様子が一変する。外見に似つかわしくない低く不気味な声。
「いつまでもすすめないんだから」
「これも夢、なのか?」
「どうだろうね。そもそも夢って何? 現実って何? 何を持って夢と決めて、現実だと決めるの?」
「それは」
「どうして、これが夢だと思うの? ゆうがおかしいから?」
「そ、そうだ。悠太はそんな声で話さないし、こんなこと言わない」
「確かにこれは夢かもしれない。じゃあ、この次に意識が覚醒したときは現実? でも、そんなのわかんないよね。現実のような夢を見ているだけなのかもしれないよ。現実を現実と認識する方法はないんだよ」
「でも、これは夢だ」
「そんなことはどうでもいいんだよ。大事なのはおとうさんが自分の罪を自覚すること」
「僕は殺してなんかいない」
「そう思い込むのは自由だよ。でも、忘れちゃだめだよ」
「何を…」
「ゆうとおかあさんは苦しんで死んでいったこと、そして、お父さんを憎んでいること」

 一体何度目を覚ませばいいのだろうか。夢を幾重にも見ていた。ためしに頬を引っ張ってみる。
 痛い。
 これは現実だ。今度こそ夢の世界じゃない。時計は七時を回る頃。流石に起きなければ、遅刻してしまう。
 いつもなら、とっくに起きて、朝の支度をしているはずの百合恵はまだ横で寝ている。仕方ないなと思ったが、いつもやっているんだからたまには自分でやろう。
 からだを起こし、忍び足で寝室を出る。そこで何か異臭を感じた。何かが腐った臭いだ。臭いのもとを探したが見つからない。後で起きた百合恵に探しておくように言っておくか。
 他にも、カーペットが黒ずんでいる。百合恵にしては、ミスが目立っているな。少しキツめに言っておくか。
 コーヒーのための湯を沸かしていると、外がガヤガヤと騒がしくなってきた。よく耳を澄ませてみるとパトカーのサイレンまで聞こえる。
 何か物騒な事件でも起きたのだろうか。家族にまで危害が及ぶとなると心配だな。後で様子を見てくるか。
 朝のニュースを見ながら、コーヒーを飲んでいると、インターホンが鳴った。
 誰だ、こんな朝早く。二人が起きてしまうじゃないか。幸いまだ寝たままだけど。
 僕もそろそろ支度をして、仕事にいかければならないのに。愛する家族のために。
 わかったわかった。そんなに急かさないでくれ。すぐに出るから。 
 全く、一体の何の用なんだか。

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